ep.60 指し示す先
――翌日の午後
アルヴィンが再びガーディナス邸を訪れた。
「例の術式について、分かりました」
執務室へ集まったレオンハルトたちの前に、数冊の書物と一通の封書が置かれる。
「グランシェルからか?」
「ええ。外交官を通じて取り寄せた、王立魔導院の記録です」
アルヴィンはその中から一冊の古い書物を取り出し、目的のページを開いた。
「以前見つけたものと酷似する術式が、やはりグランシェルに残されていました。そして――その術式を作った人物も判明しました」
「誰だ」
「――ラウル・グランシェル殿下。グランシェル帝国の第四皇子です」
「ラウル殿下?」
リーンは聞き慣れない名前を繰り返した。
「ええ。当時、グランシェルでも有数の魔導師だった人物です。皇族でありながら魔法研究にも深く携わり、この術式の基礎を作ったと記録されています」
「基礎とは?」
レオンハルトが聞き返す。
「現在確認されている黒い核や、エヴァルト卿に施されていた術式そのものではありません」
アルヴィンは資料の一部を指し示した。
「元となったのは、魔力の流れへ外部から干渉し、その状態を変化させるための研究だったようです」
ローウェンが横から資料を覗き込む。
「……なるほどな」
「分かるんですか?」
「全部じゃない。だが、確かに似てる」
ローウェンはページをめくり、いくつかの術式を見比べた。
「黒い核に使われてた術式は、こいつをかなり弄ってるな」
「やはり、そう見えますか」
「ああ。元々、あんな使い方をするために作られた術式じゃない。誰かが後から手を加えたと考えた方が自然だ」
「私も同意見です」
アルヴィンが頷く。
「少なくとも残された研究記録には、魔物を異形化させることや、複数の属性を無理に一つの身体へ押し込むことを目的とした記述はありません」
リーンは小さく息を吐いた。
「じゃあ、そのラウル殿下という人が、竜をあんな姿にしたわけじゃないんですね」
「ええ。それに――」
アルヴィンが資料へ目を落とす。
「ラウル殿下は、すでに亡くなっています」
「いつだ?」
「十七年ほど前です」
アルヴィンは別の資料を開いた。
「当時、グランシェルでは大規模な魔物討伐が行われています。ラウル殿下はその際に亡くなったと記録されています」
「皇子が討伐に出ていたのか」
「魔導師としても相当な実力者だったようですから」
アルヴィンは一度言葉を切った。
「それと……同じ頃、グランシェルに聖女が現れたという話も残っています」
「聖女?」
リーンが顔を上げる。なぜだろう、その言葉だけが、妙に耳に残った。
「もしかして、あの噂は本当だったのか?」
レオンハルトが反応する。
「レオン様、知ってるんですか?」
「ああ。俺も昔、聞いたことがある程度だがな」
アルヴィンが頷いた。
「当時、グランシェルに三百年ぶりの聖女が現れた、という噂が各国に広まったそうです」
「三百年ぶり……」
「ただ、詳しいことはほとんど残っていません」
アルヴィンは資料をめくる。
「名も出自も不明。公式な記録もほとんどなく、存在が公にされないまま、やがて亡くなったという報せだけが各国へ届いたようです」
「そんな……」
「そのため、本当に聖女が存在したのか疑う声もあったそうです。当時のグランシェルでは皇位継承を巡る争いも激しかったようですから、何か事情があったのではないか――という憶測も残っています」
「じゃあ、詳しいことは分からないんですね」
「ええ。今回取り寄せた資料だけでは」
アルヴィンはそこで書物を閉じた。
「ただ、ラウル殿下と聖女が亡くなったとされる時期は近い。偶然かどうかまでは分かりませんが」
「……そうなんですか」
リーンは無意識に胸元へ手を添えた。
理由は分からない。
ただ――聖女という言葉が、なぜか心のどこかに引っかかっていた。
「それより、今重要なのはこっちだ」
ローウェンが開かれた術式を指先で叩く。
「死んだ人間が作った術式が、形を変えて今になって使われてる」
「そうなります」
リーンは改めて資料へ目を向けた。
ラウル・グランシェル。初めて聞いた名前だった。
けれど――
「あの……」
「どうした?」
「昨日、シルフィーが言ってましたよね。グランシェルの炎の精霊王には、気に入っていた人間がいたって」
アルヴィンの目が僅かに細くなる。
「……確かに」
「もしかして、ラウル殿下か、その聖女が……?」
「さあな」
ローウェンがあっさりと答えた。
「王族の血を持つ魔導師だとか、聖女だとか、そんなものは人間がつけた肩書きだ」
「え?」
「昨日も言っただろ。精霊は人間とは価値観そのものが違う」
