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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
288/304

三十四話・明かりを消すこと

 



「うぅ……良かった……良かった……」


 そんな言葉を繰り返しながら、アリスは涙目で書庫を歩いていく。

 かすかにふらつく足で、仲間たちと一緒に。

 目的はアッシュのもとへ向かうことだ。

 そして泣いていたのは、彼がミケリセンに殺されると思ったからだ。


「本当に、もうダメかと……」


 袖で涙を拭う。

 ぐすりとしゃくり上げていると、シドが引いたような目で見てきた。

 少し離れた場所で、遠巻きにして歩きながら。


「なんだこいつ。何があったんだ……? 変わりすぎだろ……」


 無視してノインの姿を探す。

 すぐ後ろにいた。

 目が合う。

 無言で抱き合っていると、何を思ってかサティアがため息を吐いた。


「あの男、前は、半分も……力を出さなかったわね」


 ミケリセンのことだ。

 苦々しげな表情を浮かべていた。

 彼女の言葉にシドも頷く。


「……もしかしたら。僕の時も、本気じゃなかったのかも。あの時、あいつ……誰も殺さなかったしな」


 色々と思い出したのだろう。

 暗い面持ちでそんなことを語る。

 サティアはなにが気になったのか、かすかに眉を動かした。


「殺さなかった? ……あの男が?」


 しかし、会話がそれ以上続くことはなかった。

 みんなで入り口を探す作業に戻る。

 ノインとキメラが死体を操ったり、召喚した影を使ったりして調査した。


「あれ、そういえばあなた……いつそんなことできるように?」


 魔獣の死体を操るノインへの言葉だ。

 その問いに、彼女は困ったような顔で曖昧に言葉を濁す。


「その、少し前です……」


 アリスは黙って頷いた。

 言いにくそうに見えたので、そっとしておこうと考えたのだ。


「なるほど。そうですか」


 そう答えて調査に戻る。

 しかし中々入り口は見つけられずにいた。

 焦りながら、アリスはシドを軽く小突く。


「シドさん。あなた、ミケリセンといたくせに何も知らないんですか?」

「ああ。僕の前では同じ入り口しか使わなかったよ」


 すると横で聞いていたキメラが小さくため息を吐いた。

 疲れたような顔だ。

 ずっと治癒に強化にと酷使されていたので、無理もないが。


「一度元の場所に戻りませんか? 時間帯で場所が変わるなら、ほら……使えるようになってるかも」

「なるほど」


 アリスは感心した。

 中々いい提案だと感じる。

 どうなっているにせよ、確かめる価値は間違いなくあった。


「では行ってみましょうか」


 すぐに他の面々にも声をかける。

 ぞろぞろと歩き始めた。

 静まり返った書庫にはやけに足音が響く。

 進みながら、アリスはあることについて思い出している。


「しかしあの部屋、妙に静かでしたが」


 隠し部屋についてだ。

 今もアリスには魔王の声が聞こえている。

 けれど、あの部屋の中だけはしんと静まり返っていた。

 その静けさといったら、黙り込むという範疇ではない。

 もはや存在を感じないほどなのだ。


「まぁ、うるさいよりはいいですよねぇ……」


 またひとりごとを言う。

 鼻歌混じりに進んでいく。

 少し前まで緊張しっぱなしだったので、解き放たれたような気持ちだった。

 いい気分で歩いていると、やがて例の入り口に戻ってくる。


 そして確認したところ、運良くまた通路が開いていた。


「いやぁ、今日はなんだかラッキーですね〜」


 軽やかな感じで階段を降りながら言った。

 すると、シドが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「すごいな。浮かれすぎじゃないか、お前」

「ふん、なんとでも言いなさい」


 彼の言葉を受け流す。

 だが本当は、もう少し辛辣な言葉を返そうかとも思った。

 ただ大人げないし、寄生されていたことへの同情もあったのでやめた。

 代わりに道案内でも始めることにする。


「ここからずっと進むと大きな扉があるんですよ」


 一度見ていたので、アッシュがいる部屋への行き方は分かっていた。

 先頭に出て引率していくと、すぐに目的の場所に辿り着く。


