ep.51 最後の声
竜が咆哮すると、赤、青、緑、黄褐色、四つの光が巨体を駆け巡り、周囲の魔力が一気に膨れ上がる。
「――来るぞ!」
ローウェンの声と同時に、レオンハルトが地面を蹴った。
竜の口元に炎が集まる。
だが、先ほどまでとは違う。その炎はレオンハルトへ向けられたものではなかった。
吐き出す場所すら定まらないまま、竜は苦しげに首を振る。
『いたい……』
リーンの胸が締めつけられた。
「レオン様……!」
「分かっている」
リーンは目を見開いた。まだ何も言っていないのに、レオンハルトには分かっていた。
「殺しはしない」
レオンハルトが剣を抜くと、次の瞬間、竜の口から炎が溢れた。
「凍れ――《氷槍》!」
地面から巨大な氷柱が突き上がる。炎と氷が激突し、白い蒸気が一気に森を覆った。
その中を、レオンハルトが駆け、竜が前脚を振り下ろす。レオンハルトは紙一重でかわすと、青白い魔力を地面へ走らせた。
竜の足元が凍りつき、巨体がわずかに傾く。
「シルフィー!」
『任せて!』
ローウェンの声に、シルフィーが両手を広げる。
風が巻き起こり、竜の周囲で荒れ狂っていた緑の光が、その風に引かれるように揺らいだ。
「厄介な風はこっちで抑える!炎と岩を突破して、竜の懐へ切り込め!」
「簡単に言ってくれる」
「お前ならできるだろ」
「……まったく」
地面が隆起し、鋭い岩が次々と突き出す。
「リーン、こちらへ!」
アイリスがリーンを引き寄せる。同時に細剣を抜き、迫る岩を風を纏った一閃で弾き飛ばした。
その間にも、レオンハルトは岩をかわし、剣で砕きながら一気に竜の懐へ飛び込んでいく。
剣が閃き、青白い軌跡が走り、竜の胸元を覆っていた炎が凍りついた。
「今だ!」
ローウェンが叫ぶ。竜の身体を巡っていた四つの光が、一瞬だけ弱まった。
――ドクン
「あ……」
リーンにも聞こえた。鼓動のような音。
竜の胸――黒く変色した鱗の奥で、何かが脈打っている。
「師匠!」
「ああ。見えた」
ローウェンの金の瞳が細められる。
「おい、離れろ!」
レオンハルトが竜から距離を取る。
同時に、ローウェンが両手を前へ突き出した。
「シルフィー!」
『うん!』
淡い緑の光を帯びた風が、細い糸のように竜の身体へ絡みついていく。
そこへ、ローウェンの魔力が重なった。
黒い鱗が軋む。その隙間から、黒い何かが少しずつ姿を現した。石のようでありながら、生き物の心臓のように脈打っている。
赤。
青。
緑。
黄褐色。
四つの光が、その核へ吸い込まれていった。
「……あれが」
「こいつを、こんな姿にしたものだ」
ローウェンの額に汗が滲む。
「しぶといな……」
『ロー、もっと力を引くよ!』
「ああ!」
風が強くなり、黒い核がわずかに浮いた。
しかし――再び身体の中へ戻ろうとする。
「師匠!」
「分かってる!」
竜が天を仰ぎ、苦しげな咆哮を上げた。
『いたい……!!』
「もう少しだから……!」
リーンは胸の前で手を握る。
「もう少しだけ、頑張って……!」
助けたい。
もう、苦しまなくていいように。
この子が、本来の姿へ戻れるように!!
