二十八話・継承
すぐに激しい戦いが始まる。
空の上から、地中から。
どういう種か、おびただしい数の魔獣が押し寄せる。
そこにアリスの召喚獣まで加わり、目まぐるしい乱戦が続いた。
もはやノインには戦局を追えない。
ただ、優勢なはずなのに決めきれないことだけは分かった。
「おっと……危ない危ない」
サティアの奇襲をミケリセンがかろうじてかわす。
不可視の上に竜化の後押しもあってか、明らかに反応が追いついていない。
だが左手から黒い何か……縄のようなものを伸ばし、次の瞬間にはシドを引き寄せて盾にしてみせる。
「さて、君に突けるかな?」
ミケリセンが嘲笑う間にも、シドは無詠唱で魔術を撃ち続けている。
洗脳された仲間を殺すわけにもいかず、サティアも攻めあぐねている。
そのように敵の立ち回りには隙がない。
正面から戦えば押し負けると分かっているのだろう。
常にシドをそばに置き、離れれば即座に引き寄せる。
さらに魔獣を爆破して目眩ましをしたり、隠れて下位魔獣に変身することもあった。
見失わせた隙にキメラやノインを狙い撃ち、否応なしに守勢に回らせる。
狡猾に立ち回ることで、ミケリセンは拮抗を保ち続けている。
『サティア、猿どもを殺した』
アッシュの声がした。
衛兵を倒しながら、さらに別働で動いていたらしい。
だが直後、爆炎と共に衛兵が蘇る。
「残念でした」
ミケリセンが舌を出した。
別の場所に猿を隠していたのだろう。
捜索のため召喚獣が離脱し、また物量の差が開いていく。
これにより魔獣の群れに足を止めざるをえなくなる。
足を止めればシドの魔術が飛んできて、前衛の二人は消耗するばかりだ。
そこで、悪い流れを振り切るようにサティアが猛攻を仕掛けた。
「舐めるな……!」
何もない空間から槍撃が連続し、ミケリセンの体を抉る。
しかし仕留めきれない。
引き寄せられたシドが割り込み、槍の一撃を防いでしまう。
「本当に必死だなぁ。その強化……あまり長く使えないとか?」
逃げながら嗤う。
軽い口調は、しかし核心を捉えていた。
竜化を使わされていたことに勘付き、サティアが影の蟲を通じて声を届ける。
『……衛兵が消えるまでは、守りに専念する』
それが最善手のはずだ。
待っていればアリスが残りの猿を倒し、戦局が好転するに違いない。
けれどノインは胸騒ぎを感じる。
ミケリセンやシドも消耗していくはずなのに、こうも時間稼ぎに徹するのはおかしい。
間違いなく、なにかダメ押しの手がある。
「あたしも……なにかしないと……」
歯がゆい気持ちで唇を噛んだ。
みんなが必死で戦っているのに、自分だけが何もできていない。
その事実が胸を締め付ける。
「…………」
周囲を見回す。
血の魔術で戦うことも考えたが、きっとそれでは足りない。
あの場所で自分の力が通じるとは思えなかった。
必死に別の手を考えていると、ゴーストの姿が目に入る。
もし、彼を復帰させられたら。
それだけで戦局は大きく変わるはずだ。
キメラは完全にマークされていて手が出せない。
魔術を使おうとした瞬間に消されてしまう。
だから今、敵の注意が向いていないノインにしかできないことだ。
さらに考える。
ゴーストは四肢が弾け、体の隅々までが圧壊している。
こんな状態の人間を、どうやって助ければいいのか。
と、悩んでいると一つ思い出す。
『はい。彼は私が改造しました』
キメラの言葉である。
改造とは、魔獣の組織を無差別に埋め込む行為だったはずで。
つまり彼の体は、もともと人間のものではないのだ。
「…………」
数秒だけ躊躇う。
これからやろうとしていることの意味を、嫌でも理解してしまったから。
でも、立ち止まっている時間はない。
血の魔術で近場に落ちていた魔獣の死体から手足を奪い、引きずり寄せる。
それを抱えてゴーストの側に行った。
「……ごめんなさい」
目を伏せて、小さく謝る。
すぐに処置を始めた。
無秩序に器官を植えられた体になら、魔獣の手足を接げるかもしれない。
そう思うしかなかった。
血の刃で、垂れ下がった断面の皮や肉を削ぐ。
ぐちゃり、と嫌な音がした。
吐き気がこみ上げる。
それでも手を止めずに、取ってきた手足を接合した。
ワーウルフの、獣じみた手足である。
かすかにゴーストが呻いた。
痛いのだろうな、と当たり前のことを考える。
辛いのは彼なのに、なぜか自分が泣きそうになった。
