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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第五章
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第32話 彼岸に吹き荒ぶ暁の風

「〈滝つ瀬・鯉遊泳〉」


 己が走力を極限まで高め、桜夜は桐南に向かって突進した。


「〈懸河〉」

「おっと!」


 留まることを知らない奔流(ほんりゅう)が桐南を押し流さんとするも、彼女はすんでのところで桜夜の袈裟斬りをかわした。


「桜夜、前より速くなってないかい? おかげで槌を振る余裕さえなかったよ」


〈打水〉などの波状攻撃は桐南に効果がない。むしろ相手の武器の能力を高めてしまう。ならば彼女を上回る速度で間合いを詰め、玄星石製の槌を払って無力化するか、彼女の鳩尾を狙い仕留めるしかない。


 何度も〈懸河〉で攻勢に出るもすべてかわされ、〈水牙〉を振り薙いだ直後に鉄槌が迫る。桜夜も反撃から体を逸らし、一度後退した。


「いやあ、僕も少なからず責任を感じてるのさ」


 桐南がそう切り出し、桜夜は〈懸河〉の連撃で乱れた呼吸を整えながら眉を顰める。


「僕がもっと早く玄星石の武器化ができるようになっていれば、幕府はまだ健在だったかもしれない。上様が将軍の座から引きずり降ろされてこんなぼろぼろのお寺に住むこともなかったかもしれない。そう思うとさ、鉄を打つ手が鈍っちゃって」


 桐南は自身の手に視線を落としながら語る。小さな手だが、十数年もの間、毎日金槌を握ってきたおかげで皮膚は固く、豆だらけになっていた。


「だから僕はもうこれ以上、惨めな思いをしたくないし、上様を失望させるわけにはいかないんだ」


 柄にもなく真剣な面差しで灰黒の愛槌を構え直す桐南に、桜夜は組紐にそっと触れた。


 ――今の私では、桐南を打破するのは難しい。


 本当は嵐慶との一戦に備えて温存しておきたかった。だが、このままでは膠着状態が続いて一向に前へ進めない。


 ――次の一太刀で決める。


 桜夜は紺色の繋縛(けばく)を解いた。

 これまでは封印を解くことが恐ろしく、いつも手を震わせていた。けれど、もうおびえなくていい。己の血に巣食う邪神はいないのだから。


 はらりと組紐が桜夜の手から舞い落ち、清水をたたえたような美麗な長髪も背を覆っては漆黒に染め上げられていく。


「嘘だろ……」


 桐南は愕然とし、鉄槌を持つ手をわずかに震わせる。


「まさかそんな、ありえない……!」


 眼前には理知的な眼光を宿した妖美な蛇の娘がいた。


 桐南の記憶にある蛇女は爪や牙を剥き出しにし、金切り声のような雄叫びをあげてただただ狂乱する異形だった。だが、いま目の前にいるのは蛇女であって蛇女ではない何か。その佇まいは異形ではなくまさに女神と呼ぶに相応しい。


 桐南が茫然としていたのも束の間、桜夜の上半身がゆらりと揺らいだかと思えば視界から消えた。


「なっ⁉」


 これまでの比ではない移動速度に、桐南は焦燥に侵される。

 桜夜は桐南の背後につき、奔流に乗った。


「〈懸河〉」


 桐南が振り向いた瞬間、すでに牙が肉薄していた。

 重厚な槌で払いのける時間すらなく、桐南は神刀を受け入れるしかなかった。


 鳩尾に深い一撃が食いこむ。桐南は苦悶の息を吐きだし、愛器とともに倒れた。

 やはり相手の意識を奪うことが限界だ。伊織のように揺るぎない殺意をもって命を刈り取る胆力は自分にはない。

 だが、それが『守護』たる力の根源であり、自身の戦い方なのだと、桜夜は嵐慶と弟が待つ最奥へと突き進んだ。


 そのころ、伊織は改めて鹿野紅葉という剣士の異質さを痛感していた。

〈無双〉をもってしても怯むことのない精錬された剣技。広範囲に及ぶ強大な神技の発動。その威力。いまだかつて、己の自信が通用しない大敵はいなかった。


「〈無双・夜凪(よなぎ)〉」


〈黒翼〉を交差させてその首を刎ねんとする。だが、紅葉は軽々とそれを回避しては〈黒翼〉を踏み台にして大きく跳躍し、伊織の背後をとった。

 伊織に攻撃する隙を与えまいと、紅葉は再び間合いを詰めて〈緋角〉を縦横無尽に振るう。


「〈竜胆花閃(りんどうかせん)〉」


 紅葉が刀を振るうたびに、わずかに遅れて尖鋭な竜胆が狂い咲いた。


「っ!」


 不意の二重斬撃をかわしきれず、伊織の頬に赤いものが浮かび上がる。

〈緋角〉の軌道を追尾するように、どこからともなく開花する竜胆は厄介このうえない。体勢を整えたいが、紅葉の連撃を防ぐのに精一杯で距離をとることすらままならなかった。


