ep.63 見つからない手がかり
グランシェル帝国に到着してから、数日が過ぎた。
リーンたちは帝都近郊の街エルヴェインにある、グレンの親族・ロンダーク伯爵家の屋敷に身を寄せながら、レオンハルトの右手を治す手がかりを探していた。
グランシェルは火の精霊王アグニルの加護を受ける国だ。
火の属性を持つ薬草や鉱石が豊富で、レイガルドでは手に入りにくい素材も数多く流通している。
そのため、リーンはこの国なら何か見つかるのではないかと期待していた。
しかし――
「……これも違いますね」
リーンは開いていた書物から顔を上げ、小さく息を吐いた。目の前には、薬草の図鑑や古い調合書が積み重なっている。
ここは、エルヴェインにある薬術師組合の資料室だった。数日前から何度も足を運び、魔力の流れを整える薬や、損傷した魔力経路を回復させる方法について調べている。
だが、見つかるのは魔力の消耗を補う薬ばかりだった。
レオンハルトの右手に残る損傷は、魔力が通る経路そのものの傷だ。それを根本から修復する方法となると、どの文献にも詳しい記載がなかった。
「随分と難しいものを調べているんだね」
声をかけてきたのは、資料室を管理している年配の女性薬術師だった。
「はい。魔力経路の損傷について、何か記録がないかと思いまして」
「経路そのものの修復かい?そりゃ今の薬学じゃ聞いたことがないねえ」
薬術師はリーンの前に積まれた書物を眺め、考え込むように顎を撫でた。
「昔は今よりも精霊の力を借りた治療が盛んだったという話もあるが、古い記録は散逸して残っちゃいないんだ」
「精霊の治療……」
それでも何もないよりはずっといいと、教えてもらった古い資料に目を走らせた。
けれど、そこにも求めている答えはなかった。
◇
「大丈夫か、リーン」
資料室を出ると、建物の前で待っていたレオンハルトが声をかけてきた。
黒く染めた髪はまだ少し見慣れないが、整った顔立ちまでは隠せないらしく、道行く女性たちが時折振り返っている。
「はい……。今日も成果はありませんでしたが、まだ諦めません!」
「無理はするなよ」
「無理なんてしてません」
「昨日も夜遅くまで本を読んでいただろう」
「……見てたんですか?」
「灯りがついていたからな」
リーンは思わず視線を逸らした。
「それに、右手が使えないわけじゃない。日常生活に支障はないし、少しずつ回復もしている」
「それは分かっています。でも……前みたいに剣は握れないじゃないですか」
リーンはレオンハルトの右手に目を向けた。
騎士団長として戦場に立ってきた彼が、もどかしさを抱えていないはずがない。
「……私が、治したいんです」
小さく告げると、レオンハルトはしばらくリーンを見つめ、左手でその頭を軽く撫でた。
「ありがとう、リーン。だが、俺のためにお前が倒れたら意味がないだろう?少し休もう」
「はい……」
少し離れた場所にいたアイリスが、穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「リーン様、お疲れさまでした。焦る必要はございませんよ。調査は始まったばかりですから」
「そうですね。ありがとうございます、アイリス」
そうだ、まだ始まったばかりなのだ。
◇
それからも、リーンたちは薬術師組合や素材屋を巡った。
ティアに教えてもらった店にも足を運んでみたが、珍しい素材はあっても魔力経路を修復する決定打は見つからなかった。
そんなある日の夕方、屋敷に戻ったリーンたちはグレンから思いがけない話を聞くことになった。
「ラウル殿下の研究書、ですか?」
「はい」
グレンは頷いた。
「伯父上が手を尽くしてくれました。かつて帝国の筆頭魔導師だった第四皇子・ラウル殿下の遺された資料を、リリアーナ殿下、今はキシュリア侯爵夫人がお持ちだそうです。殿下は魔力と精霊の関係についても研究されていた。探している治療法の手がかりになるかもしれません」
「ぜひ、拝見したいです!」
「そう言うと思いました。ただ、キシュリア侯爵夫人は現在、領地にいらっしゃいます。伯父上が面会の申し入れをしてくれていますので、返事が来るまでもう少しお待ちください」
「はいっ!」
ようやく見つかった、新しい手がかり。
その翌日、七日後の面会を許可する返書が届いた。
◇
面会までの間、リーンたちは気分転換を兼ねてエルヴェインの街を歩くことにした。
通りに並ぶ露店を覗いていると、店主が気さくに声をかけてくる。
「火の魔石を使った携帯用の保温具だよ。寒冷地じゃ大人気なんだが、どうだい? 魔石の仕入れ値が上がっちまって、少し値は張るがね」
「値上がりですか?」
