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薬術師リーンは騎士団長の監視対象です ~隣国のスパイ容疑をかけられましたが、なぜか最強騎士に囲われています~  作者: 空乃葉
第二部/第1章 炎の国グランシェル

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ep.67 キシュリア侯爵家と再会


馬車がキシュリア侯爵邸の門をくぐったのは、午後の日差しが傾き始めた頃だった。


整えられた庭園の向こうに、白亜の瀟洒な屋敷が佇んでいる。赤褐色の屋根と陽光を反射する窓。左右対称の優美な造りは、気品と歴史を漂わせていた。


「……すごく立派なお屋敷ですね」


馬車の窓から外を眺めていたリーンが感嘆の声を漏らす。


「キシュリア侯爵家は、帝国でも由緒ある名門ですからね」


向かいに座るグレンが穏やかに答えた。


「現在の侯爵夫人・リリアーナ様は元皇族であり、高い魔力を持つ魔導師でもいらっしゃいます。ご降嫁された今も、学識の高さで知られる方ですよ」


かつて帝国の筆頭魔導師を務めた第四皇子・ラウル様の従兄弟でもあり、かの方の研究書を保管しているという女性。


レオンハルトの右手を治す手がかりが、ここで見つかるかもしれない。


「緊張しているのか?」


隣のレオンハルトが覗き込んできた。


「……少しだけ。元皇族の方とお会いするわけですし」


「大丈夫だ。俺もいる」


小さく笑いかけられ、リーンの肩からふっと余計な力が抜けた。


今回の訪問にあたり、レオンハルトは身分を隠さず、「レイガルド王国騎士団長」として正式に面会を申し込んでいた。


事前に送った書状には、リーンがレイガルドで希少な薬の調合に成功した薬術師であること、そして、その技術を狙う者たちから身を守る必要があることも記してある。


他国の侯爵家を危険に巻き込むわけにはいかない。そのため、滞在中の警護には最大限の注意を払い、侯爵家に迷惑をかけぬよう配慮する旨も伝えていた。


それに対し、リリアーナから届いた返書は、思いがけず温かなものだった。


『ご事情は承知いたしました。どうぞ安心してお越しくださいませ。我が屋敷には、私自身が施した強固な魔法結界がございます。滞在中の安全については、どうぞご心配なさらずに。よろしければ、数日ほど我が家に滞在なさってください』


かつて皇族として高度な魔導教育を受けたリリアーナの結界は、帝国内でも最高水準と評されている。


その厚意に甘え、一行は数日間、侯爵邸に滞在することとなった。


もっとも、リーンが狙われている理由の詳細や、レオンハルト自身の右腕に生じた魔力異常については伏せてある。


あくまで今回の訪問は、リーンの薬術研究を深めるためのもの。レオンハルトはその護衛として同行している、という説明だった。


また、道中での追跡や第三者への情報漏洩を避けるため、二人は髪と瞳の色を変えている。その事情もリリアーナには伝えてあり、屋敷に入ってからも擬態を解くつもりはなかった。


