二十八本目 黒い翼
何者かの気配で、オレは目覚めた。瞼が重く、うっすらとしか目が開けられない。
どこかに寝かされているようだが、工房の見慣れた風景ではなかった。
魔王決定戦の本戦でオーガ・ドゥジと戦い、なんとか勝ったもののそのあと意識が途絶えて……。
「目が覚めたみたいだね」
不意にかけられた声に目を見開く。本当は起き上がりたかったが、そこまではできなかった。全身から冷や汗が噴き出る。
イビィの声でも、ルーシーの声でもない。この声は……。
「ミネルバ、か?」
「正解」
ゆっくりと声の方に顔を向けると、甲冑を脱ぎ、いくらかラフな格好のミネルバが椅子に腰掛けていた。その顔には、大きなガーゼが貼り付けられていた。
「勝ったのか?」
「もちろん。君も僕もね」
ミネルバはさも当然とでも言うように、こともなげに答えた。
「ここは……医務室か?」
落ち着いてみれば、漂う薬品の香りと無機質な調度品から、ここが医務室だと予想がついた。
「そう。魔王決定戦での負傷者は、ドラゴニュート一族の指示である程度治療しているみたい。……参加の時に書かされた誓約書的に、そのまま放って置かれるものだと思っていたけど、存外、しっかりしているようだね」
ミネルバは肩をすくめた。
たしかに、一回戦で戦ったシェスティも担架で運ばれていったな。オレもあの時会場に残っていれば、医務室に連れて行かれていたのかもしれない。
オレが思案していると、ミネルバは急に真面目な顔になり、口を開いた。
「ねぇ、君毎回あんな大怪我を負うつもりかい?」
質問の意図がわからず、オレは困惑した。もちろん、追わなくて済むなら負いたくはない。そんな当たり前のことを、なぜミネルバは聞くのだろう?
ふと、意識を自分の体に向ける。
あちこち痛いが、明らかに群を抜いて痛いであろう、ドゥジに斬られた胸の傷が、全く痛くないことに気が付く。
それに、あれだけ血を流したというのに、思考はクリアだ。本来なら貧血で意識が朦朧としていてもおかしくはない。
「ルーシーか」
「そう、あの子が必死に治していたよ」
そのルーシーは今どこにいる?
少なくとも、オレの視界にはミネルバしかいなかった。あと、人がいそうなところは、ミネルバの背後のカーテンで仕切られたベッドくらいだ。
なぜだか、どうしようもなく嫌な予感がした。
「ルーシー!」
ミネルバも、自分の体すらも無視して、ベッドから飛び起きた。足がもつれ、カーテンにすがりつくような体勢で隣のベッドに駆け寄る。
荒々しくカーテンを開けると、そこにはルーシーが横たわっていた。眉間に皺を寄せ、耐えるように目を閉じている。しかし、何より目を引くのはルーシーの背中から生えた見慣れぬ黒い翼だった。
「いったい、なにが……」
あまりのことに言葉を失い、オレはよろけた。すかさずミネルバがオレを支え、耳打ちした。
「《治癒》の副作用だよ。あんな強い力、なんの反動もなしに使えるわけないだろう?」
そんなこと、ルーシーは一言も言っていなかった。だが、思い返せば心当たりはある。少し考えれば辿りつけそうな答えを、オレは見て見ぬ振りして誤魔化していたのかもしれない。
「ルーシー……」
オレはよろよろとルーシーに近付き、そっと腕に触れた。体温はあるもののひんやりとした感触のそれは、オレを後悔させるに十分だった。
「……うるさいぞ、グレン」
ルーシーがうっすらと目を開ける。相変わらず辛そうだったが、意識があることに安堵した。
「ちょっと疲れただけだ。まったく、これも大怪我をするグレンのせいだからな」
ルーシーは悪態を吐きながらベッドから起き上がる。
「……ごめん」
「は?」
ルーシーは目を丸くしてオレを見た後、胡散臭いものでも見るように目を細めた。
「……いったいなんだ、柄にもない」
どうやらオレが謝ったことを不気味がっているようだった。普段であれば失礼なルーシーに腹を立てるところだが、今回は話が違う。
「オレのせいで翼が」
「翼ぁ?」
ルーシーは首を捻って自分の翼を確認した。少し前まで白一色だった一対の翼は、黒く変色してしまっている。
ルーシーはしばらく翼を見つめていた。軽くはばたいてみたり、大きく広げたりして、動きを確かめているようだ。
「問題ない。色が変わっただけだ」
「『色が変わっただけ』って、そんな」
ルーシーの人差し指がオレの口に当てられた。オレは驚いて二の句がつげない。
「色が変わっただけだ。私に何か不便があるわけじゃない」
そう言い切って、ルーシーは指を離した。オレは何か反論したかったが、いい言葉が浮かばず黙り込んだ。
色が変わっただけだって? 冗談じゃない、大事じゃないか。
オレは歯噛みした。オレが戦うたびに怪我を負わなければ、ルーシーはこんなことにならなかったはずだ。
武器を手にしてから、しばらく感じることのなかった衝動が込み上げてきた。
――強く、なりたい。
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