ep.33 師匠 後半
再び、師匠視点がメインです
「ずいぶん元気になったな」
「あの時は世話になった」
「世話したつもりはない」
ローウェンは顎で椅子を示した。
「座ればいいだろう」
「ああ」
レオンハルトが腰を下ろす。
ローウェンも向かいへ座った。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
先に沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。
「まともに礼を言えていなかった。あなたたちのおかげで命拾いした」
ローウェンが僅かに眉を上げる。
「今さら、それを言うために来たのか」
「いや」
「だろうな」
あまりにも早い返答に、レオンハルトが僅かに目を細めた。
「礼ならいらない。つきっきりでお前を治したのはリーンだ」
「分かっている」
「なら本人に言え」
「彼女には伝えた」
「……そうか」
ローウェンはレオンハルトを見た。
リーンから届いた手紙。カインから聞いた話。この男の保護下にいることは知っている。
少なくとも、リーン本人はそれを嫌がっている様子ではなかった。だから、これまで口を挟まなかった。
だが――
数日前に感じた、封印の揺らぎ。そして、長い間沈黙していたペンダントの微かな反応。
そこへ今日、何の前触れもなく黒曜騎士団長本人が姿を隠して訪ねてきた。
嫌な予感しかしない。
「それで?」
ローウェンが腕を組む。
「騎士団長様がわざわざ顔を隠して、こんなところまで何の用だ。リーンはいつ帰ってくる」
「聞きたいことがある」
「俺に?」
「ああ」
「何を」
レオンハルトは、すぐには答えなかった。
その様子を見てローウェンの目つきが変わる。
「その前に一つ聞く」
「なんだ」
「リーンはどうしてる」
レオンハルトの瞳が、ほんの僅かに揺れた。
それをローウェンは見逃さなかった。
「答えられないのか」
「……」
「リーンに何があった」
レオンハルトが口を開く。
「先日、城で攫われた」
ローウェンの動きが止まった。
「……何?」
「今は救出している。命に別状はないから安心してくれ」
数秒、ローウェンは何も言わなかった。
「……騎士団長が保護していながら?」
「ああ」
「攫われただと?」
「俺の責任だ。すまない」
「責任なんか聞いてない」
声は荒げていない。
それなのに、店の空気が一瞬で張り詰めた。
「どうして攫われた」
「薬術院の人間に目をつけられた」
「……薬術院?」
「ああ」
ローウェンの表情が僅かに変わった。
「実行犯は」
「ロブという薬術師だ。今は拘束している」
「……ロブ」
ローウェンが低く繰り返す。知らない名だった。だが、薬術院の人間がリーンを攫った。
それだけで十分だった。十四年前から胸の奥に沈めていた嫌な予感が、輪郭を持ちはじめる。
「それで?」
ローウェンは先を促した。
「その男がリーンに何をした」
「王都郊外の施設へ連れ込み、星露草の在処を吐かせようとした。それだけじゃない」
レオンハルトの声が低くなる。
「奴が研究していた精霊親和性を測る魔道具を、リーンに使ったら魔道具は壊れた」
ローウェンの指先が僅かに動いた。
「それを見た男が、リーンにあることを言っていた」
「……何を」
今度は、ローウェンから聞いた。
「こんな反応を示したのは、十四年前にいた子供以来だと」
「……」
ローウェンの表情が消えた。
「リーンは十九だ」
「……」
「十四年前なら、五歳になる。リーンから、その頃にあなたに拾ってもらったと聞いている」
ローウェンは動かない。
「そして、その男はリーンを見てさらに言った」
レオンハルトは一拍置いたのちに続けた。
「『お前、あの時の子供か』と」
「……」
ローウェンの手が、ゆっくりと拳を作った。
レオンハルトはそれを見逃さなかった。
「やはり、何か知っているんだな」
