ROSA HABET SPINAS 薔薇に棘あり III
ローズブレイドの体温が、室内着を通じて伝わる。
アレクシスは硬直した。
五日もダニエルに会っていない。人のぬくもりが恋しい気持ちはある。
「なん……」
口をひきつらせて、背後に顔を向ける。
「何の冗談やってんだ、おまえ」
うしろに手をのばして、ローズブレイドのシャツをつかんで引っぱる。
「冗談なんかやってないですよ。その人は大尉の恋人のふりをして、大尉を手駒にしてるだけでは?」
スッと体を離し、ローズブレイドが目を合わせてくる。
「ハニートラップでは? 大尉」
アレクシスは後輩の顔をじっと見つめた。
自軍の諜報担当だと答えようとして、口をつぐむ。
ロッカー室で接触してきた諜報担当の説明では、いまは自軍だと言うことすらまずいだろう。
「いや……大丈夫だ」
ローズブレイドからはなれ、冷蔵庫を閉める。
「……ジンジャーエール奢る約束だったな。ないから買ってくる」
奥のドアを開けて、クローゼットのある寝室に入る。
「大尉」
ローズブレイドが、あとを追って入室した。
「何で来てる」
アレクシスはふり向いて追い返そうとした。
肩を押した手をローズブレイドが押し退け、アレクシスの頭部を両手でつかむ。
「好きです」
ローズブレイドが、むりやり顔を近づけてアレクシスの唇を食む。
顔の角度を変えて深く口づけると、ぎこちない動きで舌をからめた。
「いや……待て」
アレクシスは、強引に引きはがした。
手なれていて艶かしいダニエルのキスとはちがう。ぎこちなく初々しい。
ダニエルの存在がなければフラフラと乗ったかもしれないが、彼が過激な牽制をしている上に、おなじフロア内の同僚だ。
軽々しく手を出して、職務の上で気まずいことになりたくない。
「……落ちつけ」
ローズブレイドの両肩に手を置き、密着できないようおさえる。
「落ちついてますよ。大尉こそどんな説明をされたんです。ほんとうのこと言われてると思ってます?」
アレクシスは、目を見開いた。
「相手はスパイですよ。ちょっと考えたくらいでは矛盾に気づかないような作り話なんて、お手のものですよ」
ダニエルに対する信用がぐらつく。
このマンションで以前のようにすごしている恋人としての顔も、ロッカー室での諜報担当の説明も、すべてウソなら。
やはりダニエルはチェルカシアの人間で、自分をだまして軍を裏切らせ手駒にしているだけなのだとしたら。
アレクシスは、不安で目眩を覚えた。
敵国の人間だと思っていた恋人がじつは自国の人間で、作戦上で敵国人のふりをしていたなどできすぎた話ではないのか。
スパイと発覚してからのダニエルの様子がつぎつぎと思い浮かぶ。
何を信じていいのか。
「ね。大尉、俺を信じて」
ローズブレイドが頬に手を添える。
「俺はおなじオフィスの人間ですよ。二年以上もいっしょに職務についてきたでしょう?」
ローズブレイドのやわらかい唇が唇に触れ、そっとすべる。
「俺は、大尉に実務について教えてもらった人間ですよ。その恋人と出逢ったのはいつです。どんな切っかけで?」
一年前に、カフェで。
チラシを。そう言いかけて、アレクシスは、ハッと後輩から顔をはなす。
ローズブレイドの大きな目と自身の目がかち合う。
「だからといって、おまえとどうこうなるつもりは」
あわてて離れた。
「スパイとの出逢いなんて、仕組まれたものに決まってるでしょう。大尉の好みや行動を調べて」
ローズブレイドが、縋るように両腕をつかむ。
「分かりますか? そのずっとまえから目をつけられていたんですよ」
カフェでチラシを渡してくるまえから、ダニエルは自分を知っていた。
そう思ってしまうと、納得できる部分が多い気がした。
あのときにはじめて逢ったにしては、すんなりと親近感を持った。
ダニエルが初恋の子に似ていたからだ。
顔立ちもしぐさも何となくの表情も。
「大尉が心配なんです。今後おかしなことがあったら俺に相談して」
ローズブレイドが脇に手をすべらせ、するりと体を密着させる。
アレクシスは不意をつかれて、わずかにうしろによろめいた。
じわりと体温がつたわる。
もう五日も会えていない恋人に、疑惑が湧いた。
何が真実で、何がウソなのか。
アレクシスは、後輩の細い肩を抱きしめた。
たしかな感触に縋りたい。
「抱いて、大尉。オフィスにまで関係を持ちこむほどバカじゃないですよ、俺」
ローズブレイドが背中に手を回してくる。
「初恋の子がみつかったら、その子にちゃんと大尉をゆずるから。それまで」
健気だと思ってしまった。
ダニエルもいつも健気なことを言ってくれるが。
軍は、ダニエルの身の安全を守るためDNAのデータを機密あつかいにしていた。
ダニエルが自軍の人間だと確信したきっかけは、それだったはず。
軍の名簿に氏名と顔写真があった。
だがそれも、何らかの細工ならどうする。
DNA等のチェックのきびしい軍施設に難なく入館し、ロッカー室に軍の制服で現れた。
だがほんとうに、登録されているDNAを一致させなければ入館はぜったいに不可能なのか。
いちど疑いだすと、すべてが疑わしく思えてくる。
ローズブレイドの言うとおり、相手はスパイなのだ。
人が証拠と判断する要素を、すべて違和感なく改竄するなど朝飯前だろう。
信じてやりたいのだ。
だが、どこを手がかりに信じていいのか。信じていた要素が、片っ端からくずれていく感覚を覚える。
ダニエルがここにいれば、いくらでも問いただすことができる。
しかし、五日も会えていない。
ほんとうに任務で忙しいだけなのか。
自分は、何かまったくべつの作戦に巻きこまれているのでは。
「大尉」
ローズブレイドが強く抱きしめる。
「俺が守ってあげる。俺を信じて」
アレクシスは後輩の存在を確認するようにぎっちりと抱きしめた。
確信できるはっきりとした手の感触がほしい。
メールで一日最低二回はくる連絡ではない。両手でふれて体全体で感じる確実なものがほしい。
信じてやりたいのだ。
「……ダニエル」
ついそう呟いていた。
気まずくなり、抱きしめた手をゆるめる。
言い訳をしようとローズブレイドの顔を見ると、苦笑していた。
「アレクシスって呼んでいい? 大尉。いまだけ」
ダニエルと面差しの似た幼顔。
ダニエルがよくするような顔を見上げての微笑。
ローズブレイドが部屋の奥にあるベッドを見る。
そちらのほうに軽く体を押された。
後輩の顔を見つめたまま、アレクシスは逆らうことなく足を動かしていた。




