王という器 レンファイ視点
アルタカシークに比べて涼しい気候であるリンシャークに夏の風が届き始めたころ、王宮の離れの一室で私は眉を顰めていました。
「お父様が?」
「はい。今すぐに奥の会談室へ来るように、と」
「奥の会談室……」
重要な人物との会合で使われる奥の会談室に私を呼ぶということは……。
私は伝達係の者に「すぐに参ります」と返事をして椅子から立ち上がりました。側近であるファイエが客との対面用のマントを持ってきて、私の肩にふわりと掛けます。
「……エンヴァ様となにかあったのかしら」
「十分にご注意なさいませ、レンファイ様」
「わかっているわ」
自室がある離れから表宮へ繋がる廊下を歩きながら、私は心の中でため息を吐きました。
今、父である国王と会談をしているのは、リンシャークで二番目に勢力を持っているアトの州長エンヴァです。最強の騎馬民族であり、荒い気性のアト族を統べるやり手の女傑。厳しい王として知られる父でさえも手を焼く厄介な相手です。
「私の帰国に合わせて接見にきたということは、初めから私に用があったのでしょうね」
「急にレンファイ様を呼びつけるなんて、次期王に対して敬意が足りませんわ」
「いえ、きっとお父様が私を呼ばずに済まそうと思っていたところ、そうもいかなくなったのでしょう」
執務を行う表宮に着いて奥の会談室へ向かいます。厳重に警備されている表宮の廊下を私と側近たちがぞろぞろと進むと、先の扉の前にアト族の騎士たちが立っているのが見えました。どうやら部屋の中から出されたようです。
側近の騎士を排してなにを話しているのかしら。
私の訪れに気付いたうちの騎士が中へ声を掛け、私は開かれた大きな扉を潜って会談室の中へ入りました。
表宮の中ではこぢんまりとした部屋ですが、それでも十分に広い部屋の中央に横長で大きい重厚な机があり、そこにエンヴァと父が向かい合わせに座っています。他の側近が誰もいないところを見ると、かなり内密な話がされていたようです。
「きたか」
「はい」
「久しぶりだねぇ、レンファイ様。また美しく成長されたようだ」
「お久しぶりです、エンヴァ様。お会いするのは数年ぶりでしょうか」
「姫様が学院に入ってから会う機会が少なくなってしまって、私は寂しい限りですよ」
私の父母より少し上の年齢であるエンヴァの目の奥には、明らかに私を侮っている色が映っています。私はそんなエンヴァに笑顔を向けながら、父の隣に座りました。
「私をこちらに呼んだのはどういったご用件でしょう?」
「私は何度も断ったのだが、エンヴァがどうしても其方に直接聞きたいと言うのでな」
「姫様ご本人がどう考えるのか聞きたいと思うのは当たり前ではないですか。姫様に関わる話なんですから」
「私に?」
私がそう聞き返すと、エンヴァはニヤリと笑って言いました。
「姫様、うちの息子を婿にしませんか」
「エンヴァ様のご子息を? ……エンヴァ様、私の婚約者はすでに決まっていますが」
「わかってるよ。ジャナンの方からもらうんだろ? 順番だからね……」
荒い性格の血のせいかエンヴァは言葉遣いがコロコロと変わります。
「ええ。リンシャークは多民族国家です。その国内をまとめるために、国王には第二勢力であるアト族と、第三勢力であるジャナン族から順番に嫁や婿を取るという方針ではないですか」
すでに父の第二夫人にアト族のエンヴァの妹が嫁いでいます。順番としては次に私に婿に来るのはジャナン族の男子ということになっているのです。
ただ、男性の王と違ってたくさんの配偶者を持つことができない女王の場合、婿としてやってきた男子が王配として力を持つことになります。ここ数百年ほど男性の国王が続いていたので、この慣習を知っている人は国内でも少ないですが。
「だがジャナンの候補者はあのでくの坊だろう? あんなのが王配になって姫様を支えられるのかい?」
「ジャナン族の男子ではご不満だと?」
「あれに比べたらうちの末の息子は優秀だよ。頭の回転は早いし、武術だって得意だ。姫様を支えるのはうちの息子の方がいいと思います」
「エンヴァの末の息子はまだ学院にも通えない子どもではないか」
