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トシとちひろと百眼の巨人  作者: 夏木カズ
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■第8章『上級生五人』

 新学期が始まった。


 教室へ入るやいなや、クラスメイト数人が待ってましたとばかり、トシの元へかけ寄ってきた。「ラジオ、聴いたぜ」「私も」「リクエスト、読まれてスゲェな!」と歓声をあげた。


「ああ。みんな聴いてくれたか」


 嬉しい半面、ちょっぴりイヤな予感がした。「彼女が聴いてくれていたらいいなぁ」。(やっぱり)笑われた。そこへ、タイミング悪くカレンがやって来た。


「久し振り、トシ君。元気してた」


 長い髪を揺らしながら笑顔で話しかけてきた。するとクラスメイトらが、波のように引いて、虫けらのように散っていった。


 みんなの異変に気づき、不可解な表情をする彼女。


「どうしたのかしら。みんな逃げちゃったわ」


「あ、いや。大したことじゃないよ。うん、関係ない」


 おどおどしながら彼女から眼をそらした。


「なによ。私に隠し事する気なの。トシ君って私のことどうでもいいんだ」


 野球部の上級生のことで、夏休みの間ずっと思い悩んでいた。こっちのことも少しは考えてほしいよ。と心の中でつぶやきながらも口には出せない。


「どうでもいいのね」「そういうわけじゃないけど」「じゃ、なぜ」「いや、そのー」「何か隠しているの?」「別に」……。


 彼女は針でチクチク刺すようにトシを攻め立てた。


 それでもその日は、ちょっとした人気者だった。「佐藤さんって、誰ですか」「リクエスト読まれた人って誰なのかしら」休み時間になると他の教室からも生徒がやって来た。男女十数人もの生徒が、次から次へ彼の元を尋ねてきた。


 深夜放送の効果は予想以上に大きい。


「そうか、みんな夜中に起きているのか」


 リクエストハガキが読まれたことの嬉しさと、反響の大きさに驚いた。何よりみんなが、同じ深夜放送の番組を聴いていたことに感心した。


 普段、あまり目立たない存在だったけれど、いや、目立つことが好きではなく、なるべく控え目にしていようと心がけていた。でも、たまに周囲からチヤホヤされ有名人扱いされたりするのもいいものだな、と内心ちょっぴり浮かれていたりして。


 ところが、招かれざるイヤな訪問者もいた。


 昼休み、いつものように机の上で昼寝をしようとしていたところへ、例の野球部の連中がやって来たのだ。リーゼント頭でボンタン・ズボンのツッパリが、教室へズカズカ入ってくるではないか。その光景にクラスメイト全員が驚き、いつものように紙ヒコーキを飛ばして遊ぶ、なごやかな昼休みの光景が一変した。


「トシって、おまえか」


 一、二、三、…五人いた。そのひとりが黒板の横に置かれたゴミ箱へツバをはき捨てながら、イキがって見せた。頭から蒸気が沸いているようで、かなり怒っている。「ラジオで、エラく人気らしいじゃないか」「カレンと関係があるのか」


 てかてかのリーゼント頭やオールバックや蒸気機関車の煙のようなアフロヘアの連中に囲まれて、昼寝どころではなかった。彼は、ただ口を半開きにしてア然となった。


「いや、そのー」


 『男一匹ガキ大将』のように不良どもを一喝する勇気などあるわけもない。何も言えずビクビクしていると、追い討ちをかけるように五人が彼の机をバンバン叩き始めた。さらにその中のリーゼント頭の男に、いきなり襟元をつかまれ、そのまま上へグイッと持ち上げられた。彼は思わず立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。何がなんだか分からずに体は硬直している。


「おい、八津よ。やっちまえ。手加減はいらねぇ」


「京介、分かってるぜ」


「えっ?」京介という名をどこかで知っている自分に気がついた。が、今はそれどころではない。薄っすらと汗をかいた手のひらを硬く握り締め、眼もギュッと強く閉じて、これから起こるであろういろいろなことを想像した。


 言い合いを始めて殴られて床に倒れ、もがき苦しむ自分。カレンを守ろうと殴りあいを始めるがやっぱり殴られて床に倒れる自分。情けない。最後は、床で気絶してしまった弱い自分を鼻であざ笑い、やつらはカレンを奪っていく……。 ああ、もうダメだ。


