ep.24 帰る場所
第2章こちらが最後、と見せかけて、
次のエピローグで終わりです。
いつも読んでいただいてありがとうございます!(*^^*)
追伸:一部修正しました
ガーディナス家へ戻った頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
馬車が玄関前でゆっくりと止まる。
先にアイリスが降り、続いてレオンハルトが馬車を降りた。
「足元に気をつけろ」
「ありがとうございます」
レオンハルトに手を借り、リーンも馬車から降りる。
長い一日だった。
エミリアとヴィクトリアとの買い物。
王立薬館で覚えた、微かな違和感。
道端で倒れていた男を助けたと思えば、それが七年前に出会ったカインだったこと。
そして――ジルたちとの再会
「……ジルたち、元気そうでよかったなぁ」
思い出すだけで、自然と頬が緩む。
そんなリーンを、レオンハルトがちらりと見る。
「随分、嬉しそうだな」
「はい! まさか七年ぶりに会えるなんて思っていなかったので」
「そうか」
短い返事だったが、その声音はどこか穏やかだった。玄関へ向かう途中、待っていた使用人がレオンハルトへ一礼する。
「レオン様。騎士団より書簡が届いております」
「分かった。すぐ確認する」
レオンハルトはそう答えると、リーンへ視線を戻した。
「お前は休んでいろ」
「でも――」
「今日は朝から出ずっぱりだっただろう」
「……はい」
「夕食まで時間がある。休める時に休め」
相変わらず言い方はぶっきらぼうだ。けれど、それが自分を気遣ってのことだと、今のリーンにはもう分かっていた。
「分かりました。レオン様も、お仕事頑張ってくださいね」
「ああ」
「では、また後で」
何気なくそう告げて、リーンはアイリスとともに屋敷の中へ入っていく。レオンハルトはその後ろ姿を一瞬だけ見送ると、書簡を受け取り、執務室へ向かった。
リーンも自室へ戻ろうとして――ふと足を止める。
そして、見慣れた屋敷の中を見渡した。
「……ただいま」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。その言葉があまりにも自然に口から零れたことに、リーン自身は気づかなかった。思えば、この屋敷での暮らしにも、いつの間にか自分なりの日課ができていた。
朝は薬草茶を飲みながら、薬術書や薬草辞典を開く。知らない薬草や新しい調合法を見つければ書き留め、試してみたいものがあれば自分なりに考察を加える。
天気のいい日は庭へ出て、庭師たちに借りた一角で薬草の世話をする。最近では、庭師の孫であるニコルが興味津々でついてくるため、簡単な薬草の見分け方を教えることもあった。
そして夕方になれば、皆と夕食を囲む。そんな毎日が、いつの間にか当たり前になっていた。
そのあとは――
「……あ」
ベッドで横になっていたリーンは、ふと窓の外を見た。傾いた陽が、庭を橙色に染めている。
その時、夕飯を示す鐘の音がなった。
「もうこんな時間」
そろそろ夕食だ。アイリスが迎えにくるため、リーンは身体を起こして準備をはじめた。
◇
――夕食時
夕食の席では、今日の買い物の話になった。
エミリアと選んだ店のこと。ヴィクトリアとお揃いで買ったリボンのこと。そして、そのあと偶然にも七年ぶりに昔の仲間と再会したこと。
ヴィクトリアは「リーン姉様のお友達ですか?」と目を輝かせ、話を聞くうちにすっかり興奮して、最後には「ヴィも会ってみたいです、リーン姉しゃま!」と身を乗り出していた。
エミリアに窘められ、慌てて淑女らしく座り直す姿に、食卓には穏やかな笑いが広がる。
リーンも自然と笑っていた。こうして皆で食卓を囲むことにも、すっかり慣れた。ここへ来たばかりの頃は、食事一つとっても緊張していたのに。
――だからこそ
「ところで、リーン」
不意にルシアンから名前を呼ばれ、リーンは顔を上げた。
「はい?」
「食事が終わったら、少し時間をもらえるか」
