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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
280/304

閑話・道化のアリス

 


 実戦訓練のあと、アリスは疲れてうたた寝をした。

 赤い部屋で魔王と強く感応して、かなり参ってしまったせいだ。


「……はぁ」


 やがて夢さえ見ない眠りから覚めて。

 アリスは小さくため息を吐いた。

 テントの天井を見ていると、早く外に出て羽を伸ばしたいと思う。

 とはいえ、今そんなことを考えても仕方ない。


 アリスはゆっくりと寝床から起き上がる。


「おはようございます」


 挨拶をしつつ外に出ると、すぐ前の通路ではノインとゴーストが組手をしていた。

 多分、二人で見張りをしていてくれたのだろう。


「…………」


 邪魔はせずに、区切りがつくまで見守ることにする。

 そうしていると、やがてゴーストが何本か取って終わった。

 まだまだ修行の道は半ばのようだ。


「お疲れ様です」


 改めて挨拶をすると、ゴーストが軽く会釈した。

 ノインの方は、肩で息をして声も出せないようだ。

 ふらつきながらも何度か頭を下げてくる。


「…………」


 アリスはノインの息が整うのを待った。

 それから、ゴーストにみんなの行方を聞いてみる。


「ところで、他の皆さんはどこに?」

「魔王の庭の入り口で、何か試しているようだ」

「なるほど」


 思うに、魔王を倒すための検証だろう。

 アッシュはたまに庭への抜け道を探したり、安全な攻撃方法を模索していたようなので。

 そしてアリスはこういったズルは好きだから、にわかに興味を惹かれてきた。


「お二人とも、どうです? 息抜きに見に行きませんか?」


 二人を見物に誘ってみる。

 すると、特に反対もなく見に行ってみることになった。

 ちなみに、この拠点は目的地に近いので歩いてもすぐである。

 ミケリセンに襲われる可能性があるから、すぐに集まれる範囲でしか動かないのだ。


「あ、やってますね」


 少し歩いて、アリスたちは庭の入り口に来た。

 なにやら、残りの三人でたむろして話し込んでいる様子だ。

 近づくと、アッシュが魔王の庭の入り口に左腕を突っ込んでいるのが分かる。


「ねぇ、最後にもう一回……魔術を、使ってみてよ」


 サティアがそう言った。

 そしてこの一言でアリスは理解する。

 どうも、庭の向こうに腕だけを入れて悪さをしようと画策しているらしい。


「分かった」


 答えて、アッシュは炎の杭の魔術を放った。

 だがその威力は普段のものには程遠い、弱々しい威力のものだった。

 魔王のもとに届くべくもなく消え落ちてしまう。


「あら、不調ですか? アッシュさん」


 アリスは前に回り込んで、じっと目を見てそう聞いた。

 するとアッシュは一瞥をくれて答える。


「いや。この扉に魔力を吸われている。魔術を使おうとすると、どうも腕の先まで力が伝わりきらなくなる」

「へぇ……」


 魔王の庭には扉がある。

 しかしこの扉の向こうから狙撃するようなことはできない。

 見えない壁があって、攻撃を防いでしまうからだ。

 ただ、生物とその装備は通れるが、庭と書庫の境界において防壁は機能し続けているらしい。

 だからこそ、境界をまたがせた腕から魔力を吸い取ってしまうのだ。


「ところで、その腕はどうやって抜くつもりですか?」


 なんの気もなしにそう聞いた。

 記憶ではこの扉に入ることはできても、出ることはできないはずだったので。

 すると、アッシュは虚を突かれたように目を瞬かせる。


「抜く? ……いや。これは」

「切るのよね」


 サティアが言った。

 その彼女は、すでにアッシュの山刀を持って構えている。

 背後のキメラがアリスの腕を取って、そっと刃から離すように引き寄せた。


「!」


 アリスは声にならない悲鳴を上げた。

 止めようとは思ったが、突然のことで体が動かなかった。


「我慢よ、アッシュ」


 サティアが言って刃が振り下ろされる。

 アッシュの腕が、肘から先がきれいに切断された。

 でも彼は声もあげず、少し不快そうに眉をひそめたくらいで。


「は? えっ、えっ……? なっ、なにやってるんですか……ちょっと……?」


 アリスはあとずさる。

 でも数歩も歩けず腰が抜けて尻もちをついた。


「腕……切るなんて……」


 言いつつ、すぐに傷を確認する。

 彼が魔物であるためか、出血の勢いは乏しい。

 ぼたぼたと黒い血液が落ちる程度だ。

 命に別状はないだろう。


 だがそれでも、こんな風に簡単に腕を斬るべきではないと思う。


「あなた、おかしいんじゃないですか。……だいたい、腕を斬る必要あるんですか? 杖を使えばいいじゃないですか」


 魔術を試してみたいなら、腕ではなく杖を入れればいい。

 どうしてそんなことすら試さずに、簡単に腕を斬るのかが分からなかった。


「いや、腕がいい。感覚で分かることもある。……それに、試したいこともあった」

「試したいこと?」


 聞けば、彼は今から自分の左腕に魔獣の腕をつけたりするらしい。

 キメラの能力を使って。

 それで、同じように抜けなくなるかを試してみるつもりだとか。


「あとは、俺の腕で敵の魔法を受けてみる。魔力耐性がどの程度通じるのかも見ておきたい」


