ep.32 師匠 前半
師匠視点です
――リーンがカインに頼みごとをした日
王都から離れた、小さな町。
大通りから一本外れた路地に、古びた薬屋がある。色褪せた看板の下には乾燥させた薬草がいくつも吊るされ、開け放した窓からは独特の青臭い香りが漂っていた。
店の奥で、ローウェンは薬草を選り分けていた。
「……これは駄目だな」
摘まみ上げた葉を眺め、眉を寄せる。乾燥が足りない。もう一日、いや、この湿気なら二日は必要だ。
別の籠へ放り込んだ、その時だった。
――カラン
店の扉につけられた鈴が鳴った。
「よ!じーさん、久しぶり!その節は世話になったな!生きてたか!」
「……」
聞き覚えのある声に、ローウェンはゆっくりと顔を上げた。
入口には、旅装姿の金髪の男が立っていた。日に焼けた顔に浮かんでいるのは、昔見た時と変わらない人懐っこい笑み。
「なんだ。どこぞの青二才かと思ったら、お前か」
「久しぶりの第一声がそれかよ!」
「うるさい」
「もうちょっとあるだろ。久しぶりだなとか、元気だったかとか」
「見れば分かる」
「相変わらずだな、じーさん!」
「帰れ」
「まだ入ったばっかりだろ!」
文句を言いながら、カインは勝手に店の中へ入ってくる。ローウェンは止めることもなく、再び薬草へ視線を戻した。
「で、何しに来た。昔話をしにきたわけじゃないだろ」
「話が早いな」
「お前がわざわざ俺のところまで来る理由なんて、そう多くない」
「まあな」
カインは懐を探り、一通の手紙を取り出した。
「実は王都でリーンと会って、手紙を預かってきた」
薬草を選っていたローウェンの手が止まる。
「……リーン?」
「ああ」
差し出された手紙を受け取る。そこに書かれた文字には見覚えがあった。
間違いなく、リーンの字だ。
封を切り、目を通す。
王都で起きている魔力異常。星露草を使った薬のこと。月雫の星露草が欲しいこと。そして、薬術院について知っていることがあれば教えてほしいという頼み。
「……」
最後まで読み終え、ローウェンは小さく息を吐いた。
「また面倒なことに首突っ込んでるな、あいつは」
「俺もそう思った」
「止めろ」
「止めて聞くと思うか?」
「思わない」
「だろ?」
即答だった。カインが苦笑する。
「まあ、元気だったぞ」
「聞いてない」
「顔に書いてある」
「どこに」
「その辺」
「帰れ」
「だから扱いが雑なんだって!」
カインが笑う。ローウェンは手紙を畳み、もう一度その文字へ視線を落とした。
ガーディナス家へ移ってからも、リーンからは何度か手紙が届いている。
王都での暮らし。
薬を作っていること。
騎士団の人間たちのこと。
そして――レオンハルト・ガーディナスのことも。
本人は何気なく書いているつもりなのだろう。だが、ローウェンには分かっていた。かつて自分とリーンが森で助けた男。その男が今、巡り巡ってリーンを保護している。
妙な縁だとは思う。もっとも、それで安心できるかどうかは別の話だが。
「それで?」
ローウェンが顔を上げる。
「お前はこれを届けるためだけに来たのか」
「いや。俺も少し調べてみるつもりだ」
「薬術院を?」
「ああ。それと、最近起きてる魔力異常についてもな。実際に俺がなっちまってさ、リーンが助けてくれたんだ」
「……」
「リーン一人にやらせるわけにもいかないだろ」
「そうだな」
「お、珍しく意見が合った」
「だからお前が全部やれ」
「そういう意味!?」
ローウェンは無視して、手紙を机へ置いた。
薬術院。その名を聞くと、どうしても古い記憶が引っかかる。
精霊親和性。
魔力干渉。
そして、人を使った研究。
かつて調べたものの、辿り着けなかったものがある。
十四年前のあの日以来、完全に消えたとは思っていない。
「ただし、薬術院には深入りするな」
カインの表情が変わった。
「……なんでだ?」
「ろくなところじゃない」
「それだけ?」
「それで十分だ」
「じーさん」
「なんだ」
「あんた、何か知ってるだろ」
「……」
ローウェンは答えない。
その沈黙だけで、カインには十分だったらしい。
「リーンに関係あることか?」
「お前に話すことはない」
「俺じゃなくて、リーンには?」
「ない」
「本当に?」
ローウェンが顔を上げた。
「カイン」
低い声だった。それだけで、カインから笑みが消える。
「余計なことまで首つっこむな」
「……」
「リーンに頼まれたお使いだけしてろ」
「その言い方じゃ、余計気になるんだけどな」
「忘れろ」
「無茶言うなよ」
「なら黙ってろ」
「はいはい」
カインは肩を竦めた。ローウェンはそれ以上、何も言わなかった。
言う必要はない。いや、知らない方がいい。
リーンも、カインも。