穏やかな声音は変わらない。
だが、その表情にはガーディナス家当主としての色が戻っていた。
「今日の件について、改めて整理しておきたい」
リーンも表情を引き締めた。
「……はい」
◇ ◇
――食後
応接室には、ルシアン、レオンハルト、リーン、そしてアイリスが集まっていた。
リーンは今日あったことを、改めて順を追って説明した。もっとも、レオンハルトは、ギルドから戻る馬車の中ですでに概要を聞いている。そのため時折確認する程度で、ほとんど黙ってリーンの話を聞いていた。
「――それで、カインを診た時にも、レオン様の時と似た魔力の異常を感じました」
「似た、か」
ルシアンが考え込む。
「はい。まったく同じものかまでは分かりません。でも……偶然とは思えなくて」
「《紅狼の牙》も、最近各地で起きている異変を追っていたんだったな」
「はい」
リーンは頷く。
「突然倒れたり、中にはそのまま亡くなった方もいるそうです。国へ報告するために、密かに調べていたって」
「……なるほど」
ルシアンの表情が険しくなる。さらにリーンは、王立薬館で覚えた違和感についても説明した。
ごく僅かではあった。けれど、カインやレオンハルトから感じたものと、どこか似ているような――そんな感覚。
「確証はないんです」
リーンは念を押した。
「本当に、ごく微かなものだったので」
「いや。それでいい」
ルシアンは静かに答えた。
「今は決めつける方が危険だ。分かっていることと、分からないことを分けて考えよう」
「はい」
「それと、リーン」
ルシアンが僅かに姿勢を正す。
「実は今日、薬術院から君について問い合わせがあった」
「……私に?」
「ああ」
リーンの表情が僅かに強張る。
「以前の件も含め、君の薬術について直接話を聞きたいそうだ」
「薬術院へ行くんですか?」
「いや」
ルシアンは即座に否定した。
「向こうへ君を行かせるつもりはない」
隣で腕を組んでいたレオンハルトも、当然だと言わんばかりに黙っている。
「こちらから王城に場を用意するよう頼んだ。話をするなら、そこでだ」
「王城……」
「もちろん、一人で行かせることもない」
ルシアンの言葉に、リーンは少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
「君を預かっている以上、当然のことだ」
話はそれからもしばらく続いた。
やがて一通りの情報共有を終え、リーンは自室へ戻った。
◇ ◇
机に向かい、今日あったことをノートへ書き出していく。
王立薬館で感じた、微かな違和感。
突然倒れたカイン。
そして、レオンハルトの時とよく似た魔力の異常。
「……やっぱり、似てる」
羽根ペンを走らせていた手が止まった。何かが引っかかる。症状が似ていたことだけではない。
「……あ」
リーンは顔を上げた。
「薬……」
レオンハルトが倒れた時。
そして今日、カインが倒れた時。
二人には、同じ薬を使っている。
ローウェンから持たされていた、魔力の巡りが酷く乱れた時に使うための薬だ。
レオンハルトの治療に使った時は、それほど気に留めなかった。
同じ薬が効いた。一人なら偶然かもしれない。けれど、二人続いたとなれば――
「薬が効いたことにも、何か理由があるのかな……」
リーンは立ち上がると、本棚から一冊の薬術書を取り出した。
調合法は覚えている。材料のほとんども、王都で揃えられる。
問題は一つだけ。頁を捲っていた指が、ある薬草の名で止まった。
「……《月雫の星露草》」
普通の星露草が持つ効能に加え、月の光を宿した時にのみ生まれる特別な薬草。ローウェンからは、アルバリーの森の限られた場所でしか採れないと教えられていた。
リーンも何度か目にしたことはある。けれど、どこに生えているのかまでは知らない。ローウェンが必要な時に採ってきてくれるため、これまで深く考えたこともなかった。
そして、持たされていた薬は――今日、カインに使った一本が最後だった。