「……」
「十四年前、リーンに何があった」
ローウェンが顔を上げた。
先ほどまでとは違う目で、レオンハルトを見る。
「リーンは…」
「?」
「何か言っていたのか」
「その時は何も。オレが駆けつけた時には施設で魔力を暴走させていた。救出した時には魔力を使いすぎて気を失ったが、その後、意識は数時間で戻ったんだ。だが…それ以降、眠りながら何かに怯えている」
ローウェンの顔が強張った。
「『やめて』」
指先が動く。
「『痛い』」
「……」
「それから――」
レオンハルトは、まっすぐローウェンを見る。
「『師匠、助けて』と寝ながら言っているのを何回か耳にした」
「……っ」
初めてローウェンの表情が、明確に崩れた。
それは一瞬で、すぐにいつもの無表情へ戻ったが、見逃すレオンハルトではなかった。
「ローウェン殿」
「……」
「あなたは知っているんだろう。リーン自身が覚えていない、十四年前のことを」
「……」
「話してくれ」
長い沈黙のあと、ローウェンが口を開いた。
「お前に話して、何になる」
「リーンを守るために必要なんだ」
「守る?」
ローウェンの目が鋭くなる。
「お前が傍にいて、それでも攫われたくせにか」
「……ああ」
レオンハルトは反論しなかった。
「二度とあんな目にはあわせないと誓う」
「簡単に言うな」
「簡単に言っているつもりはない」
レオンハルトの声は静かだった。
「俺が知らないせいで、またリーンを危険に晒すくらいなら、知っておきたい」
「知ったところで、お前に何ができる」
「できることは全部する」
「……」
「だから教えてくれ」
二人の視線がぶつかった。
ローウェンは目を逸らさない。
だが、レオンハルトも同じだった。
「リーンは、お前が思っているほど単純なものを背負ってるわけじゃない」
「なら、なおさらだ」
「……」
ローウェンはしばらく、その顔を見ていた。
そして、小さく息を吐く。
「……面倒な男に捕まったな、リーン」
「何?」
「こっちの話だ」
ローウェンは椅子の背へ身体を預けた。
まだ、話すとは言っていないが、レオンハルトも急かさなかった。
静かな薬屋の中。リーンを育て、過去から守ってきた保護者と、今、リーンを守ろうとしている男。
二人はしばらく、互いを見定めるように向き合っていた。
やがてローウェンが、低く口を開く。
「……まず、リーンの今の状態を最初から全部話せ」
レオンハルトが目を上げる。
「ああ」
そしてレオンハルトは話した。
リーンが攫われた経緯。地下施設で見つけたこと。檻に入れられていた魔物をみたこと。今は見ない古い魔道具。リーンを庇って重傷を負った若い薬術師のこと。ロブが口にした、十四年前の研究。
そして――
リーンが魔力を暴走させた時のことを。
ローウェンは一度も口を挟まなかった。ただ、最後まで聞き終えたあと、深く息を吐いた。
「……そうか」
数日前に感じた封印の揺らぎ。あれは、この時だったのだ。そしておそらく、あのペンダントが反応したのも。
「一つ確認する」
「なんだ」
「リーンが暴走した時、首に掛けているペンダントに何か変化はなかったか」
レオンハルトが僅かに眉を寄せた。
「……光っていたな」
ローウェンの目が細くなる。
「そうか」
「何か知っているのか」
「いや」
「だが今――」
「知らないと言っただろう」
レオンハルトが黙る。ローウェンは机へ視線を落とした。
「あれは、俺がリーンに与えたものじゃない」
「……?」
「十四年前。あいつを見つけた時から、首に掛かっていた」
レオンハルトの表情が変わった。
「何度か調べたが、魔道具であることは間違いない。だが、術式の全容は読めなかった」
「鑑定には出したのか?」
「ああ、結果は一緒だ」
ローウェンは短く答えた。
「だから、そのまま持たせていた。本人も大事にしていたからな」
「誰が与えたものかは?」
「知らん」
