プロローグ 風が告げた異変
第五章はじめます。
仕切り直しの投稿です。
一度見ていただいた方は本当に申し訳ございません!
ローウェン視点を交えてのリスタートを宜しくお願いします。
王都へ続く街道を、ローウェンは足早に進んでいた。
人目につく場所で転移魔法を使うわけにもいかず、途中からは徒歩で向かっていたのだ。
王都に近づくにつれ、慌てて馬車や徒歩で避難する者たちの姿が増えていく。皆、不安そうな表情をしており、時折、竜の噂話も聞こえてきた。
隣では、シルフィーが風に乗るようにふわりと浮かんでいる。
『ロー、まだ着かないの?』
「もうすぐだ」
『さっきからそればっかり』
「黙って飛んでろ」
『ひどい』
いつものやり取りをしながらも、ローウェンの表情は険しかった。
レイガルドの北東で精霊たちが逃げている。そして、リーンがそこにいる。それだけで、急ぐ理由としては十分だった。
「……まったく」
『なに?』
「なんでもない」
そう答えながら、ローウェンは小さく息を吐いた。
昔なら、こんなふうに考えただろうか。
◇ ◇
遠い昔、俺は一人の少女と約束をした。
人と精霊が、いつまでも良き隣人でいられる世界にしたい。彼女の名は、人族でリシェリアといった。それが、彼女の願いだった。人も精霊も、どちらかがどちらかを支配するのではなく、共に笑い、共に生きていける世界。
けれど、その願いが叶うところまで、リシェは生きられなかった。
…俺は彼女を救えなかった。
そして、その願いは彼女を愛する者たちへと託され、俺もまた誓った。彼女が望んだものを、忘れない、と。大精霊と約束を交わし、人と精霊を見守り続けることも。
それはいつしか、俺自身にとって、千年前に救えなかった少女への贖罪にもなっていた。
だから、あの日、幼いリーンを見つけたときも、最初はそうだった。
まだ幼い、どこから来たのかも、両親が誰なのかも分からない少女。なのに、精霊たちは当たり前のように少女のそばに集まっていた。
そして何より、似ていた。顔でも魔力でもない、もっと曖昧で言葉では説明できない何かが、千年前に失った少女を、俺に思い出させた。
……まさか。
そう思ったのを、今でも覚えている。もし、この子が、志半ばで命を落としたリシェの魂が、長い時を経て再びこの世界へ戻ってきたのだとしたら。
確かめる術はなかった。だが、その可能性には、あの頃から気づいていた。だから調べた。リーンがどこで生まれたのか。誰の子なのか。なぜ、あの場所にいたのか。
けれど、何一つ分からなかった。それ自体が、俺には奇妙だった。
長く精霊と共に生きてきた。人間には辿れない過去でも、精霊たちが思いがけない手掛かりを持っていることは珍しくない。あの森で見た、こんな人間と一緒にいた、どこから来た。聞いてもいないことまで勝手に喋るのが、精霊というものだ。
なのに、リーンのことだけは違った。誰に聞いても、何も分からない。まるで最初から、そこだけ切り取られているかのように。
問い詰めても、
『知らないよ』
『わかんない』
挙げ句の果てには、
『リーンはリーンだよ?』
それだけだった。
「……そんなことは分かってる」
何度そう返したか知れない。普段なら余計なことまで喋るくせに、リーンの出自についてだけは、揃いも揃って何も語らない。知らないのか、それとも、知っていて、言わないのか。結局、それすら分からなかった。
ただ一つ、俺は決めていた。もし本当に、この少女がリシェの生まれ変わりなのだとしたら、今度こそ守ろう、と。今度こそ、志半ばで終わらせない。今度こそ、救う。
それは、大精霊との約束のため。千年前に交わした約束のため。そして何より、救えなかった自分自身の、ひどく身勝手な贖罪のためだった。
……最初は。
◇ ◇
「……十四年、か」
『ん?』
シルフィーが振り返る。
「独り言だ」
『ロー、最近独り言多くない?』
「うるさい」
あれから十四年。泣いていた小さな少女は、いつの間にか薬術師になった。薬草を間違え、調薬に失敗し、そのたびに落ち込みながらも、それでも翌日にはまた薬草籠を抱えて森へ入っていった。
困っている人間を見つければ放っておけず、自分のことはいつも後回し。少しは自分を優先しろと、何度言ったか分からない。それでも変わらなかった。
まったく、誰に似たんだか。
大精霊との約束は、今も覚えている。リシェとの約束も。守るつもりだ、これからも。
だが、もし今、その約束がなかったとしても、リーンがリシェの生まれ変わりではなかったとしても、きっと俺は、同じように王都へ向かっていただろう。千年前の少女だからではない。何か特別な使命を持つ者だからでもない。
リーンが――リーンだからだ。
「……ったく」
『今度はなに?』
「あいつは昔から、面倒事に首を突っ込みすぎる」
『リーンのこと?』
「他に誰がいる」
『心配なんだ?』
「……」
『心配なんだね』
「黙れ」
『ふふっ』
