第18話 蛇の妖姫
伊織は目を瞬いてからにやりと口の端を吊り上げる。
「やっぱり、桜夜ちゃんにはお見通しやったか。いつから?」
桜夜は彼と初めて出会った暗夜のことを回顧しながら答えた。
「お前と初めて会った時には大体の想像がついていた。打刀だけならまだしも、脇差も神力を帯びているということは、〈黒翼〉は二つで一つの神器ということ。一対の神器は珍しいからな。だとすればお前は二刀流で、打刀と脇差の組み合わせともなると〈無双〉を会得している可能性が極めて高い」
「ご明察。さすが桜夜ちゃん、頭がきれる。じゃあ、ボクの正体にも見当がついてるよな?」
「宮原家の生き残り。そうだろう」
「そうそう」
「だが、宮原一門は十四年前の火災で一人残らず焼死し、一門は絶えたはずだ」
「でも、現にこうして一人生き残ってる」
「なぜ……」
「桜夜ちゃんが蛇女を制御できるようになったら教えてあげる」
茶目っ気を含ませながら片目を閉じ、伊織は脇差も携える。その佇まいは洗練されており、桜夜は不本意ながら彼の立ち姿が美しいとさえ思った。
「これでええ?」
「ああ。本気でやらないとお前は死ぬだろうからな」
暗澹としていた心中を切り替えて、桜夜はいま一度背筋をぴんと伸ばす。
「それだけ蛇女の桜夜ちゃんは強いってことか。楽しみや」
「蛇女との戦いを前に笑えるのはお前くらいだ」
軽口を叩いたところで、桜夜は組紐に触れた。
「これからお前の目に映るのは『清水桜夜』ではない。ただの醜い異形だ。だから私を傷つけてはいけないなどと思うな」
「えー、でも――」
「四肢を斬ったところで容易く再生する。いざという時は躊躇いなく斬れ」
「ボクはどっかの誰かさんと違って、女の子を痛めつける趣味はないんで」
頑なに拒む伊織に桜夜は頬を緩め、すぐに表情を引き締めた。
「あとは頼む」
「ばっちこーい!」
紺色の呪縛が解けては地に舞い落ち、正絹の如き長髪もはらりとそよぐ。
すると、髪はどんどん黒く染まっていき、蛇のようにうねり始めた。目の瞳孔も細くなり、頬や首回り、それから手の甲も蛇の鱗で覆われて鋭く尖った犬歯も剥き出しになる。
「これは……すごいな」
口の端が引きつり、一筋の冷や汗がこめかみを伝った。
「蛇に睨まれた蛙とはよくゆったもんや。……蛙っていうより烏やけど」
蛇女の口元からは蛇特有の長舌が伸縮し、威嚇音を発している。
目を覚ました邪神はまさに妖姫の形容が似合う、想像を絶するほどの鬼気と妖艶さに満ちあふれていた。
「黒髪の桜夜ちゃんもええな」
その引きつった笑みには隠し切れない畏怖の色があらわれていた。今この瞬間、初めて伊織は戦慄していた。
一瞬の隙や油断が命取りとなることを肌で感じていると、蛇女は金切り声に近い鼓膜をつんざく雄叫びをあげながら急接近した。
研ぎ澄まされた鋭利な爪が肉薄する。伊織は辛うじて避け、〈黒翼〉を振り薙ぐ。
手始めに〈風切羽〉を差し向けるも、並々ならぬ速度でかわされてしまった。
「はっや!」
文字通りの神速。目で追えず、思うように狙いが定まらない。
――まずはあの速さに慣れなあかんな。
伊織が蛇女の動向を注視していると、彼女は手元に大人の頭くらいの大きさはある水玉を複数創成し、伊織めがけて投げつけた。
伊織がすべて斬り刻んだ刹那、蛇女が間合いを詰めて尖鋭の爪を突き出す。すんでのところでそれを回避する。しかし、絶え間ない猛攻に臆した生存本能が魔の手を斬り落とさんと無遠慮な一太刀を振るった。
「やばっ――」
己の意思に反して片翼が白皙の腕めがけて一閃する。骨身を両断する生々しい感触が柄から伝播した。
「ごめん、桜夜ちゃん」
伊織が苦渋の面差しになると同時に、華奢な右腕がぼとりと地に落ちた。が、しかし傷口から溢れ出る鮮血がまるで意思をもった流水のように躍動し、やがて骨と筋肉を構成した。たちまち元の白皙を取り戻し、まるで斬られる前に時間が戻ったかのようだった。
「嘘やろ」
凄まじい再生速度に驚愕しつつも安堵する伊織に、蛇女は喚声とともに手刀を放つ。
「確かにこれは、本気出さへんとお陀仏やわ!」
戦闘において久方ぶりに必死になっている伊織は、〈黒翼〉で苛烈な刺突を捌いていく。
「いま桜夜ちゃんも必死に自分のなかの『神様』と戦ってるんやろか」




