幕話 静けさの裏側※ジル視点
紅狼の爪リーダー ジル視点です
――リーンたちが竜と向き合っていた頃。
王都近郊の森では、騎士団と冒険者たちによる魔物の討伐が続いていた。
「ったく、どこから湧いてきやがる!」
ジルは迫ってきた魔物を斬り伏せると、剣についた血を払った。
倒しても倒しても、森の奥から次々と魔物が現れる。
「ジル!右から三体!」
少し離れた木の上から、カインの声が飛んだ。
「分かってる!」
ジルが身を翻す。
飛びかかってきた魔物をかわし、一体目を一刀両断にした。
続く二体目へ剣を向けた瞬間、その眉間を一本の矢が正確に貫く。
「残り一体!」
「任せな!」
ジルが踏み込み、最後の一体を斬り倒した。
「右の茂みからも来るぞ!」
カインが矢を番え直しながら叫ぶ。
斥候を務めるだけあって、あいつの目は恐ろしく利く。
普段は女を見れば口説き文句を並べる軽薄な男だが、戦場では別人のように冷静だった。
「おい、ジル!こっちへ寄れ!」
ダレスの怒号が響く。
次の瞬間、巨大な重盾が大地へ叩きつけられた。
突進してきた魔物が盾に激突し、骨の軋む鈍い音を立てて弾き返される。
「はっはっは!その程度でこの盾が抜けるかよ!」
「相変わらず頑丈だね!」
「褒め言葉として受け取っとくぜ!」
その背後で、セレナが静かに杖を掲げた。
「二人とも、少し下がって」
足元に淡い紫色の魔法陣が展開する。
鋭い氷の刃が唸りを上げて放たれ、迫り来る魔物の群れを次々と刺し貫いていく。
「助かったよ、セレナ!」
「まだ奥から来るわ。油断しないで」
セレナの凛とした声に、ジルは剣を握り直した。
四人で数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきた。
誰がどこを守り、どのタイミングで動くのか。
言葉を交わさずとも背中を預け合える。
だが、今回ばかりはきりがなかった。
「ったく、いつまで続くんだい!」
「さあな!俺としては、そろそろ綺麗なお姉さんのいる酒場に戻りたいんだが!」
「こんな時まで女の話かい!」
「こんな時だからこそだろ!」
カインの軽口に、ジルは呆れたように口元を歪めた。
その時だった。
「……あ?」
ジルの目の前で、魔物の動きがぴたりと止まった。
牙を剥いて飛びかかろうとしていた個体が、迷うように唸り声を上げる。
それだけではない。森から溢れ出していた魔物たちが、次々と背を向け始めた。
「おい、カイン。あれ……」
「ああ、見えてる」
カインが弓を引いたまま、森の奥を見据える。
「奥の連中も引き始めてるぞ。さっきまでの狂ったような殺気が消えた」
逃げるように森の奥へと走り去るもの。
戦意を失い、その場に力なくうずくまるもの。先ほどまでの異常な興奮が、嘘のように引いていく。
「……急にどうしたってんだ?」
ジルは木々の隙間から森の深部へ目を凝らした。
何が起きたのかは分からない。
だが、流れが完全に変わった。
(……向こうで、何かあったね)
その時、森の向こうから一筋の赤い光が空へと打ち上がった。
甲高い風切り音とともに、上空で光が弾ける。
「……警戒信号弾か」
ジルが空を見上げる。騎士団が部隊間の連絡に使う合図だ。
「何かあったのか?」
ダレスが盾を構えたまま尋ねる。
「さあね。けど、魔物の様子が変わったのと無関係じゃなさそうだ」
ほどなくして、騎士団の伝令が馬を飛ばしてきた。
「各隊、防衛線を維持! 魔物を深追いするな!」
「了解!」
ジルが応える。
「聞いたね、みんな!あたしらも持ち場を崩すんじゃないよ!」
「おう!」
ほどなく魔物の気配は確実に遠ざかっていく。
何が起きたのかは分からないまま、あれほど荒れ狂っていた森が、少しずつ元の静けさを取り戻し始めていた。
◇ ◇
――それから数日
王都近郊の魔物たちは、すっかり大人しくなっていた。
森から魔物が消え失せたわけではない。
奥には相変わらず危険な個体が潜んでいるし、街道沿いに出没することもある。
ただ、あの日のように何かに追い立てられるような、集団での異常な暴走は見られなくなった。
「ようやく普段どおりに戻ったかねぇ」
冒険者ギルドの掲示板を眺めながら、ジルは息を吐いた。
