ep.38 森に残る痕跡
レオンハルトから依頼を受けて、三日。
《紅狼の牙》は、王都西方に広がる森へ入っていた。
「――で? 結局、お前は何がしたかったんだ?」
先頭を歩いていたジルは、背後へ声を投げた。
「何って?」
「リーンの頭を二回も撫でたやつだよ」
「ああ、あれ? いやあ、ちょっと面白くてさ」
「何が?」
「騎士団長殿」
その答えに、セレナがくすりと笑った。
「あれは分かりやすかったわねえ」
「だろ?」
「そうなのか?」
最後尾を歩くダレスが、不思議そうに首を傾げる。三人の視線が一斉に向いた。
「……なんだ」
「いや」
「別に?」
「ダレスはそのままでいいと思うぜ」
「そうか?」
ジルは小さく息を吐いた。
「まあ、リーンが嫌がってないなら、私は何も言わん」
「騎士団長だぞ?」
「だから何だ」
「いや、リーンが公爵家とか想像できねえなって。身分差もあるし、まぁ、何とかしちまうんだろうけどよ」
それにはジルも少し考えた。
「……本人が一番想像してないだろうな」
「それは間違いない」
カインが即答し、セレナまで吹き出した。
「リーンだものねえ」
「でもまあ、あいつを泣かせたら私が殴る」
「騎士団長を?」
「関係あるか?」
「ねえな」
カインが笑う。
「つーか、あの人なら泣かせる前に自分で死ぬほど悩みそうだけどな」
「それはありそうね」
好き勝手なことを言っている三人をよそに、ダレスだけがまだ考えていた。
「……つまり、団長殿はリーンに惚れているのか?」
「今そこ!?」
セレナの声が森に響く。
「ダレス、遅すぎ!」
「そうなのか」
「だからそう言ってんだろ」
「なるほど」
ダレスは一人、深く頷いた。ジルは思わず笑う。
――その時だった。
「止まれ」
ジルが足を止める。
三人の空気が、一瞬で変わった。カインの手が腰の武器へ伸び、セレナが周囲を見回す。ダレスは大盾を構え、一歩前へ出た。
「いるな」
「ああ」
ジルも背負った大剣へ手をかける。
森が妙に静かだった。鳥の声も、小動物の気配もない。
代わりに、湿った土を踏みしめる重い音が近づいてくる。
――ズン
――ズン
「右奥」
カインが短く告げる。
茂みが大きく揺れ、木々を押し分けて巨大な魔物が姿を現した。
「……オーガ」
灰色がかった巨体は、人間の倍以上の背丈がある。
「やっぱりおかしいな」
ジルは目を細めた。
目は濁り、口元から涎を垂らしている。身体には黒ずんだ血管のようなものが浮かび、何より魔力が安定していない。
膨らんでは縮み、また膨らむ。まるで身体の内側で、何かが暴れているようだった。
「オーガがこんな浅いところまで出てくるなんてね」
「しかも一匹じゃねえぞ」
カインの声と同時に左側の茂みが揺れた。
二体。さらに奥に一体。
「四体か」
ダレスが大盾を構える。
「面倒だな」
「そう?」
ジルは大剣を抜き、口角を上げた。
「調べる手間が省けた」
最初の一体が地面を蹴る。
「来るぞ!」
ダレスが前へ出た。振り下ろされた棍棒を大盾で正面から受け止め、鈍い衝撃音が森に響く。
「ぐっ……!」
「ダレス!」
「問題ない! 今だ!」
「言われなくても!」
ジルが地面を蹴り、大剣を横薙ぎに振るう。刃はオーガの脇腹へ深く食い込んだが、巨体は大きく傾いただけで倒れない。
「硬っ」
「ジル、上!」
セレナの声に飛び退く。直後、二体目の棍棒が地面を大きく抉った。
「《炎槍》!」
赤い魔法陣から放たれた炎の槍が、オーガの肩を貫く。
「グオオオッ!」
「カイン!」
「はいよ!」
返事は魔物の背後から聞こえた。
いつの間に回り込んだのか、カインは死角から膝裏を切り裂く。巨体が崩れた。
「ジル!」
「ああ!」
振り上げた大剣を、その首元へ叩き込む。
轟音とともに、一体目のオーガが地面へ沈んだ。
「次! 後ろから二体!」
「ダレス!」
「任せろ!」
大盾が魔物の進路を塞ぎ、セレナの魔法が飛ぶ。その隙を縫うようにカインが駆け、ジルの大剣が振り抜かれる。
異常な魔物だろうが、四体程度なら――《紅狼の牙》の敵ではなかった。
◇
「……終わったか」
最後のオーガが地面へ倒れ、ダレスが大盾を下ろした。
「怪我は?」
「ない」
「俺も平気」
「ジル?」
「見ての通りだ」
「ならよし」
セレナが杖を下ろす。
ジルは倒れたオーガの前へしゃがみ込み、大剣の先を使って魔物の核を取り出した。
「……やっぱり、おかしい」
「何が?」
「見ろ」
