第九話 初めて見た婚約者
お茶会からの帰り道。
アレクシスは、一人で歩いていた。
いや。
正しくは、一人になりたかった。
セシリアの言葉が頭から離れない。
『悪女の末路なんて、決まっていますから』
あの口調。
あの笑み。
あれは、自分が知っている聖女ではなかった。
そして。
そんな女を信じ、エレノアを疑い続けてきたのは、自分だった。
「……最低だ」
思わず呟く。
だが、その言葉では足りない。
エレノアは、二年間。
ずっと一人だった。
何を言っても信じてもらえず。
何をしても悪意に変えられ。
婚約者である自分にすら、味方になってもらえなかった。
なのに。
彼女は、最後の最後まで自分を見捨てなかった。
だからこそ、あの魔術を使ったのだ。
――真実を見て。
その願いに、自分はようやく応え始めたに過ぎない。
◇ ◇ ◇
夜。
アレクシスは再び、王太子の執務室を訪れた。
ノックをする。
「入れ」
自分の声が返ってくる。
その声を聞くだけで、胸が痛んだ。
部屋に入る。
エレノアは、山のような書類を片付けていた。
「まだ仕事を?」
「あら」
彼女は顔を上げた。
「殿下はいつも、この時間まで働いていたでしょう?」
何も言えなかった。
そうだ。
自分は、いつも夜遅くまで執務をしていた。
そして。
そんな自分を支えていたのは。
「……君だったんだな」
ぽつりと漏れた。
エレノアが目を瞬かせる。
「何が?」
「全部だ」
アレクシスは、部屋を見回した。
「書類の整理も。会議の予定も。外交資料の要約も」
エレノアは答えない。
「私は、自分でやっているつもりだった」
だが。
思い返せば。
必要な書類は、いつも机にあった。
必要な情報は、いつも整理されていた。
疲れている時は、紅茶が置かれていた。
それが当たり前になっていた。
「……君がやってくれていたのか」
エレノアは苦笑した。
「婚約者ですもの」
たった一言。
それだけなのに。
胸が締め付けられた。
婚約者だから。
愛していたから。
だから彼女は、見返りも求めずに支えていた。
そして自分は。
そんな彼女を、悪女だと疑った。
「エレノア」
彼女が顔を上げる。
「私は」
謝りたかった。
許してほしかった。
違う。
そんな資格はない。
「……ありがとう」
口から出たのは、それだけだった。
エレノアは、しばらく黙っていた。
そして。
「今さらね」
と、小さく笑った。
だが。
その笑顔は、少しだけ柔らかかった。
◇ ◇ ◇
三日後。
アレクシスは確信していた。
セシリアは、完全に油断している。
今日も。
「エレノア様。最近は大人しいんですね」
誰にも聞こえない声で、そう囁いてきた。
以前なら、アレクシスは激怒していただろう。
だが、今は違う。
「そうかしら」
笑って返す。
「ええ。賢い選択だと思います」
セシリアは嬉しそうだった。
「だって、王子殿下はもう私のものですから」
アレクシスは微笑んだ。
「そうね」
その瞬間。
セシリアの目に、勝利の色が浮かんだ。
――かかった。
アレクシスは確信した。
その夜。
彼はエレノアの元を訪れた。
「証拠を掴める」
開口一番、そう告げた。
エレノアは驚いた顔をした。
「本当に?」
「ああ」
アレクシスは頷く。
「彼女は、自分が勝ったと思っている」
だから。
もう隠さない。
もう警戒しない。
「次の夜会だ」
王家主催の大夜会。
国中の貴族が集まる。
そこで。
「セシリアに、自分の口で全部話させる」
エレノアは、しばらく黙っていた。
「……失敗したら?」
アレクシスは、まっすぐ彼女を見た。
「失敗しない」
「どうして?」
その問いに。
アレクシスは、初めて迷わなかった。
「今度は」
彼は、一歩前に出た。
「今度は、君を一人にしないから」
エレノアが、目を見開く。
「私は、君を信じる」
もう遅い。
そんなことは分かっている。
それでも。
「君が何を言っても、何をしても、私は信じる」
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
エレノアは、小さく目を伏せた。
「……ずるいわ」
その声は、少しだけ震えていた。
アレクシスは、その震えが嬉しかった。
彼女がまだ、自分の言葉を聞いてくれていることが。
何よりも。
嬉しかった。
そして二人は。
聖女を断罪するための計画を立て始めた。




