第7話 焼き討ち――見張りと油差し
ダーミアは夜の闇に紛れて小屋から逃げ出すことができた。頭に血が上った村人はダーミアが壁の隙間から脱出するのに気づかなかったのだ。
燃え上がった廃屋は赤々と天を焦がして燃え落ちた。だが、ダーミアの姿はもちろんない。
夜が明けてダーミアに逃げられたことを知った男たちは、すごすごと村に戻った。
「何だって? これだけの頭数をそろえていたのに、八歳のガキに逃げられただって?」
戻ってきた男たちの話を聞き、ダーミアの継母サナは眉をつり上げた。彼女の中ではダーミアがすっかり悪者になってしまっている。
それを討ち漏らすとは聞き捨てならない失態だった。
「表も裏もふさいでたんだがよう。どっから逃げたかわかんねぇんだ」
「森は真っ暗だからなぁ。小屋から出られたら、もう見つかんねぇべ」
一夜明けて、男たちの興奮は冷めていた。サナの剣幕に押されて、もごもごと言い訳をする。
「何があったの? 火をつけたって、ダーミアの小屋に?」
昨夜の騒ぎを知らなかったマルスは、大人たちに食って掛かった。
ダーミアはサナにとっては血のつながらない他人だが、マルスにとっては実の弟だ。マルスは継母のサナよりもダーミアの方に強い絆を感じていた。
「ダーミアを殺す気か? あいつは村のために水車を直してくれたんだぞ!」
「うるせえ! ガキは黙ってろ!」
マルスに腕をつかまれて、男の表情が変わった。夜と共に去ったかと思われた残虐性が一瞬でよみがえる。
「ダーミアは疫病神だ! 村の皆で村八分にすると決めたんだ! 肩入れすっと、おめぇも一緒にぶち殺すど!」
「えっ?」
そのやり取りを細い目で見ていたサナが、腕を組んで唇をゆがめた。
「お前、ダーミアを逃がしたんじゃないだろうね?」
「何だと?」
男たちの注目がサナに向かった。
「だって、おかしいじゃないか。大の男が十何人もそろっていて、子供一人を取り逃がすなんてさ」
「そうか……先回りして、ダーミアを手引きしたってか!」
「マルス、おめぇか!」
村人の顔が獣に変わっていた。手にしたたいまつの燃えさしが震えている。
「違う……俺じゃない……」
ただならぬ気配におびえて、マルスは男たちから後ずさった。
どん、と背中がつかえて立ち止まる。
後ろからサナがマルスの肩を押さえていた。
「おっかぁ……」
「知らないよ」
突き飛ばされて転がるマルスの上に、たいまつだったものが振り下ろされた。何度も。
すぐにマルスは動かない塊になった。
◇
ダーミアは焼き討ちに会った夜、水車小屋に隠れて朝を迎えた。逃げ出すのが遅れていたら、廃屋と共に焼き殺されていただろう。
水車小屋に隠れていても、追手がやってくるのではないかと気が気ではなかった。
結局一睡もできぬまま、ダーミアは水車小屋から表に出た。
「ここには長くいられないな」
いずれ村人はダーミアが逃げ出したことを悟り、水車小屋にも探しに来るだろう。村人が知らない場所にすみかを移した方が良い。
「いっそのこと村を出た方がいいのかなぁ」
だが、廃屋に置いていた物はすべて焼かれてしまった。
道具も、旅立ちに備えて備蓄していた食料も。
残っているのは水車小屋に置いてあったわずかな工具――鑿、金づち、鉈、ショベル。
そして、燃え始めた廃屋からとっさに持ち出した、小ぶりのナイフ一本。
一年がかりでこつこつと作りだめた道具たちを、ほとんど失ってしまった。
家を失ったことよりも、そのことがダーミアにとっては痛手だった。
――諦めよ。道具はまた作ればよし。これだけでも残っていたのは幸運なり。
鉈があれば木を切れる。ナイフがあれば木を削れる。鑿と金槌があれば細工ができる。
時間と手間さえ惜しまなければ、何だって作れるはずだった。
――それにしても焼き討ちとはどういう仕儀であるか? 村人に恨まれる覚えなどなし。
目の前の水車は今も池の水を村のため池へと送り続けている。干ばつから村を救う決め手であるはずだ。
村人のために直したわけではなく、兄マルスのことを思ってしたことではあるが。
――我らが水源を隠していたとでも逆恨みしたものか……。考えても仕方なし。とにかくそれだけ憎まれているということならん。
そんな状況ではシラン村にいられない。
ダーミアは村を捨てる決心をした。
「準備ができたら村を出るつもりだったんだ。早いか遅いかの違いだけだな」
そう割り切ってしまうと、ダーミアは心が軽くなるのを感じた。
「ほとんど手ぶらで出発することになるけど……」
それにしても最低限の旅支度は必要だ。
数日分の水と食料を用意しなくては。それには何日か準備が必要になるだろう。
――新しいねぐらを見つけねばならぬ。
水車小屋に居続けるのは危険だ。いずれ村人たちがダーミアを探しにやってくるだろう。
見つかりにくい森の中に当面のねぐらを作るつもりだった。
食料も森で調達する。
弓と矢は火事で失ってしまったが、間に合わせのものならば一、二時間もあれば作れるはずだ。小動物程度なら何とか狩れる。
ダーミアは貴重な道具たちをロープで体に括りつけ、森の奥へ入って行った。