「師匠なら、何か知ってるかな……」
薬材のことだけではない。なぜ、異なる症状の重さの二人に同じ薬が効いたのか。できることなら、ローウェンにも直接相談したかった。
けれど――
「今、リーフェ村に戻りたいなんて言ったら……」
誰かの顔が浮かんだ。
「……絶対、駄目って言うよね」
思わず苦笑した、その時。ふと窓の外へ目を向ける。夜の庭に月明かりが降り注いでいた。
「……あ」
そういえば、今日はまだ話していないな。特に約束をしているわけではないけど・・・
それでもガーディナス家へ来てから、夕食のあとにレオンハルトと言葉を交わすことが、いつの間にか日課のようになっていた。
最初は、ただの偶然だったはずなのに。
「……相談してみよう」
リーンは羽織を手に取り、部屋を出た。
◇ ◇
夜の庭には、涼やかな風が吹いていた。
月明かりに照らされた花々の間を歩き、いつもの場所へ向かう。
そして――
「あ」
やっぱり、いた。
銀色の髪が月光を受け、淡く輝いている。
「レオン様」
呼びかけると、レオンハルトが振り返った。
「……今日は遅かったな」
「もしかして、待ってました?」
「違う」
即答だった。
「たまたまだ」
「そうなんですね」
「ああ」
妙に早い返事だったが、リーンは気にすることなく隣へ並んだ。
しばらく二人で庭を眺める。話さなくても、不思議と気まずくはない。
やがてレオンハルトが口を開いた。
「……リーン」
「はい?」
「礼を言っていなかった」
何のことだろうと首を傾げたリーンに、レオンハルトは自分の治療のことだと告げた。
「俺が助かったのは、お前のおかげだ」
「私は薬術師として、できることをしただけですよ」
「それでもだ」
短い言葉だった。けれど、真っ直ぐ向けられた蒼い瞳に、リーンは少し照れくさくなって笑った。
「……どういたしまして」
そこで、先ほどまで考えていたことを思い出す。
「そうだ。レオン様、私も相談があるんです」
リーンは、今日カインに使った薬について話した。
レオンハルトを治療した時にも同じものを使ったこと。
二人とも症状の重さが違っていたにもかかわらず、同じ薬が効いたこと。
そして、その薬が今日でなくなってしまったこと。
黙って聞いていたレオンハルトが、僅かに目を細めた。
「……二人に同じ薬が効いたことが気になるのか」
「はい。偶然かもしれません。でも、もう一度作って、師匠にも聞いてみたくて」
「作れないのか」
「一つだけ材料が足りないんです。《月雫の星露草》っていう、とても珍しい薬草なんですけど……師匠しか採れる場所を知らないんです」
「王都では手に入らないのか?」
「たぶん手に入らないと思います」
そこまで話して、リーンはおずおずとレオンハルトを見上げた。
「なので、一度リーフェ村に――」
「駄目だ」
「まだ最後まで言ってませんよ!」
「戻りたいんだろう」
「そうですけど……」
「なら駄目だ」
「うぅ……」
予想通りだった。肩を落としたリーンを見て、レオンハルトが小さく息を吐く。
「必要なのは、その薬草なんだな」
「はい。できれば師匠にも相談したいですけど……」
「分かった。方法はこちらで考える」
リーンの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「まだ何もしていないぞ」
「でも、考えてくださるんでしょう?」
「……ああ」
「なら、先にお礼を言っておきます」
レオンハルトは何か言いたげにリーンを見たが、結局、小さく息を吐いただけだった。
その横顔を見ながら、リーンはふと思う。ここへ来たばかりの頃なら、こんなふうに気軽に相談することなど考えられなかった。怖くて、冷たくて、何を考えているのか分からない人だと思っていたのに。
「……薬術院の件」
不意に告げられ、リーンの思考が現実へ引き戻された。
「怖いか」
「……少しだけ」
リーンは胸元へ手を添えた。服の下には、昔から身につけているペンダントがある。