「リーンの家族については」
「それも知らん」
レオンハルトが黙り、ローウェンはしばらく考えたあと、ようやく口を開いた。
「十四年前――俺がリーンを見つけた時、あいつは一人だった」
レオンハルトの目がローウェンへ向く。
「森の奥に、古い遺跡があった。すでに酷く壊れていた。何かがあった直後だったんだろう」
「そこでリーンを?」
「ああ」
ローウェンの視線が、遠いものを見るように細くなる。
「まだ小さかった。傷だらけで、意識もほとんどなかった」
十五年近く前の光景を思いだす。
崩れた石壁。土と血の匂い。そして、その中心に倒れていた小さな少女。
「身元が分かるものは?」
「何もなかった。名前すら分からなかった」
「だから、あなたがリーンと名付けた」
「ああ」
レオンハルトは一瞬考える。
「では、リーンという名前も本名ではないのか」
「少なくとも、俺が知る限りではな」
「……」
淡々とローウェンが言った。
「近隣の町も村も回った。行方不明の子供も調べた。だが、あいつに該当する子供はどこにもいなかった」
「……どこにも?」
「ああ」
ローウェンの目が僅かに細くなる。
「まるで、最初からこの辺りには存在していなかったみたいにな」
レオンハルトが黙り込む。その言葉を、頭の片隅へ刻むように。
「ただ――妙なことはあった」
「妙なこと?」
「精霊だ」
「……精霊?」
「あいつの周りにいた」
ローウェンの声が僅かに低くなる。
「一体や二体じゃない。小さな精霊たちが、あいつを囲んでいた。ほとんど力を失っていて、消えかけている奴までいた」
ローウェンは目を伏せた。
「それでも、リーンから離れようとしなかった」
「待ってくれ!あなたは精霊がみえるのか?」
ローウェンの思わぬ話に、驚愕したレオンハルトが問いかける。
「あぁ。だがな、そんなのは問題じゃない。リーンについてだ。」
レオンハルトの脳裏に、地下施設で見た光景が過る。魔道具が砕けるほどの、異常な精霊親和性。
「まるで精霊が見守っていたように感じた」
「……」
「リーンは昔からそうだ」
ローウェンは静かに続ける。
「あいつが呼ばなくても、精霊の方から寄ってくる」
ほんの僅かに、ローウェンの表情が和らいだ。
「……あの子は、最初から精霊に愛されていた」
レオンハルトは何も言わなかった。だが、その言葉を忘れることはなかった。
「それからしばらくして、リーンは悪夢を見るようになった」
ローウェンの声が再び低くなる。
「最初は時々だった。だが、日に日に酷くなった」
「どんな夢だ」
「分からない。本人もまともに説明できなかった」
ローウェンは眉を寄せる。
「『痛い』『やめて』『帰りたい』。そんな言葉を繰り返していた」
レオンハルトの目が僅かに見開かれる。今、リーンが眠りながら口にしているものと同じだった。
「夜中に突然起きて、自分がどこにいるのか分からなくなることもあった。そのうち魔力まで不安定になっていった」
「それで……」
「ああ」
ローウェンはレオンハルトを見る。
「俺が記憶を封じた」
「……」
「全部じゃない」
ローウェンは続ける。
「あいつを壊しかねない部分だけだ」
「十四年前の施設の記憶か」
「おそらくな」
「おそらく?」
「俺も、あいつがそこで何をされたのかまでは知らない」
ローウェンの目が鋭くなる。
「だが、何者かが子供を集めていたことは調べて分かった」
「子供を?」
「ああ」
「何のために」
「精霊との親和性が高い者を使った研究だ」
レオンハルトの表情が険しくなる。
「今回の施設と同じか」
「確証はないが、似ているよ」
「……」
「ただ、十四年前の研究はもっと大きかった」
ローウェンは少し間を置いた。
「俺が辿れた記録では、集められた子供はこの国の人間だけじゃない」
レオンハルトの目が変わる。
「どういう意味だ」
「出身が分からない子供が何人もいた。国境を越えて運ばれたという話も残っていた」
