七話・出立
「昨日は夜に帰ってきたんだろう? で、それからまた魔獣を狩りに行ったってのか?」
朝、アッシュは宿舎の食堂で食事をとっていた。
そして、向かい合って座るグレンデルが目を輝かせて話しかけてきた。
ばったり会って食事を共にすることになり、昨日のことを話したら途端にこの調子になったのだ。
「骸の勇者は眠らないって噂、本当だったんだな」
額に手を当てて感心したように唸るグレンデルに一瞥をやった。
「まぁ。……眠らなくても、そう支障はないから」
「そうなのかぁ……」
グレンデルはそう言うと本当に感心したように頷く。
不思議な人だと思う。
すでに魔物になりかけ、多くの魂を喰らったアッシュは様々な部分で人と異なっている。
睡眠についてもそうだ。
眠気は強く感じるし、寝なければ隈もできるが寝る必要はあまりない。
だからアッシュは夜通しで魔獣を狩ることができる。
「とんでもない奴だよ。……ほんとに」
きらきらとした瞳をこちらへ向け、存外に幼稚な言葉で褒め称えてくるグレンデルを見る。
少し疎ましさを感じながら、朝食の玉ねぎとほうれん草のスープをすすった。
野菜の鮮度を誤魔化すためか、にんにくとこしょうがかなり効いていた。
「…………」
基本的に騎士は朝食をゆっくりとってから出勤してくるので、食堂には兵士以外は出入りしない。
だから出される食事もこんなものだ。
アッシュは気にしないし、グレンデルもそんな様子は見せてはいないが。
「アッシュ、お前って、その、もしかして……」
「なんだ?」
何か聞きたそうにするグレンデルに先を促してみせるが、猛烈な勢いで彼はかぶりを振る。
「いや、何でもない。流石にあれは嘘だ……いやでももしかしたら……」
彼はそんなふうに長く躊躇ったものの、結局疑問を口にすることにしたらしい。
きらめく瞳で語りかけてくる。
「……あのさ」
「ああ」
「三本目の腕は……どこにあるんだ?」
「どこにもない。そんなものはない」
呆れ果てた。
全くもって彼が年上だとは思えなかった。
「悪いけど俺はもう行く」
黒パンもチーズもスープも全て片付けた。
木の椀と皿とコップとトレイ。
後はこれらを洗い場まで持っていくだけだ。
「食うのも早い! 何回噛んでるんだ?」
「三十五回。……じゃあ、また」
初対面の際の立派な青年といったイメージはもう完全に崩れ去っていた。
人は一度話しただけでは分からないものだと思った。
「あ、すまないがアッシュ。探索に行く前に親父のところに顔を出してやってくれ! 騎士団長室!」
困惑気味に席を立ったアッシュの背に、慌てたような声がかかる。
「了解」
短く返してその場を去る。
まだ少しだけ混乱していた。
―――
昨日も訪れた騎士団長室だが、今日話すのはグレンデルではなくレイスだった。
「入っても?」
扉の外からノックしてそう声をかける。
すると、部屋の中からがたりと椅子を蹴る音がして、上擦った声で返事が返る。
「ど、どうぞ。勇者様、お入り下さい」
声に従ってドアを開け室内に足を踏み入れる。
部屋の様子は前回とそう変わった気もしないが、少しだけ念入りに掃除されているように感じた。
そして、机の前に微動だにせず直立する初老の男性が、恐らくはレイスだろう。
きれいに整えられた白髪混じりの赤毛に、誠実そうな光を湛える青い瞳。
老いを感じさせるしわの這う口元は真一文字に引き結ばれ、実直さをさらに引き立てている。
それから軍服を着た身体の方は、細身な印象のグレンデルとは違って骨格たくましい。
かつては息子と同じく優秀な戦士であったことが伺える。
「先日は知らぬこととは言え、ご無礼を働いてしまい申し訳ありませんでした……!」
そう言ってレイスはアッシュに頭を下げる。
二回り以上も年上の男が恥も外聞もなく頭を腰の下まで下げて謝罪する。
これには、アリスの言うエセの身分では複雑な気持ちになる。
しかしどうやら相当に信心深いというのはその通りであったようだ。
「気にしなくていい。神と勇者では優先順位が違うだろう」
「そんなことは……いや、でも、確かに……うぅ……。私はどうすれば良かったのだ……」
助け舟のつもりで放った言葉だが、どうやら真剣に悩んでしまったらしい。
レイスは唸り声を上げながら頭を抱える。
その様子はアリスよりよっぽど神官らしかった。
「とにかく、何か用があるんだろう? 手早く済ませてくれると助かる」
「分かりました。申し訳ありません」
そろそろ朝の祈りの時間でもあるのだから、その方が彼にも都合が良いだろう。
「それから、敬語もやめてくれると助かる。気疲れする」
本心から言うと、レイスは釈然としない様子で眉をひそめる。
「しかし、勇者とは……」
「俺はまともな勇者じゃない。あなたにも分かっているはずだ」
語気を強めたせいかレイスは困惑した表情を浮かべる。
勇者扱いされるのが嫌いで、だから反射的にらしくもなく声を荒げてしまった。
「……すまない。そういった扱いは苦手だ。配慮してくれると嬉しい」
「あ、ああ」
アッシュが謝罪すると、レイスは目を瞬かせた。
どうやら驚かせてしまったらしい。
「では用件のことだが……」
半ば気圧された様子で話し始めるレイス。
アッシュはその言葉にじっと耳を傾けた。
「毎日朝に一度、丁度今くらいの時間に調査結果を報告してほしいと伝えたかったのだ。こちらも、街の状況や新たに分かったことがあれば随時そちらに伝える」
「なるほど、分かった。……あなたはいつもここにいるのか?」
