ep.64 蘇る記憶と揺れる光
風が、木々の葉を揺らしていた。
丘の上に立つ大木を見上げたまま、リーンは立ち尽くしていた。
初めて訪れた場所。初めて目にするはずの木。
それなのに、胸の奥から込み上げる懐かしさは消えてくれない。
『――大きくなったら、また一緒に来ようね』
耳の奥に残る、優しく温かな女性の声。
「……誰?」
呟いた瞬間、目の前の景色がぐらりと揺らいだ。
木漏れ日の差す丘。柔らかな風。
自分よりもずっと大きな手が、小さな手を包み込んでいる温もり。
『ほら、見てごらん』
顔を上げようとしても、その人の姿はぼやけて見えない。けれど、愛おしそうに笑っていることだけが分かった。
心が温かくなるようで、どうしようもなく、懐かしい。
けれど――次の瞬間、景色は一変した。
赤い光、耳をつんざく叫び声と、何かが砕け散る轟音。
『――逃げて!』
優しい声は、切羽詰まった悲鳴へと変わる。
誰かに力任せに抱き上げられ、きつく抱きしめられた。頬に触れた温もり、震える腕。
『……大丈夫。あなたは、絶対に……』
言葉の続きは、暗闇に呑み込まれた。
次に広がったのは、冷たい床の感触と鼻をつく薬品の匂い。腕に何かを固定されている。
怖い。痛い。誰か、助けて。
『……反応が出たぞ』
『もう一度、魔力を流せ』
知らない男たちの冷酷な声。
逃げたいのに指一本動かない。声を出そうとしても喉が引きつる。
どうして、こんなことを――
「……っ!」
激しい痛みが頭を貫き、リーンは両手で頭を抱え込んだ。
「リーン?」
レオンハルトの呼ぶ声が遠く聞こえる。
けれど、大木と冷たい実験室の光景が激しく交錯し、息ができない。
「……いや……っ」
足元から力が抜けた。
「リーン!」
駆け寄るレオンハルトの姿を最後に、リーンの意識は途切れた。
◇
「リーン!」
崩れ落ちる身体を、レオンハルトが左腕で抱きとめた。リーンの顔は蒼白で、固く閉じた瞼が小刻みに震えている。
「リーン、聞こえるか!」
呼びかけても応答はない。呼吸と脈はあるが、苦しげに乱れていた。
「レオン様!」
駆け寄ったアイリスが息を呑む。
「リーン様は……!」
「意識を失った。外傷はないが、原因が分からない」
レオンハルトが抱き上げた、その時だった。
リーンの胸元で、淡い光が瞬いた。
「……?」
首から下げたペンダント。その中心の結晶が、一瞬だけ淡い輝きを放ったように見えた。
「……今、光ったか?」
「え?」
アイリスが覗き込むが、光はすでに消えている。
その時、リーンの肩掛け鞄からダイアナがひょっこり顔を出した。
「そのペンダント、少し見せて」
普段の明るい声とは違う、真剣なエリーの声だった。
「……やっぱり、変ね」
エリーはダイアナの短い前足を伸ばし、ペンダントの結晶をじっと見つめた。
「この結晶、前から気になってたのよ。上級精霊……ううん、それ以上の力を感じる精霊結晶だってことは分かってたんだけど」
「それがどうした?」
「さっき、一瞬だけ光ったでしょう? そのとき、今まで感じなかった妙な気配がしたの」
「妙な気配?」
「ええ。精霊の力なのに、どこか歪んでいるというか……何かが無理やり閉じ込められているような……」
エリーはしばらく考え込んだが、やがて小さく首を振った。
「……だめね。今はこれ以上分からないわ。でも、この結晶、普通じゃないことだけは確かよ」
「……そうか」
レオンハルトは視線をリーンへ戻した。今は結晶の正体より、彼女の容態が先だ。
「屋敷へ戻る。アイリス、馬車の準備を」
「かしこまりました!」
アイリスがすぐに丘を駆け下りていく。
レオンハルトは腕の中のリーンを見つめた。いつも笑っている顔が、今は苦痛に歪んでいる。
「……リーン」
抱きしめる左腕に、ぎゅっと力を込めた。




