ep.40 広がる異変
世界にどんどん異変が広がっています。
それから数日。ガーディナス家の一室には、薬草の香りが漂っていた。
「……これで、最後」
小瓶の蓋を閉め、リーンはふう、と息を吐いた。
机の上には、傷薬に止血薬、解熱薬。それから魔力の消耗を和らげるための薬が、種類ごとに並べられている。
どれも冒険者ギルドから依頼されたものだ。
ここ数日、魔物討伐に出た冒険者たちの負傷が相次いでいるらしい。いつもの注文より、明らかに数が多かった。
「お疲れさまでした、リーン」
アイリスが出来上がった薬を手際よく箱へ詰めていく。
「ずいぶん多かったですね」
「うん。これで三箱目」
答えながら、リーンは少しだけ頬を緩めた。
――リーン。
たったそれだけのことなのに、呼ばれるたびに少し嬉しくなる。
専属侍女になってからも、アイリスはずっと礼儀正しく接してくれていた。けれど最近になって、二人きりの時だけは、ようやくこうして名前で呼んでくれるようになったのだ。
少しだけ距離が近くなれたようで、それが嬉しかった。
「どうかなさいましたか?」
「ううん。なんでもない」
リーンは笑って、残った薬瓶を一本、アイリスへ渡した。
「ありがとう、アイリス」
「いいえ。これもわたくしの仕事ですから」
最後の一本を箱へ収め、アイリスが蓋を閉じる。
「これで、すべてですね」
「うん。こんなに一度に頼まれたの、初めてかも」
「それほど負傷者が増えている、ということでしょうか」
「……たぶん」
三つの箱を見つめ、リーンは眉を寄せた。
必要とされる薬が増えたということは、それだけ傷ついた人がいるということだ。
「それよりリーン。少しお休みになったほうがよろしいのではありませんか?」
「大丈夫。ギルドに届けたら休むから」
「先ほども、そう仰っていましたよ?」
「……言ったっけ」
「ええ」
にこり。
笑顔なのに、逃げ道がない。
「……師匠みたい」
「まあ。それは光栄です」
「褒めてないかも」
「では、なおさら休んでいただかなくてはなりませんね」
「う……」
こういう時のアイリスには勝てない。
「少しだけね」
「はい。少しだけで構いません」
満足そうに答えるアイリスを見て、リーンは小さく笑った。
「でも、薬は今日中に届けたいの」
「もちろんです。馬車も手配してあります」
「もう?」
「はい。それから、レオン様にもお伝えしてあります」
リーンが目を丸くする。
「レオン様にも?」
「本日の午後、リーンが冒険者ギルドへ薬を届けること。その際はわたくしが同行すること。すでにお伝えしております」
「……いつの間に」
「リーンが二箱目を作っていらっしゃる間に」
まったく気づかなかった。
「レオン様、何か言ってた?」
「本日は騎士団からも冒険者ギルドへ向かわれるそうです。ただ――」
アイリスがわずかに笑う。
「『寄り道はするな』とのことでした」
「…………」
リーンは頬を膨らませた。
「やっぱり私、子ども扱いされてない?」
「さて。どうでしょう」
「アイリス」
「ですが、心配なさっているのは確かでしょうね」
その言葉に、リーンは何も返せなくなる。
「では、少し休まれましたら参りましょう。リーン」
「……はい」
また名前を呼ばれ、リーンの口元がほんの少し緩んだ。
◇ ◇
冒険者ギルドへ足を踏み入れた瞬間、リーンは違和感を覚えた。
いつもなら酒と料理の匂い、そして冒険者たちの笑い声で騒がしい場所だ。
今日も騒がしい。
けれど、その種類が違う。
「治療できる奴、こっち頼む!」
「北の街道も出たってよ!」
「その依頼、今は受けるな! ギルドから待機命令が出てる!」
受付には報告書を手にした者たちが列を作り、奥には包帯を巻いた冒険者の姿もある。
「……こんなに」
アイリスの表情からも、先ほどまでの柔らかな笑みが消えた。
「想像していた以上ですね」
「あっ! リーンじゃないか!」
聞き覚えのある声に振り向くと、カインが人混みをかき分けてやってきた。
「カイン!」
「何してんだ、こんなところで」
「ギルドから頼まれた薬を届けに来たの」
「これか?」
カインはリーンの抱えている箱をひょいと取り上げた。
「あっ。自分で持てるよ」
「いいって。お前、小さいんだから」
「関係ないでしょ!」
「あるだろ。箱の方がでかく見えるぞ」
「もう!」
取り返そうとするリーンから、カインが笑って箱を遠ざける。
二人のやり取りを見ていたアイリスが、口元に小さな笑みを浮かべた。
「何やってんだい、あんたたち」
「ジル!」
ジルの後ろからバルトも顔を出す。
「お、薬か! 助かるぜ。今日は足りなくなりそうだったからな」
「そんなに怪我人が多いの?」
「ああ。ここ数日で一気にな」
答えたカインに、リーンは尋ねた。
「魔物が増えてるって聞いたけど……」
「増えてる、ねぇ」
カインは薬箱を受付台へ置く。
「俺は、ちょっと違うと思うけどな」
「違う?」
「ああ」
その時、ギルドの入口がざわめいた。
濃紺の騎士服。
周囲の冒険者たちが自然と道を開けていく。
先頭を歩く銀髪の男を見つけ、リーンの表情が明るくなった。
