第十七話 牢獄の異変
地下牢。
セシリアは、冷たい石壁にもたれかかっていた。
食事には、ほとんど手を付けていない。
乱れた髪。
やつれた頬。
数日前まで「聖女」と呼ばれていた面影は、もうどこにもなかった。
「……エレノア」
その名を呟くたび、胸の奥から黒い感情が込み上げる。
「全部……あの女のせい」
もし、エレノアがいなければ。
アレクシスは今も自分だけを見ていた。
自分は今も聖女だった。
誰からも愛される存在だった。
そのはずなのに。
「どうして……」
涙が零れる。
「どうして、私なの……」
その時だった。
――ゴゴゴ……。
かすかな振動が足元を伝う。
セシリアは顔を上げた。
「……地震?」
地下牢では珍しくもない。
そう思い、再び膝を抱える。
しかし。
振動は止まらない。
むしろ、少しずつ強くなっていく。
石壁から砂がぱらぱらと落ちた。
「な、何……?」
セシリアが立ち上がった、その瞬間。
ドォン!!
轟音とともに牢全体が激しく揺れた。
「きゃっ!」
身体が投げ出され、床へ倒れ込む。
鉄格子が軋み、鎖が激しく鳴り響く。
「誰か!」
セシリアは叫んだ。
「誰か来て!」
返事はない。
代わりに。
牢の奥深くから、低いうなり声のような音が響いてきた。
ゴォォォ……。
「な、何なの……」
恐怖で足が震える。
ゆっくりと後ずさる。
だが。
背中はすぐに石壁へぶつかった。
逃げ場はない。
その時。
セシリアの足元に、細い黒い線が走った。
「……え?」
線は石畳の隙間を這うように伸びていく。
一つ。
また一つ。
まるで、何かが床の下を這い回っているかのようだった。
「いや……」
黒い線は、牢全体へ広がっていく。
やがて。
複雑な紋様を描き始めた。
「何これ……」
見たこともない模様。
誰が描いたのかも分からない。
それなのに。
床そのものから浮かび上がってきている。
「嫌……」
セシリアは震えながら首を振る。
「やめて……」
次の瞬間。
黒い紋様が、不気味な赤い光を放った。
「きゃあああっ!」
思わず目を閉じる。
眩しい光。
耳鳴り。
身体を押し潰すような圧迫感。
息ができない。
「た、助け……」
その時だった。
どこからともなく。
低く掠れた声が響く。
『……ようやく』
男とも女とも分からない声。
耳元で囁かれたようで。
地下深くから聞こえたようでもあった。
セシリアは恐る恐る辺りを見回す。
「だ、誰……?」
返事はない。
赤い光だけが、ゆっくりと明滅を繰り返している。
『長かった』
また声がした。
今度は、はっきりと。
セシリアの身体が強張る。
「誰なの!」
『ずっと』
『待っていた』
その瞬間。
床から黒い靄が立ち昇り始めた。
靄は生き物のように蠢き、ゆっくりとセシリアの足元へ近付いてくる。
「い、いや……」
逃げようとしても、足が動かない。
恐怖で身体が言うことを聞かなかった。
黒い靄は、セシリアのつま先へ触れる。
ぞくり、と全身を悪寒が駆け抜けた。
そして。
『――見つけた』
その声と同時に。
地下牢全体を揺るがす轟音が鳴り響いた。