「……うわ、ボロボロ」


 石室を見ての感想だ。

 ほぼ全て柱が消し飛んで、床も砕けたりへこんだり歪に盛り上がっていたりする。

 子供が散らかした砂場のようにぐちゃぐちゃである。

 崩落が心配になって天井を見上げるも、落ちてくる気配はなかった。


「あ、いた」


 サティアが声を上げる。

 目を向けると、彼女はすたすた歩き始めた。

 そして誰か……おそらくアッシュへと語りかけた。


「すごいわね、あなた。よく、ひとりで、勝ったものよ」


 彼女の行く先に視線を動かす。

 遠くで人影が座り込んでいるのが見えた。

 ひび割れた石室の壁に背をもたれさせている。

 さらに、近くには黒く焦げた燃えカスのようなものもあった。

 匂いが酷いし、人間の形に近い気もするので……死体でも燃やしていたか。


「いや、一人では勝てなかった」


 ともかく、彼は座ったままそう答えた。

 どういう意味なのか少しのあいだ考える。

 けれどやがて気がついた。

 つまり、アリスやキメラが手伝ったことに言及していると。


「…………」


 なんだか嬉しくて、そわそわしながら足を早める。

 サティアを追い抜いた。

 アッシュの前に立って、いかにも誇るような感じで腰に手を当て、ついでに胸を張る。


「あらあら。褒めすぎですよ、アッシュさん?」

「……まだ何も言ってない」


 ふふんと鼻を鳴らす。

 それからアッシュの姿をまじまじと見て、気がついた。

 彼は傷だらけで、しかも左腕がなくなっている。

 アリスは目を見開いた。


「あの……大丈夫ですか?」

「いや。そろそろ、限界だった」


 その答えに小さな違和感を覚える。

 明確に言語化はできないが、傷について答えたのではないと感じた。

 なのでまた目を凝らすと、やがてもう一つ気づく。


「……あっ」


 彼は肉体の一部が魔人化したままだった。

 封印が壊れたこともあり、戻せてはいないのだろう。

 ドス黒い血にまみれて隠されていたが、壊れた装備の隙間から焼死体の皮膚が覗く。

 首元や千切れた左腕の周り、太ももの辺りまでまんべんなく。


 のぼせていた気分が冷水を浴びたように落ち込む。


「ごめんなさい」


 アリスは俯いて謝っていた。

 やはり、無理を言ってでも全員でミケリセンの元へと行くべきだったから。

 それに、彼の侵食をどうすることもできないことが不甲斐ないと感じる。

 あるいは、かつて封印官であったという意識がそうさせたのかもしれない。


「なぜ謝る?」


 アッシュは淡々と言葉を返した。

 本当に分かっていないような顔だ。

 自分の身に起こったことに、もう何の疑問も抱いてはいないのだろう。

 歯がゆく思っていると、アリスの横からキメラが歩み出てきた。

 脊椎の杖を抱いて言葉をかける。


「封印から先に?」

「すまないが、頼む」


 隣に座り込み、キメラが魔術を使い始めた。

 彼女が魔力不足をぼやいていると、サティアが『いい薬がある』というような口を挟む。

 キメラは魔力回復薬の危険性を知っているようで、うさんくさげに追い払っていた。


 そして、治療をしながらアッシュと会話を始める。


「あまり無理をしてはいけませんよ」

「しなければ殺されていた」

「そうでしょうか? あのまま、暴走したフリをしていれば逃げられたんじゃないですか?」


 なんだかお小言のような雰囲気だ。

 アッシュはやりにくそうにしている。

 しかし結局、声を落として彼女の言葉を認めた。


「……すまない。判断ミスだ」


 多分、彼はミケリセンに勝てると思っていたのだろう。

 だから魔王召喚の阻止を優先して戦った。

 アリスだって、あの時点でまだ敵が力を隠しているとは思わなかった。

 これを判断ミスと言うのもかわいそうだが、キメラは大真面目な顔で頷く。


「そうです。次からは、我々に相談してくださいね」


 あの時、彼は会話を打ち切った。

 それをキメラは咎めているのだと気が付く。

 あまりにまともなことを言うものだから、アリスとしても少し驚いた。


「約束ですよ?」


 やがて、キメラは柔らかく笑った。

 アッシュは無言でしおらしく頷く。

 そのやり取りを見て、いつの間にか二人の関係が変わっていると気がつく。

 物理的にも距離が近く、肩が触れるような距離で並んでいた。


「…………」


