ep.62 炎の国の街並み
――グランシェル帝国、ロンダーク伯爵領に到着して、二日目の朝。
帝国の西部に位置するロンダーク伯爵領。その領都エルヴェインは、キシュリア領との境にほど近い場所にある。
この街には、グレンの親戚にあたるロンダーク伯爵家の屋敷があった。
伯爵家には事前に訪問の予定を伝えてあったものの、昨夕、街に到着した頃には日も暮れかけていた。
長旅の疲れもあり、その日は無理に屋敷へ向かわず、街の宿で一泊することになったのだ。
グレンが伯爵家へ先触れを出し、屋敷へ向かうのは今日の午後。
それまでの時間を利用して、リーンたちは宿に荷物や馬車などを置き、街を散策することにした。
「わあ……!すごい!」
赤茶色の屋根が連なる街並み。白や黄土色の石造りの建物には鮮やかな日除けが張り出し、通りは朝から活気に満ちていた。
威勢のいい呼び声と香辛料の香り。少し遠くには陽光を受けて輝く時計塔が見える。レイガルドの王都とはまるで違う景色だった。
「活気がありますね」
「はい!何もかも違っていて、見ているだけで楽しいです!」
隣を歩くアイリスに笑顔を返す。
宿を出る前、置いていかれると察したエリーが『あたしも連れてって!』とダイアナの前脚をバタパタさせて抗議していた姿を思い出す。
街中で動くぬいぐるみを抱えるわけにもいかず、『一緒に行けるよえに、エリーが入る鞄を探してくるから!』となんとか宥めて留守番を頼んできたのだ。
リーンの少し後ろを歩くレオンハルトは、いつもの銀髪と瞳を黒く染め、落ち着いた平服をまとっていた。
リーンも髪を落ち着いた亜麻色に、瞳をブルーグレーに変えている。髪は片側に寄せて三つ編みにまとめ、普段とはずいぶん違う印象になっていた。
だが、変装していても彼の端正な佇まいは隠せず、すれ違う女性たちがちらちらと振り返っていた。
ふいに手を取られる。
「リーン。あまり離れるな」
「あ、はい。レオン様」
「……リーン」
「……あ」
しまった、と口元を押さえる。
「レ、レオ……」
「そうだ」
満足そうに微笑まれ、頬が熱くなった。
正体を隠すため、今回の旅では「レオ」と呼ぶ約束だ。そして二人の関係は――婚約を控えた恋人同士、という建前だった。
『今は恋人で構わない。だが、ずっとそのつもりはないぞ』
出発前のレオンハルトの言葉を思い出し、胸が落ち着かなくなる。
「お二人とも、とても仲がよろしいですね」
アイリスの微笑みに、リーンはますます身を縮こまらせた。
◇ ◇
市場を進むと、軒先に乾燥植物が吊るされた小さな薬草店が目に留まった。
「あっ、あそこ見てもいいですか?」
「ああ、ゆっくり見てくるといい。俺は少し情報の確認を済ませてくる。アイリス、リーンを頼む」
「承知いたしました」
レオンハルトはリーンの頭を軽く撫で、人混みへ向かった。
早速店先を覗き込むと、見たことのない素材が並んでいた。赤みを帯びた葉、金粉をまとった木の実、触れると温かい根。
「嬢ちゃん、薬草に興味があるのかい?」
「はい!薬術師なんです。……これ、炎熱草の近縁種ですか?」
「おっ、よく知ってるな。こいつは火照り草だよ。身体を温める薬に使うんだが、刺激が強いから乾燥させるのが基本でね」
「なるほど……」
「それ、乾燥させるだけじゃ駄目よ」
不意に横から声が飛んできた。
振り向くと、動きやすそうな上等の服を着た、好奇心に満ちた瞳の少女が立っていた。赤茶色のロングヘアーをハーフアップにして、格好からして魔導師のようだ。
「火照り草は、乾燥させたあとに一度魔力を抜かないと薬効が安定しないの。熱が上がりすぎる危険があるわ」
「詳しいんですね!」
「こういうの、好きなのよ。私は魔導師で冒険者のティア。あなた薬術師なの?すごいわね!」
ティアと名乗った少女とは、すぐに意気投合した。グランシェル特有の薬草や調合の話で瞬く間に盛り上がり、気づけば店主まで巻き込んで話し込んでいた。
「……あっ、ごめんなさい!私、夢中になりすぎて……」