「どこからだ」
「そこまでは分からなかった」
ローウェンは首を振る。
「記録の大半が消されていたからな」
「……」
「誰が研究を始めたのか。誰が金を出していたのか。子供をどこから集めていたのか」
ローウェンの声が冷える。
「十四年調べても、全部は辿れなかった」
レオンハルトは考え込む。
国内だけではない。国境を越えて子供を運ぶ経路。それが今も存在するのなら――
「ロブは、その研究に関わっていたと思うか」
「十四年前から関わっていたのなら、可能性はある」
「本人に聞いて吐かせるさ」
「好きにしろ」
ローウェンは短く答えた。
「ただし」
レオンハルトを見る。
「リーンを巻き込むな」
「そのつもりだ」
「ならいい」
ローウェンはそこで一度言葉を切った。
そして――
「もう一つ」
「なんだ」
「今話したことを、リーンには言うな」
レオンハルトの眉が僅かに動いた。
「ずっと隠しておくつもりか」
「……」
「今回、記憶が戻り始めている」
「分かってる」
「なら――」
「今は、だ」
ローウェンが遮った。
「今のあいつに、全部一度に背負わせる必要はない」
レオンハルトは黙る。その意見に異論はなかった。
「いつかは話す必要があるだろう」
「……分かってる」
ローウェンは不機嫌そうに答えた。
「いつまでも隠しておけるとは思ってない」
「ならいいさ」
「お前に言われたくないがな」
「……」
しばらく沈黙が落ちた。やがてローウェンが、じっとレオンハルトを見る。
「それにしても」
「なんだ」
「随分と大事らしいな」
「……何がだ」
「リーンだよ」
レオンハルトが黙った。
ローウェンの眉が僅かに上がる。
「否定しないのか」
「……守ると決めている」
「そうか」
それだけ言うと、ローウェンは立ち上がった。
棚から薬瓶を一本取り出す。
「持っていけ」
「これは?」
「眠りを深くする薬だ。悪夢そのものを消すものじゃない。今は身体を休ませる方が先だ」
レオンハルトが受け取る。
「……助かる」
「礼はいらない」
ローウェンは背を向けた。
「さっさと戻れ」
「ああ」
「それと」
レオンハルトが振り返る。ローウェンは薬草を整理しながら、こちらを見ないまま言った。
「次はないと言ったな」
「ああ」
「忘れるなよ」
「もちろんだ」
短い返事だった。だが、迷いはなかった。
ローウェンはそれ以上何も言わなかった。
やがて扉の鈴が鳴り、レオンハルトが店を出ていく。
外で待っていた男――グレンとともに馬へ向かう気配が遠ざかっていった。
◇ ◇
『行っちゃったね』
誰もいなくなった店内に、シルフィーの声が響く。
「ああ」
『リーンのこと、随分心配してた』
「見れば分かる」
『ローと同じね』
「一緒にするな」
『ふふっ』
「笑うな」
ローウェンは机の上に置かれたリーンの手紙へ目を落とした。
十四年前。研究。国境を越えて集められた子供たち。そして、今になって動き始めたペンダント。
嫌なものが、少しずつ繋がり始めている。
だが――
ローウェンは目を細めた。
気になるのは、それだけではない。
数日前に感じたもの。
自分が封じた記憶の、そのさらに奥。
そこに眠る――ローウェン自身にも覚えのない何か。
「……何を隠してるんだ、お前は」
当然、答えは返ってこない。窓から入り込んだ風が、机の上の手紙を僅かに揺らした。
『ロー』
「なんだ」
『もし、あの子が全部思い出したら?』
「……」
ローウェンは答えなかった。
ただ、ずっと昔。傷だらけの小さな少女を取り囲んでいた、消えかけの精霊たちを思い出す。
あの時から、普通の子供ではないことくらい分かっていた。
それでもローウェンにとっては――
「……リーンは、リーンだ」
それだけだった。
愛されてますね、リーン!(*^^*)
本人だけが気づいていない 笑
続きは、また明日の夜になります。