「ああ。街道に魔物が増えて、護衛を雇わなきゃならないんだ。最近じゃ今まで出なかったような場所にも現れる始末でね」
その時だった。
『ねえ、リーン! あの赤い石、火の魔力がぎゅっと詰まってて綺麗よ!』
「えっ、本当?じゃあ――」
リーンは、はっと口を閉じた。
「……お嬢さん、今、誰か喋らなかったかい?」
「あっ! えっと、この子です!」
リーンは慌てて、昨日買ったばかりの肩掛け鞄から黒猫のぬいぐるみを取り出した。上級風精霊のエリーが宿るダイアナだ。
「喋る魔道具なんですよ!」
『ちょっと、あたしは魔道具じゃ――』
「わあっ!ほら、こんなふうに喋るんです!」
力任せにダイアナを抱きしめて誤魔化す。
隣ではレオンハルトが必死に笑いを堪え、アイリスがすかさず店主に別の質問を投げかけて注意を逸らしてくれた。
店主が説明を始めた隙に、リーンはダイアナを鞄へと戻す。
「エリー、人前で急に話しかけないでって言ったでしょう……!」
『だって、綺麗だったんだものー』
「……レオ、笑ってます?」
「笑っていない。気のせいだ」
そう言いながらも口元を緩めるレオンハルトに、リーンは少しだけ頬を膨らませた。
露店を離れて歩くと、今度は八百屋の店先で年配の女性が困ったように話しているのが聞こえてきた。
「また値上がりかい?これじゃあ毎日の食事にも困るよ」
「仕方ないだろう。雨が降らなくて畑が全滅寸前なんだ。井戸の水まで枯れ始めてるんだから」
並べられた野菜はどれも小ぶりで、しなびていた。
雨不足による干ばつ、物流を脅かす魔物の増加。
「レイガルドだけじゃないんですね……」
「ああ。グランシェルでも、異変は確実に広がっているようだ」
レオンハルトの声には、事態の深刻さが滲んでいた。
◇
その日の夕方、評判の食堂で休憩を取った。
香辛料を利かせた焼き肉と香草のパンに舌鼓を打っていると、隣の席から男たちの話し声が聞こえてきた。
「そういや、東の村の若い連中、また一人戻ってこないらしいぞ」
「家出か?このご時世、街道をうろついて魔物にでも遭わなきゃいいがな」
「最近、神隠しみたいにふっと消える奴が多いって噂だ。物騒な世の中になったもんだぜ」
男たちは笑いながら杯を傾けたが、リーンは胸に小さな引っかかりを覚えた。
けれど、その時はまだ、それが後に起こる事件につながるとは思ってもいなかった。
◇
その夜、リーンはまた不思議な夢を見た。
柔らかな日差し。窓辺で揺れる薄いカーテン。
『――ほら、見て』
優しく、懐かしい女性の声。
差し出された手に触れようとした瞬間、景色が不穏に揺らいだ。
甲高い破砕音。誰かの叫び声。
そして、夜を焼き尽くすような紅蓮の光。
「……っ!」
息を詰まらせて跳ね起きた。
ロンダーク邸の静まり返った客室で、心臓が早鐘のように打っている。
以前は日本の記憶を夢に見ることが多かった。けれど最近は、全く知らない景色なのに、泣きたくなるほど胸を締めつける夢ばかりだ。
首元のペンダントを握りしめ、リーンは小さく息を整えた。
◇
翌日、珍しい薬草の群生地を探していたリーンは、街の薬草商から興味深い話を聞いた。
「精霊に興味があるなら、郊外の丘へ行ってみな。何百年も前からある大木があってね。その周辺にしか自生しない珍しい草花もあるそうだ」
レオンハルトと相談し、護衛など警備体制を整えて、その村を訪ねることにした。
痩せた畑が広がる村の外れ、緩やかな丘を登り切ったところで、その大木は姿を現した。
「……わあ」
太い幹、空を覆う豊かな枝葉。途方もない年月を生きてきた巨木が、風にざわめいている。
その時、リーンの鞄の隙間からダイアナがひょっこり顔を覗かせた。
『……ここ、まだ微かに精霊の気配が残っているわね』
「本当、エリー?」
『ええ。でも……消えそうなくらい薄いわ。昔はたくさんの精霊が集まっていたはずなのに』
エリーの声には、珍しく寂しさが混ざっていた。
リーンは大木へ向かってゆっくりと歩み寄った。
梢を渡る風が、葉をさらさらと鳴らす。
その瞬間――
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「……え?」
足が止まる。
初めて訪れた場所のはずなのに、理由の分からない懐かしさが胸を満たしていく。
不意に、頭の奥で誰かの声が響いた。
『――大きくなったら、また一緒に来ようね』
昨夜の夢と同じ、温かな女性の声。
視界がふわりと揺れ、木漏れ日の下に誰かの面影が重なった気がした。
「リーン?」
背後からレオンハルトが呼ぶ声で我に返った。
振り返ろうとしたが、視線はどうしても大木の幹から離れなかった。
「……私、この木を知っている?」
風に溶けたその呟きに、巨木は静かに葉を揺らすだけだった。




