第二話 真実を見て
銀色の光が消えた。
アレクシスは大きくよろめき、慌てて机に手をついた。
「……っ」
何かがおかしい。
視界の高さが違う。
肩にかかる長い髪。
細い指。
華奢な腕。
恐る恐る顔を上げた。
そこにいたのは、自分だった。
いや。
自分の身体に入ったエレノアだった。
彼女は乱れた様子もなく、静かにアレクシスを見つめている。
「本当に……入れ替わったのか」
「ええ」
返ってきたのは、自分の声。
聞き慣れたはずなのに、ひどく遠く感じた。
「今すぐ戻せ」
アレクシスは命じた。
「これは王太子命令だ」
だが、エレノアは首を横に振った。
「嫌」
短い言葉だった。
アレクシスは目を見開く。
エレノアが、自分の命令を拒否した。
それだけでも信じられない。
「なぜだ」
「あなたは私の言葉を信じなかった」
怒っているわけではない。
泣いているわけでもない。
ただ、静かだった。
「私は何度も言ったわ。聖女様に嫌がらせなんてしていないって」
「だが、証言が――」
「なら」
エレノアは自分の顔で微笑んだ。
それはアレクシスの知らない笑みだった。
「見て」
「……何を」
「真実を」
彼女はまっすぐアレクシスを見た。
「あなたが信じたものを。私が見てきたものを」
アレクシスは言葉に詰まった。
反論しようとした。
だが、できなかった。
彼女の目が、あまりにも真剣だったから。
「一週間」
エレノアは言った。
「一週間だけ、私として生きて」
「……」
「その後で、もう一度話しましょう」
そう言うと、彼女は執務机の向こう側――いつもアレクシスがいる場所へ歩いていった。
そして、椅子に腰を下ろした。
その仕草は、驚くほど自然だった。
まるで、最初からそこに座るべき人間だったかのように。
「エレノア」
「今日から、ここは私の席」
彼女は書類を手に取った。
その姿は、完全に王太子アレクシス・レイフォードだった。
「あなたは自室に戻って」
「待て!」
思わず声を荒げる。
「本気でこんなことを続けるつもりか!」
「本気よ」
エレノアは顔を上げた。
「私も、本気であなたに信じてほしかったから」
その言葉に、アレクシスは息を呑んだ。
エレノアは視線を外した。
「……侍従を呼ぶわ」
「エレノア!」
「約束は一週間」
彼女は小さく息を吐いた。
「だから」
そして。
最後に、婚約者の顔ではなく、一人の人間として言った。
「ちゃんと見て」
その言葉が、なぜか胸に刺さった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「失礼いたします、殿下」
入ってきた侍従は、当然のようにエレノアへ頭を下げた。
いや。
アレクシスの姿をしたエレノアへ。
「ああ」
彼女は短く答えた。
その声。
その態度。
その視線。
すべてが完璧だった。
「エレノアを部屋まで送ってくれ」
「かしこまりました」
侍従はアレクシスに向き直った。
「エレノア様。こちらへ」
アレクシスは動けなかった。
目の前の光景が信じられなかった。
そこにいるのは、自分だった。
誰が見ても。
どう見ても。
王太子アレクシス・レイフォード。
偽物なのは。
今、この場にいる自分の方なのではないか。
そんな錯覚すら覚えた。
「……失礼します」
ようやくそれだけ言って、執務室を後にした。
扉が閉まる。
その瞬間。
アレクシスは初めて、自分が本当に『エレノア』になってしまったのだと理解した。