父がたまらず口を挟みました。確かエンヴァの成人した子どもはすでに独立してアト州の各地を治めているはずで、私と年頃の近いのは娘だけだったと記憶しています。
「あと数年も経てばすぐに大きくなる」
「エンヴァの息子が学院に通っている間にレンファイは歳をとってしまう。そこから子を作るのは時期的に遅すぎる」
「フン、学院なんて行かなくても優秀な魔石使いにはなれますよ」
「学院に通わせずに婿としての勤めを果たすと?」
「ええ、うちの息子なら十分に可能です」
父とエンヴァの会話を聞いて私は眉を寄せて目を閉じました。
全く、世界というものが見えていない人です。
「エンヴァ様、私は学院に通ってない者を結婚相手として迎える気はありません」
「姫様?」
「学院の教育を侮ってはいけません。あそこに通わない魔石使いはこの先間違いなく遅れていきます。その叡智を学ばない者と一緒になるくらいなら、少々頼りなくても、ジャナン族の方を婿にもらう方がマシです」
私がはっきりそう言うと、エンヴァの目が厳しいものに変わります。
「……そのような頼りない婿をもらって、この国を治めていけると?」
「エンヴァ様にはよほど私が力不足に見えるのですね。これでも次期国王になるべく厳しく育てられたと思うのですけれど」
そして私の力を侮るということはその教育をしてきた父をも侮ることになるのだと、この方は気付かないのでしょうか。
「それになぜ今になって婿の話をされるのです? 私の相手のことはアトとジャナンの間では前から決まっていたことではありませんか」
私は来年には王位を継ぎます。結婚相手は王位についてから二十歳の間に迎える予定になっているのです。
「これからのリンシャーク国を考えた時にジャナンの男子では頼りないと思っただけですよ」
「……」
「エンヴァ、レンファイの意志はわかったであろう。とにかく今日はこれくらいにしてくれ」
「……わかりました。急な話だったので今回はこれで下がりますが、私はまだ諦めていませんから。婚約者の公表は姫様が卒業してからでしょう? それまでに何度でも来ますよ」
エンヴァはそう言って席を立ち、父が側近に声をかける前に扉を開けて出て行ってしまいました。
「怒らせてしまったでしょうか」
「いや、エンヴァにはあれくらいはっきり言った方が良い」
父はかぶりを振って立ち上がり、私を見ます。
「レンファイ、夕食後に少し話がある」
「わかりました。私もさっきの話で気になることがございます」
「……そうだろうな」
父はフッと笑うと側近を伴って執務室へと戻っていきました。
夕食後、私は自分の離れから王とその妻たちが住む裏宮の内密部屋を訪れました。中には父と母と私の三人だけです。私は気になっていたことを単刀直入に聞きました。
「アトとジャナンの間になにかあったのですか? なぜ急にエンヴァがあのようなことを言ってきたのです?」
私の婚約者はジャナンの州長の次男で、それは前から内々に決まっていたことです。
「……最近ジャナン州が急に力をつけてきたことは知っているな?」
「はい。跡継ぎである長男の方が優秀で、新しい事業を興しているのですよね」
「そうだ。まだ州長になっていないのでエンヴァは甘く見ていたようだが、思ってた以上にその長男の力のおかげでジャナン州が豊かになってきている」
「それに今さら気付いて、これ以上ジャナンが力を持たぬように私の結婚相手に自分の息子を推してきたということですか?」
「簡単に言うとそういうことだ。全く、困ったものだ」
「さすがに非常識が過ぎるのではございませんか?」
母が眉根を寄せて不満を口にします。母はカリム国の王族から嫁いできた第一夫人なので、貴族らしくないエンヴァやアト族たちが苦手なのです。もちろん、第二夫人であるエンヴァの妹のことも。
「……それに、エンヴァ様は私に王としての器がないとも思っているようですからね」
「まあ! それは私たちの教育が不十分だと言ってるのと同じではありませんか!」
「いえ、私が頼りなく見えるのが原因なのでしょう。申し訳ありません、お父様、お母様」
