ep.43 古からの口伝
昔と今、大事なことは人から人へ繋いでいく。
歌姫の存在意義とは。
「確か、その中に――よく似た話があったはずよ」
エステリーゼは記憶を辿るように、しばらく目を閉じていた。
「獣たちが森を離れ、人々が空を恐れた……だけど、それを精霊に愛された巫女がおさめた。そんな一節だったと思うわ」
「空を……?」
リーンは首を傾げた。
「ドラゴンを指しているのでしょうか」
アルヴィンの問いに、エステリーゼはゆっくり首を振る。
「そこまでは分からないの。とても古い歌だから、今では意味の分からない言葉も多くて」
「いつ頃から伝わっている歌なんだ?」
レオンハルトが尋ねた。
「正確には分からないわ。王国ができるよりも、ずっと昔から歌い継がれてきたものだと教わったけれど」
「王国ができる前……」
リーンが呟く。
「エステリーゼの一族は、古くから歌を通じて精霊へ祈りを捧げてきた家系なんだ」
カイエルが説明する。
「昔は、人と精霊が今よりずっと近かったと言われているの」
エステリーゼが続けた。
「精霊を見ることのできる人も、今ほど珍しくなかったそうよ。人が精霊に祈り、精霊もまた人に力を貸していた――そんな話が、古い歌にはいくつも残っているわ」
リーンは無意識に息を呑んだ。
――精霊を見ることのできる人
その言葉が、妙に胸に残った。
「だが、千年ほど前を境に、多くの精霊は人の前から姿を消したと言われている」
カイエルが続ける。
「理由は分かっていない。あまりにも古い時代のことだからな。残された記録も少なく、伝承と史実を区別することさえ難しい」
「ただ、すべての精霊がこの世界を去ったとは考えられていない」
カイエルは一度言葉を切った。
「一説には、風、水、火、地を司る四柱の大精霊は、今もこの世界を見守ってくださっているとも言われている」
「四柱の大精霊……」
「ああ。風はレイガルド、水はミスティ法制国、火はグランシェル帝国、地はサイルード王国。それぞれの地に、一柱ずつおられるのだと」
――そういえば、シルフィーも風の精霊だ…まさかね。
リーンは、懐かしい精霊のことを思い出した。
以前の自分には、その声を聞くことしかできなかった。けれど、今なら私にも、師匠みたいにシルフィーの姿が見えるのかな。
「もっとも、確かな証拠が残っているわけではない」
そう言って、カイエルはわずかに笑った。
「真実を知る者はいない。だが、今でも時折、精霊の存在を感じたという話はある。だから私は、彼らは消えたのではなく、今もどこかでこの世界を見守ってくださっているのだと信じたい」
「……私も、そう思います」
リーンは小さく答えた。
「多分、精霊がいなくなったんじゃなくて……精霊を見ることのできる人間が、少なくなってしまったんじゃないでしょうか」
カイエルが興味深そうにリーンを見る。
「そう考える理由が?」
「えっ」
リーンはハッとした。
「あ……いえ。そうだったらいいなって思っただけです」
慌てて笑って誤魔化した。けれど、本当はただの想像ではなかった。最近、リーンには精霊の姿が見えるようになっていた。
最初は、光の粒だと思っていた。
けれど、失っていた記憶が少しずつ戻り始めた頃から、その輪郭は日に日に鮮明になっている。
花の陰から顔を覗かせるもの。
風に乗って楽しそうに飛び回るもの。
水面の上を跳ねるもの。
これまで声でしか感じることのできなかった存在が、今では確かな姿を持って見えている。
――師匠なら、何か知っているかもしれない。
シルフィーの姿を見ることのできる師匠なら。
だから、次に会えた時には必ず聞こうと思っていた。手紙ではなく、直接会って。
レオン様にも、まだ話していない。
隠しているわけではないけど、話すきっかけを逃しているうちに、今日まで来てしまった。
「でも、その考えは、あながち間違っていないかもしれないわね」
エステリーゼが言った。