◇
焼き討ちに失敗した村人たちは戸惑っていた。
熱に浮かされたようにダーミアの小屋に火をつけてしまったが、結局ダーミアには逃げられた。
そのうっ憤を晴らすかのように、はずみでマルスを袋叩きにしてしまった。
マルスは大量の血を流して息絶えた。
そこまでして、ようやく村人たちは我に返った。
九歳の子供をなぐり殺してしまった。
「わ、わしらのせいじゃねぇ!」
「あいつがダーミアに手を貸すから悪いんだ!」
「んだ! 自業自得ってもんだ!」
強がりのようにそう言い合ったが、男たちの目は落ち着きなく泳いでいた。
ことばにできない罪の意識が、村人たちの心に刻まれた。
「このままにしておくわけにもいかねぇべ……」
男たちはマルスの死体を運び、村の墓地に黙々と埋葬した。墓標もない小さな土饅頭ができた。
体から土を払うと、三々五々男たちは家に帰る。一刻も早くマルスの墓から離れたかったのだ。
マルスの墓を見れば、村人たちは自分の罪を思い出してしまう。
血にまみれた手と土で汚れた足を洗うと、男たちは昼間から布団をかぶって眠りに逃げ込んだ。
固く目を閉じれば何事もなかったことになる。そう信じているかのように。
討ち漏らしたダーミアをどうするか。
翌日目覚めた男たちの胸にはその疑問があった。
しかし、村人を集めて行動を起こそうとする者はいなかった。
また「アレ」をやることが怖かったのだ。
畑の作物を放っておくこともできない。ため池に水は戻ったが、畑への水やりに細かく目を配ってやらなければいけない。
日照りで弱った作物には気配りが必要だった。
『畑仕事があるから——』
それを共通のいいわけに、男たちはダーミアのことを一旦棚上げにした。
そうして三日が過ぎていった。
その間にダーミアは狩りをした。ウサギや鶉を弓矢で射止め、カエルや鰻を仕掛けた罠で捕らえた。
捕らえた獲物はナイフで皮をはぎ、肉をさばく。木の枝につるして干し肉にした。
――燻製にしたいところであるが、火を使うのはできるだけ控えねばならぬ。
立ち上る煙で居場所がばれる。再び村人に襲われることをダーミアは恐れていた。
食事に必要な短時間だけ火を使うことにした。もちろん食事の後には移動して、発見される危険を少なくした。
「これで三日分くらいにはなったかな?」
それ以上の量になると、ダーミアの体では運ぶのがつらくなる。干し肉のほかに水を運ばなければならないのだ。
水車小屋には古い手桶が転がっていた。それを二つ、天秤棒の前後にぶら下げて肩に担ぐ。それがダーミアの旅支度だ。
皮袋があれば水を運びやすいのだが、すぐには作れない。それができるのは村を離れてからになる。
村の外に出たら、旅をしながら森に入って狩りをするつもりだった。村人を気にしなくて済むようになれば、火も自由に使えるし、物づくりもできる。水筒や荷車だって作れるようになるだろう。
ダーミアは、そうして本格的な道具類を整えるつもりだった。
◇
焼き討ちから四日目。ため池への給水が止まりかけていた。
気づいた村人が水路をたどって行くと、水車が回っていないことがわかった。
「やっぱり水車が壊れてたか」
「生木で修理したのが悪かったんだ」
「そんならダーミアのせいでねぇか!」
「くそっ! ろくなことしねぇガキだ!」
そもそもダーミアが直してくれたものだということを忘れて、村人は水車の故障をダーミアのせいにした。
「どうすんだ、これ?」
「職人呼ばねぇとどうにもならねぇべ」
「村長の交渉次第だな」
自分たちでは手出しができない。村人はまたもや水不足の恐怖に怯えなければならなかった。
「小屋ん中はどうなってんだかな?」
「うん? ダーミアのガキ、ここに隠れていねぇか?」
「あいつが水車を壊したんか?」
扉を開けて小屋に踏み込んでみても、当然そこにダーミアの姿はない。
ダーミアをつかまえるつもりで意気込んでいた村人たちは、肩透かしを食ったような塩梅だった。
「ここにゃいねぇな」
「だな。寝泊まりしてた跡がねぇ」
ダーミアが水車小屋に止まったのは焼き討ちに会った一晩だけのことだ。それ以外、ここで寝泊まりはおろか飲み食いさえしたことがなかった。
「だけど、ここに小屋があるんだからそのうち帰ってくるんじゃねぇか?」
「そうかもしんねぇ。森の中で夜明かしすんのはつらいからの」
「ときどき見に来て、確かめたらいいんでねぇか?」
一日中水車小屋を見張っているわけにはいかない。男たちは交代で誰かが様子を見に来ることにした。
村に戻って相談すると、ついでに水車の方も何とかしようという話になった。
「ちゃんとした修理は無理でも、車軸に油を差してやればとりあえず動くんでなかろうか」
多少道具の知識がある男がそう言った。菜種油の壺を持ち出した男は、早速水車小屋まで出かけて水車の車軸に油を垂らした。
水車を手で動かして油を馴染ませてやると、軋みながらも回りだした。
長くは持たせられないが、ときどき油を差してやれば水車は回る。水車のお守りをする当番を決めて、その当番がついでにダーミアが戻ったかどうか確認することになった。




