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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第三章
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第17話 龍蛇の起源

 伊織に言われた通り、桜夜は一階に下りて局舎を出る。空は夕焼けに染まり、太陽もまもなく眠りにつこうとしていた。

 右方に顔を向けると、確かに広大な修練場があった。すでに何人かの親兵たちが集まって模擬戦をしている。


 ――人払いをしないと。


 彼らが伊織に匹敵するほどの実力を有していれば、この場に留まってもらっても構わないのだが、いくら輪皇直属の護衛部隊とはいえ職位を持たぬ一兵卒に過ぎないとなると、命の保証はできない。

 修練場に足を踏み入れると、親兵たちが武器を振るう手を止めてこちらに振り向いた。


 警戒をはらんだ冷ややかな視線。明らかに歓迎されていない様子に桜夜は小さく息をつく。

 つい最近まで、自分は佐幕派――親兵たちにとっての大敵だったのだ。そんな大敵が輪皇派に寝返ってのこのこと入局してきたのだから、疑心暗鬼になるのも仕方がない。そのうえ異形の血を引く未知なる脅威に警戒心を抱くのは自然の摂理と言える。


 ――増長さんたち第三部隊の人たちが特殊だっただけだ。


 寧子の意向で保護された立場であることは彼らも承知しているだろうが、やはりそう簡単に疑念を拭い去ることはできない。

 冷遇。それこそが桜夜が真に直面すべき孤独な壁だった。


「龍蛇の一族ともあろうお方が、我々に何かご用でしょうか」


 一人の男性親兵が皮肉を含ませて問いかけてくる。


「これから烏賀陽……いお……んんっ、烏賀陽副長と一緒に訓練をすることになっている。申し訳ないが、ここをしばらくの間貸し切りにしてもらえないだろうか」

「訓練?」

「私が蛇女になっても理性を保てるようにする訓練だ」

「ああ、これから人殺しの化け物になるからお前たちは安全な場所に避難していろと」


 化け物。あけすけな悪意ある物言いに桜夜は眉を顰めた。


「ずいぶんとまあ傲慢ですね。あなたの言うことは、お前たちは弱すぎて私には敵わないから疾く去ねと脅しているようなものですよ」

「そんなつもりで言ったのでは――」

「舐めないでいただきたい」


 桜夜の言葉を遮って、男性親兵は怒気を滲ませて言った。


「暗愚な将軍に飼い慣らされた化け物め。俺たちを見くびるなよ」


 あからさまな蔑称が鋭利な刃の如く己の胸を突き刺す。


 蔑まれるたびに言い返したくなる。自分は望んで化け物などと呼ばれるような存在に生まれたのではないと。だが、生まれを嘆いたところで他者の考えや己の立場が変わるわけではない。余計に虚しさや惨めな思いが募るだけだ。


 男性親兵を筆頭に、他の親兵たちも鋭利なものを桜夜に向け始めた。


「何を……」

「俺たちが化け物如きに温情を向けられるほど、柔じゃないってことを証明してやる」


 さあ、本性を見せてみろ。

 迫りくる親兵たちに、桜夜は唇を噛んだ。


 ――内輪揉めしている場合ではないというのに……!


 言葉での説得はおそらく不可能。となれば、〈水牙〉で強制的に眠らせるしかない。

 桜夜が〈水牙〉を創成しようとしたところで、


「ボクのだーいじな副長助勤にそんな物騒なもの向けんといてくれる?」


 飄々とした低声が耳朶を震わせた。同時に大きくてしなやかな手に引き寄せられ、桜夜は咄嗟に見上げた。


「伊織……!」

「お待たせ。修行始めよか」


 見目麗しい紫黒の青年はあっけらかんと言うが、「離れろ」と桜夜は冷淡に突き放す。


「もう。冷たいなあ、桜夜ちゃん」

「烏賀陽副長! この女が副長助勤とはどういうことですか⁉」


 男性親兵の問いかけに桜夜も同感だった。

 職位を与えられた記憶はないし、そもそも副長助勤になることを事前に聞いていたわけでもない。


「いまボクが桜夜ちゃんを副長助勤に選んだ」

「はい⁉」


 男性親兵は目を剥いて、いまだ腑に落ちていない様相を浮かべている。確かに伊織の返答はあまりに突拍子もないもので、桜夜もわけがわからず唖然とするほかなかった。


「ほら、桜夜ちゃんやるで」

「いや、だが……」


 何食わぬ顔で修行を催促してくる伊織に、桜夜は口ごもる。


「いくらあなたが副長助勤に据えたとはいえ、この者が我々に仇なす可能性が完全に消えたわけではありません。万が一のことがあっては遅い。不穏分子は今すぐにでも排除しておかなければ」