 それを見ていると、アリスは何故か小石を蹴飛ばしたいような気持ちになる。

 封印という仕事を取られたことが悔しいのか、あるいは別の何かか。

 よく分からないまま、自分の性格の悪さを嘆くしかなかった。


「……嫌なヤツ」


 そう呟く。

 だが、自分で口にしたくせに思ったより効いた。

 なんでこんなに性格が悪いんだろうと落ち込んでいると、キメラたちのそばでサティアが口を挟む。


「驚いたわね。あの、独裁者が……相談を語るとは。もしかして、頭まで……取り替えちゃったとか?」


 手足を頻繁に入れ替えることをからかっているのだ。

 微妙に辛辣なジョークだが、シドとアッシュ以外はみんな笑った。

 サティアはまた言葉を重ねる。


「もっと早く、マシなのに、入れ替えておけば……私に勝てたのに……」

「黙りなさい」


 じゃれ合う二人を見て、アリスもやっと笑った。

 しかしシドが不思議そうにしているのを見つける。

 キメラのことを知らないからだ。


「シドさん」


 だから色々と教えてやることにする。

 声をかけると、彼は何も言わずに振り向いた。


「あの人、手足を別の物に入れ替えて戦うんですよ」


 少しだけ考えるような間があった。

 首を傾げたまま考えて、やがて飲み込めたように頷いた。

 もしかすると、庭での戦闘を思い出したのかもしれない。


「ああ。それで頭を取り替えたって?」

「はい。サティアは冗談が上手いですね」


 アリスはまだ揉めている二人を見て笑った。

 シドはそれを不思議そうな顔で見返してくる。


「…………」


 黙ったままじっと見つめていた。

 居心地が悪くなってくる。

 首を傾げて『なにか?』というようにすると、やがて彼は小さく息を漏らす。


「お前、少し変わったな」


 アリスは目を瞬かせる。

 歩いていた時とは違って引いたような言葉ではない。

 褒めるような気配さえあった。

 なので、よく分からないが胸を張る。


「そうでしょう」


 するとシドは苦笑する。

 腕を組んで、お得意の皮肉を飛ばしてきた。


「ああ。よほどいい頭に取り替えてもらったらしいな」


 その言葉に思わず唖然とする。

 なんと失礼な奴か。

 だがすぐに気を取り直し、口を尖らせて言い返す。


「馬鹿なこと言わないでください。あなたこそ、寄生体に頭を改造されたんじゃないですか?」

「おい、それは言葉が強いだろ。同じ強さで返せよ」


 なんて話すから、アリスは思わず毒気を抜かれる。

 彼がこんなふうに軽口を言えるとは思っていなかったのだ。

 扱いにくく、気に食わないガキだとばかり見ていたから。


「……まぁ、冗談はさておき。これからよろしくお願いしますね」


 それに彼は小さく肩をすくめた。

 すかした態度にアリスは少し呆れる。

 あんな目にあったくせに、もうすっかり元気になったらしい。


「よろしく」


 やがて治療が終わる。

 そして、このままミケリセンの主門を壊しに行くことになった。

 どうやらシドが場所を知っているらしいので、道案内を交代する。


「この部屋の先だ。外に出たらすぐ門がある」


 とのことだ。

 瓦礫の山のような石室を抜け、細い通路を進んでいく。

 真っ暗で長い道だったが、シドが杖の先に明かりを灯した。

 みんなでゆっくりと進んでいく。


「…………」


 一分ほど歩いて通路の先へと出た。

 するとそこには、奇妙な光景が広がっていた。

 つまり夜の山景である。

 書庫の中にあるはずもない情景が目の前にあった。


「……これは」


 アッシュが何かを言おうとして、口を閉ざす。

 驚いて言葉も出ないのだろう。

 黙って周囲を見渡して、次に空を見た。

 今立っている場所は木が生えておらず、開けているから空も見える。

 薄く雲がかかった満月があった。

 生ぬるい風が肌を撫でる。


「この先だ」


 シドが言う。

 先に目を向けると、断崖にかかった細い吊り橋があった。

 下には川も流れているようで、かすかに水音がすることに気が付く。


「行きましょう」


 サティアの言葉でみんな歩き始めた。

 けれど、橋にさしかかったところでゴーストが制止をかける。


「待て、罠を確認しよう」


 唐突な言葉に目を瞬かせた。

 理解できずにいると、サティアが答える。


「……ミケリセンだって、橋は使ってたでしょう? 罠なんて、仕掛けるかしらね……?」