「王立薬館で感じたものが何だったのかも分かりませんし……薬術院の方に色々聞かれると思うと、やっぱり緊張します」
「でも、大丈夫です。皆さんが守ると言ってくださったので心強いです」
レオンハルトが黙ってこちらを見る。
「……俺がいる」
「え?」
「王城だろうと、薬術院だろうと関係ない。お前は今、ガーディナス家の保護下にいる」
静かな声だった。けれど、その言葉には迷いがない。
「誰であろうと、勝手な真似はさせない」
リーンは目を瞬かせた。ここへ来たばかりの頃、自分を疑い、監視している人だと思っていた。実際、レオンハルトはほとんど何も説明してくれなかったし、態度だって決して優しくはなかった。
けれど今は――少しだけ分かる。
この人は、言葉にするのが下手なだけなのだ。
「お前がここにいる間は、ガーディナス家が……」
一度、言葉が途切れる。そして、
「……俺が守る」
「……」
胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねた。なぜなのかは分からない。ただ、その言葉が嬉しかった。
「……はい。ありがとうございます、レオン様」
いつもより少しだけ胸に残る感覚を誤魔化すように、リーンは夜空へ視線を向け――
「あ!」
「……今度はなんだ」
「忘れるところでした!」
リーンは羽織のポケットから、小さな包みを取り出した。
「これ、レオン様に」
「俺に?」
珍しく目を瞬かせたレオンハルトへ、リーンは包みを差し出した。
中に入っていたのは、細い紐を丁寧に編み込んだ飾り紐だった。
今日、エミリアとヴィクトリアと街へ出た時に見つけたものだ。
「ヴィちゃんとお揃いのリボンを買ったでしょう? そのお店に、同じ意匠の飾り紐があったんです」
リーンは自分の髪に結ばれたリボンへ触れる。
「騎士の方が、剣の柄や鞘につけるものなんですって」
レオンハルトは手の中の飾り紐を見つめた。
「……なぜ俺に?」
「いつもお世話になっているお礼です。それに――」
リーンは少し照れくさそうに笑う。
「大切な人の無事を願って贈ることもあるって、エミリア様が教えてくださったんです」
レオンハルトの視線が上がった。
「レオン様は危険なお仕事も多いでしょう?」
だから、とリーンは続ける。
「私も、レオン様には無事でいてほしいです」
「……」
先ほど、自分を守ると言ってくれた人。けれど、守られるだけでは嫌だ――などという大それたことを考えているわけではない。ただ、自分を心配してくれる人が無事でいてほしいと思うのは、リーンにとってごく自然なことだった。
レオンハルトはしばらく飾り紐を見つめたあと、静かに握る。
「……ありがたくもらっておく」
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった!」
ほっとしたリーンは、改めて彼の剣と飾り紐を見比べた。
「……似合うといいんですけど」
「お前が選んだものなら、問題ない」
「……そうですか?」
「ああ」
短い返事だったが、それでも、リーンには十分嬉しい回答だった。
「じゃあ、明日つけてくださいね」
「……善処する」
「それ、つけない人の言い方です!」
「分かった」
「絶対ですよ?」
「分かったと言っている」
少しだけ不満そうに頬を膨らませるリーン。
その顔を見て、レオンハルトの口元がごく僅かに緩んだ。
夜風が二人の間を通り抜ける。
リーンの髪に結ばれたリボンが、ふわりと揺れた。
レオンハルトは手の中の飾り紐へ一度だけ目を落とすと、大切そうに懐へしまう。
「……そろそろ戻るぞ。冷える」
「はい」
二人は並んで、屋敷へと歩き出した。いつからだろう、一日の終わりをこうして共に過ごすことが、特別ではなくなったのは。
月明かりの下、二人の影が、並んで長く伸びていた。
もうすぐ2章最後、と思い頑張りました!
エピローグ、明日の朝、公開予定です。
頑張ります!!