「其方は私の厳しい教育に耐えてきた。王の器ではないということなど有り得ぬ。ただジャナンが力を持ち、アトがそれに反発するとまた国が荒れることになる。其方はその中を治めていかねばならぬ」
父の言葉に私は膝の上に置いた手をぎゅっと握ります。父の治世のころに保っていた均衡が少しずつ揺らぎ始めているのはわかっていました。
「私には婚姻という手でそれを抑える手段があったが、其方はそれが使えぬからな」
「……女王になるというのがどれほど大変なのかというのは、覚悟しています」
夫を何人も持つことができない女性が王となるのは厳しい、それがリンシャークのような多民族国家であるならば尚更です。
婚姻を利用せず実力だけで治めていかなければならないし、その間に一族の血を絶やさないために多くの子を産まなくてはいけません。
「エンヴァのことは気にせずともよい。結婚相手は変わらぬ。今度からは私だけで対応しておく」
「ありがとうございます、お父様。正直に申しますと、王位を継ぐこと以外のことを考える時間は今の私にはありません」
王位継承の教育は最終段階に来ているのです。学院から帰ってきた数ヶ月だけでそれを詰め込まなければなりません。
「学院がなければこれほど苦労することはないのだがな」
「仕方ありません。それに学院へ通うことはこの先も必須になっていくでしょうから、私の次の王になる子にはそれを踏まえた教育に変えていくべきでしょうね」
「やはりそれほどまでに学院の教育は優秀なのだな」
父はそう言って顎に手をやります。
「お父様のお話というのは学院のことですか?」
「ああ、さっきエンヴァに言っていたであろう? 学院に通わぬ者を婿に迎える気はない、と」
「そうです。学院の教育が素晴らしいことはお父様にもお伝えしていたではありませんか」
「聞いてはいたが、あの虚弱王にそのような学院を作る力があったとはいまだに信じられぬ……」
「お父様の世代は前王とアルスラン様の幼少のころのイメージが強いですものね」
「ジャヒード王は優しい男であったが、国を作り替える力は持っていなかったからな。そしていつ死んでもおかしくなかった王子が跡を継いで今のように発展させるなど、考えられなかった」
私が学院に通い始めてから毎回その話になります。父にとっては衰退し、消えかかっていたアルタカシークが奇跡的に蘇ったことが不気味に映るようです。今では西のザガルディと同じくらいアルタカシークのことを警戒しています。
「アルスラン様はとても優れた王であることは学院にいればわかるのですけれど、お父様は来れませんものね」
アルスラン様が王の部屋から出れず、誰にも会われないことは世界中の王族が知っています。大国リンシャークの王である父がアルタカシークに行ってもそれは同じです。他国の王が来ているのに会わないのは無礼すぎるので、アルスラン様は決して自国に他国の王を呼びません。
「せめて直接会うことができれば、どのような人物か確かめることができるのだがな……」
「確かに、どういった方かわからないうちはそうなるでしょうね。ただ、声は王の威厳のある落ち着いたものでしたよ」
私は終業式前の全校集会で聞いた、アルスラン様の声を思い出しながら言いました。
「……例のエル……フの話の時か」
そうポツリと呟いて父はさらに厳しい顔になります。ディアナが新しいエルフという存在で、アルスラン様に保護されているという話はすでに父には報告済みです。
「今まで声すら聞いたことのなかったアルスラン様が、自らディアナを保護していると宣言されたのには驚きました」
「其方はよくその新しいエルフの話ができるな」
「ディアナはそのように嫌な顔をして話をするような存在ではないですよ。本人はとても可愛らしい子です」
私はディアナの顔を思い出しながらふふ、と笑って答えます。ディアナはなんというか、自然と肩の力が抜けるふんわりとしたオーラを出しているのです。
父は私のその顔を見てさらに嫌な顔になりました。
「心配しているのはそこだ。其方もしやそのエルフに心を許しているのではないだろうな?」
「ご心配なく、お父様。リンシャークの次期王として私が警戒を緩めることはありません。ディアナがどういう意図を持って学院にいるのか、次の一年で見極めようと思っています」