「私も精霊を見たことはないけれど、時々……何かを感じることがあるの」
「感じる?」
「風が急に優しくなったり、誰もいないはずなのに、すぐそばに誰かがいるような気がしたり」
そう言ってから、エステリーゼはカイエルを見る。
「昔からなのよ、ね?」
「ああ。君の一族には、そういう話を時々きくね」
「でも、レオンは昔から信じてくれなかったのよ」
「信じていないとは言っていない」
レオンが即座に返す。
「目に見えないものを追いかけて、木から落ちるなどバカのすることだ、と言っただけだ」
「同じようなものじゃない!」
「全く違う」
エステリーゼがくすくす笑う。カイエルもどこか呆れたような顔をしていた。
「2人ともそこまでだ。今は言い合いしてる場合じゃないぞ。」
「カイエルまで何よ」
三人の間に流れる空気が、ほんの少し変わった。
王太子と騎士団長といずれ王太子妃にもなる歌姫。そんな肩書きを忘れてしまいそうなほど、気安い。
――本当に昔から、仲がいいんだ。
あらためて3人の様子から、心からの関係性であることを感じた。
けれど、ふと、さっきの言葉が頭の中に戻ってくる。
――『レオン』
「……」
リーンは隣に立つレオンをちらりと見た。
自分はずっと、「レオン様」と呼んでいる。
エステリーゼ様は、当たり前のように「レオン」と呼んでいた。
昔からの知り合いなのだから、当然なのだろう。
分かっている、分かっているのに。
なんだろう…胸の奥に、小さな何かが引っかかった。
「リーン?」
「えっ」
レオンと目が合った。
「どうした」
「な、なんでもないです」
「そうか?」
「はい」
慌てて視線を逸らす。自分でも、何が気になったのかよく分からない。
「……?」
レオンは不思議そうにしていたが、それ以上は追及しなかった。
その様子を見ていたエステリーゼが、ほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。
「それでね」
エステリーゼはリーンへ視線を戻した。
「さっきの続きだけれど……あなたの周りにも、何かいるような気がするの」
「……!」
リーンの肩がぴくりと跳ねる。
なぜなら――
今まさに、その肩のすぐ上で。手のひらほどの小さな精霊が、楽しそうに足を揺らしていたからだ。
リーンが目を向けると、小さな精霊はきらきらと光を散らしながら、くるりと宙返りした。
「リーン?」
「な、なんでもないです!」
またレオンだった。
「……本当か?」
「本当です!」
今度はエステリーゼが吹き出した。
「ふふっ」
「エステリーゼ様?」
「ごめんなさい。なんだか可愛らしくて」
「?」
何のことだろう。リーンは首を傾げた。
それ以上追及される前に、話題を変える。
「そういえば……エステリーゼ様の歌って、昔も今みたいに祝祭で歌われていたんですか?」
「それだけじゃないわ」
「?」
「昔は、戦いへ向かう人たちのためにも歌ったそうよ」
「戦うための魔法?」
「いいえ」
エステリーゼは首を振った。
「力を与えるための歌じゃないの」
胸元へそっと手を添える。
「怖くても、もう一度前を向けるように。帰る場所を忘れないように――そんな願いを込めて歌うの」
――怖くても、もう一度前を向けるように。
リーンはその言葉を胸の中で繰り返した。その時、肩の上にいた小さな精霊が、ふわりと舞い上がった。
窓辺にいた淡い光が、それを追う。
さらに、ひとつ。
また、ひとつ。
小さな精霊たちがエステリーゼの周りへ集まり始める。
「……」
リーンは目を見開いた。
エステリーゼは気づいていない。カイエルも、レオンハルトも。
けれど、リーンには見えていた。精霊たちは楽しそうに光を散らしながら、エステリーゼの周りを舞っている。
まるで――
彼女の歌声を、待っているかのように。
リーンの本来もっている力が目覚めつつある回でもありました。
少しずつ、リーンを形づくるピースが見えてきました。
次は本日の夜21時です。