 彼は淡々と言葉を重ねた。

 そして、アリスはふつふつと怒りが湧き上がるのを感じていた。

 今の話を聞いて、千切れた腕を見ているとどうしてか腹立たしくなってきた。


「おかしいです」


 なぜ魔獣の肉体をわざわざ移植したりするのか。

 それに魔力耐性を試すとは言うが、彼はいま魔人化もしていないのだ。

 だったらきっと、また改めて魔人化してから腕を斬って試すに違いなかった。

 別のサンプルが必要だとか言って。


「あの、あなたね……」


 アリスは頭が痛くなってきて、こめかみを押さえる。

 彼がやることは確かに効率がいい。

 なんにだって聞けば納得する理由があるのだろう。

 けれどこれは効率以前の問題だ。

 今のはまるで、自分のことがどうでもいいと言わんばかりの自傷にしか見えない。

 勝手に自爆しようとしたことといい、アリスはもう我慢の限界に来ていた。


「…………本当に……いい加減にしなさいよっ! 馬鹿じゃないんですか、あなた!」


 気がつくと、アリスは立ってそんな風に怒鳴り散らしていた。

 こんなに衝動的に怒ったのは初めてで、自分の中の冷静な部分はひどく困惑していた。


 だが今さら止まることもできず、矢継ぎ早に言葉を重ねる。


「別の方法を考えればいいじゃないですか! どうしてそこで、安易にすぐ腕を切らせるんですかっ! ちゃんと……嫌なことは嫌だって言いなさいよっ!!」


 しんと静まり返る。

 アッシュは血がしたたる腕をちらりと見て、言葉を選ぶようにゆっくりと返答する。


「すまない。そこまで考えたことがなかった」


 その考えは、アリスも予想していた。

 分かってしまうから悔しいのだ。

 彼はいつもできることを考えて、それを愚直に実行する。

 自分のことは最初から計算に入れていない。

 振り返ってみれば、今までの旅でもそんなことばかりだった。


「わ、私は……そんなに、頼りないですか? 何も相談できないですか?」


 もう何故か泣きそうになっていて、涙をこらえながらも言った。

 アッシュは首を横に振る。


「いや、俺が短慮なだけだ」


 そうではない、とアリスは思う。

 だってアリス自身もこれまで止めてこなかったからだ。

 同じようなことは何度だってあったのに、今までは呆れて放置していただけだった。

 そんな自分に怒鳴る権利がないことも理解している。


 それでも、アリスは感情に任せてまくしたててしまう。


「あの、私……言いましたよね? あなたが自爆しなくても……魔王を倒せるようにするって。それは、こういうことやめてほしいって意味でもあって……」


 言いながら泣いてしまって、アリスは涙を流しながら伝えた。

 アッシュはただ、ひたすらに困ったような顔で俯いてしまう。

 また腕の断面を見た。

 なぜアリスが怒っているのかは、きっと分かっていないだろう。


「ま、まぁまぁ……落ち着いて」


 そこで、キメラが間に入って取りなそうとする。

 でもそれが逆に勘に障って、アリスはまた声を荒立てる。


「落ち着けるわけないでしょう。そもそも、どうしてあなたたちは止めないんですか? 普通止めるでしょうが!」

「…………」


 キメラは雷に打たれたような表情で固まって、やがておろおろと狼狽え始める。

 確かに、止めるべきだったとでも考えているのかもしれない。

 ただ、彼女は自分でもお気軽に腕を取り替えたりしている。

 腕を斬ることに抵抗がないのも納得できた。


 しかしサティアは違うはずだ。

 彼女は大人で、しっかりした感覚を持っている。

 なのになぜ、アッシュを止めてくれなかったのか。


「…………」


 肩で息をしながら、怒りのままにきつく睨みつける。

 するとサティアは呆れたようにため息を吐いた。


「なによ? 私に……止めてほしかったの?」

「はい」

「馬鹿ね」


 サティアは吐き捨てた。

 にわかには信じられずに目をみはっている。

 構わず、彼女は無表情で言葉を重ねた。


「忘れた? ここは戦場よ。彼の、合理的な判断は、支持すべきだと思うし……気に入っているわ」


 なんてことを言う。

 腹立たしさがこみ上げてきて、アリスは深呼吸をした。

 でもどうしても我慢しきれないと思った。

 一方で自分に人を責める資格があるとも思えない。

 どうしようもなく歯がゆくて、苛立ちのままに立ち去ることにする。


「もういいです。あなたたちのような……馬鹿には! 付き合い切れません!」

「あっそ」

「……もう、知りませんからね。わ、私……もう、知りませんから」


 後ずさり、子供のようなことを言って背を向ける。

 そこでノインが何か言いたげに口を開いた。


「アリス様……」


 でも結局何も言わなかった。

 肩を落として俯いてしまう。

 そしてゴーストも腕を組んで、静かにこちらを見ているだけだ。

 だからそのまま歩き去ろうとしたが、一つ思い出して振り向いた。


「キメラ。あの人に魔獣の腕……つけたりしたら、ほんとに……許しませんから……!!」


 釘を刺すためにそう告げた。

 すると、彼女は気圧されたように頷く。

 それを見届けてまた歩き始める。


 また涙が溢れてきて、繰り返し袖で目元を拭いながら。

 自分が悔しいのか、悲しいのか、そんなことさえよく分からないままに。



 ―――



 一人で歩き去って、書庫の床に座り込む。

