ep.13 ガーディナス公爵家
お待たせしました!
気づけば8月ですね。大人にも夏休みが欲しいです。
視線が全部こちらへ集まっている気がして、リーンは身体が固まった。
その様子に気付いたレオンハルトは、小さく息を吐いた。
「降りるぞ」
そう言って自然に手を差し伸べる。
「えっ……」
一瞬ためらったものの、この高さでは一人で降りる方が危ない。
「……し、失礼します」
恐る恐るその手に触れる。
大きく温かな手が、そっとリーンを支えた。
石畳へ足が着くと、レオンハルトはすぐに手を離す。
それだけのことなのに、胸が少しだけ熱くなった。
(……やっぱり優しい人だ)
そんなことを考えた自分に、慌てて首を振る。
(違う違う! 私は監視対象なんだから!)
その様子を、玄関前に立つ初老の男性が穏やかな笑みで見つめていた。
銀色の髪をきっちりと撫でつけ、黒い燕尾服を完璧に着こなしている。隣には、落ち着いた笑みを浮かべる女性。
二人とも、長年この屋敷を支えてきたことが一目で分かる品格をまとっていた。
男性が一歩前へ進み、優雅に一礼する。
「お帰りなさいませ、レオン様」
「留守を任せた、セドリック」
「皆、レオン様のご無事を案じておりました」
レオンハルトは小さく頷く。
続いて女性も静かに礼をした。
「ご無事なお姿を拝見でき、安心いたしました」
「ああ、心配をかけたな、エレノア」
その穏やかなやり取りから、長年築かれた信頼関係が自然と伝わってくる。
そして二人の視線が、リーンへと向けられた。
リーンは慌てて頭を下げた。
「は、初めまして! リーンと申します!」
少し声が裏返ってしまう。
(落ち着いて私……)
するとエレノアが、柔らかく微笑んだ。
「ようこそ、ガーディナス公爵家へ、リーン様。長旅でお疲れでしょう。どうぞ肩の力をお抜きくださいませ」
その優しい声に、張りつめていた心が少しだけほどける。
「ありがとうございます……」
その時だった。
セドリックがレオンハルトへ静かに歩み寄る。
「レオン様」
「何だ」
「ご当主様と奥様へは、ご無事であることを早馬にてお伝えしております」
「ああ」
「現在は領地にてご公務中ですが、おそらく数日中には兄上……ルシアン様ご一家がお戻りになるかと」
レオンハルトは短く頷いた。
「分かった」
リーンは兄という言葉に、少しだけ耳を傾けた。
(お兄さん……次期当主、なのかな)
深く考える間もなく、レオンハルトが続けて口を開く。
「兄上は次期当主として、今は領地の視察を任されている」
その一言で、リーンは公爵家の力関係をおおよそ理解した。
(良かった……今日は、ご家族全員がいるわけじゃないんだ)
少しだけ緊張が和らいだ、その時。
エレノアが微笑みながら口を開く。
「リーン様のお部屋はご用意しております。まずは、お部屋でゆっくりお休みくださいませ」
リーンは目を丸くした。
「……私の、部屋?」
思わずレオンハルトを見る。
レオンハルトは淡々と答えた。
「当分ここで暮らす以上、必要だからな」
その一言に、リーンは改めて現実を思い知らされた。
――私、本当にガーディナス公爵家で暮らすことになるんだ。
◇
エレノアに案内され、リーンは長い廊下を歩いていた。
磨き上げられた床には、大きな窓から差し込む午後の陽光が柔らかな模様を描いている。壁には歴代当主と思われる肖像画が並び、公爵家の長い歴史を物語っていた。
(歩くだけで緊張する……)
そんなリーンの様子に気付いたエレノアは、優しく微笑んだ。
「リーン様」
「はい」
「こちらでは、どうぞご無理をなさらずお過ごしくださいませ」
「え……?」
「皆、レオン様がお連れになった大切なお客様として、お迎えしております」
その言葉にリーンは思わず立ち止まった。
(お客様……? 監視対象、じゃなくて……?)
戸惑うリーンを見て、エレノアはそれ以上何も言わず、再び歩き始めた。
やがて廊下の奥にある一室の前で足を止める。
「こちらがお部屋でございます」
静かに扉が開かれる。
「……失礼します」
恐る恐る足を踏み入れたリーンは、その場で目を丸くした。
「……え?」
部屋は客間とは思えないほど広く、柔らかな陽光が大きな窓から差し込んでいる。落ち着いた色合いの家具が整然と並び、どこか温かみのある空間だった。
しかし、リーンの目を奪ったのは、窓際だった。
「これ……」
小さな調合台。薬草を刻むための道具。ガラス瓶が並んだ棚。薬研。乾燥薬草を保管する木箱。
さらに壁際には、薬草学や薬効辞典と思われる分厚い書物が何冊も並んでいる。
リーンは思わず近づき、一冊を手に取った。
「王立学術院・薬草大全……」
薬店でも簡単には手に入らない、高価な専門書だった。
「どうして……」
思わず振り返る。
エレノアは穏やかに微笑む。
「こちらは、リーン様がお使いになるものとしてご用意いたしました」
「私が……?」
「はい。薬術師の方に必要なものは何か、と」
リーンは部屋を見渡した。どれも新品ではない。だが、丁寧に手入れされ、大切に扱われてきたことが分かる品ばかりだった。
「こんなに立派なものを……」
思わず呟く。
エレノアは少しだけ目を細めた。
「レオン様が、お困りになることのないように、と」
その一言に、リーンは息を呑んだ。
馬車の中で見せた、不器用な優しさが脳裏によみがえる。
監視対象。そう聞かされていたはずなのに。
ガーディナス公爵家へ着いてから、誰一人として冷たい視線を向ける者はいない。それどころか、まるで本当に客人を迎えるように接してくれる。
リーンは胸の前で本を抱きしめ、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
エレノアは何も言わず、優しく微笑むだけだった。
その微笑みは、まるで何かを知っているようにも見えた。
リーンはもう一度、部屋を見渡した。
温かい部屋。温かい人たち。
(どうして、こんなに良くしてくれるんだろう)
その答えを、リーンはまだ持っていなかった。




