第十一話 王太子の答え
王家主催の大夜会。
年に一度、国内の有力貴族が一堂に会する華やかな宴。
豪奢なシャンデリアが輝き、楽団の奏でる音色が大広間を満たしていた。
だが。
アレクシスには、そのすべてが遠く感じられた。
隣を歩くエレノアを見た。
深紅のドレスを纏った彼女は、いつも通り美しかった。
いや。
違う。
自分が、初めて彼女を見ているのだ。
彼女に向けられる視線を。
彼女が耐えてきた言葉を。
彼女が隠してきた傷を。
「……殿下?」
小さな声。
アレクシスは我に返った。
「どうした」
「いえ」
エレノアは微笑んだ。
「そんなに見つめられると、困ります」
冗談めかした言い方だった。
だが。
その笑顔の奥にある緊張を、今のアレクシスは見逃さなかった。
「……大丈夫だ」
思わず口にした。
エレノアが目を丸くする。
「今日は」
アレクシスは、誰にも気付かれないように、そっと彼女の手に触れた。
「私がいる」
一瞬。
エレノアの指先が震えた。
だが、振り払われることはなかった。
◇ ◇ ◇
「王子殿下!」
甘い声が響いた。
振り返る。
純白のドレスを纏ったセシリアが、花が咲くような笑顔を浮かべて立っていた。
周囲の視線が、一斉に彼女へ集まる。
誰もが愛する聖女。
かつての自分も、その一人だった。
「お会いできて嬉しいです」
セシリアはアレクシスに微笑みかけた。
そして。
ゆっくりとエレノアを見る。
「エレノア様」
優雅に一礼した。
「今夜、お会いできて嬉しいです」
エレノアも微笑む。
「そう」
「ええ」
セシリアの笑みが、わずかに深くなった。
「きっと、忘れられない夜になりますから」
その瞬間。
アレクシスは、彼女の目を見た。
慈愛などない。
憐れみもない。
ただ。
勝者の目だった。
「……そうね」
エレノアは穏やかに答えた。
まるで。
何も気付いていないかのように。
セシリアは満足そうに頷き、再びアレクシスへ視線を戻した。
「殿下。後ほど、お話ししたいことがあります」
「ああ」
アレクシスは答えた。
「私もだ」
セシリアの頬が赤く染まった。
その顔は。
自分が選ばれたと信じている女の顔だった。
◇ ◇ ◇
夜会は進んだ。
音楽が流れる。
笑い声が響く。
だが。
アレクシスは待っていた。
そして。
その時は訪れた。
「皆様」
セシリアが、会場の中央へ進み出た。
ざわめきが止まる。
彼女は震えていた。
少なくとも。
そう見えた。
「私は……ずっと、黙っていました」
ぽろり、と涙が落ちる。
会場の貴族たちが息を呑んだ。
「王子殿下にご迷惑をおかけしたくなくて……」
すすり泣き。
震える肩。
完璧だった。
かつての自分なら、迷わず彼女の元へ駆け寄っていただろう。
「ですが……もう限界なのです」
セシリアが顔を上げた。
そして。
真っ直ぐに。
エレノアを指差した。
「エレノア様は!」
会場が静まり返る。
「私を虐げ続けていました!」
どよめき。
悲鳴。
軽蔑の視線。
それらすべてが、一斉にエレノアへ向けられる。
アレクシスは、隣を見た。
エレノアは、何も言わなかった。
反論もしない。
怒りもしない。
ただ。
静かに立っていた。
その姿が。
あまりにも痛々しかった。
そうだ。
いつもこうだった。
彼女は。
どれだけ否定しても、信じてもらえなかった。
だから。
諦めたのだ。
「階段から突き落とされました!」
「何度も脅迫されました!」
「命まで狙われたのです!」
セシリアの声が響く。
そして。
彼女は涙に濡れた顔で振り返った。
「王子殿下……!」
会場中の視線が。
一斉にアレクシスへ向けられる。
誰もが知っている。
王太子アレクシスは、聖女の味方だと。
今回も。
そうなるはずだと。
アレクシスは。
ゆっくりと前に出た。
一歩。
また一歩。
そして。
セシリアの前で立ち止まった。
彼女は、安心したように微笑んだ。
「殿下……!」
その笑顔を見て。
アレクシスは、ようやく理解した。
自分は。
この笑顔に。
二年間。
婚約者を差し出し続けていたのだと。
胸の奥から、怒りが湧き上がった。
セシリアへの怒りではない。
自分自身への怒りだった。
「……セシリア」
低い声。
彼女の笑みが深くなる。
「はい。殿下」
アレクシスは。
会場中に響く声で、告げた。
「その話は、おかしい」
セシリアの笑顔が、止まった。




