第35話 王蛇と暁鴉のニ閃
〈水牙〉を弾き飛ばしたところで、嵐慶は再び〈緑爪〉の切っ先を地面に突き刺した。すると濃密な神力が地に注がれ、やがて巨木が顕現する。
「何だ、あれは……⁉」
桜夜は絶句するような光景に体を硬直させる。
それはただの巨木ではなかった。
枝分かれした幹は龍の形をしており、まるで九頭竜の如くこちらに向けて牙を剥いていた。
また地面からも複数の龍が姿を現し、桜夜たちに襲いかかった。どうやら巨木の根もすべて龍の形状をしているようで、巨木そのものが数多の龍の巣窟のようになっていた。
「くっ!」
〈滝つ瀬・鯉遊泳〉で加速し、龍たちの急襲を回避する。だが、避けたところで嵐慶が接近し桜夜の腹部を斬りつけた。
呻き声とともに第二の刃が振り下ろされると、漆黒の両翼が桜夜を救った。
「しぶとい奴だな」
「それはこっちの台詞や。もうアンタの時代は終わったっていうのに、いまだに往生際悪くかつての栄光に縋って」
アンタが一番見苦しいわ、と伊織は凶刃を払いのける。
「すまない」
「いいや。部下を助けるんは上司の特権やから」
伊織は気丈に笑むが、その様相には隠しきれない疲労の色が滲み出ていた。
先ほどの〈黄茅白葦〉で全身に裂傷を負ったことで出血が凄まじい。紅葉や他の幹部たちとの連戦を経たうえで立っているのが不思議なくらいだ。
――伊織も長くはもたない。
嵐慶との間合いが確保されたところで、桜夜は〈水牙〉を創成し体勢を整える。そこで黒龍の雄叫びが鼓膜をつんざき、嵐慶に業火が迫った。
業火から距離をとった嵐慶の隙を見逃さず、桜夜は〈水牙〉を肉薄させる。が、やはり〈緑爪〉で防がれてしまう。
「〈風切羽〉!」
伊織が尖鋭な黒羽を差し向けるも、木龍たちがそれを嚙み砕いた。
「チッ!」
舌打ちすると同時に、伊織は呻き声をあげて片膝を地面につかせた。
桜夜が彼の名前を呼ぼうとしたところを木龍が迫り来る。桜夜は大きく跳躍し、嵐慶や木龍たちから距離をとった。
「――――――ッッ‼」
己の背を苦悶の鳴声が打つ。
桜夜が振り返ると、黒龍が業火を吹きかけてきた。
桜夜は咄嗟に〈泡沫〉で自身を保護し、間一髪で焼死を免れた。
「蓮夜……!」
早く彼を助けださなければ。
伊織に視線を向けると、嵐慶が接近して彼の首を取ろうとしていた。
「伊織っ!」
桜夜は〈泡沫〉を解いて地面に降り立つ。同時に〈黒翼〉と〈緑爪〉が交じり合い、甲高い剣戟の響きが冴え渡った。
「まずはお前からだ。剣聖」
嵐慶が不敵に笑む一方で、伊織は全身の傷が祟り苦悶の表情を浮かべた。あの伊織が刀で押されている。
すぐに伊織を救出しに向かう桜夜だが、木龍がその足を阻む。近くで戦っていた増美も木龍の迎撃で手いっぱいで加勢できない。
「くそっ」
――もう、あれを使うしか……!