馬車が玄関前へ停まり、レオンハルトが差し出した左手を取って降りる。


肩掛け鞄の隙間から、ダイアナに宿るエリーが耳をぴくりと動かした。


『……立派だけど、なんだか堅苦しそうなお屋敷ね。それに……この気配……』


「エリー、人前では静かにね」


『はーい、分かってるわよ』


リーンは小声で囁き、鞄の口をそっと整えた。


◇


「ようこそお越しくださいました、ガーディナス様、リーン様。奥様がお待ちです」


老執事に案内された応接室は、手入れの行き届いた庭園を一望できる明るい部屋だった。


その中央に、淡いドレスをまとった気品ある女性が佇んでいた。


三十代後半ほどだろうか。艶やかな髪を結い上げ、穏やかながら理知的な光を宿した瞳をこちらへ向けている。


「ようこそキシュリアへ。私はリリアーナ・キシュリアと申します」


レオンハルトが一歩前へ進み出た。


「レイガルド王国騎士団長、レオンハルト・ガーディナスです。急な申し入れにもかかわらず、お時間をいただき感謝いたします」


「遠路はるばる恐れ入りますわ。名高いガーディナス様とお会いできて光栄です」


丁寧な礼の交歓のあと、リリアーナの視線がリーンへと注がれた。


「そして、あなたが……」


「は、はい! 薬術師のリーンと申します!」


慌てて深々と頭を下げるリーンに、リリアーナはふっと目元を和らげた。


「そう緊張なさらないで。あなたが噂の薬術師さんね。お若いのに貴重な薬が作れるほど、熱心に研究を重ねていらっしゃるとか」


「ま、まだまだ未熟で、勉強中の身です!」


「ふふ、ご謙遜を。お手紙で事情は伺っております。ガーディナス様が自ら護衛を務められるほど、レイガルドでも大切にされている薬術師さんなのでしょうね」


「えっ、あ……」


思いがけない言葉に、リーンは頬を赤らめた。


「彼女の研究には、それだけの価値があります」


レオンハルトが、当然のように答える。


「まあ」


リリアーナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから楽しそうに微笑んだ。


「それは、ますますお話を伺うのが楽しみですわ」


上品に微笑む姿に、リーンは少しだけ胸を撫で下ろした。


勧められるまま席に着き、紅茶が運ばれたところでリリアーナが本題を切り出した。


「それで……薬の調合に関するご相談と伺いましたが」


「はい」


リーンは膝の上で手を握り締め、慎重に言葉を選んだ。


「ある症状に対して、既存の薬学では回復が難しく……魔力の通り道そのものに生じた損傷を、薬術で癒やす方法を探しているのです」


「魔力の通り道……経路の修復、ですか」


リリアーナの瞳が微かに細められた。


「それは酷く難解な問題ですね。一般的な薬草では、魔力の循環そのものへ直接作用するものは極めて少ない。魔力経路の損傷となれば、なおさらです」


「そうなんです! 薬術師組合の資料も調べたのですが、なかなか手がかりがなくて……」


身を乗り出すリーンに、リリアーナは穏やかに微笑んだ。


「魔力と薬術の関係は、まだ解明されていないことも多い分野ですからね。私の知る範囲でしたら喜んで知恵を貸しましょう。……ただ、ラウル兄様の研究書となると、話は別です」


その声に、元皇族としての確固たる一線が宿った。


「あの研究書は帝国にとっても貴重な秘奥。いくら友好的な隣国の騎士団長様のお頼みとはいえ、私の一存で部外の方へ安易にお見せするわけにはまいりません」


「……そう、ですよね。無理を申し上げてすみません」


頭を下げるリーンに、リリアーナは「謝る必要はありませんよ」と優しく言葉をかけた。


そのとき――


バタンッ!


