ep1.薬術師の日常
1回作成したのに消えてしまった地獄を味わいました(T_T)宜しくお願いします。
魔法国家レイガルドの西に位置する小さな町、フィルネ。隣国サイルードとの国境近くではあるが、間には人の不可侵領域となっている深い森が広がっている。『ある条件』を満たす者であれば、森の恵みがもらえる最高の場所であり、魔法文明が発達しているこの国の中で穏やかに暮らすには十分な場所だ。
夜の名残をとどめていた石畳を、朝の光がゆっくりと照らし始めていた。
通りの魔力灯が一つ、また一つと消えていく。その下を、市場へ向かう荷車が軋んだ音を立てて通り過ぎた。通りの角にあるパン屋からは、焼きたてのパンの香ばしい匂いが流れてくる。
そんな町の外れに、一軒の古い薬店があった。
軒先には乾燥させた薬草が束ねて吊るされ、風が吹くたび、かさかさと小さな音を立てる。木製の看板には、少し掠れた文字で『リーフェ薬店』と刻まれていた。
この町で暮らしている者ならば、一度はその扉をくぐったことがある。
熱を出した時。
転んで膝を擦りむいた時。
眠れない夜が続いた時。
困った時はリーフェへ。
いつからか、それが町の者たちの合言葉になっていた。
「リーン!」
階下から響いた怒声に、私は毛布の中で目を開けた。
聞こえなかったことにして、もう一度目を閉じる。
「いつまで寝てる! 薬湯が煮詰まるぞ!」
「……あと五分」
「五分後には薬も鍋底へ張り付いてるだろうな」
その言葉で、一気に目が覚めた。
「火を弱めておいてよ!」
毛布を跳ねのけ、寝台から飛び降りる。急いで上着を羽織りながら階段を駆け下りると、乾いた薬草と、煎じ薬特有の苦い匂いが鼻をくすぐった。
店の奥にある調合台の前で、ローウェンが眉間に皺を寄せていた。
白髪の混じった髪。深く刻まれた皺。腰まで届く古びたローブ。
どう見ても、気難しい老人である。
「師匠、鍋は?」
「見れば分かるだろう」
調合台の上では、薬湯が静かに湯気を立てていた。
煮立ってもいない。
焦げてもいない。
火は、ちょうどよく弱められている。
「……弱めてくれてるじゃん」
「お前が起きるのが遅いからだ」
「ありがとうございます」
「礼を言う前に、顔を洗ってこい。その頭で店に立つな」
私は寝癖のついた髪へ手を当てた。
「そこまでひどくないでしょ」
「鳥なら巣を作り始めるな」
「師匠、朝から口が悪い!」
「朝だけだと思っていたのか?」
言い返す言葉が見つからず、私は頬を膨らませた。
その時、入口の鈴がからんと鳴った。
「おはようございます、リーンちゃん。ローウェン先生」
扉を開けて入ってきたのは、通りの角でパン屋を営むマルタさんだった。
いつもなら店中へ響くような明るい声を出す人なのに、今日は言葉の途中で苦しそうに咳き込んだ。
私はすぐに調合台を離れ、彼女のそばへ向かった。
「マルタさん、その咳、まだ治ってないんですか?」
「たいしたことないのよ。夜になると少し出るくらいで」
「少しって顔じゃないですよ」
そう言いながら、私は椅子を引いた。
ローウェンは口を挟まず、棚の薬瓶を整理している。けれど、こちらの会話を聞いているのは分かっていた。
私はマルタさんの向かいへ座る。
「熱は?」
「ないわ」
「喉の痛みは?」
「朝だけ少し。でも、パンを焼いているうちに忘れちゃうの」
「作業場の窓、開けています?」
マルタさんは目を泳がせた。
「最近は冷えるから……」
やっぱり。
パン屋の作業場では、一日中、小麦粉が舞う。閉め切った部屋で粉を吸い込み続ければ、薬を飲んでも咳の原因は残ったままだ。
「薬は出します。でも、昼の暖かい時間だけでも窓を開けてください。できれば、粉を混ぜる時は口元を布で覆って」
「薬だけじゃ駄目?」
「駄目です」
私がきっぱり答えると、マルタさんは困ったように笑った。
「リーンちゃん、ローウェン先生に似てきたわね」
「どこがですか!」
「口の悪いところだろう」
棚の前からローウェンの声が飛んでくる。
「師匠ほどじゃないよ!」
リーフェ薬店の朝は、いつも大体こんなふうに始まる。




