ep.57 綻び※副団長アルヴィン視点
副団長アルヴィン視点です。
――王城の一室
窓から差し込む朝の光とは裏腹に、室内にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
上座には王太子であるカイエル。
その前には、レオンハルトとアルヴィン。
そして向かいには――監察卿ダミアン・アストレアが座っていた。
「お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます、殿下」
「ああ。こちらこそ急に呼び立てて悪かったな」
「とんでもございません」
ダミアンは一礼すると、レオンハルトへ視線を移した。
「レオンハルトもご苦労だったな。王都周辺で続いていた魔物の異常も、ようやく落ち着き始めたと聞いている」
「ああ。まだ警戒は必要だが、ひとまず峠は越えました」
「さすがだな」
ダミアンが感心したように頷く。
「次々と現れる魔物を相手に、これほど早く事態を収束させるとは。さすがは王国一の騎士――黒曜騎士団長といったところか」
「俺一人の力ではない。騎士団の皆がよく動いてくれた」
「相変わらずだな。だが、上に立つ者が優秀でなければ、部下も十分には力を発揮できないものだ」
いつもと変わらないやり取りだった。穏やかに話すダミアンの姿からは、何一つ不自然なものは感じられない。
「さて」
カイエルが二人の会話を区切った。
「皆、忙しい時期だ。早速、本題に入ろう」
室内の空気が僅かに変わる。
「ダミアン卿」
「はい」
「今日は、貴殿に確認したいことがあるそうだ」
ダミアンの視線が、カイエルからアルヴィンへ移った。
「私に?」
「ああ。内容が内容だけに、俺も同席させてもらう」
カイエルはアルヴィンを見る。
「アルヴィン副団長。あとは頼む」
「承知いたしました」
アルヴィンが小さく頭を下げる。そして、かつての師へ向き直った。
「では閣下。いくつか、確認させていただきたいことがあります」
「確認?」
「はい。まず、エヴァルト卿についてです」
その名を聞いても、ダミアンの表情は変わらない。
「エヴァルトか?」
「以前から、個人的な関係がありましたか?」
「個人的な、という意味なら、ない。薬術院と監察府には仕事上のやり取りがある。当然、彼とも何度か顔を合わせている」
「それだけですか?」
「ああ」
淀みのない答えだった。
「では、エヴァルト卿から提出された書類の認可については?」
「監察府が扱う書類を、長である私が必要なものは認可する。それの何が不自然なんだ?」
「いいえ。確認です」
アルヴィンは次の資料へ目を移した。
「ロブという薬術院の男について伺います」
「ロブがどうした?」
名前を出しても、ダミアンに動揺はなかった。
「面識はありますね?」
「ああ、ある」
「どの程度の?」
「職務上、何度か顔を合わせている。以前、リーン嬢から話を聞いた際にも同席していたはずだ」
「ええ」
アルヴィンは頷いた。隠す様子はない。調べればすぐに分かることを、否定するつもりはないらしい。
「では、彼が行っていた違法な実験については?」
「知らなかった」
答えは即座だった。
「一切?」
「ああ。少なくとも、私が把握していた業務の中にそのようなものはない」
「ですが、ロブが仕入れていた薬品の量と、正式に申請されていた使用量が一致していません」
アルヴィンが資料を差し出す。
「かなりの量です。監察府の管理を通っていたにもかかわらず、なぜ気づかなかったのでしょう」
ダミアンは資料へ目を通した。
「……なるほど」
「何か?」
「事実なら、管理上の問題だな」
資料を机へ戻す。
「担当した者を確認しろ。必要なら私からも問い質そう」
「では、ご存じなかったと?」
「監察卿だからといって、監察府を通るすべての薬品を私自身が一つずつ確認しているわけではない」
もっともな答えだった。
「もし監察府の管理不足によって違法な実験を許していたのなら、看過できる話ではない。責任の所在も含めて調べる必要がある」
「……」
「他に何か?」
アルヴィンは黙って資料を引き戻した。
ここにも、綻びはない。ロブとの面識を認めた。リーンへの質問に同席していたことも認めた。その上で、実験についてだけは知らないと言う。