「〈無双〉の末裔も所詮この程度か」

「んなわけないやろ!」


 苛立ち混じりに答えて猛攻を捌いていると、紅葉は突如、刀を振るう手を止めて後退した。そのまま右方から接近する気配に顔を向ける。そこには沈丁花の雑兵を撃破した親兵たちが、伊織たちを加勢しようと疾駆する光景があった。


「ちょうどいい」


 何かを思いついたように紅葉は呟き、襲来する親兵たちへと歩いていく。


「何する気や」


 伊織が追おうとし、かつ親兵たちが紅葉の間合いに足を踏み入れた瞬間、かの者は〈緋角〉を地面に突き刺した。


「〈彼岸舞踏(ひがんぶとう)〉」


 すると、〈緋角〉から親兵たちを取り囲むように緑色の神力が広がった。やがて領域内では数多の白い彼岸花があたり一面に咲き誇る。


 親兵たちが動揺したのも束の間、彼らはまるで生気を吸い取られていくようにだんだんと青白くなっていき、最後には肉体すらも腐敗して骨だけになった。瞬く間に白骨と化した親兵たちとは裏腹に、彼岸花はみるみるうちに赤く染色されていく。まるで、彼らの血肉を養分として吸っていくかのように。

その惨状に伊織は絶句した。


 まさに彼岸。酷薄で美しい真紅の花園。鮮明な赤のなかでゆらめく死人の白影。

 瞬く間に彼岸の住人となってしまった部下たちは、操り人形のようにゆらゆらと(うご)いては携えていた武器を掲げる。


「殺れ」


 紅葉の冷徹な命令とともに、骸骨兵たちは弾かれたように伊織へと猛進した。


「ふざけんな……!」


 生前と同じように機敏に動く彼らの攻撃を受け流し、〈銀旋風〉ではね除ける。だが、骨がばらばらになっても時間が巻き戻るようにすぐに再生した。


「無駄だ。彼岸の花園がある限り、奴らは無限に戦い続ける」


 つまり、紅葉を打破して神技を解除しない限り死の舞踏は続く。部下たちは白骨の傀儡(かいらい)という非業から抜け出せない。

 骸骨兵に紛れて、赤紫の長髪がたなびいた。転瞬、緋刃が閃いては伊織の腕を裂く。血潮が繁吹くと同時にひりひりと焼けつくような痛覚が走った。


「貴様は私の弟を殺した」


 声音はいたって平坦だが、次なる一太刀はさらなる切れと重みを増した。

 伊織が歯を食いしばって紅葉の斬撃を食い止めるも、四方から骸骨兵の刃が閃く。


「〈無双・竜巻〉!」


 伊織を中心として天を穿つ旋風が巻き起こり、骸骨兵を一掃した。その際、紅葉はいち早く離脱し、伊織との間合いを保つ。


「……弟?」


 荒い呼吸を整え、高ぶっていた激情を抑えながら伊織は問うた。紅葉は先ほど伊織が斬殺した大柄な男の遺骸に面を向ける。


「千萩のことだ。実際に血が繋がっているわけではなく正しくは弟分だが、上様に拾われて御庭番に入る前からの付き合いだからな。弟のようなものだ」


 紅葉はもう二度と起き上がることのない弟を見据えたまま、わずかに感情をのせた声色をぶつける。


「ゆえに、貴様にはなるべく苦しんで死んでもらわなければならぬ。痛みを感じさせずに斬り伏せてしまうと千萩が浮かばれないゆえ」

「はっ、それはこっちの台詞や」


 赤黒の闘志がぶつかり合い、空を斬り裂く剣戟が冴えわたる。


「〈無双・疾風〉」

「〈吾亦紅(われもこう)〉」


 神速の二連撃と逆手による逆袈裟が交差し、両者は背を向け合う。刹那、何かが割れて砕け散る音が残響した。

 伊織が振り返ったと同時に、紅葉の顔も視界に映る。そこで怜悧な紫瞳が見開かれた。


「私の顔を知る者は千萩と上様だけだった」


 ほっそりとした面立ちに、髪色と同じ赤紫の明眸。


「貴様で三人目だ」


 何よりうっすらと色づいた花唇が鹿野紅葉という人物の素顔を物語る。かの剣豪は仙姿玉質(せんしぎょくしつ)ながらどこか野性的な美しさも併せ持つ()()だった。


「あんた女の子だったんか。何で面なんか付けてんの?」

「上様に拾われる前、私は山賊の頭だった。女の頭というだけで侮られるゆえ、女だとわからないよう面をつけたまで」

