第5話 大干ばつ――鑿と槌
ダーミアが八歳になった年、シラン村を数十年に一度の大干ばつが襲った。
――これはどうやら……あの時と同じであるか?
水が枯れ果てた用水路を見下ろして、ダーミアは腕を組んだ。
――前世で起きた大干ばつでは、多くの人が死んだが……。
雨は何か月も降らず、畑の土は乾ききってしまった。容赦のない日差しに照りつけられ、作物は今にも枯れようとしている。
「用水が、用水が枯れちまった……。もう終わりじゃ」
畑を前にして農家の男が呆然と立ち尽くしていた。
「あれ? ダーミアか」
絶望した男の横から顔を出したのは、ダーミアの兄マルスだった。聞けば、男の農作業を手伝って作物を分けてもらうという約束で働いているらしい。
それもこれも秋の実りが期待通りに得られるかどうかにかかっている。
「お前、あちこちの年寄りたちを手伝って食い物を恵んでもらっていたらしいな」
「うん、いまは森で暮らしてる」
マルスは家族でただ一人ダーミアに優しかった。
要領の悪いダーミアを相手にしても、腹を立てずに付き合ってくれていた。
独り立ちまで残り一年だったはずだが、村で小作人として生きる道を選んだようだ。
「その割に元気そうだな。俺の方は散々だぜ。この日照りでどこの畑もやられちまった」
「蓄えはないの?」
農家には不作に備えた備蓄があるものだ。そう思って訪ねたダーミアに、マルスは力なく首を振った。
「去年は寒い日が多かったろう? 取れ高がいつもの年よりうんと少なかったんだ」
「足りないんだね?」
暗い目をするマルスに、ダーミアは低い声で尋ねた。
「このまま作物が全滅したら、今年の冬は越せねぇだろうよ」
そうなったら、冬を迎える前に自分は町に出て働き口を探すつもりだと、マルスは遠い目をして言った。
「うまいこと仕事を見つけられるかわからねぇが、このまま村にいれば飢え死にだかんな」
力の弱い年寄り、子どもは真っ先に口減らしの対象にされる。それが貧しい村の現実だった。
「水があればいいんでしょ?」
「そりゃそうだが……ため池が枯れちまったんだぞ?」
「ため池のほかに水源は――」
言いかけてダーミアは口をつぐんだ。
ダーミアが住み着いた廃屋は湿地のほとりにある。干ばつになってもなぜか湿地の水は減っていなかった。
――おそらく地下水脈から水が湧き出ているのであろう。
あの水をため池に流し込めれば、村の危機を救えるのではないか?
ダーミアの頭の中でその考えがぐるぐると回りだした。
「お前も身の振り方を考えておくんだぜ。村の食料が底をつくんだからな?」
「うん。わかった」
自分のことで精一杯だろうに、マルスはダーミアの生活を気遣ってくれた。
正直なところ、ダーミアは村の人間への思い入れなどない。同情はするが、手を差し伸べて助けたいとは思わなかった。
――なれど、マルスにあの老人の如き苦しみを味わわせたくはなし。さて、如何にせん。
ダーミア自身は干し肉や小麦などの食料をある程度備蓄してあった。村の手伝い仕事がなくなってから、狩りや採集の機会を増やすことで何とか一人分の食い扶持を確保してきたのだ。
ならば、村人も森で食料を探せば生き延びられるだろうか。
――無理なり。我ら一人ならともかく、村人全員を支える食料などこの森になし。
ヨブの精神は自分のことを「我ら」と呼んだ。ヨブとダーミア、二つの精神を宿す体のことを指したものだ。
ヨブの考えでは飢饉になれば村人は森に押し寄せる。しかし、そうなれば食物の奪い合いが起きる。
ダーミアにとっても他人事では済まなくなるはずだった。
――仕方なし。用水を確保する手段を考えてみるべし。
頭の後ろをポンポンと叩きながら、ダーミアは森に戻って行った。
◇
――まずはこの湿地の様子を調べてみるべし。
廃屋に戻ったダーミアは見慣れた湿地を調査してみることにした。
これまでは自分一人の生活用水としてしか、この湿地を見てこなかった。村の農業を支える灌漑用水と考えると、湿地の持つ意味が大きく変わってくる。
――そもそも昔の村はここを水源としていたものならん。
人は水がなければ生きていけない。村というものは水のある場所にできるものだ。
しかし、湿地の水があふれて当時の農地を侵食し、村人から住みかを奪ってしまったのだろう。
そして、長い年月の間にかつての水源は森に飲み込まれてしまったのだ。
――この辺まで来ると、最早池である。
葦などの草が繁茂していた湿地の様子が変わり、ダーミアの目の前には静かな水面が広がっていた。
両手ですくって見ると、水は澄み切っていて清らかだった。
――匂いはなし……妙な味もせぬ。これなら用水に使えるであろう。
下生えを切り開きながら池を半周すると、斜面が広がる一帯に出た。
――うん? あれは何ぞや?
池に突き出すように朽ちかけた小屋が建っていた。
「これは――水車小屋か」
そばまで来て見ると、それは池から流れ出る小川の水を汲みだすための水車小屋だった。小川の行き先とは違う方向に水を送り出すようになっている。しかし、壊れてしまっているために今は動いていなかった。
――ふむ。水路が下って行く先は村の方向なるか?