確認できる事実を隠さないからこそ、その言葉はかえって崩しにくかった。
「それから」
今度はカイエルが口を開いた。
「昨夜、竜の動きに異変があったのは知っているだろう。極秘にレオンを森の調査へ向かわせた。そこで何者かの襲撃に遭ったが、幸いにも騎士たちが優秀でな。何人か拘束した」
ダミアンが視線を向ける。
「で、分かったのは、我が国の者ではない可能性が高いということだ」
「……他国の者が?」
「ああ」
カイエルの表情が険しくなる。
「どこの国から来たのか、誰の命令で動いていたのかは調査中だ。一歩間違えれば国際問題になる」
「早急に調べるべきでしょう」
「そのつもりだ」
カイエルは腕を組む。
「だが、気になることがある」
「何でしょう」
「誰かが、この国の中で糸を引いているようだ」
ダミアンは何も答えない。
「今回だけではない。先日の竜もそうだ」
ほんの僅か、ダミアンの視線が動いた。
「あれほどの竜が王都近郊に現れた。一歩間違えば、この国だけの問題では済まなかった」
「……ええ」
「調査の結果、自然に起きた異常ではない可能性が出ている」
それ以上は語らない。
竜が助けを求めていたこと、リーンがその声を聞いたことも。そして、黒い核を取り除き、竜を救ったことも、すべて秘匿されている。
「そして、現場から妙なものが見つかりました」
アルヴィンは布に包まれた一本の杭を机へ置いた。
「こちらです」
ダミアンが目を落とす。
「……これは」
「見覚えが?」
「ああ。監察府でも使用している魔導具の一つだ」
「その通りです」
「それがどうした?」
「エヴァルト卿が現れた場所の近くで発見されました」
ダミアンの眉が僅かに動く。
「……エヴァルトが、あの場に?」
「いたようです」
「そうか……」
「さらに、この杭から紫鈴花の成分が検出されています」
紫鈴花とは独特の香りを持ち、魔物や害虫が嫌う薬草だ。抽出液を結界杭に塗布し、魔物避けとして使用することも珍しくない。
「紫鈴花……」
「かなり濃い成分が残っていたそうです」
ダミアンは杭を見つめた。
「……それは危険だな。奴と戦ったレオンハルトは大丈夫だったのか?」
一瞬、レオンハルトの視線がアルヴィンへ向いた。
「……問題ない」
それだけ答える。
「そうか」
ダミアンが小さく頷いた。
アルヴィンは何も言わず、杭を布で包んだ。
「この杭については、引き続きこちらで調べます」
「ああ。そうした方がいい」
それだけ言うとアルヴィンは次の資料へ移った。
問いを重ねても、ダミアンの返答は変わらない。
エヴァルトとの関係。
ロブの実験。
不自然な薬品の仕入れ。
監察府を通った物資。
他国から来た可能性のある襲撃者。
どれも不自然だった。だが、どれもダミアン個人へ直接繋がる証拠にはならない。
「さて、もういいかな、アルヴィン」
やがてダミアンが静かに口を開いた。
「憶測と事実を混同するなと、昔教えたはずだ」
「……はい」
「疑わしいというだけで、人を罪人にしてはならない」
その言葉に、アルヴィンは返せなかった。確かに正しい、それは今も変わらない。
「終わりでいいな?」
「……はい」
ダミアンが椅子から立ち上がる。
「では、殿下、私はこれで失礼します」
殿下へ一礼し、レオンハルトには目礼で挨拶をすると、踵を返し、扉へ向かった。
「ああ、そうだ。閣下お待ちください」
アルヴィンが声をかけると、ダミアンが足を止めた。
「今回とは別件なのですが、最後に一つだけ」
「何だ?」
「以前起きた、リーン嬢の誘拐事件についてです」
「あの件か」
「監察府でも調査を続けていただいていましたね。何か進展はありましたか?」
「いや」
ダミアンは扉へ向いたまま答えた。
「難航しているよ」
「そうですか」
「実行犯もすでに死亡している。そこから先を辿るのは難しいだろう。また何か分かれば知らせよう。では」
「…………」
アルヴィンの表情が止まったことに気づかず、ダミアンが扉へ手を伸ばす。
「――ダミアン」
低い声が響き、カイエルが呼び止めた。
「……何でしょう、殿下」
ダミアンの手が止まる。
「まだ話は終わっていない」
「しかし――」
「俺は今」