貼り出されていた緊急討伐の依頼は姿を消し、街道の護衛や通常の魔物間引きといった日常の依頼が戻ってきている。
「それにしても、今回は騎士団さまさまだったな」
隣で依頼書を物色していたカインが肩をすくめる。
「騎士団だけの手柄じゃないだろ。あたしらだって散々泥をすすったんだからね」
「そりゃそうだけどよ。あの元総長、やっぱりただ者じゃねえよ」
「……セルギウスか」
ジルの脳裏に、あの防衛戦で見た光景が蘇った。
◇ ◇
――あの日
魔物の攻勢が最も激しかった頃、騎士団と冒険者たちは王都へ続く街道の最終防衛線に立っていた。
押し寄せる魔物の数に押され、前線は混乱の極みにあった。
「西側が突破されるぞ!」
「負傷者を後方へ!」
「くそっ、まだ湧いてくるのか!」
疲労と焦燥で、騎士も冒険者も限界寸前だった。
その混沌を切り裂いたのが、あの男の声だった。
「西側の部隊を二手に分けろ!半数は負傷者の後退を援護、残りは街道の狭隘部を固めて敵の足を止めろ!」
よく通る、迷いのない声音。
セルギウス・グレイヴ。かつて王国騎士団の頂点に立っていた男だ。
「魔導士隊は障壁の維持に専念しろ!冒険者たちは騎士団の左右の死角を埋めろ。深追いは無用だ、足止めだけを意識しろ!」
淀みなく飛ぶ的確な指示に浮き足立っていた現場が、まるで歯車が噛み合うように秩序を取り戻していく。
「……大した統率力だね」
ジルが呟いた、その時だった。
「北側の部隊、直ちに後退しろ!間もなく森の奥から大型の魔物が突っ込んでくる!」
セルギウスの鋭い号令が響いた。
ジルは眉をひそめた。
(……大型?)
まだ地響きもなければ、獣の咆哮も聞こえない。
高い樹上で視界を確保していたカインでさえ、訝しげに森の奥へ目を凝らしていた。
だが、数瞬ののち――
「ジル!大物が来るぞ!北側の茂みだ!」
カインの緊迫した叫びが届いた。
直後、木々をへし折りながら巨体を誇る魔物が姿を現した。
ジルは思わず、セルギウスの横顔へ視線を走らせた。
(……ほんとに出やがった)
斥候の目よりも早く、気配すら届かない森の深部から大物が来るのを、あの男は確信を持って言い当てていた。
歴戦の勘なのか。それとも――あらかじめ知っていたのか。
考える暇もなく、セルギウスの声が再び戦場を震わせた。
「慌てるな!迎撃の手はずは整っている!」
その言葉どおり、北側の部隊は完璧な布陣で巨獣を包囲し、迎え撃っていた。
(……ま、元総長ともなれば、あたしら平の冒険者には見えない気配でも読めるのかね)
そう納得しようとした。
だが、胸の奥に落ちた小さな棘のような違和感は、どうしても消えてくれなかった。
さらにセルギウスは、疲弊した冒険者たちへ向けて声を張り上げた。
「諸君らの奮戦に感謝する!君たちがここで踏みとどまってくれたからこそ、王都の民は今も無事だ!」
その言葉に、息を切らしていた冒険者たちが顔を上げる。
「あと一息だ!愛する街、愛する者を守るため、今一度その力を貸してほしい!」
「おおっ!」
誰かの雄叫びを皮切りに、次々と怒号のような鬨の声が上がった。
「やってやろうじゃねえか!」
「ここで引いたら男が廃るぜ!」
倒れかけていた者たちが、再び武器を握り直す。
ジルはその光景を見回した。
騎士団の兵だけではない。普段は規律を嫌い、指図されることを何より嫌う荒くれ者たちを、一瞬でひとつの軍勢に仕立て上げてしまった。
指示に一切の無駄がなく、必要な場所へ必要な戦力を寸分違わず注ぎ込んでいる。
(……伊達に元総長を名乗っちゃいないってことか)
「おい、ジル!西側の穴埋めに行くぞ!」
カインが弓を構え直して声をかけてくる。
「ああ!」
ジルは剣を構え直した。
「ダレス!セレナ!行くよ!」
「おうよ!」
「ええ!」
四人は再び、土煙の上がる前線へと駆け出したのだった。
◇ ◇
「……ジル?」
「あ?」
「さっきから何をぼんやりしてんだよ」
「いや……元総長殿の采配は、さすがだったと思ってね」
カインがからかうように笑った。
「だろ?あの人の下なら、もう一戦くらい付き合ってもいいと思えたぜ」
「冗談じゃないよ。あたしゃ当分、剣を置かせてもらうよ」
