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薬術師リーンは騎士団長の監視対象です ~隣国のスパイ容疑をかけられましたが、なぜか最強騎士に囲われています~  作者: 空乃葉
第一部/3章 封じられていた記憶

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ep.35 口封じ


 ――翌日


 レオンハルトはアルヴィンとともに、王城の廊下を歩いていた。


 向かう先は地下牢。

 目的は、ロブの再聴取だった。


 十四年前の研究。森の奥へ移送された子供たち。

 記録に残された四つの記号。


 そして、《アルケイア》


 古い記録を調べたことで、分からないことはむしろ増えた。


 だが、少なくとも十四年前の研究にロブが関わっていたことは間違いない。


 ならば、本人から聞き出すしかない。


「あの男は?」


「昨日まで取り調べには応じています。ただ、相変わらず自分の研究の正当性を主張しているようですが」


「反省は」


「期待するだけ無駄でしょうね」


「そうか」


 レオンハルトの声が僅かに低くなる。


 アルヴィンが横目で見る。


「レオン」


「何だ」


「今日は氷を撃ち込まないでくださいね」


「……撃たないさ」


「今、少し考えましたね?」


「気のせいだ」


「ならいいんですが」


 まったく信用していない顔でアルヴィンが笑う。角を曲がったところで、前方から数人の男たちが歩いてきた。


 その中央にいる男を見て、レオンハルトが足を止める。


「アストレア閣下」


「これはガーディナス卿」


 ダミアン・アストレア。王国の監察を担うアストレア公爵家の当主であり、監察総長でもある男だ。


 ダミアンは供の者たちを先へ行かせると、レオンハルトたちへ向き直った。


「随分と忙しそうだな」


「少し調べることがありまして」


「例の薬術師が攫われた件か?」


 レオンハルトの目が僅かに細くなる。


「……なぜそれを。いえ、愚問でしたね」


「王城内で起きた事件だ。監察を預かる私の耳にも入る」


 ダミアンは特に気にした様子もなく答えた。


「偽の侍女が城内へ入り込み、堂々と人一人を連れ出した。監察局としても看過できる話ではない」


「調べているのですか」


「当然だ。入城記録と当日の人員配置については、こちらでも洗わせている」


 ダミアンは僅かに眉を寄せた。


「聞けば、侍女に化けていた者は男だったそうだな」


「……ええ」


「しかも、入城時には変装していなかった。ならば城内へ入ってから、何らかの手段で姿を変えたことになる」


 アルヴィンが静かに口を挟む。


「我々も同じ見解です」


「厄介だな」


 ダミアンは小さく息を吐いた。


「城内に協力者がいる可能性があるとは」


「……」


「必要なら監察局の記録も回そう。王城内で起きたことなら、こちらにも責任がある」


「助かります」


「構わない。むしろこちらから頼みたいくらいだ。何か分かれば私にも知らせてくれ」


「はい」


 ダミアンは頷くと、懐中時計を確認した。


「では、私はこれで失礼する。会議があるのでな」


 軽く会釈し、ダミアンは去っていく。

その背を見送ったあと、アルヴィンが口を開いた。


「監察局が協力してくれるなら、調べられる範囲は広がりますね」


「…ああ」


ただ、レオンの中に、ほんの僅かな違和感だけが残った。


「まずはロブですか」


「時間が惜しい。話せるうちに聞くぞ」


 二人は再び歩き出した。


 この時、レオンハルトはまだ知らなかった。

 その機会が、すでに失われていることを。


     ◇


 地下牢へ続く階段を下りている途中だった。


「団長!」


 慌ただしい足音とともに、一人の騎士が駆けてくる。


「どうした」


「ロブの様子が……!」


 レオンハルトの表情が変わった。


「何があった」


「分かりません。今朝、食事を運んだ時には、すでに……」


 最後まで聞く前に、レオンハルトは歩き出していた。


牢の前には数人の騎士と、王城付きの医師がいる。

鉄格子の向こうにロブは寝台の端に座っていた。


 俯いたまま、動かない状態で。


「ロブ」


 反応がない。


「顔を上げろ」


 しばらくして、ゆっくりと顔が上がった。

 レオンハルトの眉が寄る。


 目が、合っていない。焦点の定まらない瞳が、何もない空間を見つめている。


「……誰だ」


 掠れた声だった。


 アルヴィンの表情が変わる。


「私が分かりますか?」


「……誰だ」


「名前を言えますか」


「名前……」


 ロブはぼんやりと呟く。


「……何だったか」


 レオンハルトが医師を見る。


「どういうことだ」


「まだ詳しく調べているところですが、記憶にかなり深刻な障害が出ています。自分が誰なのかすら曖昧な状態です」


「昨日はどうだった」


「正常だったと聞いています」


「…薬物か」


「その可能性を疑っています。ただ、一般的な毒ではありません。薬と魔術を併用された可能性もあります」