知らずに済むのなら、その方がいい。
◇ ◇
月雫の星露草を渡して、カインが帰ったあとローウェンは一人、店の奥にいた。
机の上には、リーンからの手紙が置かれている。
薬術院。
魔力異常。
星露草。
偶然だと言ってしまえば、それまでだ。だが、どうにも胸騒ぎがする。
「……まったく」
昔からそうだった。放っておけば、自分から厄介事へ近づいていく。本人にそんなつもりはないのだろう。困っている者を見つければ放っておけない。ただそれだけだ。だから余計に質が悪い。
「少しは自分の心配をしろ」
聞いていない本人へ向かって呟き、ローウェンは手紙を畳んだ。
その時だった。
「……?」
胸の奥に、小さな違和感が走った。ローウェンの手が止まる。
何だ、今のは。
目を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。遠い、遥か遠くにあるものを、細い糸を辿るように探る。
やがて、ローウェンの表情が変わった。
「……まさか」
椅子を引く音が、静かな店内に響いた。
長い間、何の変化もなかったもの。リーンの奥深くに沈めた記憶。
十四年前、夜ごと悪夢にうなされ、時には自分がどこにいるのかさえ分からなくなった幼いリーンを守るため、ローウェン自身が幾重にも封じたもの。
それが――僅かに揺れている。
「……?」
ローウェンは眉を寄せた。
違う、揺れているのは、それだけではない。
封印のさらに奥。もっと深いところで――何かが呼応している。
自分が触れた覚えのないもの。
いや、そもそも、そこに何かが存在していたことすら、今まで気づかなかった。
「……なんだ、これは」
その時、店内に吊るされた薬草がふわりと揺れた。風が集まり、小さな光を纏ってシルフィーが姿を現す。
「……何があった」
『どうやら、リーンにかけた封印に綻びが生じたようよ』
「分かってる」
『でも、それだけじゃないみたい』
ローウェンがシルフィーを見る。
「お前も感じたか」
『ええ』
シルフィーは少し考えるように宙を漂った。
『あの子が昔から持ってる石も、少し変』
「……ペンダントか?」
『うん。ずっと眠っていたのに……ほんの少しだけ、目を覚ましたみたい』
「……」
ローウェンは黙り込んだ。
あのペンダントは、リーンを見つけた時から首に掛かっていたものだ。
何度か調べたこともある。ただの装飾品ではないのは分かっている。何らかの術式が組み込まれていることまでは分かった。だが、どれだけ調べても、その全容を読み解くことはできなかった。
やがて、リーン自身が大切にしていることもあり、そのまま持たせていた。
十四年間、何の反応も見せなかったものが――今になって。
「……偶然じゃないな」
『私もそう思う』
封印が解けたわけではない。だが、綻びはじめている。閉ざしていた記憶を、内側から叩くような何かが起きたのか。
『ロー、リーンのところへ行かないの?』
「……」
王都へ向かうべきか。一瞬、そう考える。しかし、ローウェンは動かなかった。
まだ封印は保たれている。
それに――十四年前、あの場所にいた者たちが、全員消えたとは思っていない。誰が生き残り、今どこで何をしているのか。ローウェンにも分からなかった。
だからこそ、自分が表立って動けば、かえってリーンへ目を向けさせる可能性がある。
何より――
リーンは、何も知らない。知らないままでいい。そう思って、ここまで来た。
「まだ動く時じゃない」
ローウェンは眉間を押さえた。
「……余計なものに巻き込まれてなきゃいいが」
◇ ◇
それから数日後。昼を少し過ぎた頃だった。
――カラン
店の扉につけられた鈴が鳴った。ローウェンは薬瓶を棚へ戻しながら、入口へ目を向ける。
「今日は――」
言いかけて、止まった。
入ってきたのは、旅人のような地味な外套を纏った男だった。フードを深く被り、目立つ装飾品も身につけていない。
だが、隠しても分かる。
立ち方、足運び、周囲へ向ける視線、剣を扱う者だ。それも、並の使い手ではない。
「客じゃないな」
「ああ」
低い声で男が店の扉を閉める。外にはもう一人、同じように目立たない格好をした男がいた。二頭の馬を預かりながら、さりげなく周囲へ目を配っている。
店へ人を近づけないためだろう。随分と用心してきたらしい。
男がフードを外した。
黒髪に、蒼い瞳。
ローウェンは、その顔を知っていた。
「……久しぶりだな」
「ああ」
レオンハルト・ガーディナス。この国の黒曜騎士団長。
そして、かつて――森の中で死にかけていた男だった。
はじまりました!
ローウェンVSレオンハルト、っファイ!(๑•̀ㅂ•́)و✧
続きは明日の夜です!