「レオン様」
レオンハルトが足を止める。
その後ろにはアルヴィンとグレン。
レオンの視線がリーンから、その隣にいるカインへ移った。
「……なぜカインがいる」
「ここ冒険者ギルドだぞ。俺がいて何がおかしいんだよ」
もっともな返答だった。
レオンは答えない。
アルヴィンが眼鏡の位置を直しながら、静かに視線を逸らす。グレンも何かを察したらしいが、口を挟まなかった。
「レオン様」
アイリスが一歩前へ出る。
「先ほどお伝えした通り、リーンと薬を届けに参りました。ちょうど今、届け終えたところです」
「ああ。聞いている」
レオンの視線がリーンへ戻る。
「屋敷へ戻るのか?」
「そのつもりだったけど……思ってたより、ずっと大変そうで」
「……そうだな」
「団長」
アルヴィンが声をかけた。
「ギルドマスターがお待ちです」
レオンが歩き出そうとする。
「待って」
リーンは咄嗟に呼び止めた。
「私も聞いちゃ駄目?」
「何をだ」
「魔物のこと。黒い核を調べたのは私だし……薬がこんなに必要になってる理由も知りたい」
レオンはすぐには答えなかった。
これ以上、リーンを異変に関わらせたくはない。
だが、黒い核を実際に調べたのはリーンだ。それに、こうなった以上、何も知らないままでいさせる方が危険かもしれない。
「お願いします」
「……分かった」
根負けしたような返事に、アルヴィンがわずかに眼鏡を押し上げた。
「私もリーンさんには同席していただくべきだと思います。薬術的な見解が必要になる可能性がありますから」
「……お前、わざと黙っていたな」
「団長がどのような判断をされるのかと思いまして」
「…………」
「もっとも、判断材料は薬術的な必要性だけではなかったようですが」
アルヴィンの視線が、ほんの一瞬リーンへ向く。
レオンが眉を寄せた。
「余計なことを言うな」
「失礼しました」
そう言いながらも、アルヴィンはまったく悪びれていない。
グレンが笑いを誤魔化すように小さく咳払いをし、アイリスも何も言わず微笑んでいる。
「……何?」
リーンだけが首を傾げた。
「何でもない」
レオンは短く答え、そのまま歩き出した。
◇ ◇
二階の会議室。
大きな机の上には、王国周辺の地図が広げられていた。
騎士団側からレオン、アルヴィン、グレン。ギルド側にはギルドマスターとジル、カイン、バルト。そしてリーンとアイリスも席についている。
「まず、騎士団側の情報から共有します」
アルヴィンが地図の前に立った。
「ここ十日間で、王都周辺における魔物の目撃件数は通常時のおよそ二倍。北東部では三倍近くまで増えています。これまで人里付近へ姿を見せなかった種も確認されています」
「こっちも同じだ」
ギルドマスターが答えた。
「討伐依頼だけじゃない。採取に出た連中からも、普段じゃ考えられない場所で魔物を見たって報告が上がってる」
「縄張りが変化している……」
「変化っていうか」
カインが椅子の背にもたれた。
「捨ててんじゃねぇの?」
全員の視線が集まる。
「どういう意味だ」
レオンが訊く。
「昨日、東の森に行った。グレイウルフの群れが、丸ごと西へ移動してたんだ」
「群れごと?」
「ああ。しかも別の魔物の縄張りを突っ切ってる」
ジルも腕を組む。
「あたしも気になってたよ。普通なら縄張り争いになるはずなのに、どいつもそんなこと気にしちゃいない」
「それどころじゃないってこと……?」
「そんな感じさね」
アルヴィンの指が地図を辿る。
いくつもの目撃地点と移動方向を線で繋いでいく。
「……これは」
グレンが身を乗り出した。
「同じ方向ですね」
「ああ」
レオンの表情が険しくなる。
魔物が増えているのではない。移動している。
しかも、複数の種が同じように。
「何かから……逃げてる?」
リーンが呟いた。
誰も、すぐには答えなかった。
その時、一階が急に騒がしくなった。いくつもの声が重なり、先ほどまでとは違うざわめきが広がっていく。
「なんだ?」
バルトが扉を見る。
やがて階段を上がってくる足音がした。
ゆっくりと迷いのない足取りで。
――ゴン、ゴンッ
「入れ」
ギルドマスターの声に、職員が顔を覗かせた。
「ギルドマスター。お客様です」
「客? 今は会議中だぞ」
「それが……」
職員が困ったように振り返る。
その後ろから、一人の男が姿を現した。
年齢を重ねてなお、鍛えられた身体。立っているだけで、不思議と周囲の空気を変えるような存在感。
リーンは知らない男だった。
だが、隣にいたレオンが立ち上がった。
そのレオンの驚いた表現を見て、リーンは目を瞬く。
「……セルギウス団長」
――団長?
リーンは思わずレオンを見た。
王国騎士団長は、レオンではなかったのか。
男はそんなリーンの疑問など知らないまま、懐かしそうに目を細めた。
「久しいな、レオン」
その声に、レオンの瞳がわずかに揺れた。
珍しいレオンの驚き顔の回でした。(違うか!)
実は各キャラのイラストとかもあるのですが、いつかお披露目できたらなーと、密かに思ってます。(*^^*)