その願いに応えるように、リーンの身体から淡い光が零れた。
「リーン!」
「え……?」
「そのままでいい! 強く願え!」
ローウェンに言われても、リーンには何をすればいいのか分からない。
「でも、どうやって……」
「リーン!」
レオンハルトの声がして、振り向く。
「お前なら大丈夫だ!」
「レオン様……」
「助けたいんだろう?」
リーンは竜を見る。苦しげに伏せられた金色の瞳。
「……はい」
「なら、それだけ考えろ」
迷いが消えた。
リーンは胸の前で手を握る。
助けたい。もう、苦しまなくていいように。
この子が、本来の姿へ戻れるように――
白銀に金を溶かしたような光が、竜へ伸びた。
アイリスは何も言わずリーンの前へ立ち、周囲へ細剣を構えた。
光が触れた瞬間、黒い核が激しく脈打った。
まるで、その光を拒むように。けれど、次第にその脈動が乱れていく。
「……効いてる」
ローウェンの目が鋭くなる。
「今だ!」
風が一気に収束した。
「――抜けろ!」
次の瞬間、風が竜の胸へ潜り込んだ。黒い核が、竜の胸から引きずり出される。
――ドクン
最後に一度、大きく脈打って四つの光が消えた。
竜の身体が大きく揺れ、地響きとともに崩れ落ちる。
「竜さん……!」
駆け出そうとしたリーンの腕を、ローウェンが掴んだ。
「待て。見てみろ」
「……あ」
黒く染まっていた鱗の隙間から、本来の色が戻り始めている。
月の光を溶かしたような――銀色。
赤も、青も、緑も、黄褐色も、ない。
『……いたく……ない』
小さな声が聞こえた。
リーンの瞳が揺れる。
「……よかった」
涙が滲んだ。
「よかった……」
竜がゆっくりと目を開ける。濁っていた瞳も、澄んだ金色へ戻っていた。けれど、その呼吸は弱かった。
「師匠……」
「ああ、核は抜けた。だが、まだ残滓が残ってるな」
リーンは竜の鱗に残る黒い筋を見つめた。
「……さっきの力なら」
「ああ」
ローウェンは頷いた。
「まだ身体に残ってる淀みなら、お前の光で戻せるかもしれん。やってみろ」
「はい」
リーンは竜へ近づいた。
そして、すぐ隣を歩くレオンハルトを見た。
「レオン様」
「大丈夫だ、そばにいる」
その一言に、リーンは小さく頷いた。
竜の顔の前まで来ると、金色の瞳が、リーンを見つめた。
「……触ってもいい?」
返事の代わりに、竜がわずかに頭を下げる。リーンは、その鼻先へ手を置いた。
「もう、大丈夫だからね」
目を閉じる。どうやって使うのかも、まだ分からない。ただ、この子を本来の姿へ戻したい、そう願った。
白銀の光が静かにリーンを包み、金色の粒が舞う。
光は竜へ流れ、銀色の鱗を優しく撫でていった。残っていた黒い筋が、一つ、また一つと消えていく。
やがて――最後の痕跡も消えた。
そこに横たわっていたのは、もうエレメントドラゴンではない。
美しい銀色の竜だった。澄んだ金色の瞳が、まっすぐリーンを見る。
『……ありがとう』
「……っ」
堪えていた涙が零れた。
「……声、ちゃんと届いたよ」
竜は静かに目を細めた。
ローウェンが竜に歩み寄る。
「……もういい」
その声は、いつになく優しかった。
「もう、苦しまなくていい」
淡い光がローウェンの指先へ集まる。
「――《還りの詩》」
優しい風が吹いた。銀色の竜の身体が、足元から少しずつ光へ変わっていく。
「……もう、痛くない?」
『……うん』
竜の姿が薄れていく。銀色の光が、夜空へ昇っていった。
『――ありがとう』
それが、最後だった。
「……うん」
リーンは泣きながら笑った。
「……ばいばい」
竜は完全に光となった。無数の粒が夜の森を舞い、やがて空へ溶けていく。
見えなくなった後に、静寂が訪れた。けれど、今度の静けさは怖くなかった。
さらさらと木々が揺れる。
『ロー! リーン!』
シルフィーが嬉しそうに声を上げた。
『みんな、戻ってきた!』
木々の間から、小さな光が一つ、二つと現れる。逃げていた精霊たちだ。淡い光が森の中を飛び交い始める。
「……よかった」
その時、空へ昇っていた光の中から、一つだけ小さな光が降りてきた。
「え……?」
リーンが両手を差し出すと、ころん、と手のひらへ小さな銀色の結晶が落ちてきた。