 どうやら、ミケリセンがなにか仕掛けていることを懸念したらしい。

 言われてみればかなりリスクあるというか、生きた心地がしない。

 顔を出して崖の高さを確認し、アリスは青ざめる。


「こわ〜……」


 少し話し合った結果、アリスの召喚獣を先に行かせてみることになった。

 人影を一体、橋に乗せて歩かせる。

 すると半ばほど進んだところで、唐突に橋が爆発した。


「!」


 吊り橋が千切れて、切れた糸のように垂れ下がる。

 砕けた木材は崖の底まで真っ逆さまだ。

 あのまま渡っていたらとんでもないことになっていた……と、考えながら底を見ている。


「……ああ、まずかったわね。ごめんなさいな」


 サティアがバツが悪そうに謝った。

 それをよそに崖の下を見続けている。

 そこでふとアリスは気がついた。

 この下になにか……よく分からないがなにかある、ということに。

 今まで魔王の声が静まり返っていたから、ほんの小さなシグナルに気が付くことができたのだ。


「門は橋の向こうだ。さて、どうやって渡ろうか?」


 シドが言った。

 アリスは気を取り直して答える。

 自分の竜で向こう側まで飛べばいいと。

 それにシドは納得した様子で頷く。


「なるほど、いいな。でも僕は乗らない」

「……ビビリ」


 アリスの言葉は無視された。

 なんだかんだでアッシュとノインとゴーストの三人が行くことになる。

 四人乗りまでしか試したことがないので。

 しかし、ここでキメラも口を開いた。

 いつの間にか背中にハーピィの翼をつけて。


「では、私は自分で飛んでついてきましょう」

「便利な体ね」


 サティアがしみじみと言う。

 すぐにアリスは竜を出して飛び立った。

 その横をキメラはふわふわと浮かんでついてくる。

 両腕を開いて、風を受け入れるような感じでゆっくりと飛んでいた。

 これを見ていると何故か笑えて、アリスは何度か噴き出した。

 キメラは不思議そうにそれを見ていた。


「さて、門を探しましょうか」


 対岸にたどり着いて、竜から降りつつアリスは言った。

 そして、みすぼらしい鉱山の入り口のような場所に立つ。

 アッシュが答えた。


「ああ、そうだな」


 しかし、門を探すのにはそこまで時間はいらなかった。

 門を守る眷属たるミケリセンが死んでいるせいだ。

 主門も支門も、眷属や門衛が生きている間は不可視化している。

 けれど倒してしまえば、遠目からでも簡単に見えるようになる。

 鉱山のなかに足を踏み入れると、すぐに赤い壁がそそり立っているのが見つかる。


 支門に似ているが、少し大きく、色も深い赤に見えるか。

 まぁ些末なことである。

 アッシュが魔術を使い、即座に門を破壊する。


「……『氷杭フロストステーク』」


 何故か氷の杭だった。

 わざわざ符を出しての行動である。

 不思議に思っていると、アッシュが視線を向けてくる。

 そして淡々と理由を口にした。


「坑道で火は危険だろ」


 なにに引火するか分かったものではないということだ。

 まぁ、用心なようでなによりだとアリスは考える。


「それで、もう帰るか?」


 周囲を見回しながらゴーストが言った。

 それにアリスは……少しだけ躊躇ってから答えた。


「あの、すみません。よければ一度、谷底に向かいませんか」

「構わないが。……何か見つけたか?」


 深く頷く。

 すると誰も反対しなかったので、すんなりと行き先が決まる。

 一度サティアたちに報告をしてから、谷底に向かうことになった。



 ―――



 来た岸に戻り、サティアたちへの報告を済ませた。

 それからまた竜で移動である。

 ただ、今回はメンバーを入れ替える。

 音の探知が必要なため、まずサティアが加わった。

 代わりの護衛用にゴーストが抜けて、万が一の時に自分で着地ができないノインも除いた。

 今度はアリスが感知した()()を探りに行くわけなので、さっきのようにお気楽にはいかない。


「…………」


 ゆっくりと慎重に、危険がないかを伺いながら高度を落とす。

 上を見ると、魔術を構えてシドが援護しようとしてくれているのが見える。


「敵探知なし。魔眼にも、何も見えないわ」


 たまにサティアが報告をする。

 おかげで最後まで何事もなく、無事に谷底へとたどり着いた。