 レオンハルトは再びロブを見る。


「十四年前」


 僅かに肩が動いた。


「アルケイア」


「……」


「G-R」


「……」


「森の研究施設」


 反応はなかった。

 ロブはただ、虚ろな目で床を見つめている。


「……薬……」


「何だ?」


「薬……研究……完成……」


 それだけだった。


 アルヴィンが静かに息を吐く。


「これは……」


「ああ」


 偶然ではない。昨日まで話せた男が、十四年前の記録を調べ始めた直後にこうなった。


 出来すぎている。


「昨夜から今朝まで、誰かここへ来たか」


 レオンハルトが振り返る。

 警備を担当していた騎士が答えた。


「医師と食事係。それから、薬術院のエヴァルト・ノクティス殿です」


「エヴァルト卿?」


「はい。ただ、ロブとの面会記録はありません。この区画に来たのは別件だったようで」


「何の用だ」


「そこまでは……。先ほど出ていかれました。会議があると」


 レオンハルトとアルヴィンの視線が合った。


「エヴァルト・ノクティス……」


 レオンハルトが低く呟く。


 リーンの力に異様な興味を示していた男。

 ロブと同じ王立薬術院に所属する研究者。


「調べますか?」


「全部あらえ」


「承知しました」


「医師と食事係もだ。食事、飲み水、薬。ロブの口に入ったものはすべて回収しろ」


「はい!」


 騎士が走っていく。


 アルヴィンはしばらく牢の中を見つめていた。


「殺さなかったのが妙ですね」


「死ねば騒ぎになる」


「何も話せなくしてしまえば、生かしておいても問題ない、と」


「ああ」


「……口封じ、ですか」


 レオンハルトは答えなかった。

 だが、否定もしなかった。


「だとすれば、一つ分かったことがあります」


「何だ」


「私たちが何かしらの真実に近づいている証拠でしょう」


 十四年前の研究を。《アルケイア》を。

 知られたくない誰かが、今もいる。


 そして、こちらの動きを把握している。


 レオンハルトの脳裏に、先ほどのダミアンの言葉が蘇る。


 ――城内に協力者がいる可能性がある。


「……内側から洗うぞ」


「ええ」


 アルヴィンはいつもの笑みを消して頷いた。


     ◇


「どういうことだ!」


 扉が乱暴に開いた。

 静かな室内に、怒声が響く。


 執務机の向こうに座っていた男は、書類から顔すら上げなかった。


「声を落としたまえ、エヴァルト君」


「ロブが壊された!」


「それが?」


 エヴァルトの顔が歪んだ。


「それが、だと?」


 男はようやく書類を置いた。


「気の毒なことだ」


「とぼけるな! 昨日まで正常だった人間が、一晩で自分の名前すら分からなくなった!」


「それを私に言われても困るな」


「あれほど綺麗に記憶だけを潰せる薬を扱える人間など限られている!」


「ならば、その人間を探せばいい」


「私を馬鹿にしているのか」


「まさか」


 男は薄く笑った。


「君は優秀な研究者だ。だからこそ、憶測と事実を混同しない方がいい」


「あいつの頭には研究記録が残っていた!」


 エヴァルトは机へ手をついた。


「十四年前の術式もだ。失われた実験結果も、あの男の記憶には残っていた!」


「それが何だ」


「それを壊したんだぞ!」


 男の目が僅かに細くなる。


「随分とロブを高く評価しているんだな」


「人間として評価しているわけではない!」


 エヴァルトは即答した。


「資料としてだ!」


 男が小さく笑う。


「実に君らしい」


「笑うな!」


 エヴァルトはさらに身を乗り出した。


「私は聞いていない。ロブを処理するなど、一言も!」


 その瞬間。

 男の表情から笑みが消えた。


「なぜ君に伝える必要がある?」


「……何?」


「すべての判断を君に報告する義務が、私にあったかな」


 室内の空気が変わった。


「我々は……同じ研究を進めてきたはずだ」


「我々?」


 男が僅かに首を傾ける。


「君は少し、自分の立場を勘違いしているようだね」


「……」


「君には君の研究をさせた。それだけだ」


 エヴァルトの表情が固まった。


「まさか……」


「何だ」


「私も切るつもりか」


 男は答えない。

 答えないこと自体が、答えだった。


 エヴァルトの頭の中で、これまでの記憶がつながっていく。


 薬品。


 魔石。


 研究費。


 魔道具。


 ロブとのやり取り。


 承認を求められた書類。


 そこに記されていたのは――


「……私の名前ばかりだ。最初からか」


「何の話だ」


「何かあった時、すべて私の研究に見えるようにしていた」


「被害妄想は感心しないな」


「黙れ」


 エヴァルトの声が低くなる。


「違法薬品も。魔物への投薬も。ロブの研究も。調べればすべて私へ辿り着くようになっている」


「随分と想像力が豊かだ」


「……」


 エヴァルトは男を睨みつけた。


 その時、ある言葉が脳裏を過ぎった。