カイエルの目が鋭くなる。
「お前がなぜ、実行犯の死亡を知っていたのか――非常に興味がある」
「……監察府には様々な情報が入りますので、当然かと」
「そうか」
カイエルは静かに頷いた。
「ならば、どこから入った情報なのか説明してもらおう」
「それは――」
「できないのか?」
ダミアンが黙る。
アルヴィンは、ゆっくりと机の上へ視線を落とした先にあったのは先ほど包み直した杭。
「閣下」
「……何だ」
「もう一つ、思い出していただきたいことがあります」
アルヴィンは布を開いた。
「先ほどの杭です」
「それがどうした」
「閣下もご存じのはずです。この杭は本来、簡易結界を張るために使われる魔導具です」
「……」
「そして紫鈴花は、魔物や害虫が嫌う薬草。その抽出液を杭に塗布することで、魔物避けの効果を高めることができる」
アルヴィンは杭へ視線を落とした。
「つまり、この杭から通常より濃い紫鈴花の成分が検出されたと聞けば――まず考えるのは、より強く魔物を遠ざけ、安全な場所を確保しようとした、ということです」
「……」
「少なくとも、あの時点で私が同じ説明を受けたなら、『ずいぶん念入りに安全を確保したものだ』と考えたでしょう」
アルヴィンが顔を上げた。
「ですが、閣下は違った」
ダミアンの目が僅かに細くなる。
「紫鈴花の成分が濃く残っていると聞いた瞬間――『それは危険だな』とおっしゃった」
「……高濃度ならば、人体への影響を考えても不思議ではないだろう」
「ええ。もちろん、それだけなら」
アルヴィンはあっさりと認めた。
「ですが、閣下は続けてこうおっしゃいました」
室内が静まり返る。
「『奴と戦ったレオンハルトは大丈夫だったのか』と」
「……」
「おかしいのですよ」
アルヴィンの声が僅かに低くなる。
「魔物を遠ざけるための杭を見て、安全ではなく危険を危惧した。そして何より――」
アルヴィンはダミアンを真っ直ぐに見据えた。
「私は、エヴァルト卿が現場にいたとしか申し上げていません。森で起きた襲撃者の話は殿下から出ましたが、エヴァルト卿については現場の近辺で発見されたと伝えただけです。薬術師である彼が調査や救護のために同行していた可能性もあったはずだ。それなのに閣下は、最初から団長が『彼と戦った』ことを前提に話された」
「戦闘現場なのだろう。推測しただけだ」
「無理がありますね」
室内が静まり返る。
「エヴァルト卿は、人の姿ではありませんでした。魔物と呼ぶほかない姿に変貌していた。この事実は秘匿されています。現場にいた者と、事後処理に関わったごく一部しか知りません」
レオンハルトが静かにダミアンを見た。
「加えてあなたは、誘拐犯の死まで知っていた。どちらも、監察府へ伝えていない情報です。あなたが知るはずがない。一つなら、推測や情報の漏れで説明できたでしょう。ですが、まったく別の事件で二つ重なった」
アルヴィンの瞳が鋭くなる。
「エヴァルト卿の魔物化を事前に知っていたのだとすれば、その情報を持ち得る者は限られる。少なくとも、何も知らなかったという説明は、もう通りません」
長い沈黙が落ちた。カイエルも、レオンハルトも、誰も口を挟まない。
「……なるほど」
ダミアンが小さく息を吐いた。
先ほどまで問いをかわしていた男とは違う。何かを諦めたように、それでいてどこか肩の荷を下ろしたようにも見えた。
「本当に、よく見ている。昔から細かいところには気づく男だったが、ここまでとはな……殿下も噛んでいたとは人が悪い」
「では、認めるのですか?」
ダミアンはすぐには答えず、ゆっくりと扉から離れ、先ほどまで座っていた椅子へ戻った。
「……何から聞きたい?」
アルヴィンの目が僅かに見開かれる。カイエルの表情からも、完全に柔らかさが消えた。
ダミアン・アストレアは、静かに三人を見回した。
「ただし、俺が知っていることを聞けば、もう以前と同じようには、この世界を見られなくなるぞ」
アルヴィンは答えなかった。
散らばっていた欠片の向こうから、隠されていたものが姿を現そうとしていた。
かつては慕っていた人を追い詰めなければならないアルアルヴィンでした。
そんなダミアンは何を話すのか、は次話で!
宜しくお願いします。