こらえて、何度も心の中で謝りながら血の魔術を使う。
必死だった。
細い血を糸のように使い、接いだ手足を縫合していく。
なんとか安定させるために。
するとガタガタだった断面の肉が、少しずつ癒着し始める。
その上、指先がピクリと動いた気がした。
ノインは驚いて、反射的に離れる。
ゴーストはすでに動こうとしていた。
わずかに上半身が浮く。
でも、おろおろと見守っている内にまた倒れてしまう。
荒い呼吸をして、彼は血溜まりに崩れ落ちた。
そのまま苦しげに呻いている。
立とうとしたことが祟ったのか、吐血した後で呼吸が弱まっていく。
いくら四肢を補ったところで、もう彼は戦える状態ではなかったのだ。
「……本当にごめんなさい」
俯いてまた謝った。
自分は何もできないくせに、守ってくれた人を苦しめている。
勝手に魔獣の手足まで押し付けて。
血を吐かせてまで、戦わせようとしている。
途方もない自己嫌悪が押し寄せてきて、首を括りたいような気持ちになった。
へたり込んで唇を噛む。
そうしていると、強い焦りが胸の奥から突き上げてきた。
自分も何か犠牲を払わなければと。
半ば脅迫されるように、そう考えてしまう。
そしてノインが導いた結論は、刻印の使用だった。
『朽ちぬ者』の刻印を使えば、ゴーストを治せるかもしれない。
どちらにせよ、自分にできるのはそれしかないのだ。
「……っ」
しかし、瀬戸際で手が止まる。
怖かったのだ。
怖いと思ってしまう自分がいた。
今度刻印を使えば、自分がどうなるか分からない。
体を壊す『厭わぬ者』の強化ほどではないにせよ、人の身に余る魔力を使うこと……それ自体が命を縮める行為なのだ。
「…………やらないと」
言い聞かせて、恐怖を抑え込もうとする。
みんなが命を懸けているのに一人だけ怯えて、足をすくませていられない。
湧き上がる恐怖を押し殺して、刻印に魔力を回す。
「…………っ」
一瞬だけ、みんなで旅をしていた時のことを思い出した。
楽しかった。
もっと関わりたいことが、たくさんあった。
だから……死にたくない、と思う。
それでも、心を殺して『朽ちぬ者』の刻印を起動した。
膨大な魔力が流れ込み、治癒の力が発露する。
詠唱を知らないからうまく制御できず、なかなかゴーストに力を向けられない。
歯がゆい気持ちで手綱を握ろうとしていると、変化は唐突に訪れた。
心臓が、狭くなるような感覚があった。
きっと痛みではない。
でも不吉で、呪わしい感覚だった。
一瞬だけ呼吸が止まる。
じわじわと視界が狭まっていく。
「はぁ……はぁ……」
息すらうまくできない。
無意識に喉へ触れた。
紐が巻き付いているような気がしたが、そんなことはなかった。
横に倒れる。
腹に埋め込まれた鉄が熱い。
かと思えばすぐに熱が消えて、代わりに目の奥がびりびりと痺れた。
霞む視界でゴーストを見る。
治っていなかった。
キメラの魔術と同じように、効いていなかったのだ。
おそらく魔術を阻害する力は、ゴーストという対象そのものに振るわれていたのだろう。
深い絶望が、胸の底に沈んでいく。
こらえきれず涙が溢れた。
「…………なにもしてない。まだ」
声が震えた。
結局、自分は何の役にも立てなかった。
悔しくて、悔しくて、泣きながら目を閉じる。
『失敗作』
ミケリセンの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
その烙印が、心に深く焼き付いていた。
ノインは必死に、なんとか抗おうとする。
でも意識は、容赦なく深い闇へと引きずり落とされていく。
―――
――
―
「…………」
目を開く。
気づけばノインは白い空間に立っていた。
なんだか寂しい場所だと思う。
とても寒くて、ひとりで。
「あたし、死んだのかな……」
俯いてつぶやいた。
自分の体を見ると、修道院で着せられていた……神官服を改造した戦闘服を纏っている。
実験体の身分から解放され、神の戦士に任じられた証の装いである。
「……なにもできなかった」
こみ上げてくるものがあり、ノインは言葉を漏らした。
神のために戦うことも、人を守る騎士になることも、仲間の盾になることもできなかった。
それが悔しくて、情けないと思う。
そうしていると、ふと前から誰かの笑い声が聞こえた。
「――――」
顔を上げる。
前を見ると、三つ……人影がある。