「俺も大賛成だ!」
背後からダレスが豪快な笑い声を上げる。
「しばらくは朝から晩まで酒を飲んで、のんびり過ごしたいもんだな!」
「あなたたち、昨日も昼間から飲んでいたじゃない」
セレナが冷ややかに呆れてみせる。
「昨日の酒と今日の酒は別腹、いや別物だろ!」
「まったく……」
ジルは苦笑しながら掲示板を背にし、受付カウンターへと向かった。
カウンターの向こうでは、職員たちが山積みになった討伐報告書を捌いている。
「そういや、魔力障害の連中はどうなったんだい?」
ジルが声をかけると、顔見知りの職員が顔を上げた。
「ああ、その件でしたら、新しく運ばれてくる方は目に見えて減っていますよ」
「へえ、そうかい」
「先に運び込まれた方たちも、順調に快方へ向かっているそうです」
「そいつは重畳だね」
魔物の狂乱が収まり、原因不明の魔力障害も鎮静化している。
少し前までの緊迫感が嘘のようだった。
「それと、例の『リリアの雫』も販売停止になったそうですしね」
「……リリアの雫が?」
聞き流しかけた言葉に、ジルは足を止めた。
「ええ。現在は販売が停止されているそうです。詳しい事情までは分かりませんが」
「ふうん……」
ジルは腕を組み、顎先に手を当てた。
以前、リーンが神妙な顔で話していたことを思い出す。
魔力障害を発症した者たちと、流行りの滋養薬『リリアの雫』との奇妙な符号。
あの時はまだ状況証拠だけで、リーンも口を濁していた。
だが、現実はどうだ。
患者が減るのと足並みを揃えるように、薬の販売が止められている。
(……あの堅物団長、きっちり裏から手を回したね)
ジルは口元に薄い笑みを浮かべた。
あの銀髪の騎士団長が、リーンの懸念を耳にして何もしないはずがない。
どんな手札を切ったのかは知らないが、販売停止に向けて動いたのだろう。
(まったく、抜かりのないこった)
「ジルさん?」
「ん?ああ、悪いね。ちょっと考え事だ」
「何か引っかかることでも?」
「いや。気になる薬が出回らなくなったんなら、それに越したこたぁないさ」
確たる証拠もない話をギルドで広げる趣味はない。
何より、リーンの立場を危うくするような真似は避けたかった。
「それより、地方の様子はどうだい?向こうも落ち着いたのかね」
「ええ、魔物の討伐要請は激減しました。ただ……別の案件で少し妙な報告が上がっていまして」
「別の案件?」
「地方の村々で、風邪に似た症状を訴える者が増えているそうなんです」
「風邪?」
「高熱が出て、酷い倦怠感で動けなくなるとか。畑仕事に出られない家も出ているようでして」
「この時期にかい?」
「季節の変わり目ですから珍しいことではないのですが……距離の離れた複数の集落から、ほぼ同時に似た報告が届いているのが気になりまして」
「……へえ」
ジルはわずかに眉を寄せた。
「集団感染ってやつかい?」
「まだ調査段階です。今のところ命に関わるような重篤者は出ていませんし、単なる流行性感染かもしれませんが」
「大ごとにならなきゃいいけどね」
「王都に持ち込まれないことを祈るばかりです」
「まったくだよ」
魔物の狂騒が片付いたと思えば、今度は病か。
どうにも最近は、王国のあちこちで綻びが続いている気がしてならない。
「ま、進展があったら教えておくれよ」
「はい。ジルさんたちも、街道を出る際はお気をつけくださいね」
「あいよ、ありがとね」
ジルはひらりと片手を上げ、カウンターを離れた。
◇ ◇
ギルドの扉を押し開けると、眩しい陽光とともに王都の喧騒が飛び込んできた。
大通りを行き交う商人たち。
威勢のいい客引きの声。
石畳をカタカタと鳴らして進む荷馬車。
つい先日まで街全体を覆っていた、魔物の影に怯える重苦しい空気はすっかり洗い流されていた。
「いやあ、やっぱり平和が一番だな!」
ダレスが青空に向かって大きく両腕を伸ばす。
「まだ完全に警戒が解けたわけじゃないよ」
ジルが釘を刺すと、カインがやれやれと首を振った。
「そう固いこと言うなよ。せっかく命拾いしたんだ、今夜あたりパーッと景気付けにどうだ?」
「またお酒?」
セレナが溜め息をつく。
「もちろん、器量のいい姉ちゃんが酌してくれる店でな!」