 燃えていない、空の本棚に背をつけるような形で。

 それから、アリスはため息を吐いてぼそりと呟く。


「……何してるんだろう、私」


 三角座りで、俯きながらそう言う。

 落ち着いてくると急に心細くなって、そんな自分が馬鹿らしく思えたので自嘲した。

 知らない、なんて言っておきながら……一人きりでいることが怖くてたまらなかったので。


「気は済んだ、アリス?」


 と、そこでサティアが声をかけてきた。

 多分ずっと追いかけてくれていたのだろう。

 ミケリセンが怖かったのでそう遠くには行っていないが、このタイミングで声をかけられるならそうに違いない。


「……はい」


 なんだか恥ずかしくなって素直に答えると、サティアはおもむろにアリスの右手に座り込んだ。

 ちょうど並ぶような形である。

 そのまま、彼女は話を始める。


「さっきは悪かったわね。言い方が……少し、厳しかったかも」


 そんなふうに謝られると、どうしようもなく毒気は抜かれてしまうものだ。

 アリスは俯いて、同じように謝ることにする。


「いえ。私が悪かったです。……そもそも、私には怒る権利なんてありませんから」


 サティアは不思議そうな顔をしている。

 だからこれまでの旅で、自分がアッシュに何も言ってこなかったのだということを伝える。


「ですが、それでも……どうしてもイヤだったんです。私は」


 そう言って話を結んだ。

 するとサティアは小さく息を漏らす。

 考えるような間をあけて、アリスに語りかけてきた。


「私が、止めなかったのはね……責任が、取れないと……思ったからよ」


 一瞬、なんの話か分からずに目を瞬かせる。

 しかし続く言葉で理解することができた。


「だって、アッシュに普通・・を教えてなんになるの? もっと苦しむだけだと……思わない?」


 アリスは言葉を失う。

 言い返すことなどできなかった。

 なぜなら、それは完全な正論だったからだ。


「…………」


 簡単に腕を切るなとか、自分を大切にしろとか、それは普通の価値観である。

 でも、アッシュは普通の考えを持っていることができなかった。

 だって戦場で一瞬でも自分の身を庇ったり、危険を厭ったりしたらその間に人が死ぬ。

 何人も死ぬ。

 彼はずっと、たった一人でそんな戦いを続けてきた。

 だからもう自分の身を大事にしようと思えなくなった。


 だというのに、今さら普通を強要したところでなんにもならない。

 それはただ、アッシュという人間を逆向きに壊すことでしかない。


「彼は、さしずめ、悪夢の住人ね。そして、生き方を変えない限り……悪夢は終わらない」


 黙り込んだアリスの前で、サティアはそんなことを語った。

 唇を噛んで、絞り出すような声で反論をする。


「変えれば……いいじゃないですか。生き方を」


 すると、サティアはいかにも驚いたというように目を見開く。

 そして、じっと瞳を覗いて問いかけてくる。


「それ、本気で言ってるの?」


 なぜ疑われるのか分からず、アリスは眉をひそめる。

 だから、本気でそうすればいいと思いながら頷く。


「当たり前です」

「へぇ……」


 サティアは静かな目で、アリスの本心を推し量るように見据えていた。

 まっすぐに見返していると、彼女はまた問いを重ねる。


「じゃあ、聞くけど……あなたって、アッシュに……どうなってほしいの?」


 言われて、アリスは改めて考える。

 そして少し詰まりながらも答えた。


「それは……もっと、自分を大事にしてくれればいいと思って……」


 サティアはやはり、無言でじっと見つめてきている。

 居心地の悪い視線だった。

 少したじろぎながらも、アリスはさらに言葉を続けた。


「あとは、本当は戦うのもやめてほしいです。……だってどうせ、報われやしませんから。もう全部投げ出して、普通に生きればいいんですよ」


 口にしたのは本心だった。

 本当にそれが正しい道だと思う。

 彼はきっと全ての魔王を倒せはしないし、仮に倒せても救いがない。

 どうせ何か理由をつけて迫害され、やがては殺されるだろう。

 世の中とはそういうものだ。

 どんなに尽くそうが必ず裏切られる。


 なのでもうやめるべきだと言うと、サティアは小首を傾げてしまう。


「どうかしましたか?」


 なにかおかしいことを言っていたか……と、自分の発言を反芻はんすうする。

 それをよそに、彼女は腑に落ちない様子で口を開いた。


「……ねぇ。あなたって……彼が戦うのをやめたら、満足なの?」

「はい。そうすべきです」


 特に考えず即答する。

 当たり前だと思いながら。

 しかしサティアは納得できなかったようだ。


「本当に? じゃあアッシュが『自分が大事だから戦いなんかやめる』って……言ったら、嬉しい?」


 その通りです。

 それが正しいんですから。


 と、返そうとして思いとどまる。

 あまりにも疑うようだったから、少々真面目に考えることにしたのだ。


「…………」


 そして、どうだろうか。

 もし彼がそんなことを言ったら?

 アリスはどう感じるだろうか。


「…………それは」


 思い浮かべる。

 アッシュが本当にそう言ったら。

 人助けなど下らないとうそぶくようになったら。

 誰かが死んでも気にせずに笑うようになったら。


 果たして本当に嬉しいのだろうか?