月明かりを閉じ込めたように、内側で淡い光が揺れている。
「師匠、これ……」
「珍しいぞ、精霊の結晶だな」
「精霊の……」
「あいつに残ってた最後の力が、形になったんだろうな」
ローウェンは結晶を見つめ、それからリーンを見る。
「……お前に託したかったのかもしれん」
リーンは結晶を両手で包んだ。
ほんのりと温かい。
「……大切にするね」
結晶が、一度だけ淡く光った。
「……よかった」
ほっとした途端、足から力が抜けそうになった。
「わっ……」
傾いた身体を、すぐに腕が支える。
「大丈夫か」
「レオン様……」
「無茶をする」
「す、すみません」
「謝るところじゃない」
そう言って、レオンハルトはリーンが自分で立てるのを確かめてから、ゆっくりと腕を離した。
「よくやった」
その声が思っていたよりも優しくて、リーンは少しだけ胸がくすぐったくなる。
「お前が声を聞かなければ、俺たちはあの竜をただの魔物として見ていた」
「……はい」
「助けられたのは、お前がいたからだ」
「……そうだったら、嬉しいです」
リーンはの手の中の銀色の結晶をみた。
最初に聞こえた声は――『たすけて』『いたい』と聞くたびに胸が苦しかった。
けれど、最後に聞こえた言葉は――『ありがとう』だった。
それだけで、ここまで来てよかったと、心から思えた。
「しかしまあ……」
ローウェンがリーンを見る。
「まさか、お前があんな力を使うとはな」
「……わたしもびっくりしました!」
「そうか」
短く答えながら、ローウェンは目を細めた。
白銀に金を溶かしたような光。傷を塞ぐのではなく、穢れを払い、本来あるべき姿へと還す力。
遠い昔、世界樹の下で見たものと、あまりにもよく似ている。
――やはり、この子が
そこから先を、ローウェンは胸の内にしまい込んだ。
「師匠?」
「……なんでもない」
「?」
「帰ったら調べる。話はそれからだ」
『でも、すごかったよ! リーン!』
シルフィーがくるくるとリーンの周りを飛ぶ。
『森が全部ぴかーって!』
「ぴかーって……」
リーンは思わず笑った。張り詰めていたものが、ようやくほどけていく。
ローウェンは小さく息を吐くと、手元の黒い核へ視線を落とした。
「……それ、どうするんですか?」
「持って帰る」
「大丈夫なんですか?」
「ここに放っておく方が危ない。それに――」
ローウェンの表情が険しくなる。
「誰がこんなものを作ったのか、調べる必要がある」
指先が動き、黒い核が収納魔法の中へ消えた。
「さて」
ローウェンが小さく息を吐く。
「帰るぞ」
「はい」
リーンは少し離れたところに立っていたアイリスを見る。
「アイリスも――」
――ガサッ
音がして、全員の動きが止まった。
『……ロー』
シルフィーの声が変わった。
『何かいる』
先ほどまで戻ってきていた小さな精霊たちが、一斉に木々の奥へ消える。
レオンハルトが剣を抜いた。
アイリスがすぐさまリーンの前へ出る。
「リーン、下がってください」
「……アイリス?」
森の奥から音がする。
ズル……
ズル……
何かを引きずるような、重い足音。それが少しずつ近づいてくる。
月明かりの届かない闇の中。最初に見えたのは、異様に大きな前脚だった。
獣のような、虎に似た脚。けれど、その表面には黒い鱗が浮かび、ところどころ不自然に膨れ上がっている。
続いて現れた胴体も、人のものではなかった。
巨大な獣の身体。その後ろから、長い尾がずるりと伸びている。
やがて、その先端がゆっくりと持ち上がった。
――蛇
蛇の頭が、こちらを見た。
「……キマイラだと?」
レオンハルトが呟く。しかし、すぐに眉を寄せた。
「いや……なんだ、こいつ」
リーンは息を呑んだ。
怖い。
なのに――その異形の中に、ほんのわずかに見覚えのある人の面影があった。
「……うそ、まさか」
喉が震える。
異形の顔が、ゆっくりとリーンへ向いた。
「……エヴァルト……さん?」
その名を呼んだ瞬間、怪物の身体がびくりと震えた。
――ぐるん
首があり得ない角度に捻れ、異形の顔がリーンを捉える。見開かれた瞳にあったのは狂気だけだった。
続きはまた明日です。
宜しくお願いします(*^^*)