古い研究について調べていた時、偶然目にした名。


「……アルケイア」


 男の指が止まった。


 ほんの一瞬。

 だが、エヴァルトは見逃さなかった。


「やはり知っているな」


「何のことだ」


「今、反応した」


「くだらない」


「《アルケイア》とは何だ」


 男はゆっくりと椅子へ背を預けた。


「その名を、どこで知った?」


 エヴァルトの目が細くなる。

 そして、笑った。


「……なるほど」


「何がおかしい」


「ようやく一つ分かった」


「何がだ」


「私が知らされていないものが、まだあるとは」


 男の目から笑みが消えた。


「エヴァルト」


「貴様は私を良いように使ったつもりだろう」


 エヴァルトは机から手を離す。


「私の研究欲を利用して、必要なものを与え、好きなだけ研究させた」


 一歩、後ろへ下がる。


「そして用済みになれば、すべてを私に被せて捨てる」


「随分と芝居がかった解釈だ」


「そうかもしれんな」


 エヴァルトの口元が歪む。


「だが、私は研究者だ」


「……」


「疑問を放置するのが、何より嫌いでね」


 踵を返す。


「どこへ行く」


「研究室だ」


「何をするつもりだ」


「仕事だよ」


 エヴァルトは振り返らない。


「私には、まだ調べたいことが山ほどある」


 扉が閉まり、静寂が戻る。

執務机の向こうの男は、しばらく扉を見つめていた。


 やがて、机の上の呼び鈴へ、静かに手を伸ばす。


「……予定を早める必要がありそうだ」


     ◇


 ――深夜


王立薬術院の研究室で、エヴァルトは一人、机に向かっていた。


 研究費。


 薬品の発注書。


 魔石の搬入記録。


 魔道具の使用申請。


 一枚ずつ確認する。


「……見事だ」


 乾いた笑いが漏れた。

 どこを見ても、自分の名前がある。


 逆に、自分へ指示を出していた者の名前は、どこにもない。


「最初から、そういうことか」


 エヴァルトは椅子へ深く腰掛けた。


 腹が立った。利用されたことではない。研究のためならば、多少の利害関係など承知の上だった。


 だが、自分だけが何も知らず、他人の掌の上で動かされていたことが気に入らない。


 ましてや最後には、自分一人にすべてを被せるつもりだった。


「私を馬鹿だと思っていたらしい」


 エヴァルトは立ち上がる。


「……いいだろう」


 机の引き出しを開けた。


 奥から、小さな鍵を取り出す。

 研究室の隅にある棚の最下段。


 薬瓶をどかし、奥の板を外す。

 その向こうから、一冊の薄い帳面を取り出した。


 誰にも見せていない記録だった。


 研究に使った薬品。


 魔石。


 特殊な魔道具。


 それらが、いつ、どこから届いたのか。


 エヴァルトは以前から密かに記録していた。


 誰かを疑っていたわけではないが、ただの研究者としての癖だ。出所の分からない材料では、同じ結果を再現できない。


 再現できない研究など、研究とは呼べない。


「こんな形で役に立つとはな」


 帳面を開く。


 表向きの発注元とは異なる荷。


 存在しない業者。


 同じ印のついた搬入箱。


 指定された日時。


 指定された倉庫。


 名前はない。


 だが、経路は残っている。


 エヴァルトは新しい頁を開いた。


 ペンを取って、一度、止めた。


 そして、相手の名前は書かなかった。


 この研究室が調べられない保証はない。

 ならば、名前そのものを残すのは危険だ。


 代わりに書いたのは、今日の日付。会った場所。


 そして――


 ――《アルケイア》


 その名を口にした瞬間、相手が反応したこと。

 どこでその名を知ったのかと尋ねられたこと。


 それだけを記す。

 直接の証拠にはならない。


 だが、他の記録と組み合わせれば、いずれ誰かが辿り着く。


「私にすべてを被せるつもりらしいが」


 誰もいない研究室で呟く。


「実に不愉快だ」


 エヴァルトの口元に薄い笑みが浮かぶ。


「私が愚かだったことは認めよう」


 帳面を閉じる。


「だが――」


 その目が冷たく細められた。


「無能だった覚えはない」


 エヴァルトは帳面から数枚の記録を書き写した。


 一つには搬入経路


 一つには研究資材


 一つには《アルケイア》


 同じ場所には置かない。

 一つが見つかっても、すべては消せないように。


 そして最後の一枚だけを封筒へ入れた。


 封をして表には、自分の名前を残さないように、何も書かなかった。

 

 だが、名前がなくても辿れるものを残してやればいい。


 人は消せる。記憶も壊せる。記録も燃やせる。


 だが――


 すべてを同時に消すことはできない。


 エヴァルトは研究室の灯りを消した。


暗闇の中、誰にも知られていないいくつもの証拠が静かに残された。

追記:続きは明日の夜になります!宜しくお願いします。

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