アッシュがそう聞くと、レイスは昨日のことを思い出してかばつが悪そうに顎を擦る。
それから、少し思案して口を開いた。
「そうだな、私が出ている時はグレンデルに対応させることにしよう」
今朝のグレンデルの様子を思い出して少しだけ困った気分になる。
するとそれを敏感に察知したのか、レイスが不思議そうに首を傾げる。
「ん、グレンデルでは不満かな?」
「いや、そういう訳じゃないが。……ずいぶん無邪気というか、思っていたものと違ったから」
小耳に挟んでいた『破戒騎士』としての逸話はどれもあのような無邪気な男には結びつかず、どちらかというと傍若無人な印象が強かった。
だから思いがけず人懐こく接されて、少しだけ困惑していた。
アッシュの言葉にレイスは声を上げて笑う。
それは顔を合わせてから初めて見る晴れやかな表情で、グレンデルへの愛情が見て取れた。
「せがれは神を敬わんわりに勇者とか英雄とかそういったものに憧れているのだ。悪く思わないでくれ、アッシュ殿。あれは恐らくあなたに憧れて、友人になりたがっているのだろう」
「友人……?」
それは思いがけない言葉だった。
友など一人もいないし、作る気もない。
「勘弁してくれ。俺は友だちなんかいらない」
「うん。そういう話なら仕方がないが、まぁほどほどに相手にしてやってくれ。頼んだよ」
友人ということについては受け入れるつもりはないが、レイスももう取り合う気はなさそうだったので諦める。
それに、大してこだわるべき話題でもない。
「……報告については了承した。日に一度は訪れるようにする」
「よろしく頼む」
そう言ってまた頭を下げるレイスに、アッシュは別れを告げる。
「俺はもう行かせてもらう」
「気をつけてな。魔力の加護のあらんことを」
お決まりの呪いを唱えて無事を祈ってくれたレイスに、苦笑しつつも頷く。
「ああ」
そして踵を返し早足に部屋から外に出た。
―――
跳ね橋の兵士の敬礼を受け流し、街の外に出ていこうと歩を進める。
ロデーヌの街の朝は忙しない人々の時間だ。
深い夜に閉じられていた門が開き、近くの村や街から馬車がやってくる。
職人が徒弟たちを集め声を高くして指示を出す。
幼い子供は聖堂に読み書きを学びに行き、年長の者は家畜を世話したり親の仕事を手伝ったりする。
婦人も忙しく家事に精を出し、あるいは内職の機織りのために糸を買おうと市場へ赴く。
夕とは違う顔を見せる街を一人歩いていると、前の方からやけに小綺麗な格好をした男が歩いてきた。
細い体に纏う装飾過多な白いローブに金の杖。
体を魔力の苗床と信じる故か、長く伸ばして結んだ青髪に厳しくこちらを見据える金の瞳。
そしてローブの胸には収束する線の紋様、『教会』のルーンが刻まれている。
それは最初の勇者が見出した特殊な形の一つで、月の瞳と並んで度々教会のシンボルとして取り上げられる。
それを見るに、彼は聖職者だろう。
恐らくはそこそこに高位の。
「失礼いたします。アッシュ=バルディエル様とお見受けしますが?」
そんなことを言った男は突然アッシュの前に跪く。
仕方なく足を止め、彼を無感情に一瞥した。
「何か用か?」
その問いに顔を上げた男は鋭い視線を向けてくる。
これは、やはり怒っているのだろうか。
「どうか我らが司教、ウィード=シャスナリア閣下の下に足をお運びくださいませ」
「来た方がいいのか?」
アッシュは神官に嫌われている。
勇者がいつどこに現れようと神から予言を授かってきた教会の神官は、それを背景に権勢をほしいままにしてきた。
しかし勇者出現の予言がない今……その権威は衰え、さらに軍の実験体が人造勇者などと言い出した。
つまり、アッシュの存在自体が教会の権威を貶めているのだ。
だから教会にとって骸の勇者は目障りな存在であり、一貫して疎まれ続けてきた。
大陸に聞こえるアッシュにまつわる悪評の出処も、その大半が教会なのだ。
その関係性もあり、これまでの任地では教会に顔を出さずに済んでいた。
しかし、それで今さら丁重に招待いたします……というのもおかしな話だ。
そんな疑問とは裏腹に、男は猛烈な勢いで言葉を重ねる。
「当然です! 司教様は待てとは言いますが、軍人風情に顔を出しておきながら司教様には顔も見せぬこの仕打ち、お戯れにしてもあんまりではございませんか。私は耐えられません」
その言葉で、アッシュにもなんとなく分かった。
司教領であるここではとりわけ聖職者の権力が強く、彼らにはそれにふさわしい特権意識もあったのだろう。
そんな場所で勇者が軍人と懇意にし(懇意にしたつもりはないが)、教会には顔も見せないとなれば神官たちが顔に泥を塗られたと感じてもおかしくはない。
初めてのケースだったから少し意外な気もしたが、そういうことならますます行く必要はなくなった。
彼らの機嫌を取っていても魔獣は減らないし、その横で村は滅びる。
「必要だからな。騎士団の方は」
言外に行くつもりはないと言い切ると男は唖然とする。
「用はそれだけか?」
睨み合っていても仕方がないので、返事がないと見るとさっさと歩きだす。
一歩二歩と進み、すでに男を置き去りにした所で背に唸るような声が届いた。
「……後悔するぞ、骸の勇者」
振り向くと、憎悪に満ちた顔が射殺さんばかりの視線をこちらに向けていた。
「卑しい化け物が。我らを愚弄したこと、許しはしない」
「そうか」
特に感慨もなく答えて歩き続ける。
そして、今度は振り返ることはしなかった。