 こういうときにこそ、どう対処すればいいのか。もうひとりの自分からアドバイスが欲しかった。しかし、頭の上で、もうひとりの自分もオドオドするばかり。情けない。


「この野郎ーッ」


 リーゼントの男が叫んだ。頭の中がどんどん真っ白になっていく。一体、自分はどうなってしまうのだろうか。眼をつむったまま、成り行きに身を委ねるしかなかった。


「オイ、野球部の先生に言いつけるぞ」


 突然、どこからともなく親友の恵太の声が聞こえた。


 こんなときに、まさか。


 恵太も不良たちにやられてしまう。騒動に巻き込まれてしまう。止めさせようと一瞬、迷ったけれど、やっぱり親友なんだという嬉しさや安堵感のほうが強くて、何も言えずに次の展開にちょっぴり期待している自分がいた。


「あなたたち、やめなさいよ」


 カレンだ。彼女も加わってくれた。二人の声を聞いて、頭の中では雲が飛んで青空のようにどんどん澄み切っていく。


「や・め・ろ! や・め・ろ!」


 そして、クラスメイト数人の声。


 みんないいのか。大きなリスクを背負っても。自分ひとりのためにキミたちもツッパリ連中にやられてしまうぞ。それでも本当にいいのか。トシは心のなかで呟いた。


 やがて、みんなが声をあげた。クラス中に太陽のような明るい大合唱がわき起こり、それが教室の外へも響き渡った。「や・め・ろ! や・め・ろ!」というクラス全員の大合唱は、森を越え、川を越え、井の頭公園まで響き渡ったかもしれない。それくらいのパワーがあったと思う。トシは、テレビのニュースで街中を行く大勢の人たちが一斉に「戦争反対!」とシュプレヒコールを挙げているシーンを思い出す。ちょっと大げさかもしれないけれど、みんなの力を合わせたら『世界』だって変えられる。そう思った。


 ゆっくり眼を開けたときには、シブシブ教室を出て行くやつらの後ろ姿が見えた。そして、教室にいたクラスメイト全員が心配そうに彼の元へ歩み寄って来た。


 トシは心の中で、上級生に対する怒りをクシャクシャに丸めてゴミ箱へ投げ入れるようにして、怒りの炎を消し去った。そして、後悔の念。出る杭は打たれる、ではないけれど、リクエストカードのことで有名人気取りだったこと。普段とは異なる言動で目立ち過ぎたり浮かれていると予期せぬしっぺ返しを食らうものだ。


(驕る者久しからず、ということだな)と、もうひとりの自分。いまさら、そんな説教はいらない。


「どうした、大丈夫か。あいつら、バカ野郎だぜ」恵太が言い放った。


 トシは、黙ったまま静かに席についた。全身の力が抜けていた。でも、カレンや親友だけでなく、クラス全員が自分の味方になってくれたのがうれしかった。それは些細なことかもしれないけれど、自然に涙がこぼれた。ごく自然に。泣いているところを周囲に見られたくないと我慢することもなく、それを恥ずかしいとも思わず、自然という摂理に身をゆだねるようにして。


「トシ君、大丈夫。怖かったでしょう」


 彼女が心配そうに顔を覗き込んできた。


「ヤメてくれ」


 両手で彼女を遮った。泣いているのは、怖かったからではない。みんなの存在がうれしかったからだ。普段は、みんなバラバラだと思っていた。あまり話しをしないクラスメイトだっていた。一部の友だちしか、自分のことを相手にしてくれないと思っていた。でも、クラス全員が味方だった。


 彼は泣いた。ごく自然に。


「み、みんな…、ありがとう」と、自分の素直な気持ちを伝えたかった。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。テレビの青春ストーリーみたいに、感動的な場面。そう思えたけれど、多くのクラスメイトがトシに対して優しい言葉をかけてくれるかと思いきや、黙ったまま、再び教室の窓から一斉に紙ヒコーキを飛ばして遊び始めた。それはまるで、もうおまえとは関わり合いたくないというジェスチャーだったのかもしれない。予想外にみんなの態度がクールだったので、テレビドラマのように抱き合ったり、いっしょに涙したり、そういう感動的な場面を期待した彼はちょっと調子が狂って、もうひとりの自分といっしょにガックリとうなだれてしまった。でも、感謝の気持ちに変わりはない。現実はこんなものなのかもしれないな、と割り切ることにした。


 涙を拭きながら窓越しに外を見つめると、無数の紙ヒコーキが勢いよく飛んでいた。

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