小さな影と、ノインより少し大きい影、大人の女性の影。
女性は手を組んで寝転がっていて、けらけらと笑っていた。
彼女の周りでほかの二人がわざとらしく泣き真似をしている。
それを見て、ノインは考えるよりも先に笑みを漏らしていた。
「……なにをしてるんですか?」
歩み寄って問いかけた。
顔も姿も白く塗り潰され、おぼろげになっていたが。
それでも誰なのかは分かっているつもりだった。
一番小さな人影が答える。
――ノインの葬式ごっこ。
さらに、寝そべっていた女性の人影も笑いながら語る。
――君が死んだら、こんな感じでみんな泣くって。
最後に、もう一人の少年の人影も口を開く。
――分かってないようだから教えた。……もっと命を大事にしろよ。
あまりにもバカバカしくてノインは声を上げて笑った。
するとみんな嬉しそうにした。
女性も立ち上がって笑みを漏らす。
ひとしきり笑い終えると、なんだか妙に晴れやかな気分になっていた。
「よかった。あたし、みんなのところに帰れるんですね」
それならそれで悪くないと思った。
アッシュたちのことは心配だが、自分は足手まといになるからいない方がいいと思えた。
だから迷わず三人について行くつもりでいたが、おもむろに少年が手刀を振り下ろした。
――何を聞いてたんだ、お前は?
「えっ?」
痛みもないからそのまま普通にノインは話した。
聞き返すと、全員が同時にため息を吐く。
それから小さな影が呆れ、女性は少し外れたことを言った。
――バカだよね、ノインは。
――私たちの演技が下手で伝わらなかったのかも……。
そうして、少年がゆっくりと語りかけてくる。
穏やかで優しい声だった。
――ノイン、俺はお前に死ぬなとは言わない。
――俺だって、大事なものを守れるなら……どうなってもよかったしな。
「…………」
……ああ、とノインは思う。
これは続きなのだ。
あの日、最後の夜に……語りきれなかったお話の続きを、今聞かせてくれているのだ。
じわりと涙がにじんで、少しだけ視界がかすむ。
――だけど、幸せに生きろって言った。
――お前がちゃんと満足して……もういいって思える時が来るまでは、生きててほしいんだ。
――だったら、まだ死ぬときじゃないだろ?
少年が……ツヴァイが手を差し出してくる。
死ぬのが怖くて、やりたいことだってあるのを見透かしたように。
ノインは泣きながら、すがりつくように手を握った。
ツヴァイがまた言葉を重ねる。
――なぁ、ノイン。
――自分をダメだって思うなよ。
握った手から暖かいものが流れ込んでくる。
それを感じながら、ひとつも聴き逃さないように言葉を受け取る。
――お前は、俺たちの自慢の妹なんだ。
――本当に、立派な人間なんだよ。
はにかんでそう告げた。
その言葉で、心の中の暗闇が消えていく。
刷り込まれた罪も、無力感も、自責も。
全て消えて、心の底に温かい何かが生まれた気がした。
ノインは初めて、自分を認められると思った。
「……ありがとう」
気づけば感謝を口にしていた。
みんなが本当に自分を愛していたことを理解できたからだ。
だから彼らのすべてに感謝を口にした。
「…………ありがとう。あたしのこと、大切にしてくれて……褒めてくれて、ありがとう」
幸せを祈ってくれる家族がいたこと。
いつも見守られていたこと。
気づいていなかった、たくさんの幸福があったこと。
「みんなのこと……本当に、大好きだよ」
思い返しながら頭を下げると、三人が笑顔になったのが分かる。
白い人影だから表情も何も見えないが。
それでも何となく分かるのだ。
声も出してはいけない場所で、笑ったり泣いたりしてきた家族だから。
――ノイン、俺たちが……力を貸す。全部お前にやる。
ツヴァイが言った。
アハトが続けて、ゼクスがつけ足す。
――あと少しだけ、ノインは奇跡を使えるよ。僕たちは、それだけの魂を残してる。
――まぁ、それで打ち止めだけどね。君は生きているから。補給はできないよ。
ツヴァイは自分に魂を入れて、奇跡を使うようなことをした。
しかしこれは、彼自身が死体だったからできたことだ。
まだ生きているノインには同じ事はできないのだという。
――骸の勇者に削られてなけりゃ、もう少し残せたんだけど……。
少し不満げに言って、ツヴァイがため息を吐く。
残せた、という言葉で最後なのだとノインは気がつく。
「…………」