移住した新しい村に水を引くため、かつての住民がこの水車小屋を作ったのだろう。
小屋の中には小麦をひく石臼が残されており、水車の力で動かせるようにしてあった。
――小屋の中身は無事のようなり。
動力を伝える歯車や木の支柱を手で叩いてみたが、腐った個所、歪んだ個所はない。故障の原因は小屋の外、水車そのものにあるようだ。
外に出て水車を調べてみる。
――水をくむ車輪の一部が腐っておるな。それと肝心の軸が折れているなり。
イノシシかクマにでも壊されたのか、それとも嵐にやられたか。
とにかくこれを直すには職人の技術が必要だった。
――しかし……。このような時期にシラン村くんだりまで来てくれる職人がいるであろうか?
大干ばつはシラン村だけの出来事ではない。この地方全体が日照りに苦しんでいるのだ。井戸や水車の修理はあちこちで必要とされているだろう。
そうなれば職人は引く手あまただ。
――手間賃も上がる。往復するのに何日もかかる田舎村など相手にされぬであろう。
そうかといって村には水車を直せる人間などいない。
――となれば……我らが直すほかなし。
本音を言えば、ダーミアを仲間外れにした村人のために修理などしてやりたくない。
「けど、マルス兄ちゃんのためだ」
そう思って、ダーミアは故障した場所を仔細に検分し、脳裏に刻みつける。
それが済むと、枯れた水路の跡をたどって斜面を下り始めた。
――古い水路が本当に村の農地までつながっているかどうか。確かめねばならぬ。
村人全体の命が懸かった修理に挑もうというのに、ダーミアは草むらから抜いた猫じゃらしを振り回し、鼻歌を歌いながら進んで行った。
――深刻な顔をしていても仕方なし。壊れたものを元通りに直す。それだけのことなり。
つらい、悲しいと嘆いていても悩み事は消えてはくれない。そんなことなら、鼻歌でも歌って気楽にしていた方が余程役に立つ。
ヨブは、長い人生でそう学んでいた。
斜面に続くかつての水路は既に草むらに覆われていた。よく見れば細長い窪みが続いているのがわかる。
「そうか。斜面の下から見上げても目につきにくいんだな」
だから、村人はこの水路のことを誰も知らない。この水路がなくとも、ため池が農地に必要な水を供給してくれていたのだ。
そのため池がダーミアの前に現れた。
――本来水源は二段構えであった。ため池は森からの水を一旦ためておく場所なり。
しかし、ため池だけで十分に用水を確保できたので、村人たちは森の水源のことを忘れてしまったのだろう。
――ほう。肝心のため池がこれなるか。
すっかり水が干上がったため池は、ひび割れた底を陽の光にさらしていた。わずかに残った水たまりに取り残されたナマズが、びたんびたんとのたうっている。
ダーミアはずかずかとため池の底に下りていき、ナマズをつかまえた。
岸に戻ると、引っこ抜いたススキをナマズのえらに通して縛る。
――これを水車の修理代にいただくか。腐らせてはもったいなし。
水車さえ直れば、水源の水はため池に流れ込むだろう。
途中で詰まってしまった水路から水があふれるかもしれないが、それは村人が自分たちで直せばいい。己の命がかかっているのだ。それくらいのことはできるだろう。
――そうと決まれば、鑿を作るべし。
廃墟のゴミの中からレンガを集め、ダーミアは窯を作り上げていた。炭と焼き物を焼くための登り窯だ。
そしてもう一つ。鍛冶用の炉も作った。これには耐火レンガが必要だったため、だいぶ時間を要した。
苦労した甲斐あって、今では大抵の道具を自作できるように環境が整っていた。
鉈や斧などの刃物、鍬やスコップ。食器などもある程度揃えたので、ダーミアの生活は随分と安定した。
水車の修理は大掛かりな大工仕事になる。となると、これまで後回しにしていた鑿を作る必要があった。
湿地の小屋に戻ったダーミアは早速炉に火を入れた。炭に火が回ったところで鉄くずを放り込んでどろどろに溶かす。
あとはただひたすら金槌で叩きのばす。
前世の知識を持つダーミアだが、実際に鍛冶仕事に手を染めた経験はなかった。湿地に住み着いてから試行錯誤で身につけたのだ。
小さなナイフから初めて、少しずつ大物に製作範囲を広げた。
孤独の中で育ったダーミアは、一つのことに集中するのが得意だった。今も一心に火の色を見つめ、金づちを振り下ろす。
スキル「隠忍自重」が力を発揮した。
陽が沈むころ、ダーミアの前には一本の鑿ができあがっていた。
「できた!」
木製の柄に差し込んだ鑿を手に取り、刃の付き具合を爪で試す。
――うむ。これなら使い物になるであろう。
名工の作とは呼べない。焼きは甘いし、形も粗い。それでも壊れた水車の修理くらいなら用が足りる。
翌朝から森の中にコーン、コーンと槌音が響いた。ダーミアが水車の軸を切り出す音だ。
――本来であれば木を十分乾かしてから使わねばならぬ。だが、今は時間がない。
できるだけ早く水車を動かしてやらなければならなかった。まずは数日でも水車を動かせればいい。
これはあくまでも応急修理だ。
本式の修理は、ゆっくり時間をかけてやり直せばいい。
ダーミアは丸二日で水車の修理を完成させた。