シルフィーが楽しそうに笑う。俺は眉間に皺を寄せたまま、歩く速度をさらに上げた。
だが、もう一つ、気になることがある。
(……また、この辺りか。なんの因果だ)
俺は遠くへ視線を向けた。千年前にも、この辺りで精霊たちが騒いだことがある。それが今回の異変と同じものなのかは、まだ分からない。
ただ、嫌な予感だけが、胸の奥に残っていた。
王都へ入ると、街の空気は張り詰めていた。騎士たちが行き交い、物資を積んだ荷車が次々と城壁の外へ向かっていく。避難の案内をする声も聞こえた。
「……面倒なことになってるな」
『だから言ったでしょ。やばいのが出たって』
「ああ」
竜が現れた。それだけなら、ここまで気にはならなかったかもしれない。問題は、精霊たちが逃げていることだ。魔物が暴れた程度で、精霊たちはここまで怯えない。
何かがある。精霊たちが、本能的に避ける何かが。
最初に向かったのは、冒険者ギルドだった。扉を開けた瞬間、中の喧騒が耳に飛び込んでくる。依頼板の前には冒険者が集まり、受付では職員たちが慌ただしく指示を飛ばしていた。
その奥で、見覚えのある赤毛がこちらを振り返る。
「……あ?」
ジルだった。
「なんだ、爺さんじゃないか」
「誰が爺さんだ」
「どう見ても爺さんだろ」
その隣で、装備を整えていたカインも顔を上げた。
「おっ。珍しいな」
俺は挨拶もそこそこに口を開いた。
「リーンはどこだ」
カインが眉を上げる。
「会って一発目がそれかよ」
「他に何を聞けと?」
「元気だったか、とかあるだろ」
「見れば分かる」
「相変わらずだな……」
ジルが肩をすくめた。
「リーンならガーディナスの屋敷だよ。昨日、救護所から戻された」
「……ガーディナス?」
「ああ」
眉が、わずかに動いた。また、あの騎士団長か。王都へ来てからというもの、リーンの話には妙にその名前がよく出てきた。レオン様が。レオン様に。レオン様と。本人にその自覚があるのかは知らない。
まあ、それは今はどうでもいい。
「わざわざ危険な場所に行くとは。怪我はしてないな?」
「あぁ。少なくとも、あたしが見た限りじゃね」
「……そうか」
思っていた以上に、肩の力が抜けた。眉間の皺が、ほんの少しだけ緩んだのが分かる。だが、それも一瞬だった。
「竜はどうなってる」
今度はジルの表情が変わる。
「まだ森からは動いてない」
「どんな竜だ」
「でかい。それと――」
ジルが少し間を置く。
「複数の属性を同時に纏ってるらしい」
目が、自然と細くなった。
「……複数?」
「炎、水、風、土。少なくとも四つだって話だ」
「……」
一体の竜が、四つの属性を同時に纏う。自然に生まれた竜なら、まずあり得ない。
だが、遠い記憶が脳裏を掠めた。
千年前、こんな咆哮を、聞いたことがある。あれもまた、あるべき姿を歪められていた。
そして……
「……まさかな」
「何か知ってるのか?」
「いや」
短く答えた。まだ、そうと決まったわけではない。むしろ、違っていてほしい。けれど、その横でシルフィーが不安そうに俺を見ていた。
『ロー』
「分かってる」
ジルには聞こえない声へ、小さく返す。
カインが装備を締め直しながら立ち上がった。
「爺さん、案内するぜ」
「何?」
「リーンのとこ。ちょうど屋敷の近く通るし」
ジルが呆れたように見る。
「お前、もう集合時間だろ」
「送るだけだって」
「遅れんなよ」
「分かってる」
俺は一度カインを見る。リーンの居場所を当然のように知っていて、集合時間が迫っているというのに、わざわざ送ると言い出す。
こいつも妙に世話を焼くな。
俺は小さく眉を寄せた。王都へ来てから、あいつの周りに何が増えてるんだ。
「爺さん?」
「なんでもない」
ため息をつく。
「なら頼む」
「珍しいな。素直じゃん」
「無駄口たたく前にさっさと行け」
「はいはい」
カインは笑いながらギルドの扉を開け、俺もその後に続いた。シルフィーも二人を追いかけ、ふわりとその頭上を飛んでいく。
外へ出たところで、風が吹いた。俺は足を止め、北東の空を見た。目には見えない。けれど、確かに感じる。いつもの森とは違う、歪んだ気配。
『ロー』
先ほどまでとは違う、シルフィーの小さな声。
『あれ……やっぱり変だよ』
「ああ」
千年前と同じなのか。それとも、まったく別の何かなのか。まだ分からない。
ただ……。
「急ぐぞ」
「ん? ああ」
カインが先を行く。俺もその後を追った。
リーンを、あれに近づけるわけにはいかない。『今度こそ守る』などという、千年前の贖罪からではない。大精霊と交わした約束だからでもない。
ただ、十四年も一緒にいれば、それだけで十分だった。
あいつはもう、遠い昔に失った誰かの代わりではない。
――リーンなのだから
読了ありがとうございました。
言葉少ないローウェンがどう感じてるか、の回です。
リーンの成長とレオンとの恋愛を、引き続き見守りください(*^^*)
更新は明日、です!