きっと、これで本当に最後だ。
今度こそ本当に、もう二度と会えないのだ。
笑ったまま、ツヴァイは優しい声で語りかける。
――本当は、俺が管理しようと思ったんだよ。
――でも、余計なお世話だよな。お前の道は、お前が選ぶべきで……。
そこでアハトとゼクスが笑った。
虚を突かれていると、彼らは口々にツヴァイをからかう。
――やっと気づいたんだ。過保護で暴走したバカのくせに。
――なるほど。死んで治らないバカも……二度死ねば流石に治るみたいだ。勉強になった。
ノインも笑顔になる。
それにツヴァイは鼻を鳴らす。
しかし言い返すことはせず、名残惜しそうにゆっくりと手を離した。
――……ノイン。俺、お前には、笑っててほしいんだ。
その言葉の直後、三人の姿が薄れ始める。
彼らの魂が形を失い……ノインに同化していくのが分かる。
そして、そんなことが分かるのは……彼に刻まれていた魂を操る刻印も、同時にノインに引き継がれたからだ。
――長生きできますように。
明るく、まずアハトが言った。
傷を塞ぐ『癒す者』の刻印を残して。
――何事も、上手くいきますように。
冗談めかして、ピースサインでゼクスも続けた。
力を高める『克する者』の刻印を残して。
――またいつか……今度はお前が、楽しいお話を聞かせてくれよ!
最後にツヴァイが言った。
心強い刻印と、みんなを守るための奇跡を残して。
「……分かりました」
ノインはそう答えて笑った。
笑っていてほしいと言われたから笑った。
でも、我慢できずに泣いてしまう。
「お話……」
ツヴァイがたくさん、本当にたくさんのお話を……監視の目をかいくぐって、一生懸命に話してくれたことを思い出したからだ。
そのせいで何度罰を受けても、明るく笑っていてくれたことも。
「あ、あたし……あたしも……お話、を…………できる、ように……」
笑わなければ、と思って必死に涙を我慢しようとする。
しかしやはりできなかった。
どうしても涙が止まらないから、ノインは泣きながら見送るしかなかった。
「……きっと、頑張るから…………」
震える声で伝えた。
目の前でみんながいなくなる。
白い世界に溶けて、薄れて消えていく。
最後の一瞬に、精一杯の声を振り絞って叫んだ。
「……あたし、頑張るからっ!!!」
後悔なく生きられるように。
笑ってお話ができるように。
家族が誇りに思ってくれた自分でいられるように。
そんな思いを込めて、ノインは頑張るのだと言った。
――頑張れ。
背を押すように、聞こえた気がした。
もうみんないなくなってしまったから、気のせいだったのかもしれない。
でも彼らはきっとそう言うと思った。
「起きなきゃ」
誰でもない、自分自身に語りかける。
早く起きて戦うのだと。
後悔しないために、笑って語れるお話にするために……立って戦えと自分を急かす。
「行ってくるね」
言い残して目を閉じた。
すると急速に意識が浮上していく。
―
――
―――
目を開ける。
長いお話をしていたように感じたが、そこまで時間は経っていなかった。
実際にはほんの数秒気を失っていただけなのだろう。
そして、横たわったノインの前にはゴーストがいる。
もがいて戦おうとする戦士の姿があった。
「奇跡……」
ひとりごとを漏らす。
奇跡を今、使うべきかと考える。
「…………」
できるだけ冷静に考える。
ミケリセンの能力や、魔術を使えないという状況。
そして、残り少ない奇跡をここで使うべきか。
今を切り抜けるためではなく、これから後悔せずにいられるような判断を求めて。
『もっと他の仲間を信じてやれ』
ほんの少し悩んで、やがてノインはかぶりを振った。
まだ、限りある力を使う時ではないと判断したのだ。
「ゴースト様。ごめんなさい」
最後にもう一度だけ謝って、ゴーストの持ち物に手を伸ばす。
そこには割れた瓶があった。
ミケリセンの攻撃により、粉々になったその中身は……寄生型の魔獣だ。
けれど例の一撃に巻き込まれ、その魔獣は死んでいる。
そう、死んでいるのだ。
「ツヴァイ、借りるね」
手を伸ばして、新たな刻印に魔力を回す。
その刻印は体を傷つけることもなく、魔力を貪ることもない。
しかし、それでも……無敵の力だと信じている。
「お願い……『十式』」
ノインの指先に赤い光が灯る。
次の瞬間。
死んだはずの魔獣の脚が、弱く……けれど、 確かに動き始める。




