第十九話 契約の代償
「……代償?」
セシリアの笑みが引きつる。
「ま、待って……」
黒い靄は答えない。
いや。
答える代わりに、ゆっくりとセシリアの身体へ絡み付いていく。
「痛っ……!」
腕が焼けるように熱い。
思わず袖をまくると、白い肌に黒い紋様が浮かび上がっていた。
「な、何これ……!」
慌てて擦る。
だが消えない。
むしろ、生き物のように腕を這い上がっていく。
『契約の証だ』
低い声が響く。
「こんなの聞いてない!」
『聞かれなかったからな』
クツクツと笑う声。
その笑いに、セシリアは初めて恐怖を覚えた。
「あなた、一体……」
『お前が呼んだ』
「違う!」
セシリアは首を振る。
「私はそんなつもりじゃ……!」
『違わぬ』
赤い瞳が細くなる。
『お前は願った』
『エレノアを消したい、と』
言葉を失う。
確かに。
そう願った。
何度も。
何度も。
「でも……」
『望みを叶える』
『その代わり、お前は我の器となる』
「……器?」
その瞬間。
黒い靄が一気にセシリアの胸へ流れ込んだ。
「きゃああああっ!」
全身を襲う激痛。
息ができない。
心臓を直接掴まれたような苦しみ。
床へ倒れ込み、何度も咳き込む。
「がっ……!」
『安心しろ』
『まだ死なぬ』
その言葉とは裏腹に。
セシリアの身体は少しずつ変化していた。
金色だった髪の毛先が黒く染まり始める。
瞳の奥には、一瞬だけ赤い光が宿った。
「いや……」
震える手で顔に触れる。
「私は……聖女なのに……」
『もう違う』
冷たい声だった。
『お前は我を受け入れた』
『後戻りはできぬ』
「嫌!」
セシリアは必死に首を振る。
「契約を取り消して!」
『できぬ』
「お願い!」
『できぬ』
「お願いだから!」
どれだけ叫んでも。
返ってくる言葉は同じだった。
『契約は成立した』
その時。
ドォォン!!
地下牢全体を揺るがす爆音が響いた。
天井に大きな亀裂が走る。
石が崩れ落ち、鉄格子がひしゃげる。
「な、何が……!」
地上から悲鳴が聞こえてきた。
兵士たちが慌ただしく走り回る音。
鐘の音。
誰かが叫んでいる。
「魔物だ!」
「魔物が現れたぞ!」
「王都の結界が破られる!」
セシリアは息を呑んだ。
「魔物……?」
影が愉快そうに笑う。
『始まったな』
「何が始まったの?」
問い掛けても、答えは返ってこない。
代わりに。
影はゆっくりとセシリアへ手を伸ばした。
『さあ』
『復讐の時間だ』
その瞬間。
牢獄の壁が轟音とともに吹き飛び、夜空が見えた。
王都の空は。
黒い雲に覆われていた。