掌ほどの大きさの核。その中心部が、煤でも染み込んだように黒く濁っている。
「……黒いな」
「普通はこんな色じゃないわよね」
「ああ」
セレナが魔力を探るように手を翳し、すぐに顔をしかめた。
「嫌な感じ。魔力の流れがぐちゃぐちゃ」
「……それ」
カインが呟いた。
「俺がおかしくなった時と、ちょっと似てる気がする」
ジルの表情が変わる。
「分かるのか?」
「分かるってほどじゃねえよ。ただ……あの時も、身体ん中の魔力が自分のもんじゃねえみたいだった」
「……そうか」
ジルはもう一度、黒ずんだ核を見る。
「セレナ。ガイアスから預かったやつ」
「ああ」
セレナが鞄から、小さな瓶を取り出した。
《リリアの雫》の調査を依頼してから三日。詳しい解析結果はまだ出ていないが、通常の薬には含まれていない成分が検出されていた。
これは、その成分に反応するようギルドが依頼した薬術師に作らせた簡易試薬だ。
出発前、ガイアスはそれをジルたちへ持たせていた。
『妙な魔物を見つけたら、核に垂らしてみろ』
「やってみるか」
「ええ」
セレナが核へ数滴垂らす。
一秒。二秒。
「……何も起きねえぞ」
カインが言った、その直後。
黒ずんだ部分が、ゆっくりと青紫色へ変わった。
「……」
「……反応したな」
「ってことは、《リリアの雫》に入っていたものと同じものが魔物にも?」
「まだ分からん」
ジルは首を振った。
「同じ成分なのか、似た何かに反応しているだけなのか。そこは専門家に調べさせる」
核を布へ包んだ後に、ジルは3人に告げた。
「持って帰るぞ」
「団長殿に渡すのか?」
「ああ。これは報告した方がいい」
リーンを攫った連中が扱っていた薬。地下施設にいた、魔力のおかしい魔物。そして今、王都周辺で増えている異常な魔物。
偶然にしては、重なりすぎている。
「……ん?」
カインが少し離れた木の根元で足を止めた。
「どうした?」
「これ」
土から何かが突き出している。ダレスと二人で周囲を掘ると、半ば朽ちた古い杭が現れた。
「なんだ、これ」
苔と泥に覆われ、文字もほとんど読めない。
ジルが杭の側面を手袋で拭う。
「……」
その下から、紋章が現れた。
「これ……監察局の紋章じゃない?」
「ああ」
ジルは眉を寄せた。
「なんで監察局の杭が、こんな森の奥にあるんだ?」
「さあな」
鞄から地図を取り出す。
今朝、ガイアスから渡されたものだ。魔物の異常が確認されたという場所には、いくつもの印が付けられている。
その一つが――今いる場所だった。
『この辺りを重点的に見てこい』
『ずいぶん具体的だな』
『情報が入った』
『どこから?』
『昔の伝手だよ』
『信用できるのか?』
『ああ。俺よりよっぽどな』
「……」
ガイアスが優秀なのは、ジルもよく知っている。
元S級冒険者。《竜殺し》の異名を持つ男だ。ギルド長となった今も、王都中に情報網を持っている。
だから異変の場所を知っていても、おかしくはない。
――だが、正確すぎる。
「……仕事が早すぎるんだよな」
「ん?」
カインが振り返る。
「ガイアスのおっさんが?」
「ああ」
「そりゃギルド長だし、昔の伝手くらいあるだろ」
「……まあな」
その通りだ。それだけなら何もおかしくない。
だが、指定された場所には本当に異常な魔物がいた。その核は《リリアの雫》と同じ試薬に反応し、すぐ傍からは監察局の封鎖杭まで出てきた。
偶然にしては、出来すぎている。
「ジル」
ダレスが呼ぶ。
「どうする?」
「決まってる。核と杭を持って帰る」
「ガイアスに?」
「……いや。先にレオンハルトに見せる」
カインが眉を上げた。
「ガイアスのおっさんには?」
「まだ何も決まってない。変に疑う必要もないだろ。ただ――」
ジルは畳んだ地図へ視線を落とした。
「この情報をどこから仕入れたのか。それくらいは聞いておいた方がよさそうだ」
「了解。俺、おっさんに睨まれるの嫌だから、聞くのはジルな」
「お前が聞け」
「やだよ」
「なら囮になれ」
「もっと嫌だわ!」
「はいはい。帰るわよ」
セレナが呆れたように笑い、ダレスも歩き出す。
ジルは最後に森の奥を振り返った。
木々の向こうは暗い。風に乗って、微かに獣の唸り声が聞こえてくる。
これで終わりではない。
理由はまだ分からない。
ただ――森の中で何かが起きている。
それだけは、間違いなかった。
カイン、いつかレオンから魔法をぶち込まれるでしょうね(笑)
続きは明日の夜になります。