廊下の扉が勢いよく開け放たれた。


「――お母様! リーンたちは大丈夫よ! 私が保証するわ!」


「……え?」


呆気にとられるリーンの前に飛び込んできたのは――


「……ティア!?」


「リーン! やっぱり来たのね!」


「えっ、どうしてティアがここに……?」


「どうしてって、ここは私の家だもの」


「……えええっ!?」


目を丸くするリーンとアイリスを前に、リリアーナが深いため息をついた。


「……ティアーラ。淑女としての段取りを弁(わきま)えなさいと、何度言えば分かるのですか」


「分かってるわよ、お母様。でも、リーンたちが来たと知って早く驚かせたくて」


「だからといって、挨拶もなしに飛び込んでくるものではありません」


「あら、そうだったわね」


ティアはいたずらっぽく笑うと、すっと背筋を伸ばし、見事な優雅さでドレスの裾を持ち上げて膝を折った。


「皆様、ようこそキシュリア侯爵家へ。リリアーナの娘、ティアーラと申します。お目にかかれて光栄ですわ」


完璧な貴族令嬢のカーテシー。市場で見せた快活さとの落差にリーンが見入っていると、ティアは顔を上げるなり、すぐに母親へ向き直った。


「それで、お母様。さっきの研究書の話ですわ」


「……ティア」


「リーンとはエルヴェインで何度も話したの。薬草にも詳しいし、研究にも真剣に取り組んでいるわ。だから私からもお願い。力になってあげて」


真剣な娘の眼差しを、リリアーナは静かに受け止めた。


「あなたがそこまで言うのなら、信頼できる方なのでしょうね。……でも、あの研究書は」


「分かっているわ。お母様にとって、大切な形見でもあることは」


ティアーラの声から明るさが消え、母親を気遣う優しさが滲む。


ラウル叔父様の遺した書物を母がどれほど大切に守ってきたか知っているからこそ、無理に押し通そうとはしなかった。


「……ただね、お母様。リーンなら、絶対に大切に扱ってくれるわ。それだけは伝えたかったの。それにね、リーンはレイガルドで魔力異常に効く薬も作った凄い薬術師なのよ」


「っ! 魔力異常に……」


リリアーナは娘を見つめ、やがてゆっくりと目を細めた。


「……リーンさん」


「はい」


「娘が他国の方をこれほど信用し、口添えすることなど滅多にありません。あなたのお人柄がよく伝わりましたわ。それにあなたの実力も」


リリアーナは穏やかに微笑みかけた。


「研究書は私にとっても、亡き兄様にとっても大切なものです。今すぐお見せすることはできませんが……前向きに検討させていただきます」


「本当ですか……!」


「ええ。その代わり、滞在中は私にもあなたの薬術のお話を聞かせてくださるかしら?」


「はい! 喜んで!」


リーンの顔がぱっと明るくなり、ティアーラも嬉しそうに笑った。


◇


客室への案内を待つ間、ティアーラがリーンに駆け寄ってくる。


「ね、すぐ会えるって言った通りでしょ? 少し休んだらお屋敷を案内してあげる! 図書室もあるわよ!」


「うん、ありがとうティア!あ、ティアーラ様!」


「もぅ、今までどうりティアって呼んで!公式の場じゃないし、ね!」


「ふふ、分かったわ、ティア」


二人が嬉しそうに並んで歩き出すのを見送り、レオンハルトは小さく息を吐いた。


「……嵐のような娘だな」


「ええ。ですが、リーン様にとっては心強い味方を得られたようです」


隣でグレンが楽しそうに目を細めた。


通された客室は庭園を見渡せる素晴らしい部屋だった。


長旅と街道での魔物戦の疲れを癒やすため、アイリスに促されてリーンはベッドに腰を下ろす。


「焦る必要はない。まだ時間はある」


レオンハルトが左手で優しく頭を撫でてくれた。


その手の温もりに励まされ、リーンは希望を胸に窓の外の柔らかな木漏れ日を見つめた。


◇


――その頃


客室へと続く廊下の物陰に、小さな人影があった。


まだあどけなさの残る、一人の赤い髪の少年。


知らない大勢の客人に怯えるように身を引こうとした、そのとき――


――ふわり。


少年の肩のそばで、小さな光の粒が揺らめいた。


それは温かな意志を持つかのように、客室の扉へ向かって楽しそうに跳ねている。


「……? どうしたの?」


少年が囁くが、光は答えない。ただ嬉しそうに、リーンがいる部屋の方へと誘うように瞬くだけだった。


――あの人たちは、誰なんだろう。


少年は胸に小さな不思議を抱きながら、静かに廊下の暗がりへと姿を消していった。


ティアが前のエピソードで「おか…!!」と言いかけたのは、思わず「お母様」と口を滑らすとこだったというオチでした。


引き続き、宜しくお願いします(*^^*)


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