神力を操る者ならば誰でも会得している奥義。すなわち、最強の放出神技。
〈暁鴉ノ風〉
〈鹿鳴ノ花〉
〈白鷺ノ雪〉
〈龍驤ノ木〉
それぞれの神を具現化した神技には大量の神力が必要となる。そのため、たとえ嵐慶であっても大技は使えない。彼がいま、神技を使っていないように。
だが、神力を体内に宿している桜夜の場合、神力が生命力そのものとなるため、奥義の放出は命がけと言っても過言ではない。
――私の命が持てばいいが……。
だが、自身の安全を優先してしまえば大切な仲間たちを失ってしまう。
――甘い考えは捨てろ。
呪われた命は、最愛の弟と自分たちを受け入れてくれた仲間たちを守るために使う。そう決めた。
桜夜は意を決し、全身全霊をもって奥義を解放させた。
「〈王蛇ノ水〉」
濃藍の瞳が煌々と輝き、清流の如き水色の神力が全身を覆う。桜夜は〈水牙〉を逆手に持ち、姿勢を限りなく低くした。そして勢いよく地を蹴った瞬間、足元から滂沱の水が溢れ出た。
神水が噴射して弾丸の如き凄まじい速度で木龍に接近。目を瞠るような速さで全身を回転させ、〈水牙〉を振るった。
蛇がとぐろを巻く。獲物を締めつけ、息の根を絶つかのように桜夜は渦巻きながら細やかに斬撃を入れた。
木龍は瞬く間にばらばらになり、地に伏す。一匹、また一匹と即座に斬り伏せ、桜夜は嵐慶の背後をとった。
「……⁉」
感じたことのない気迫に嵐慶は反射的に振り返り、その場から後退する。
「桜夜ちゃん……」
桜夜は留まることを知らず嵐慶を追尾した。だが、主を守らんとする木龍が迫り来る。
桜夜は初めから木龍たちを視認していないかのように、蛇行しながら彼らの攻撃をかわし、嵐慶に〈水牙〉を肉薄させた。
「人を殺せん愚鈍な化け物が、調子に乗るな」
翠緑と清水の剣戟が冴え渡る。苛烈な攻防が繰り広げられるなか、木龍が嵐慶の援護に回る。
「桜夜ちゃんの邪魔すんな」
横槍を伊織が防ぎ、本体である〈龍驤ノ木〉を倒すべく〈黒風〉を差し向けた。だが、それだけでは神木を倒壊させるには至らない。
「クソ! せめて〈無双〉が使えたら!」
伊織が歯噛みしたところで、黒龍の神籟が轟いた。
はっとして伊織が見上げると、黒龍が四方八方に業火を吹きかけた。〈龍驤ノ木〉も荒神の息吹を真正面から受け、焼き尽くされていく。
「流石蓮夜くん! ナイスタイミングや!」
思わぬ僥倖に、伊織は口角を上げて鋭い風を送りつける。
「〈黒風〉!」
焼けて脆弱になった神木は〈黒風〉によって斬り倒され、灰燼と化した。
桜夜たちを襲っていた木龍もすべて倒壊し、障壁はすべて無くなった。
「あとはあいつだけか」
見れば、桜夜の攻撃をいなす嵐慶が。だが、〈龍驤ノ木〉による神力の大幅な消費によって神技は使わず純粋な剣技だけで抗戦している。彼もまた〈王蛇ノ水〉に少なからず圧倒されているのか、疲労と焦燥が現れ始めていた。
「待って待って桜夜ちゃん。ボクもアイツにとどめ刺したいんや」
伊織は震える体を叱咤して、桜夜の背を追った。
「捨て身の覚悟でオレに歯向かうか。だが、蛇女でない以上お前はオレを殺せない」
「殺せなくとも、再起不能にすることぐらいはできる」
「舐めた口を」
渦巻く高速剣技を回避するにも限界がある。
黒龍が生み出した火の海が嵐慶の足場を奪い、一瞬の隙を生み出す。
「桜夜ちゃん!」
合流した伊織に桜夜は頷いた。
――ここで呪縛を断つ。
――やっと仇を討てる。
互いの想いを乗せた二刀が閃く。
「あ?」
嵐慶は己が死の淵に立たされていることを理解できなかった。
「……はっ、ふざけるのも大概にしろ」
主に噛みつかんとする従僕などいるものか。
龍に喰らいつく蛇と烏がいるものか。
「身の程を弁えん禽獣どもがッ‼」
支配と栄光に縋りつかんとする妄執が脳内を席巻し、嵐慶の刀を鈍らせる。
瞬間、〈水牙〉は嵐慶の腹部を斬り、〈黒翼〉は頸動脈を裂いた。




