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薬術師リーンは騎士団長の監視対象です ~隣国のスパイ容疑をかけられましたが、なぜか最強騎士に囲われています~  作者: 空乃葉
第一部/第5章 在りし日の精霊たち

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ep.52 異形の薬術師



 異形の顔が、ゆっくりとリーンへ向く。


 一瞬だけ、濁った瞳の奥で何かが揺れたように見えた。


「エヴァルトさん……?」


 次の瞬間。


「――リーン!」


 レオンハルトがリーンを抱えて横へ跳んだ。


 直後、巨大な前脚が二人のいた場所へ叩きつけられる。


 ――ドォン!


 地面が大きく抉れ、土と小石が弾け飛んだ。


「きゃっ……!」


「下がっていろ!」


 レオンハルトがリーンを離すと、すぐさま剣を抜いた。


 怪物は止まらず、虎のような四肢で地面を蹴り、怒り狂ったように再び襲いかかる。


「待って! エヴァルトさん!」


「リーン、下がるんだ!」


「でも、今、名前に反応して――」


「中身まで無事とは限らん!」


 ローウェンが叫ぶ。


 怪物の前脚が横薙ぎに振るわれ、レオンハルトが剣で受け止めた。


 ガキィン――!


 重い衝撃音が森に響く。


「くっ……!」


 レオンハルトの身体が僅かに押し戻される。


 そこへ長い尾がしなった。先端の蛇が大きく口を開き、レオンハルトの首元へ襲いかかる。


「右だ!」


 ローウェンの声でレオンハルトが身を屈める。蛇の牙が頭上を掠めた。すぐさま剣を振り上げるが、怪物は大きく跳び退いた。


 着地と同時に、地面を抉るように爪を立てる姿。低い唸り声は獣そのものだった。


「……ひどい」


 リーンが息を呑む。


 人だった頃の姿は、ほとんど残っていない。


 虎のような巨体。黒い鱗。蛇へと変わった尾。その全身を、黒紫色の筋が脈打つように走っている。


「レオン様……あれ、本当にエヴァルトさんなんですよね?」


「おそらくな」


 レオンハルトは異形から目を離さない。


「身体そのものを作り変えられてる」


 ローウェンが目を細めながら言った。


「元に戻せないんですか?」


「……無理だな。人間だった頃の身体が、ほとんど残ってない」


「そんな……」


「今は自分の身を守れ!」


 怪物が咆哮し、再び、レオンハルトへ飛びかかった。爪と剣が激突する。一撃、二撃、三撃と。


 レオンハルトが受け流しながら間合いを詰める。青白い魔力を纏った剣が、怪物の肩を切り裂いた。


――ッガァァァァ!!


 耳をつんざくような咆哮。怪物が大きく暴れ、レオンハルトを振り払う。


「レオン様!」


「来るな!」


 地面を滑りながらも、レオンハルトはすぐに体勢を立て直した。


 レオンハルトは異形から視線を逸らさないまま、首元のアミュレットを掴んだ。


 銀色のそれには、黒曜石が嵌め込まれている。


「――アルヴィン、グレン」


 短く名を告げ、魔力を流し込む。


黒曜の剣をかたどった紋章が、一瞬だけ淡く光った。二人だけに送った、秘匿の緊急信号。これで異変が起きたことは伝わる。


 (アルなら、この意味を察するはずだ)


レオンハルトはアミュレットから手を離し、再び剣を構えた。


『ロー!』


 シルフィーが叫ぶ。


 怪物が大きく仰け反っていた。蛇の尾が地面を激しく叩く。喉の奥が、不気味に膨らんでいく。


「……何か来るぞ!」


 ローウェンが叫んだ。


 次の瞬間、怪物の口から、黒紫色の液体が勢いよく噴き出した。


 飛沫が弾け――一瞬で霧状に広がる。


「リーン!」


 レオンハルトがリーンを抱き寄せ、その前へ出た。


 片手を地面へ叩きつける。


「――凍てつく城壁よ、すべてを阻め。《氷晶城壁(グレイシャル・バリア)》!」


 轟音とともに大地が凍りつき、幾重もの巨大な氷晶が突き上がった。


 黒紫色の飛沫が、氷の城壁へ激しく叩きつけられる。


 ジュッ――!