ローウェンは椅子の背へ身体を預ける。
「王族だから気に入るわけでも、聖女だから特別扱いするわけでもない。あいつらにとっては、気に入るか、気に入らないか。それだけだ」
「……そうでした」
「今のところ、どちらかだったと繋げる根拠はないぞ」
「はい……」
「ただ」
アルヴィンが資料へ視線を落とした。
「調べる価値はありそうですね」
誰も否定しなかった。
古い術式。
黒い核。
エヴァルトに施された術式。
レオンハルトの右手に残る毒。
そして、昨日聞いた――弱まりつつある炎の精霊王の気配。
別々に見えていたものが、少しずつ一つの場所へ集まり始めている。
「グランシェルへ行くしかないな」
レオンハルトが告げた。
「……レオン様?」
「古い術式と精霊王の異変。それに、この右手に残っている毒」
レオンハルトは自らの右手へ目を落とした。
「現地で調べる必要があるだろう。どうせ今のままでは役割は果たせん」
「団長なら、そう言うと思っていました」
アルヴィンが眼鏡を押し上げる。
「ただし、騎士団長として正式に向かうのは得策ではありません」
「分かっている」
「今の団長が騎士団を率いて国外へ動けば、必要以上に目立ちます。それに、王都の立て直しもまだ終わっていません」
「なら、少人数で行こう」
「ええ。表向きは療養ということにしましょう」
「それは必要ない」
「必要です」
「私もそう思います!」
突然リーンが加勢した。
「……リーン」
「右手、まだ治ってませんからね」
「日常生活に支障はない」
「剣は握れますか?」
「……」
「ほら!」
ローウェンが吹き出した。
「諦めろ。今のお前じゃ勝てないぞ」
「……分かった」
レオンハルトは小さく息を吐く。
「療養で構わない」
「では、その方向で手配します」
「私も行きます」
間髪入れず、リーンが言った。
「駄目だ」
こちらも間髪入れずに返ってくる。
「行きます」
「危険だ」
「だから行くんです」
「意味が分からない」
「レオン様の右手を診ているのは、私と師匠です。向こうで毒について何か分かった時、どうするんですか?」
「ローウェンが――」
「俺を巻き込むな」
「師匠!」
「自分で説得しろ」
ローウェンは面白そうに笑っている。
リーンは頬を膨らませると、改めてレオンハルトへ向き直った。
「それに、私は精霊が見えます。声も聞こえます」
「……」
「精霊王に異変が起きているなら、私だから分かることがあるかもしれません」
「それでも危険なのは変わらない」
「だったら――」
リーンは真っ直ぐレオンハルトを見つめた。
「レオン様が守ってください」
「――」
レオンハルトの目が僅かに見開かれる。
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。それでも、ここで目を逸らすわけにはいかない。
「私も勝手なことはしません。危険なこともしません。だから……連れていってください」
「……」
「お願いします」
しばらく二人の視線が重なる。やがて、レオンハルトが深く息を吐いた。
「……はぁ。分かった」
「本当ですか!?」
「ああ。ただし、俺から離れるな」
「はい!」
ぱっと表情を明るくしたリーンに、レオンハルトの目元が僅かに和らいだ。
アルヴィンはその様子を横目に見ながら、何事もなかったかのように資料をまとめ始める。
「では、リーンさんも同行ということで手配します」
「お願いします!」
「出発はいつ頃になる?」
レオンハルトが尋ねた。
「グランシェル側への連絡、騎士団の引き継ぎ、それから療養という形を整える必要があります。数日はいただきます」
「分かった」
「滞在先については、グレンにも確認してみます。確か、グランシェルに親族がいたはずです」
「すまないが、頼む」
「承知しました」
次々と話が決まっていく。
ほんの数日前まで、その名すら意識したことのなかった国。
けれど今、別々に見えていたいくつもの謎が、その場所へと繋がり始めていた。
黒い核。
古い術式。
弱まりつつある炎の精霊王。
そして――魔導師ラウル・グランシェル。
リーンは、もう一度その名を胸の中で繰り返した。
(ラウル・グランシェル……)
初めて聞いたはずの名前。それなのに、なぜかその名が心に残った。
「……グランシェルか」
レオンハルトが窓の向こうへ目を向ける。点在していた手掛かりは、ようやく一つの場所を指し示した。
その先に何があるのかは、まだ誰にも分からない。ただ、次に進むべき道だけは、もう決まっていた。
次で第一部のラストエピソード、そしてエピローグで終了です。(*^^*)
また明日宜しくお願いします。




