第2話 大魔導師ヨブの生涯――魔導転生
「ヨブよ、大儀であった。この度の戦、そなたがいなければどれだけの兵を失うことになったか知れぬ。そなたこそ戦功第一じゃ」
「はっ」
高い玉座から王は上機嫌に告げた。
王城の大広間。居並ぶ百官の前で、魔導師ヨブは頭を下げる。
この時、ヨブ二十歳。その年にして、既に魔導という世界の頂点に立っていた。
戦帰りの身とは思えぬほど、ヨブの顔色は冴え、傷はおろかやつれた跡さえその身には見えない。
同じく戦場帰りの将たちがあるいは杖で体を支え、あるいは土気色の顔色をしているのとは対照的であった。
(いささか土臭い場所での戦だったが……それだけのこと。我が魔導に向かい立つ者さえいなかった)
緒戦こそ味方が敵に押される場面もあったが、ヨブの参戦でがらりと潮目が変わった。
ヨブの魔導術が戦局を動かす。炎に焼かれ、岩に撃たれて、敵兵はバタバタと倒れた。
勢いづいた王国軍は劣勢を挽回し、敵軍を一気に押し返したのだった。
翌日は敵軍も魔導師部隊を編成し、ヨブの術に対抗しようとした。しかし――。
(隙だらけの呪文詠唱に、あからさまな術式展開。あれでは打ち消してくれと言っているに等しい)
敵が術を練り始めるそばからヨブはこれを杖の一振りで打ち消した。魔気を散らされて途方に暮れる魔導師部隊に、ヨブが放つ紅蓮の炎が襲いかかった。
(あまりにも未熟。あまりにも非力。まるで一方的な虐殺ではないか)
戦場に情けを持ち込む余地などない。やるかやられるかだ。
それでも一方的な鏖殺劇は深い苦みをヨブの心に残した。
(俺は……虐殺者となるために魔導を究めたわけではない。そんなつもりではなかった!)
より深い魔導の理を求め、術者としての高みを追い続けた。
ヨブが長い努力の末にたどりついた場所は、あまりにも孤高でむなしかった。
「――さて、ヨブ殿。戦場帰りでお疲れとは存ずるが、是非とも貴殿に次の王命を受けてもらいたい」
作り物の笑顔を浮かべて、王の言葉を引き取ったのは白髪の宰相だった。ヨブを戦場に送り込んだのはこの男だ。
「はっ」
王命とあれば断る道はない。宰相はそれを知りながら、ヨブの顔を立てるような言い方をする。
その取ってつけたやり口がヨブをいらだたせた。
「ヨブよ、次なる敵は魔王だ!」
「ほう、魔王?」
ヨブの目に初めて興味の色が生じた。
百年前に王国全土を蹂躙したという魔王が、再びこの世に現れたのだった。
「大陸の北限、永久凍土に囲まれたガルバ山に魔王が出現した」
魔王とは神にまつろわぬもの。それがよみがえれば天地の理に歪みが生じ、たちまち神の知るところとなる。
この異物を取り除けと神託が下りたのだ。
「望むところなり。魔王なればこの身を投じて戦うべき相手にふさわしい。我が魔導のすべてをもって、異界の主を退けてみせましょう」
魔導師としての誇りに懸けて、ヨブは高らかに勝利を約束した。
隣国との戦があればこれを押し返し、天変地異から国土と民を守る。内乱や盗賊があればこれを鎮圧し、魔獣や疫病を撃退した。
人々はヨブをたたえ、救世の英雄と呼んだ。
歴史上ただ一人「大魔導師」の称号を贈られた男。それがヨブだった。
「こんな日照りは初めてだ。神様、どうか雨を……恵みの雨を降らせてくだされ!」
九か月の間振らない雨。老人は干からびた手を組み合わせ、ひび割れた大地にひざまずいて祈った。
しかし、天は応えてくれない。
雲一つない空が灼熱の日差しで照りつけるだけだった。
「日照りで苦しんでいるという村はここか?」
カンカン照りの下で真っ黒なローブをまとった男が、そう尋ねた。
フードからのぞく顔は汗一つかかず、涼しげだった。
「……」
老人には応える気力もなかった。旅人とは、通り抜けるだけの者たちだ。
村人がどれほど苦しもうと、こちらを憐れむ心など持ちはしないだろうと。
「これは――面白くもなし」
黒ローブの男は苦々しげに言った。憐れむどころか、村の惨状を馬鹿にするかのようだ。
そう受け取った老人は落ちくぼんだ眼を見開いて、男をにらみつけた。
「ぁああ! お前っ、村を馬鹿にするかあっ?」
歯をむき出してわめく老人を前にして、男には動揺した様子もない。
「なかなかの日照りのようであるが……。水がないなら雨を降らせばよいものを」
どこから取り出したのか、男の手にはいつのまにか一メートルほどの杖が携えられていた。
「うっ」
怒った男に打たれるのかと思い、老人は身構えてのけ反った。
「いや、大げさな。ただの杖だぞ? ――魔導師ヨブが名において命ず。風は冷気を集め、雲を為すべし。水を集めて、玉と為せ。玉を練りて雨の矢とし、地表のすべてを覆いつくせ!」
ヨブと名乗った男が杖を振ると、巨大な文様が空に浮かんだ。青白く光る円の中に不可思議な記号や文字が浮かび、乱れ踊る。
「な、何じゃ、あれは……?」
腰を抜かした老人が見つめる先で、瞬く間に黒い雲が渦を巻いて生まれた。
生き物のようにうねる黒雲は風を呼び、稲妻を発した。聞いたこともない巨大な雷鳴が老人の鼓膜を打つ。
「ひぃいっ!」
杖をしまったヨブはすたすたと歩きだしていた。
「ああ。ご老人、そこにいると——濡れるぞ?」