身を乗り出して熱弁していたリーンがハッと我に返ると、少し後ろに控えていたアイリスが、口元に手を当てて静かに目を細めていた。
「ふふ、いいんですよ。リーンがあまりに楽しそうでしたので、声をかけるのも野暮かと思いまして」
「アイリスまで……もう、恥ずかしいです」
「ふふっ。そんなことありませんよ」
いつもと変わらない丁寧な口調。
けれど、「様」がないだけで、少しだけ友達同士のように感じられる。
リーンはなんだか嬉しくなって、自然と笑みをこぼした。
「二人って仲がいいのね!」
ティアが楽しそうに笑った。
「ええ。リーンとは長い付き合いですから」
「そうなんだ!私も二人と仲良くなりたいわ!」
初めて会ったとは思えないほど、ティアは気さくな少女だった。
「リーン」
そこへ、用事を終えたレオンハルトが戻ってきた。自然な仕草でリーンの背へ手を添える。
「待たせたな。何か面白いものは見つかったか?」
「はい!こちらの薬草が――」
「……っ!ちょっと待って!」
ティアが会話を遮った。その視線はレオンハルトに釘付けになっている。
「ねえ、そこのお兄さん!リーンの知り合い?すっごく私の好みなんだけど、恋人とかいるの?」
「……は?」
リーンの思考が止まる。だが、レオンハルトは眉一つ動かさなかった。
「いる」
「えー、残念!私じゃダメ?」
レオンハルトは迷わずリーンの肩を引き寄せた。
「彼女だ」
「えっ!リーンなの?!」
「ああ。いずれ結婚するつもりだ」
「レ、レオ!?」
ティアは目を丸くしたあと、からからと笑い出した。
「なあんだ!こんな可愛い子が隣にいるんだもの、当然よね。リーン、いい男捕まえたわね!」
「ティ、ティア!」
「お兄さん、リーンのこと大事にしなさいよ?」
「言われるまでもない」
淡々と言い放つレオンハルトに、ティアは感心したように吹き出した。
「あははっ、いいわね!リーン、今度もっと面白い素材屋を案内してあげる。またね!」
嵐のように去っていくティアを見送り、リーンはぽつりと息を吐いた。
「いい人でしたね。すごく正直な人で……レオのことも、好みだってはっきり言ってましたし」
「そうか?」
「あんなに真っ直ぐ言えるの、すごいです」
感心したはずなのに、胸の奥がちくりと痛んだ。
想いを伝え合っていると分かっていても、他の女性から堂々と好意を向けられるレオンハルトを見るのは初めてだった。
「リーン、どうかしたか?」
「え?な、何でもありません!」
「……さっきの娘のことか?」
「――っ!な、何で分かるんですか」
「分かりやすいからな。何か気になったのか?」
言い返せず、リーンは小さく俯いた。
「……ちょっとだけ。レオのこと、好みだって言ってたから」
恥ずかしさで顔が熱くなる。レオンハルトは小さく笑った。
「嫉妬か?」
「――っ!?ち、違……!」
否定しようとして言葉に詰まる。この落ち着かないざわめきは、確かに嫉妬だった。
「……そう、かもしれません。レオが好かれるのは仕方ないって分かってます。でも……私、少しだけ嫌でした」
ぽつりと零した本音に、レオンハルトが一瞬目を瞬いた。
そして、酷く嬉しそうにリーンの手を握る。
「……困ったな」
「え?」
「そんなことを言われたら、ますます遠慮できなくなる」
「――っ!?レ、レオ、外ですよ!アイリスもいます!」
振り返ると、アイリスは上品に目を伏せていた。
「私は何も聞いておりませんので」
「絶対聞いていたよね!?」
レオンハルトが満足そうに笑い、リーンの手を引き直す。
「戻るぞ、リーン」
「あ……レオ、その前に鞄屋さんへ寄ってもいいですか? 留守番しているエリーが入るくらいの肩掛け鞄を買いたくて。拗ねちゃいそうですし」
「そうだったな。あいつのことだ、帰った途端に文句を言われそうだ」
「ふふっ、絶対に言いますね!」
「なら、先に鞄を探すか」
「はい!」
繋がれた手に温かな力を込める。
初めて自覚した小さな嫉妬心。
これからの旅に何が待ち受けていようと、その手の温もりさえあれば歩き出せる気がした。