 氷の表面から白煙が上がった。


 だが――


「おい、横だ!」


 ローウェンが叫ぶ。レオンハルトが振り向いた時には、もう遅い。


 氷壁に叩きつけられた毒液が細かな霧となって弾け、左右から一気に流れ込んできた。


 さらに、黒紫色の霧が背後へまで回り込む。


「息を止めろ!」


 レオンハルトがリーンの頭を胸元へ押し込んだ。


 アイリスも咄嗟に口元を覆う。


「師匠……!」


「動くな!」


 前には氷壁、左右からは毒霧。


 そして背後にも――


「くそっ……!」


 逃げ場がない。黒紫色の霧が、一気に四人へ襲いかかった。


『もう』


 場違いなほど落ち着いた声がした。ふわりと、シルフィーの長い緑の髪が舞い上がる。


『こんなの――』


 迫り来る毒霧を前に、シルフィーは腰へ片手を当てた。


 そして、にっこりと笑う。


『私がいるのに、可愛い子たちに浴びせるわけないでしょ!』


 すっと片手を払うと


 ――風が爆ぜた


「きゃっ!」


 凄まじい風が渦を巻き、リーンたちを中心に一気に広がった。


 迫っていた毒霧が弾き返される。風はそのまま四人の周囲を高速で巡り、透明な膜のように包み込んだ。


 押し寄せる黒紫色の霧が触れるたび、ことごとく外側へ吹き飛ばされていく。


「……シルフィー!」


『ふふん』


 シルフィーが得意げに髪を払う。


『こんなの簡単よ?』


「……すごい」


『でしょう?』


「調子に乗るな」


『ローってば、ほんっと可愛くない』


「後にしろ」


 ローウェンの金の瞳は、既に怪物を捉えていた。

毒を一気に吐き出した反動か。異形の巨体が僅かに沈んでいる。


「――おい!」


「分かっている」


 レオンハルトがリーンから腕を離す。


「ここにいろ」


「レオン様……!」


 風の膜が、一瞬だけ開いた。レオンハルトが飛び出し、青白い魔力を纏った剣を手に、一直線に異形の懐へ駆けた。


「――ッガァァァァ!」


 怪物が爪を振り下ろす。レオンハルトは身体を捻り、紙一重でかわした。


 続けて蛇の尾が迫り、勢いを殺せなかった蛇の牙が背後の木を砕いた。


 だが、レオンハルトは振り返らない。青白い光が剣へ集まっていく。


 異形の胸元。人であった頃の名残を僅かに残す、その場所へ。


「――終わりだ」


 剣が閃いた。


 青白い光が夜の森を切り裂く。


「――――ッ!!」


 異形の身体が大きく仰け反った。そのまま、数歩よろめくと――


 地響きとともに崩れ落ちた。


突如現れたキマイラを前にしても、レオンハルトの剣は揺るがなかった。


 王国最強と謳われる騎士団長。


 その呼び名が、決して大袈裟ではないことを思い知らされる。


(格好いい……!!)