「あんたの頭の中は年中それかい」
「男の甲斐性ってやつだろ?」
ジルが呆れて笑い飛ばした、その時だった。
「あ、そういやさ」
カインが歩調を緩め、ふと思い出したように口を開いた。
「リーンのやつ、グランシェルに行くんだってな」
「ああ。近々発つらしいね」
「騎士団長の湯治に同行するって名目だっけか」
「表向きは、ね」
ジルの返答に、カインは苦笑を漏らす。
「どうせ裏じゃ、きな臭い用件があるんだろうよ」
「さあね。あたしも根掘り葉掘り聞いたわけじゃないよ」
「……あいつ、無茶しなきゃいいけどな」
カインの声から、いつもの茶化すような響きが消えていた。
ジルが横目で視線を送る。
「何だい、柄にもなく心配かい?」
「そりゃあな。あのお嬢ちゃん、お人好しで危なっかしいところがあるからよ」
「違いないね」
「ちょっと待ちなさい」
背後で、セレナが唐突に足を止めた。
「リーンがグランシェルへ行くって、どういうこと?」
「……あれ?セレナ、聞いてなかったかい?」
「初耳よ!」
セレナがずいとジルに詰め寄ってくる。
「そんな大事なこと、どうして真っ先に教えてくれないの!?」
「いや、あたしもつい最近聞いたばっかりでね――」
「あんなに華奢なリーンが、火の国なんて物騒な遠方へ行くのよ!?」
セレナは青ざめた顔で両手を胸元に当てた。
「道中でちゃんとご飯は食べられるのかしら。夜は寒くない?荒くれ者に絡まれたりしないかしら……!」
「おいおい、過保護が過ぎるぞ」
カインが吹き出す。
「相手は泣く子も黙る騎士団長さまだぞ。指一本触れさせやしねえよ」
「そんなの頭では分かってるわよ!でも、あの子は見ていて危なっかしいの!」
「がっはっは!相変わらずリーンのこととなると見境がねえな!」
ダレスが腹を抱えて笑った。
「当たり前でしょう!あんなに健気で愛らしい子が、ほかにどこにいるっていうのよ!」
「はいはい、分かったから声を落としな」
ジルが苦笑して宥める。
「ま、いざとなったら俺が護衛に志願してもいいんだがな」
カインが鼻を鳴らす。
「あんたがついて行ったら、宿場の娘を口説いてる間に馬車を見失うのが関の山だよ」
「おいおい、ひでえ言い草だな!俺だって依頼となれば本気出すぜ?」
「依頼の最中だけ、ね」
セレナが冷ややかに追撃する。
「セレナまで容赦ねえな!?」
四人の笑い声が、晴れ渡った通りに響き渡った。
やがて、ダレスが太い腕を組んで言った。
「ま、何かあったら俺たちが国境を越えて助けに行くだけだ!」
「簡単に言うねえ。グランシェルがどれだけ遠いと思ってんだい」
「距離なんざ関係あるかい!仲間が困ってんなら駆けつける、冒険者はそれで十分だろ!」
「……そうね」
セレナの瞳から険しさが消え、柔らかな微笑みが浮かぶ。
「無事に帰ってきてくれれば、それでいいわ」
「ああ。戻ってきたら、たっぷり文句の一つも言ってやるさ」
カインが笑う。
「何て言うんだい?」
「『あんまり余計な心配をかけるな』ってな」
「ははっ!そいつは名案だね」
ジルもつられて声を上げて笑った。
「あたしも隣で一緒に説教してやるよ」
「おう、二人がかりなら少しは身にしみるだろ」
「どうだかねえ。あの子、ああ見えて芯のところは相当頑固だからね」
再び愉快そうな笑い声が弾ける。
通りを吹き抜ける風は、どこまでも穏やかだった。
ジルはふと足を止め、遠くそびえる王都の正門へと視線を向けた。
魔物の脅威は去った。
怪しい薬の販売は止まり、魔力障害の騒ぎも沈静化に向かっている。
少しずつ、けれど確実に、見慣れた日常が戻りつつあった。
だからこそ――その先で、あの子が理不尽な災禍に巻き込まれないことを願わずにはいられない。
「……無事に帰ってきなよ、リーン」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、ジルは風の中に呟いた。
「ん?ジル、何か言ったか?」
先を歩いていたカインが振り返る。
「何でもないよ!ほら、置いてくよ!」
「おい、待てって!」
仲間の駆けてくる足音を背に、ジルは力強く一歩を踏み出した。
王都には、今日も穏やかな風が吹き抜けていた。