「…………」


 無言で竜から降りる。

 底の川は思いのほか細く、ほぼ枯れてしまっているようだった。

 靴が濡れる心配はない。

 同じく降りたサティアが、周囲を見回しながら語りかけてくる。


「今回は、偵察だけ。敵がいたら……戻るわよ」

「はい」


 アリスは答える。

 そのまま周囲を探りながら歩く。

 キメラがつと声をかけてきた。


「強化魔術が必要ですか?」


 感応を強化するために、ということだ。

 しかしアリスは首を横に振る。

 なんだか、ここにある物を見るのが怖いような気がしたので。

 わざわざ能力を強化したいとは思えなかった。


「いえ、いりません」


 しばらく周囲を探索した。

 そしてまず、それらしいものを見つけたのはサティアである。

 音の探知で小部屋を見つけたのだ。

 川の先、弱々しく流れる滝の裏にそれはあったという。


「……これ、書庫にあった小説に似ていますね」


 傘を出して、水の流れをくぐりつつ言った。

 書庫にあった本の、勇者の物語にも滝の裏の隠れ家が出てきていたので。

 しかし誰も答えずに、緊張した様子で先を見る。

 細い洞窟があった。

 点々と、左右の壁に暖かい色合いの燭台が灯されている。


「…………」


 先に進む。

 小さな木の扉があった。

 こぢんまりとした造りで、まるで子供の秘密基地のような印象だ。


「入るわよ」


 先に立ったサティアが言う。

 返事は待たずに扉に手をかけて、開いた。


「……また書庫、ですか」


 キメラが呟いた。

 少し呆れたように。

 そして彼女の言う通り、また書庫である。

 やはり小ぢんまりとした印象ではあるが、目の前には書架がいくつか。

 さらに柔らかそうな絨毯が敷かれて、本が散らばる長机が一つ。

 しかし目を引くのは、一番奥にある小さな机である。

 机の上には一冊の本が広げられ、横にはペンが置かれていた。

 向かうように置かれた椅子は柔らかそうで、机上には暖かい色合いの燭台まで添えられている。


 特に理由はないが、アリスはこの机と……本が気になって仕方がなかった。


「…………」


 ふらり、と。

 引き寄せられるように進む。

 アッシュが止めようとしたが、思いとどまったようだ。

 何も言わずに見送る。

 やがて机の前に立ったアリスは、おもむろにペンを手に取った。

 サティアが驚いたように声をかけてくる。


「なにをしているの?」


 アリスはそれに答えなかった。

 意識が本に吸い寄せられるような感覚があって、聞こえる音はひどく遠いように思える。

 ペン先にたっぷりとインクをつけて、本に塗り付ける。

 するとひと筆でページが真っ黒に染まった。


 少しだけ、部屋が暗くなる。


「…………」


 無心でページを塗りつぶし続ける。

 本はひとりでにめくれて、次々に新しいページが現れる。

 やがてはひと筆で二ページ、三ページと塗られていくようになり、本はバサバサと音を立て、どんどん素早く次へ次へと移り変わる。


「……へぇ」


 サティアが不思議そうに声を漏らす。

 こうして本が暗く塗られるたび、やはり部屋が少しずつ暗くなる。

 同時に、アリスには不思議な光景が見えていた。


「…………」


 それは、誰かの思い出だっただろうか。


 ――日が差す書庫。少女の手を引く少年。


 ――庭の片隅で肩を寄せ合い、一冊の本を分かち合う。


 ――贈り物の花輪を弄ぶ指。


 ――笑みを浮かべた少年の口が、こそばゆそうに夢を語る。


 そんな美しい情景は、黒く黒く塗りつぶされていく。

 まるで黒く潰れた本の姿を映すように。


 アリスは、最後のページに手をかけた。


「……ごめんなさい」


 無意識に呟く。

 筆を走らせると、白いページが黒く染まる。

 じわりと広がったインクは、瞬く間にページの隅まで穢し切った。


 そして、何の前触れもなく。

 全てが暗転する。



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― 新着の感想 ―
>「……すまない。判断ミスだ」 いやむしろよくやったじゃない? そこまでの力を隠した賢い相手はここで仕留めないと こっちの手は全部バレたし次会ったら絶対負ける
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