「ふうん」


 囲う骸骨兵を薙ぎ払いながら、伊織は生返事する。白骨が散ったところで、伊織と紅葉は同時に地を蹴った。

 他の追随を許さない厳烈な攻防。〈風〉と〈花〉の神威がぶつかり合う。そのたびに衝撃波が生まれ、再生した骸骨兵たちを吹き飛ばした。


「生憎、女の子を痛めつける悪趣味はないから」


 紅葉の斬撃を避けた瞬間、伊織は跳躍した。


「痛みを感じんまま一息に殺したるわ」


 落下の勢いに任せて全身を回転させ、疾風をまといながら三連撃を打ちこむ。


「〈無双・(おろし)〉」


 瞬きの間に繰り出された四刀に、紅葉は三連撃を防ぐも最後の一撃を許してしまった。


「くっ……!」


 紅葉は後退し、距離をとる。

 傷口を押さえていた手からは鮮血が溢れ、だくだくと彼女の生気が抜けていく。


「ああ、ごめん。最後の一撃を受けたとはいえ、まさかこれすらも避けるとは思わへんかったわ。痛いやろ。でも大丈夫。すぐ楽にさせてあげるから」


 彼の顔にいつもの愉悦な笑みはなかった。あるのはただ、冷厳かつ狂熱に満ちた紫黒の意志。()を宿す双眸の光。

 伊織は紅葉のみならず傀儡と化した部下たちをも見据えて〈黒翼〉を構え直す。


 ――安心して。


 ボクが今からキミらを、天国まで吹き飛ばしたる。

 花唇から紅いものを繁吹かせつつ、紅葉も奥義を放つ体勢になる。

 相反する紫が混じった眼光が火花を散らした瞬間、剣士たちの奥義が咆哮した。


「〈無双・暁鴉ノ風(ぎょうあのかぜ)〉」

「〈鹿鳴ノ花(ろくめいのはな)〉」


 一羽の鴉が暁風に乗って漆黒の両翼を広げ、滑翔する。


 烈風の如く迫りくる鴉を迎え撃つのは、〈緋角〉の一振りによって生み出された数多の紅鹿。〈花〉の神を模した紅葉とその小花は、高潔な鹿鳴を発しながら暁鴉を迎え撃つ。

 しかし、紅鹿たちは鴉に為す術なく木っ端微塵に斬り裂かれ、散開した。


「なっ……!」


 刃物のような鋭さと硬さをもつ花葉が、瞬く間に一刀両断され暁風に吹き攫われていく。

 紅葉が驚きと焦燥の色を浮かべた時には骸骨兵たちの壁も崩壊し、最速の剣士はやがて自身の元へと到達した。


 咄嗟に防御の体勢をとろうとしたが、時すでに遅し。紅葉の首元からは紅い一輪の花が咲き乱れ、花弁が地に落ちた。紅葉とともに〈緋角〉も地に伏せ、やがて彼岸の花園は枯れ果てて塵と化す。


「はぁ、まさかここでとっておきを出すことになるとは思わんかったな。ほんまは最後までとっときたかったけど」


〈無双・暁鴉ノ風〉は〈暁風〉による補助があるとはいえ腕や足腰に相当な負荷がかかる。少なくとも、しばらくの間は〈無双〉を用いた大技は使えない。


「これを出させたんはあんたで二人目や。このボクから奥義を引っ張り出したこと、先に地獄へ逝った弟に自慢したらええわ」


 血の池に浮かぶ紅葉の骸に得意げな笑みを向けた後、ばらばらになった部下たちの遺骨にそっと触れた。


「骨が残ってくれたんは不幸中の幸いやったな」


 伊織は静かに瞑目し、黄泉の国へと旅立った仲間たちに黙祷を捧げる。


「あとでちゃんと埋葬したるから。もうちょっと待っててな」


 創出した緩やかな風で彼らを安全な場所へと移動させる。


「さてと」


 首魁が待つ本堂――戦場の最奥では嵐慶が腹立たしい笑みを浮かべて部下たちの死闘を傍観していた。おそらく彼の目には雪矢を放つ佳弥とそれを迎撃する増美、それから加勢した桜夜が映っている。


 少し離れたところでは第四部隊の隊長が幹部の一人と応戦していた。他の幹部と鎬を削っている仲間たちもまだ決着がついていないようだった。


「そっちは頼んだで。桜夜ちゃん」


 伊織は部下の援護に回るため、桜夜のいるところとは反対の道を突き進んだ。

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