第33話 慨嘆の叫び
「〈五射・天花〉」
「〈彩羽〉」
放たれた五本の雪矢を紅炎の羽が穿つ。相殺された衝撃で発生した白煙を斬り裂くように、桜夜は〈懸河〉で佳弥との間合いを詰めた。
致命傷にならないよう佳弥の胴部に〈水牙〉を食いこませた時、あろうことか彼女はいつの間にか雪像と化しており、その場で崩壊した。
桜夜と増美が愕然とする最中、背後から凛冽な声音が冴え渡る。
「〈白鷺ノ雪〉」
佳弥が放った一射はたちまち分裂し、数羽の大きな白鷺となって桜夜たちに奇襲する。
〈水〉と〈炎〉の権能で討とうとするが、雪客たちは優雅に舞うように追撃をかわし、極寒の雪風を吹かせた。
「くっ……!」
視界は真白に染まり、凍てついた空気に侵されて増美の肌が凍傷する。動きが鈍くなったところを白鷺が体当たりし、増美は地面に倒れた。
「増美さん!」
波状攻撃型の放出神技を放っても、白鷺の雪風によって技が凍りついて無効化されてしまう。ならば、と桜夜は〈滝つ瀬・鯉遊泳〉で加速し、〈早瀬〉で白鷺たちを斬りつけていく。
雪客の苦悶に満ちた鳴声が木霊する。それに呼び起こされるかのように、蓮夜は一度目を堅く瞑ってはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「ここは……」
「お目覚めか」
右方から聞き慣れない男の声がして、おもむろに目線を下げる。精悍な面立ちをした男は視線がかち合うや否や、得意げに口の端を吊り上げた。
「初めましてだな。花川嵐慶だ」
「花川、嵐慶……」
深い眠りから覚めたばかりで、まだ意識が判然としていない。しかし、あちらこちらから聞こえてくる爆撃や剣戟。それから――
「〈三射・銀花〉!」
淡い恋慕の情を寄せていた少女の焦燥を含んだ声音と、愛する姉に向かって矢を放つ酷薄な姿が耳と目に焼きついた。
「佳弥っ! 姉ちゃん!」
そこでようやく記憶が鮮明になって、残酷な事実が己を呑みこんでは苛む。
佳弥こそが沈丁花の間者であり、己を眠らせ拐かした張本人。そして彼女はいま、眼前で姉や増美を射殺さんと躍起になっている。
「あ、ああ……」
心の奥底から負の感情が吹き荒れ、心身を侵食していく。
悲嘆は憎悪と憤怒を生み、やがてその瞋恚は蓮夜の血に巣食う邪神を呼び覚ます。
「ああああああ」
慨嘆の叫びが徐々に痛烈なものへと変貌していく。
「あああああああああああああああああああああああああああッッ‼」
桜夜ははっとして彼のほうを振り向いた。対して嵐慶はついにこの時が来たと言わんばかりに目を細め、本懐を遂げたことへの喜悦を隠しきれないでいる。
「蓮夜!」
怨嗟の呪縛にとらわれてしまった弟にはもう呼声すら届かない。
紅蓮の双眸からは赤々とした血涙が流れ、白皙の頬を伝った。
『姉ちゃん、ごめんね』
夢で見た蓮夜の姿と重なり、桜夜は総毛立った。
「蓮夜っ! だめ!」
即座に蓮夜のもとへ駆け寄ろうとするが、佳弥の雪客が立ちはだかる。しかし、炎熱の朱雀が雪客たちを追い立て道が開かれた。
「桜夜さん、行って!」
増美の援護に感謝しつつ、桜夜は直進した。
瑞々しい水縹が禍々しい暗黒へと塗り替えられ、つぶらな赤瞳は次第に吊り上がっていく。頬や腕、足には強堅な黒鱗に覆われ、額からも枝分かれした二本の角が生え始めた。
「蓮夜!」
必死に伸ばした手の前に、〈緑爪〉を手にした嵐慶が立ちはだかる。
「どけっ」
「かつての主に向かって何だその口の利き方は」
蛇女状態であっても速いと感じざるを得ない一刀が肉薄した。咄嗟に〈水牙〉で受け、十字になって神々が威嚇し合う。
「くっ!」
「蛇女になっても理性を保てるようになったのか。だが、それはお前がさらに弱くなっただけ。これでお前は完全に人を殺せなくなったわけだ」
「黙れっ」
「吼えるなよ。この出来損ないの生成が」
言って嵐慶は〈水牙〉を押し切ると同時に、桜夜の腹部に強烈な蹴りを入れた。
刹那の呻きとともに後方へ弾き飛ばされ、桜夜は固い地面に背中を叩きつけられた。すると、身の毛がよだつ神籟が鼓膜をつんざく。
「――――――――‼」
形容しがたい霊妙な鳴声が――蓮夜の嘆きが、体の芯を震わせては己が胸を強く締めつける。凄まじい圧迫感に畏怖する桜夜の瞳には、悍ましくも美しい暗黒の龍が映っていた。その姿形は邪神たる龍蛇と瓜二つ。瞋恚を宿した赤眼からはいまだ紅血が流れ、剥き出しになった牙は業火を帯びている。
「蓮、夜……」
悪夢が現実となってしまった。
磔を打ち砕き、空高く飛翔しては寒慄の咆哮を轟かせる黒龍を、桜夜は茫然と見つめていた。立ち上がる気力すら湧かずに、ただただ目の前の惨状に打ちひしがれていた。
――蓮夜は私が守る。そう決めたのに。
父上と、約束したのに……。
己の弱さと約束一つ守れない不甲斐なさに失望し、花顔をひどく歪ませる。
「いい顔だ」
桜夜の前に立ちはだかり、嵐慶は翠緑の切っ先を無慈悲に突きつけた。
「そのまま地獄に逝け」
〈緑爪〉を大きく振りかざし、桜夜の首元に狙いを定めては断罪の一刀を解き放つ。
蓮夜……。ごめん。ごめんね。
あの時、ちゃんと蓮夜の傍にいれば、こんなことにはならなかった。
あなたを、苦しめることもなかった。
「本当に、ごめんなさい……」
嗚咽混じりに謝罪する桜夜の首筋には、すでに凶刃が肉薄していた。だが、桜夜は回避の姿勢をとらずに涙を流し続ける。
龍蛇の痛哭が共鳴した瞬間、ぎんと金属同士が衝突し合う音が残響した。耳朶を打った異変に桜夜は伏せていた顔を持ち上げる。
「なに勝手に死のうとしてんの。桜夜ちゃん」




