第三話 悪女の世界
エレノアの部屋は、思っていたよりもずっと質素だった。
公爵令嬢の部屋なのだから、もっと豪奢なものを想像していた。
もちろん、一流の調度品が並んでいる。
だが、それらは見せびらかすためではなく、ただ必要なものとして整えられていた。
アレクシスは鏡の前に立った。
そこに映るのは、やはりエレノアだった。
「……本当に、何を考えているんだ」
呟いてみても、返事はない。
自分が悪かったとは思っていない。
いや、思いたくなかった。
エレノアは聖女セシリアに辛く当たっている。
それは事実のはずだ。
だからこそ、自分は彼女を諫めた。
ただ、それだけのこと。
――だが。
『私も、本気であなたに信じてほしかったから』
先ほどのエレノアの言葉が、耳から離れなかった。
「お嬢様」
ノックの音とともに、侍女が入ってきた。
年若い侍女だった。
だが、彼女はアレクシスを見るなり、びくりと肩を震わせた。
「お、お茶をお持ちしました」
「ああ。ありがとう」
アレクシスはできるだけ優しく答えた。
すると侍女は目を丸くした。
「……え?」
「どうした」
「い、いえ……」
侍女は慌てて首を振った。
「本日は聖女様の慰問会がございますので……お支度を」
そう言うと、逃げるように部屋を出ていった。
アレクシスは首を傾げた。
なぜ、あんな反応をされたのだろう。
エレノアは本当に、使用人たちに恐れられているのか。
だが。
どこか、おかしい。
あれは恐怖というより――。
まるで、怒られると思って身構えているような。
◇ ◇ ◇
慰問会の会場は、王城の中庭だった。
すでに多くの貴族が集まっている。
そして、その中心には。
白いドレスを纏った聖女セシリアがいた。
柔らかな金髪。
慈愛に満ちた微笑み。
誰もが見惚れるほど美しい。
アレクシスは、少しだけ安心した。
やはり。
セシリアが悪人であるはずがない。
エレノアは何かを誤解しているのだ。
ならば。
自分が、誤解を解けばいい。
「セシリア」
アレクシスは歩み寄った。
周囲が、ざわりとした。
セシリアが振り返る。
その瞬間。
彼女の顔から血の気が引いた。
「エ……エレノア様……」
「話がしたい」
アレクシスは穏やかに言った。
「私は――」
「ご、ごめんなさい……!」
セシリアは一歩後ずさった。
アレクシスは驚いた。
「いや、違う。私はただ――」
「私、もう殿下には近付きません……!」
その言葉と同時に。
セシリアは、自ら足をもつれさせるように倒れた。
「きゃっ!」
悲鳴が響く。
白い手が石畳を擦った。
周囲から悲鳴が上がる。
「聖女様!」
「またエレノア様が!」
「なんてことだ……!」
アレクシスは凍りついた。
違う。
何もしていない。
触れてすらいない。
「待ってくれ! 私は――」
パシン。
乾いた音がした。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
だが。
セシリアの頬が赤くなっている。
彼女が。
自分で、自分の頬を叩いたのだ。
アレクシスは確かに見た。
見てしまった。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
セシリアは泣き崩れた。
周囲の誰も、気付いていない。
誰も。
誰一人として。
その時だった。
「セシリア!」
聞き慣れた声が響いた。
人々をかき分けて現れたのは、王太子アレクシス。
つまり。
自分の身体に入ったエレノアだった。
彼女はセシリアの前に膝をつき、その肩を優しく抱いた。
「大丈夫か」
「お、王子殿下……!」
セシリアは震えながら、エレノア――いや、アレクシスの胸に縋りついた。
「エレノアが何かしたのか」
その問いに。
セシリアは、ちらりとアレクシスを見た。
その瞳には。
先ほどまでの怯えなど、一欠片もなかった。
代わりにあったのは。
勝者の笑みだった。
アレクシスの背筋に、初めて冷たいものが走った。




