ep.27 消えたリーン
◇ ◇
「……まったく。手間をかけさせやがって」
倒れたリーンを見下ろし、侍女が小さく呟いた。
周囲を確認する。人影はない。すぐ近くには、あらかじめ用意しておいたワゴンが置かれていた。
上段には使い終えた茶器。布巾と菓子の残り。
どこから見ても、茶会の片付けを終えた侍女のワゴンにしか見えない。
だが、その下部には人一人を隠せるほどの箱が仕込まれていた。
侍女はリーンをその中へ押し込む。蓋を閉め、その上から布をかければ、中に人がいるとは分からない。侍女は何事もなかったかのように、ワゴンを押し始めた。
◇ ◇
「あら?」
王城の回廊を歩いていた一人の令嬢が、足を止めた。カイエルの婚約者、エステリーゼだった。
向こうから侍女がワゴンを押してくる。侍女はエステリーゼの姿に気づくと、廊下の端へ寄り、深く頭を下げた。エステリーゼはその横を通り過ぎながら、ふとワゴンへ目を向けた。
「……お茶会?」
茶器が載っている。
「この時間に、どなたかお茶会をなさっていたかしら……」
「エステリーゼ様?」
後ろを歩く侍女に呼ばれ、我に返る。
「……いいえ。なんでもないわ」
今日は城内で会合も多い。自分の知らない予定の一つや二つ、あってもおかしくはない。
エステリーゼは再び歩き出した。
けれど――
ほんの小さな違和感だけが、胸の片隅に残った。
◇ ◇
「――どういうことだ」
低い声が、控室に響いた。レオンハルトが戻ってきた時、そこにリーンの姿はなかった。
「私が聞きたいですよ」
アルヴィンの顔からも、いつもの笑みが消えている。
「薬術院から書類の確認を頼まれ、ほんの数分、隣室へ行きました。戻った時には、リーンさんはいませんでした」
アルヴィンは、控室の扉を警備していた兵士へ視線を向ける。
「私が不在の間、誰が来た?」
「は、はい! 殿下からの言付けだと、侍女がやってきました。団長の執務室へ来るよう、リーン殿の案内を頼まれたと」
「なんだと」
「レオン。さらに、おかしなことが」
アルヴィンの声が低くなる。
「隣室へ行ってみれば、我が黒曜騎士団への納品書類ではなく、兵団用の書類でした。何者かが、なぜか私を名指しして、署名をもらうよう指示したそうです」
その口調には、してやられたことへの一抹の悔しさが滲んでいた。
「……」
レオンハルトの顔から、表情が消えた。
「薬術院へ確認を」
「すでに」
アルヴィンが答える。
「そのような指示は出していないそうです」
空気が変わった。
「城門を閉じろ」
レオンハルトの声が響く。
「グレン。今すぐ指示してこい」
「はい!」
執務室から同行していたレオンハルトの従者、グレンが部屋を飛び出していく。
「城内にいる騎士を動かせ。侍女服の女を探せ。リーンを見た者も全員洗い出せ」
「了解!」
同行していた騎士たちも、一斉に走り出した。
レオンハルトは拳を握る。
――あの時、胸をよぎった、あの感覚。
『……リーン?』
気のせいではなかった。
あれは――リーンだった。
「……くそっ」
「レオン」
アルヴィンの声にも、レオンハルトは振り返らなかった。
その時だった。
「何事だ」
王太子カイエルが姿を現した。その隣には、婚約者であるエステリーゼもいる。
「殿下」
レオンハルトが振り返る。
「リーンが消えました」
「何?」
短く事情を説明すると、カイエルの表情が険しくなった。
「待て。私はお前に聴取の報告を求めたが、その後、リーンを呼ぶような指示は出していない」
「承知しています」
「それから、その薬の書類とやらも――」
「薬術院側は用意していないとのことです」
アルヴィンが答えた。
「最初から、我々をリーンから引き離すために……」
「……待って頂戴」
エステリーゼが声を上げた。全員の視線が集まる。
「私、おかしなものを見たわ」
「おかしなもの?」
「少し前に、侍女がワゴンを押しているのを見ましたの。茶器が載っていたから、お茶会の片付けだと思ったのだけれど……」
そこまで言って、エステリーゼの表情が変わった。
「てっきり何か予定が変わったのかと思いましたが、この時間、王城でお茶会の予定なんてありまして?」
カイエルが眉を寄せる。
「……ないな」
レオンハルトが即座に問う。
「ワゴンはどちらへ」
「西回廊の方よ」
「西門……」
アルヴィンが呟く。レオンハルトはすでに歩き出していた。
「レオン!」
「追うぞ」
「待ってください。西門を出たとしても、その先のどこへ向かったかまでは――」
「――分かる」
「……何?」
アルヴィンが聞き返すもレオンハルトは答えず、意識を集中させた。
微かだが――繋がっている。城へ来る前。リーンの髪を結ぶリボンに、念のため仕込んでおいた術式。
その反応が、確かに西へと動いている。
「西だ」
「なぜ分かるんです?」
「あとで話す」
「……分かりました」
アルヴィンも、それ以上は追及しなかった。
「急ぐぞ」
レオンハルトが駆け出そうとして――ふと、足を止めた。
「……?」
無意識に剣の柄へ手を伸ばす。指先に触れたのは、今朝、リーンから贈られたばかりの飾り紐。
『私も、レオン様には無事でいてほしいです』
なぜ今、その言葉を思い出したのか、分からない。
ただ――
リーンどこだ、どこにいる。無事でいろ。
その瞬間。
「――っ!」
魔力が、微かに脈打った。
レオンハルトが眉を寄せる。
追跡のために仕込んだ術式とは、何かが違う。
ほんの一瞬だけ、自分の中から何かが伸びていくような、不思議な感覚があった。
そして――
剣の柄に結ばれた飾り紐が、僅かに温かいような気がした。
「レオン?」
「……いや」
今は考えている場合ではない。術式の反応は、まだ西へ向かっている。
「西門へ向かう。馬を用意させろ」
「すぐに」
アルヴィンが近くの騎士へ指示を飛ばす。
「急ぐぞ」
レオンハルトは西門へ向かって駆け出した。
――守ると誓ったんだ。必ず、助ける!
リーンの奪還へ向かうレオン。
色々なものが紐付かれていきます。
次回は明日か、明後日の夜になります。