 思わず見惚れかけて――リーンは、はっと我に返った。


「あ!……エヴァルトさん!」


 リーンが駆け出そうとする。


「待て」


 ローウェンが腕を掴んだ。


「まだ近づくな」


「でも……」


 怪物は動かない。荒かった呼吸も、次第に弱くなっていく。


 レオンハルトは剣を構えたまま、慎重に様子を窺っていた。


 やがて、ローウェンが小さく息を吐く。


「……もう動かないか」


「エヴァルトさん……」


 リーンはゆっくりと近づいた。異形の顔は、もうほとんど動かなかった。


「……エヴァルトさん」


 リーンが呼びかける。


「聞こえますか?」


 反応はない。


「どうして、こんな……」


 リーンは唇を噛む。


「誰が、あなたをこんな姿にしたんですか?」


 その時、怪物の指が、僅かに動いた。


「……!」


 濁っていた瞳が、ほんの少しだけ開く。


 その奥で一瞬だけ――人の意識が戻ったように見えた。


「エヴァルトさん?」


「……ア……」


「え?」


 唇が震える。


「……ル……」


 掠れた声にリーンは耳を澄ませた。


「何ですか?」


「……ア……ル……ア……」


「……アルア?」


 それきり、瞳から光が消えた。


「エヴァルトさん……?」


 返事はなく、森に静寂だけが落ちた。


「……アルア」


 リーンは小さく繰り返す。


「何のこと……?」


「分からん」


 ローウェンが答える。リーンは異形となったエヴァルトを見つめた。


 何を伝えたかったのだろう。人の名前なのか、場所なのか。


 それとも――


 その時だった。


『リーン!』


 シルフィーの鋭い声。


「――っ!」


 動かなくなっていた蛇の尾が、本体とは別の生き物のようにはね上がった。


 大きく口を開け――


 真っ直ぐリーンへ襲いかかる。


「リーン!」


 視界が銀色に染まった。


レオンハルトがリーンを突き飛ばした、次の瞬間、蛇の牙がレオンハルトの右腕へ深く食い込んだ。


「――っ!」


「レオン様!!」


 アイリスが素早く駆け寄り、剣を振った。蛇の顔は地面へ落ち、黒紫色の血が散った。


「レオン様、大丈夫ですか!」


「レオン様の腕が……!」


「……リーン」


「え?」


「怪我は……ないか」


 リーンは目を見開いた。


 こんな時まで――


「私は大丈夫です!それよりレオン様の腕が――」


「……そうか」


 僅かに安堵したように、レオンハルトの表情が緩む。


「よかった」


 その直後。


「……ぐっ」


 レオンハルトが右腕を押さえ、僅かによろめいた。


「レオン様!」


「……大丈夫だ」


「大丈夫じゃありません!」


 リーンはすぐにレオンハルトの腕を取った。


 傷口から流れる赤い血に、黒紫色が混じっている。


「……待って」


 それだけではない。


 傷口の周囲から、細い黒紫色の筋が脈打つように広がり始めていた。


「毒……!」


「これくらい――」


「動かないでください!」


 リーンは腰の小袋を探り、細い紐を取り出した。


 傷は右腕。その上部へ紐を回し、血の巡りを抑えるように結ぶ。


「毒が回るのを少しでも遅らせます」


 完全に止められるとは思っていない。それでも、何もしないよりはいい。


「師匠!」


「ああ」


 ローウェンもすぐに駆け寄った。


「見せろ」


 傷口を確認した瞬間、その表情が変わった。


「……まずいな」


「師匠?」


「かなりまずい」


 ローウェンが黒紫色の筋へ指を当てる。金の瞳が険しく細められた。


「毒そのものに魔力が混ざってる。血だけじゃない。魔力の流れにまで入り込んでやがる」


「魔力の流れに……」


 リーンの表情が強張る。


「じゃあ、この処置だけじゃ……」


「多少は意味がある。だが、こいつはそれだけじゃない」


 ローウェンは傷口から伸びる黒紫色の筋を睨んだ。


「魔力の経路にまで絡みついてる。このままじゃ時間稼ぎにしかならん」


「そんな……」


「解毒には薬がいる。それも、そこらの解毒薬じゃ駄目だ」


「じゃあ……」


「屋敷へ戻るぞ。あそこなら薬も設備もある。足りないものは俺がどうにかする」


「はい!」


 リーンは即座に頷いた。


「レオン様、聞こえますか? すぐお屋敷に戻りますから」


「……大袈裟だ」


「大袈裟じゃありません!」


 思わず声が大きくなる。


「これは、本当に危ない毒なんです!」


「……そうか」


 レオンハルトはいつものように返そうとした。


 だが――


 ふらりと身体が傾く。


「レオン様!」


 リーンが咄嗟に身体を支えた。


「しっかりしてください!」


「……すま…ない」


「レオン様……?」


 次の瞬間、レオンハルトの全身から力が抜け、リーンの腕の中へ崩れ落ちた。


「レオン様!レオン様!!」


「リーン、そのまま支えてろ!」


「はい!」


 ローウェンが立ち上がる。


「すぐにガーディナス家へ飛ぶ。薬が必要だ、急ぐぞ」


 その声には、一切の迷いがなかった。


『――ロー!』


 シルフィーが鋭く叫ぶ。


『まだいる!』


「……何?」


 森の奥でひとつ、またひとつ、気配が動いた。


 アイリスの表情が変わる。


「……囲まれています」


 木々の向こうに、人影が浮かび上がった。


 一人ではない。二人、三人。


 さらに、その奥にも。こちらを窺うように、静かに包囲を狭めている。


 リーンは意識を失ったレオンハルトを抱きしめた。


「……こんなときに」


 ローウェンが低く吐き捨てた。


 レオンハルトは動けない。リーンを連れて、この人数を相手にしている時間もない。


 そして――


 アイリスが、静かに一歩前へ出た。

思わぬ連続の戦闘に。

RPGでも、ボス戦終わった!と思った後の戦闘って、メンタルやられますよね…


さて、続きは明日になります。


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