轟と音を立てて、棒のような雨が一面に降り注いだ。
老人は水の塊に殴りつけられる痛みを覚えたが、それよりも肌を濡らすものへの驚きの方が大きかった。
「おおお、雨じゃ! 雨じゃぁ! 雨が降った!」
干からびていたはずの両眼から涙があふれた。それを叩きつける雨が流し去っていく。
「あんた、これは? あんたが雨を降らしたんかね?」
老人はずくずくになった服に足を取られながら立ち上がり、立ち去ろうとするヨブに呼びかけた。
「言うな。実に下らぬ。面白くもなし」
そう言って足も止めずに、ヨブは雨の中に飛び上がった。
よく見れば、ローブはひらひらと翻り、少しも濡れた様子がないのだった。
「あれが大魔導師様か……。そうに違ぇねえ! 神をもしのぐ力とはこのことかあっ!」
老人はぬかるんだ地面に跪き、両手を合わせてヨブが飛び去った空を拝んだ。
土砂降りの中で、いつまでもそうしていた――。
◇
あらゆる魔物を統べる存在である魔王ならば、あるいは自分に危機というものを感じさせてくれるかもしれない。
期待に胸躍らせながらヨブは永久凍土の彼方、ガルバ山へと空を飛んだ。
「ぐははは。よくぞここまでたどりついたな、人間! 我こそは百年の眠りから覚めた大魔王――」
「うるさい。黙れ」
「ゲボアッ⁉」
名乗りを上げようとする魔王だったが、その魔力を見てヨブは一気に興味を失った。杖の一振りで巨岩を落とし、魔王を押しつぶした。
「あの程度の魔力で魔王を名乗るとは。おこがましいにもほどがある」
背中を向けたヨブの後ろで、巨岩の下から赤黒い染みがじわじわと広がっていた。
「――つまらぬ。この世にはもうこの胸をときめかせるような挑戦は存在しないのであろうか?」
胸の中を風が吹き抜ける虚しさを感じながら、ヨブは家へと戻った。
ベッドに入っても胸をさいなむ虚しさは消えなかった。
「我はときめきをなくしたまま死にゆくならんか……。はっ、そうだ!」
ヨブはがばりと身を起こした。
「この世でときめきが得られぬなら、違う世に生まれ直せばいいではないか!」
これまで究めてきた魔導術のすべてを結集し、ヨブは魔導転生の術を完成させた。
実に七十年の歳月を研究に費やしたのちの出来事だった。
「ついに時は満ちぬ。魔導師ヨブの名において、我は願う。才なき凡人としての生涯を。地の底を這う逆境を。――いざゆかん、魔導転生!」
その瞬間、大魔導師ヨブの生涯が終わり、もう一つの世界で出来損ないのダーミアという男子が生まれた。
◇
この世界には「魔気」が満ちている。魔気こそが生命力の源泉である。
人の体にもまた魔気が存在する。人は己が持つ魔気を呼び水として周囲の魔気を誘導し、己の欲する事象を起こす。
それが「魔導」だ。
つまり、魔導とは「魔気を導いて事を為す」超常の業を言う。
体内に魔気を持たなければ、魔導は使えない。それが世界の真理だった。
そんな世界にダーミアは生まれた。ひとかけらの魔気さえも持たずに。
――ふむ。つまりこの子に……いや、我らに魔導師となる素質はまったくないということであるな。
生まれてすぐにダーミアに宿ったヨブの意識は、そのことを知った。
――面白きかな。魔気を持たぬこの体で何がなせるか。我はそれを究めてやろうぞ。
ヨブは魔気を持たない体に生まれ変わったことを、むしろ喜んだ。これこそが生涯をかけるチャレンジにふさわしい逆境だ。
ダーミアの目や耳を通して、ヨブはこの世界の成り立ちを日々学び続けたのだった。
◇
ダーミアが生まれたシラン村は貧しい農村だ。わずか三十軒の農家が肩を寄せ合うように生活している。
この村にはしきたりがある。
家と土地は長男が継ぎ、それ以外の子供は十歳になった日に家を出なければならない。
耕せる土地には限りがある。家を出るとは、すなわち村を出ることだった。
近くの町に行き、商家の小僧として働くか。職人の攻防に弟子入りするか。豪農の下で農奴となるか。
腕っぷしが強い者の中には傭兵や用心棒、狩人などを目指す者もいた。
まれに魔気や戦闘向きのギフトに恵まれると、魔導師の見習いや騎士の下僕の働き口が開けることもあった。
しかし――。
――我らにはどの仕事も無理であるな。
祝福の儀で覚醒したヨブは冷静にそう判断した。
――いずれはこの体でも魔導を究めるつもりであるが、十歳までには間に合わぬ。
ならばどうするか?
ダーミアを邪魔者扱いしている父母が、独立の準備を助けてくれるとは思えない。口減らしとして家を追い出される未来しか、ダーミアには思い浮かばなかった。
――我らにできること。それがジョブであるか。
ジョブ「ゴミ拾い」。神から与えられた職業はそれだった。
――ゴミを拾うに元手は不要。邪魔者が邪魔物を集めるなり。案外理にかなっておる。
ゴミを拾って持ち帰り、価値あるものとして作り直す。これを繰り返して命をつなぎつつ、村を出るための貯えを行う。
貧弱な幼児の体では困難だったが、それもまた挑戦だとダーミアは考えた。
――だとすれば、三年という時間は短い。無駄にする暇などなし。
一日の大半、ボーッと宙を見つめて過ごしていた昨日までとは打って変わり、ダーミアは一分たりとも時間を無駄にしない生き方を自分に課した。




