EXPLORATORES ET EXPLORATORES スパイとスパイ I
昼すぎ。
アレクシスは勤務時間を終えた。ダニエルと連絡をとり合って帰ろうと席を立つ。
PCの電源を落とした。
空中に表示された「shutdown」の文字がうすくなり、かすかな機械音とともに消える。
ダニエルは、ここのところは地下の参謀部のオフィスに詰めていたと言っていた。
教会のほうは有給でもとったのかと思ったが、あやしまれるので勤務を続けながらと話していた。さすがにそれでは会う暇もなかったかと納得したが。
いっしょに食事をするくらいの余裕はできたと言っていたが、地下オフィスは大半のエリアが一般将校の遺伝子認証では入れない。
施設内のカフェで待つことになるかと考える。
オフィスの自動ドアの開く音がする。
コツコツコツと靴音がして、アレクシスの背後で止まった。
「パガーニ大尉」
聞きなれたテノールの声。
ダニエルとそっくりというわけではないが、似た傾向の。少年ぽいような、少しあまいような。
ジョシュア・ローズブレイドだ。
ここ数日、彼の声で呼びかけられるたびアレクシスは緊張した。
襤褸を出してはいけない。せめてダニエルの足を引っぱらないように。そう自身に言い聞かせて、心臓の鼓動をおさえる。
「いま退勤ですか。俺、あと一時間なんですけど」
ローズブレイドが背後からそう話しかける。
首筋のあたりに視線を感じた。
ダニエルが仕掛けたというGPS盗聴のコードを確認しているのか。ダニエルに外すのを拒否されたのでそのままだが。
「ちょっと休憩しません?」
ローズブレイドがうしろから顔を覗きこみ、屋上のほうを指す。
「悪いが、このあと用事が」
そう返答しきびすを返そうとしたアレクシスの肩に、ローズブレイドが軽く押しもどすように手を乗せる。
「セックスまでしましょうとは言ってないですよ」
声をひそめてささやく。
アレクシスは、とっさに項に手をあて後ずさった。
「ダニエルさん、どうしてます? いざとなると、あんがい冷静な人なのかな」
ローズブレイドが唇の端を上げる。
冷静なものか。アレクシスは眉をひそめた。
昨夜は、ニンニクのごろごろと入ったスターゲイジーパイを残さず食べさせられた。
すべて口移しという、お仕置きなのかご褒美なのかよく分からん食べさせられ方だったが。
「……オフィスには持ちこまないんじゃなかったのか」
「そうでした」
ローズブレイドが肩をすくめる。
「電子サイン待ちなんで、そのあいだのただの雑談ですよ。オフィスの同僚として。ふつうでしょ?」
そう言い、ローズブレイドはふたたび屋上のほうを指さした。
屋上をおおった透明なドームの外には、きれいな冬晴れの空が広がっていた。
雪がちらほら舞っているようではあるが、大降りにはならないだろう。
アレクシスを先導していたローズブレイドが、屋上の中央に植えられたジャスミンの木のそばで立ち止まる。
「吸います?」
軍服の胸ポケットから煙草のソフトパックをとり、さしだす。
「……いい」
アレクシスは顔をそらした。
「警戒することないですよ。何も入ってないふつうの煙草です」
ローズブレイドは一本をとり出してくわえた。唾液で発火させ水蒸気成分の煙を吐く。
何も入ってない。
そのセリフの不自然さにアレクシスは眉をよせた。
「何か入れたことでも……?」
「このまえのあれ、催淫成分の含まれたものでも使ったのかって疑ってるでしょ」
ローズブレイドが二本指で煙草を押さえる。
「……使ったのか」
「ないしょ」
ローズブレイドがそう答える。流し目でアレクシスと目を合わせ、唇の端を上げた。
「犯されたみたいな顔して。色っぽいな、大尉」
アレクシスは眉間にしわをよせた。
同盟国のスパイという正体について、こちらがもう知っていると気づいているのだろうか。
ダニエルから何か聞いたと踏んでいるのか。
やたらとダニエルの反応を知りたがるのは、そういうことなのだろうか。
「初恋の子、見つかりました?」
ポケットから携帯用の灰皿をとり出し、ローズブレイドがとんとんと灰を落とす。
どこに引っかけがあるか分からない。できればずっと無言で通したいところだが、あくまでも彼の正体について知らないふりをしなければならない。
「……まだだ」
アレクシスは短く答えた。
「俺、あのあと男性の隊員をさがしてみたんですけど」
「あれは……もういい」
アレクシスはそう答えた。
彼とプライベートのことまで話す気にはもうなれない。
「何で? あきらめちゃった? 大尉」
ローズブレイドが気のいい感じに笑う。
表情だけを見ていれば、あかるく人あたりのいい後輩という感じだ。
スパイなどウソなのではという気分になってくる。
「いましたよ、男性隊員で。現在二十七歳、金髪のかわいい顔立ちで、七歳のときに一時だけ陸軍の初等部にいた人」
アレクシスは目を見開いた。
ローズブレイドのヘーゼル色の目と目を合わせる。
「諜報担当の教育機関にいる人は、二、三年にいちど程度、べつの機関や一般家庭なんかに研修として行ったりするそうですね」
ローズブレイドが携帯用灰皿に灰を落とす。
「なるほどねと思いました。一般の将校と違って、あちらこちらの勝手を知らなきゃ潜入とかできませんもんね」
アレクシスは頬を強ばらせた。
以前、初恋の子が諜報担当ではと話したのはこいつだ。
どこからさぐったのかも疑問になる情報を持っていたのは、こちらの軍内をさぐるスパイだからか。
「……もういい。その話は忘れろ」
アレクシスは、きびすを返して話を強引に終わらせようとした。
ローズブレイドが、かまわず話を続ける。
「隊員ぜんぶの照合はまだですけど、すごい身近に該当する人が一人」
ゆっくりとした口調でローズブレイドが続ける。
「ダニエル・クリス・ローズ陸軍少佐」