「そのエルフが立ち上げたクラブに入ったというのはいい判断だったな」
「はい。お父様に納得のいく報告ができるように務めてまいります」
「ああ。リンシャークの国の中が乱れようとしている時に、他国のことで気を揉みたくはないからな。厄介な他国はザガルディだけで十分だ」
「……そうですね」
私はそういって目を伏せました。
父と母との話を終え、寝支度を整えて寝室の椅子に腰掛け、私はふぅ、と息を吐きました。使用人を下がせたこの時間が唯一、私が一人になれる時間です。
窓の外を見ると、小さな三日月が暗闇の中に浮かんでいました。
「……今日も月は浮かんでいるのね」
——なにか相談したいことがあったら、空を見て。俺もいつも月を見ているからそこに話かければいいよ。
そんな風に言った男の顔が浮かんで、ふふっと素で笑ってしまいました。
「相談したいことなんてないけれど……」
さっきのエンヴァのことを思い出します。明らかに、私のことをただの小娘だと思っている彼女の目を。
「……私は王の器を持っているのかしら」
厳しく、自分の国を導いてきた父。
消えかけていた国を復活させたアルスラン様。
私は、彼らと同じような、いえそれ以上の力を周りに示さねばなりません。
「私が男に生まれていれば、と思わないこともないのよ……」
私は月にポツリポツリと語りかけます。
「もちろん覚悟はできてるわ。そのための努力だってしてきた。でもあと一年だと思うと、どうしてもここが痛くなってくるのよ」
私はそっと胸に手を当てます。自分の心臓の鼓動がトクトクと音を鳴らしていました。
『レンファイ様、大丈夫ですか』
なぜだかわからないけれど、ふとディアナの声が聞こえた気がして、私は目を瞬きます。
私の体の具合が悪かったあの時と同じように、私に癒しをかけるディアナの姿が浮かんで、ふ、と体が少し楽になった気がしました。
「……ディアナ」
なぜ彼女のことが浮かんだのでしょう。
「一級の授業で一緒になった時から、不思議な子だなとは思っていたのよね」
貴族らしくないオーラを持っていて、大国の私たちと同じ力を持っている優秀な女の子。それだけではないと気付いたのは私の体調を見破った時です。今まで私の不調に気付くのはイバンくらいしかいなかったのに、彼女はすぐに気付きました。
それだけでも驚きでしたが、彼女はそのあと誰にも悟られることなく私に癒しの魔石術をかけたのです。学院の側近でさえ私に魔石術をかけることを躊躇うというのに……。
そのあとイバンが彼女の作る演劇クラブの劇に出演することがわかって、そう、私は彼女に興味を持ったのです。
「今まで出会ったことのない人物だったから……」
まさか私をはめようとした犯人を捕まえるなんて思いませんでしたし、彼女が新しいエルフだと聞いた時も一瞬頭が真っ白になったくらい衝撃を受けました。
演劇クラブに入ったのは彼女がどんなエルフなのか確かめるためです。でも、本当にそれだけでしょうか。
『私、絶対いい劇を作ります』
と屈託のない笑顔で宣言していたディアナの顔が思い浮かびます。
「あの顔を見るとなぜかホッとしてしまうのよね。こんなこと今までなかったのに……。貴方もそうなのでしょう? イバン」
私は月に向かってそう語りかけます。
「あと一年……。私、彼女と過ごせるのが少し楽しみでもあるのね」
その気持ちに気付いて、フッと笑ったあと、父の言っていた言葉を思い出しました。
『其方もしやそのエルフに心を許しているのではないだろうな?』
……お父様にはああ言いましたけれど、案外そうかもしれません。
そう思いかけて、私は首を左右に振ります。
「いえ、ダメですね。次期王としての務めはしっかりと果たさなくては」
私はリンシャーク王になるのです。自分には王の器があると曇りひとつない心で言えるように、残り一年精進せねばなりません。
私は緩みそうになった気持ちを引き締めて、窓の側から離れました。
夏休み中のレンファイ視点でした。
大国の事情と彼女の覚悟のお話。
次は 北から届いた物語、です。