「…………」


 しばし考えて口をつぐむ。

 嬉しくない、と気づいてしまったからだ。

 自分でも困惑するくらい強く、そうなってほしくないと願っている。

 なぜなら、たとえ正しくても……今のアリスにとってそれは、耐えられないくらい悲しいことなのだ。


「どう?」


 サティアが答えを促す。

 やはり何も言うことができない。

 混乱のあまり頭が真っ白になっていた。


「私…………」


 上の空で呟いて、想像を続ける。


 もし、アッシュが普通になったら。

 他人を守ろうとすることをやめたら。

 アリスきっと『喜んだフリ』をするだろう。

 ようやくあなたもマトモになりましたか……なんて言って、ひとしきり褒めてはやるはずだ。


 だがそれでも、もう一緒には居ないだろう。

 万が一そうなったら、多分アリスはすぐに旅をやめて……一人でどこかに立ち去る気がした。


「……嬉しく、ないです」


 愕然としながらも、アリスはついにそのことを認める。

 同時に、大きすぎる矛盾に戸惑ってもいた。

 彼が自分を大切にしないことが、泣きわめくくらい腹立たしいのに。

 一方ではそうなることを望んでいないなんて。


 アリスはもう、自分自身のことが分からないとすら思った。


「やっぱりね」


 サティアは眉も動かさずにそう言った。

 だから混乱の中で、救いを求めるような視線を送る。

 彼女はどうも答えを知っているように思えたから。


 すると、サティアはあっさりとその答えを口にする。


「ねぇ。あなた……彼のことが、好きなんじゃないの?」


 降って湧いた答えは、とても受け入れがたい言葉だった。

 完全に思考が停止する。

 停止したまま、反射のように否定を返す。


「……まさか。ありえませんよ」


 頭が回り始めたのは、言い返してから数秒経ってからだ。

 そして内心で、何度もありえないと改めて言い聞かせる。

 取り繕うように薄笑いを浮かべながら、もう一度強く否定をした。


「あんな人、好きになるはずないでしょう」


 彼はいい奴だが、クソのような世界に尽くして死ぬだけの変人だ。

 まさかそんな相手を好きになるはずがなかった。

 だって、もし道連れになれば、末路は地獄だけだ。

 最終的には必ずそうなるのだ。

 それくらい、彼の前途はあまりに多難だった。


「そう?」


 しかし、サティアはその否定を真に受けない。

 表情を見れば分かる。

 彼女は変わらぬ温度で、またずけずけと腹を探ってきた。


「でも、その割には……あなた、お節介ばかりじゃない」


 戦うのをやめろとか。

 家族の手紙を読めとか。

 ……と、例を付け足して追求を続ける。

 アリスはまた首を横に振って、薄笑いのまま鼻を鳴らす。


「それはずっと前からです。お節介なのは認めますが、別に、好きだからってわけじゃ……」


 ヤクラナから旅立つ前は、彼のことが本当に嫌いだったのだ。

 少なくともアリスはそう思っている。

 そして、嫌いな頃からやっていたことは好意の裏付けになりはしない。


 なので否定しようとすると、サティアが途中で言葉を遮った。


「じゃあ、ずっと前から好きだったんじゃないの?」


 言われて、思わず薄笑いが消える。

 呆然として目を見開くしかなかった。

 そんなアリスを前に、サティアは憎らしいくらいの淡白さで言葉を重ねる。


「少なくとも、私には……好きで、纏わりついているようにしか、見えなかったわ」


 アリスは言い返そうとして、言葉が出ずに口を閉じる。

 そんなことを何度か繰り返す。

 でもどうやっても反論が出てこないと分かったので、俯いてスカートの裾を握りしめる。


