RESPISE AD ASTRA CRUSTUM 星を見上げるパイ
夕方。
勤務を終えたアレクシスが自宅マンションに帰ると、ダニエルが出迎えた。
連日のローズブレイドとのしらじらしい会話に神経が疲れていた。ようやく事情を知る相手があらわれ、アレクシスは思わずホッとして抱きしめた。
「少しは懲りたか。二度と浮気はしないと誓うか」
部屋着代わりの薄手のシャツから、ダニエルの体温が伝わる。
もう何の作戦に巻きこまれていてもいい。彼を疑うこと自体に疲れた。
こんなふうに自宅にいて出迎えてくれるのは、以前からあまり多くはなかったが、いいものだなと思う。
「やはりいっしょに住まないかダニエル……」
アレクシスは抱きしめつつそう懇願していた。
ダニエルが黙りこむ。しばらくしてから、なぜか不機嫌な低音の声でつぶやいた。
「……浮気を責められると、即座に口説きに入る。浮気の追及を躱す手だけは見事だな」
「は?」
アレクシスは口元をゆがませた。
ダニエルが腕を軽くふりほどき、身体を離す。
「勉強になる」
言いながら、すたすたとキッチンのほうに向かう。
「躱す気はないが……」
オーブンから、温めたじゃがいものような香りがしていた。
ジャケットポテトでも作っていてくれたのか。
ダニエルがオーブンを開けてなかを覗く。
「少しでも悪いと思っているなら、今後は僕以外の人間としゃべるな」
ダニエルが戸棚を開けてフォークをとりだす。
「どうやって仕事しろと」
「僕と軍の仕事とどっちが大事だ」
「おまえがそれ聞くか……」
どうしたんだ、こいつとアレクシスは困惑した。
ダニエルがオーブンのなかの料理に雑にフォークをつき刺す。
「まだだな。生焼けだ」
そうつぶやいて大きな目を眇める。
ジャケットポテトだよなと、アレクシスは眉をよせた。
表情が、拷問の指示でもしている冷酷な軍曹を思わせるんだが。
「あなたが軍本部から左遷されて、給料の落ちる予備隊員になっても僕が養ってあげるけど」
何の話だとアレクシスは困惑した。
「ハニトラに引っかかったことを報告せずにいることで、僕があなたを尊重してることも分かってほしい」
「あ……ああ」
話の意図がいまいちつかめないが、アレクシスはとりあえず返事をした。
ローズブレイドにDNAデータをとられたことについての処置は、ダニエルに任せてある。
「まだ報告をしていない」というセリフで、自身も以前おなじようなことをしていたと少し心配したが。
「おまえにすべて任せる……」
アレクシスはそう告げた。
ダニエルがふたたびオーブンを開ける。
料理になんどもフォークを突き刺しながら、言葉を続けた。
「ほんとうは予備隊員になってもらって、一日中自宅にいるあなたに首輪をつけて犬みたいに飼うのもいいなとも考えたけど」
何かの例え話だよな。
アレクシスはふたたび眉をよせた。
「冷静になろうとはしてるけど、やっぱりムカつく」
ダニエルがオーブンのなかの料理に、グサグサとフォークをつき立てる。
アレクシスは困惑しながらその様子をながめていた。
「……何回でも謝るから」
「スパイの手練手管だ。情報収集して信頼を築いて、心理の隙をつく。引っかかるのもしかたないって知ってるけど」
「……謝る」
「どんなお仕置きしたら気がおしまるか、ずっと考えてた」
ダニエルがもういちどオーブンを閉める。
しばらく温めたあと、かたわらのキッチンペーパーを手に湯気の立つ料理をとり出した。
大きめの皿に盛られた手料理を見て、アレクシスは後ずさった。
スターゲイジーパイ。
ゆでたジャガイモやら卵やらの上にパイ生地を乗せ、魚を丸ごと入れた伝統料理だが、衝撃的なのはその見た目だ。
魚の頭部がすべて真上につき出している。
何匹もの魚がパイから頭をだし空を見上げているから、星を見上げるパイなのだ。
料理の由来を知ってはいても、それでも悪趣味としか感じられないこの料理がアレクシスは苦手だった。
「ニンニクもぎっしり入れておいたからね。今夜は僕のために頑張ってね」
言いながらダニエルがパイを切り分ける。
数種類の魚を使うというムダに伝統にそった材料選びをしているわりには、ザリガニの頭部とハサミも混じってつき出しているという斬新さが怖い。
「いや……それは苦手で。ダニエル」
「嫌なものじゃなきゃお仕置きにならないでしょ?」
ダニエルが魚の頭部にフォークを刺し、パイからずるりと抜き出す。
「はい、あーん」
丸ごとの魚をアレクシスにさし出した。
このパイの嫌なのは、見た目だけではない。生臭かったり苦かったりして、ともかくまずい。
「おまえ……せめて魚の下処理したか」
「してないよ。面倒だし」
しれっとダニエルが言う。
ほかのことは細部まで頭が回るのに、なぜ料理だけは超絶に大雑把なのか。
自炊をする人はめったにいないご時世だが、いざかんたんな料理をするとなると、アレクシスの腕のほうがまだマシなのだ。
「あーん」
ダニエルがフォークをさし出してせまる。
初恋のあの子を思い出した。
にっこりと笑いかけながらこのパイをさし出し、「ザリガニのバージョンもあるんだよね」と。
性格、似てないか。
口元に魚の頭部をぐいぐいと押しつけられながら、アレクシスはダニエルの大きな薄青の目を見つめた。
目の色も同じだった気がする。
ローズブレイドが、ほんとうは男の子だったなんてことはと言っていたが。
もしダニエルがあの子なら、自分のことを覚えていてくれたということなんだろうか。
アレクシスは両手を伸ばし、ダニエルの頬を包んだ。
ダニエルに口づける。
もしダニエルがあの子なら、子供のころに一時期をいっしょに過ごした相手だと気づいて教会のチラシを渡したのだろうか。
もしそうなら、愛おしすぎる。
ダニエルをますます怒らせてしまっただろうか。アレクシスはいったん唇を離した。
「すまん。魚と口づけるくらいなら、こっちが」
何とか言い訳をひねりだし、ふたたび口づける。
「……くそ。イタリア男」
ダニエルが毒づきながらも口づけに応じる。
ジャガイモと魚の生臭い匂いと、ニンニクの香りがただようキッチンで、おたがいの唇をむさぼった。