「ボクはおろかキミらの隊長の足元にも及ばんくせに、何を一丁前に排除とかふざけたこと吐かしてんの?」


 冷暗な眼差しと一段と低くなった声音に、親兵たちは思わず肩を震わせた。


「局内での内輪揉めはご法度やって、入局した時にゆわれんかった?」

「ですがっ――」


 反駁しようとした男性親兵を凄絶な眼光が射抜く。

まるで喉元に鋭利なものを突きつけられているかのような緊迫した気色に、男性親兵は唇を震わせて思わず頽れてしまった。


「キミらがしようとしたことは寧子様――輪皇陛下のご意思に背く行為や。局長と寧子様にこのことゆったら、どうなることやら」


 嗜虐じみた笑みをたたえる伊織に、親兵たちの表情が瞬く間に青ざめていく。そのまま這う這うの体で退散していった。


「まったく。これやから嫌いやわ。聞き分けの悪いガキどもは」


 伊織がわざとらしく嘆息したところで、桜夜は先ほどから気になっていた疑問を投げる。


「私が副長助勤とはどういうことだ。そもそも助勤という職位はどういうものなんだ」

「文字通りの職位やよ。いわば副長の補佐役。助勤は副長が直々に任命してて、額ちゃんは佳弥ちゃんを傍においてる。隊長と同じ立ち位置やと思っといてくれたら」

「そんな重要な役職になぜ私を」

「桜夜ちゃんは今のところどこの部隊にも所属してへんし、かといって単なる一兵卒として扱っていい存在とちゃう。それでボクの助勤の枠が空いてたから、ちょうどええかなーって。ちなみにこれ、拒否権ないから」


 よりによってなぜこの男の補佐をしなければならないのか。


「これで桜夜ちゃんは正式にボクの部下ってわけ。……そんな嫌そうな顔せんでもええやん。傷つくわあ」

「お前が上の立場にいるからといって、これからの態度を改めるわけではないからな」

「うん。もちろんそれでええよ。むしろタメでつんけんしてる桜夜ちゃんのほうがボク好みやし。……そんな汚物を見るような目ぇ向けんでも」

「与太話はここまでだ。やるぞ」

「はーい」


 伊織は漆黒の片翼を引き抜きながら問う。


「最初に聞いときたいんやけど、蛇女が発動する条件って何なん?」

「一つはいま身に着けている組紐を解く、あるいは切ることだ。これには神力の暴走を抑えるためのまじないがこめられている。これがなければ私は常に暴乱する異形のままだ。とはいえ、蛇女は半刻ほどしかもたないが」

「半刻超えたら体力がつきて気絶するってこと?」

「ああ。あとは誰かに裏切られること」

「裏切り……」

「私たちの先祖である龍蛇神はその昔、好いた人間の男に裏切られて怒り狂い、邪神となった。その憎悪と暴怒に滲んだ神血が私たちの身に流れている以上、裏切りに遭えば龍蛇神の記憶と結びついて組紐の縛りに関係なく蛇女と化す」


「好いた男に裏切られて、ねえ。桜夜ちゃんらの先祖って女神様やったんや」

「ああ。人間の男との間に子を設けたあと、男は龍蛇神の前から忽然と姿を消し、人間の女と一緒になっていたそうだ。そして邪神となって男と女を焼き殺した」

「嫉妬の情念ってやつか。女のそれほど恐ろしいもんはないからなあ。で、蛇女になっても理性を保てるようにするにはどうしたらええん?」

「深淵で邪神を討ち果たす。深淵は意識世界のようなもので、私は自我を失っている間、そこで邪神と対峙している」

「なるほど。じゃあ、ボクは桜夜ちゃんが邪神に勝つまで相手したらええんやな」

「いざという時は私をすぐに気絶させろ。そうすれば蛇女の状態はすぐに解ける」

「りょうかーい」


 伊織は愛刀の穂先を桜夜に向ける。


「こっちはもう準備万端やから、いつでも組紐解いてくれていいよ」

「いや、準備万端じゃない」

「え?」

「脇差も抜け。お前は二刀流――〈無双〉の使い手だろう」

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