「そんな……」


 ようやっと絞り出せたのは弱々しい言葉だった。

 そしてまともな返事よりも先に、涙がボタボタと零れ落ちる。


「…………ありえません。そんな」


 訳もわからず泣きながら言う。

 なぜ泣くのかと考えて、アリスは自分が後悔していると気がつく。

 どうして、これまで彼に意地の悪いことしか言わなかったのだろうと。

 けれど、そう思うこと自体が好意の証左でしかない。


「ずっと前から、好きだなんて…………」


 うわごとのように否定しながら、過去のことを思い返す。

 どうしても否定したくて記憶をさらう。

 思い返せば思い返すほど、アリスはアッシュのことばかり考えていると自覚する。

 それでも、本当に好きだったのなら、と想像することさえ恐ろしかった。


 だって。


「それじゃあ、私…………わ、私は……まるで、馬鹿みたい、じゃないですか……」


 と、いうのが理由だ。


 認めてしまえば、これまで好意を持った相手に悪意をぶつけてきたということになる。

 そんなことは決して認められなかった。

 もしそんなことがあるなら、アリスはこの世で最も惨めな道化だ。


「そうね。あなた……馬鹿だわ。ついでに、面倒くさいしね」


 サティアがあっさりと認める。

 思わずきっと睨みつけると、彼女はどこ吹く風と穏やかに笑った。


「あとは……臆病だとも思うわ。意地張りで、小物だし、不器用でもある」


 もう好き放題に言われている。

 だが言い返す言葉もなくうなだれた。

 一連の言葉を受け入れてしまうと、彼に辛く当たってきた理由もなんとなく分かる。


 アリスは多分、アッシュのことを知りたかったのだ。

 そのために悪意をぶつけて本質を測ろうとした。

 石を投げて、反応を見て、偽善者かどうかを見極めようとしてきた。


 でも、それは卑怯で臆病なやり方だった。

 語りかけることも、歩み寄ることもできず。

 裏切られることに怯えて、自分が傷つかないための方法、そして相手を傷つける方法を選んだ。


 アリスがもし彼を好きだったとしても、もう好きになってもらう資格なんてないだろう。


「…………」


 うなだれたまま、めそめそと泣き続ける。

 自分の、あまりの惨めさに言葉も見つからなかった。

 しかしそうしていると、またサティアが語りかけてくる。

 今度は励ますように。


「けど……いいとこだってあるわ。顔とか…………その、あとは、好みによると思うけど……」


 褒めようとしたくせに、露骨に言葉を濁してしまう。

 アリスは落胆して、俯きながら恨みごとを吐いた。


「どうせ、私にはいいところなんてありませんよ……」


 すると何故かサティアは楽しげに息を漏らした。

 また顔を上げると、思いのほか優しい目でアリスを見ている。


「まぁ、頑張りなさいよ。あなたの男は……生きてるんだから、ね?」


 チャンスがないって訳でもない……と、彼女はどこか憂いのある表情で言った。

 アリスは何も言えず、かといって頷くこともできず、黙って下を向いて考えていた。

 弱く卑怯な自分が、これからどう変わるべきなのかということを。


 たとえ報われることなどなくとも、変わらなければならないということを。



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― 新着の感想 ―
ここでアッシュとアリスの性別を逆にして考えてみよう(提案) どっかのいじめ子の小学生かな?
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