二十五話・訓練の成果
その庭園の外れには、古びた小屋がひとつある。
みすぼらしく小さな、まるで物置のような建物である。
しかし足を踏み入れれば、外側からは想像もできないほどに広大であることが分かる。
高く広く、全てが大きく。
巨人の家のような縮尺で、石造りの部屋はデザインされている。
その部屋の奥には扉のない開口部があり、別の部屋へと繋がっている。
これも巨人がくぐるような高さと幅で、先にはまた同じような部屋がある。
しかし前の部屋よりも、あらゆる物が少しだけ小さくなっている。
そしてこれがずっと続く。
次の部屋へと進むたび、部屋はどんどん縮小していく。
入り口も同じだ。
最後には屈まねば通れないような大きさになる。
こうしていくつもの部屋を抜けた果てには、すえたような臭いの牢屋があった。
そこには痩せこけた矮躯の人形たちが押し込まれ、絶えず嘆くような呻きを響かせている。
ずっと涙を流し、同情を誘うように泣き続ける。
……もし錠を外せば。
彼らは喜々として牢の外へと駆け出すだろう。
部屋から部屋へ。
入り口を抜ける度、囚人たちの体は肥大していく。
子供の背よりまだ矮小であった体も、最後には巨人の部屋に相応しいような巨躯となる。
そうして最初の部屋まで出た頃には、囚人たちは醜く傲慢な猿の群れに変貌している。
彼らはいつしか燃え落ちた小屋から外に出て、火に蝕まれた書庫へと足を進める。
狂ったように笑い、欲望のまま、暴虐の限りを尽くしながら。
―――
またどこかで音がした。
時計が早く、ずっと早く進み始める。
哀れを誘う小人たちも、ついには醜悪な獣へと堕ち果てた。
それはあっという間の出来事である。
いっそ最初からそうであったかのように、ごく自然に獣の作法を知り得ている。
『火を放つこと』
しかして、これが本当の姿である。
人は最初から、おぞましい獣なのだ。
故にこそ決して心を許してはならない。
憐憫や情けを与えてはならない。
それができなければ瞬く間に群がられ、食い漁られ、やがて末には火をかけられる。
ただ鞭と抑圧によってのみ、獣は人として在ることができるのだから。
―――
色々あったが、またいつも通りの朝を迎えた。
アッシュとキメラで争うようなこともなく、何事もなかったかのように二日目の訓練が始まる。
そして五日で成果を出すため、今日からは仕上げの実戦訓練を行うことになっていた。
この訓練の相手として選ばれたのは、例の衛兵たちである。
だから、まずはアッシュのために炎の衛兵を出した。
具体的には『火を放つこと』のルールを破って、いくらかの猿たちを磔にするのだ。
こうして磔にしておくと、猿がいる限り衛兵が再出現するので効率がいい。
「…………」
アリスは黙って、目の前の戦闘を見ている。
彼に炎は効かないので、敗北はまずありえないだろう。
よって心配はしていなかったが、気になることが別にあった。
魔人化していないのにも関わらず、前回よりもずっと戦況がよさそうなのだ。
見る限りアッシュは衛兵に対し、逃げ回って黒炎の弾丸を撃ち続けている。
それだけで完全に優位に立っている。
敵は黒炎の機動に追いつけないし、弾丸を回避することもできないのだ。
だから一度たりとも接近することなく、一定の距離を保って相手を蜂の巣にしていく。
たいへん彼らしい、引き撃ちで射殺するだけの効率的な戦術である。
「すごいですね。もう勝ちそうですよ」
アリスは言った。
実はあまり動きが見えないのだが、すごいのは理解できる。
だから称賛すると、そばにいたサティアが答えた。
「ええ。本当に、よくやったものね」
どこかしみじみとした色すら滲ませる声だった。
アリスは笑って、訓練のことを振り返ってみる。
「でもまぁ、訓練は大変でしたよね。あの人、限度を知らないですから」
「うん、そうね……」
こうしてしばらく雑談をしている間に、アッシュは四回ほど衛兵を倒している。
力をつけたことも大きいが、もう完全に行動を覚えてしまっているのだろう。
ほどなくしてサティアから合格が出て、彼の訓練はおしまいになった。
「さぁ、次はあなたよ……アリス。よろしくね」
サティアがそう言った。
言葉通り、次は彼女とアリスが組んで雷の衛兵に挑むことになっている。
ちなみに二人なのは、炎を無効化するアッシュ以外は安全が確保できないからだ。
アリスは胸を張って彼女の言葉に答えた。
「はい。お任せください」
―――
こうしてアリスの番がきた。
挑む予定の衛兵は『物を盗ること』に対応する衛兵。
要は雷を使う影である。
こいつは例の狭い通路に陣取っているため、広い部屋に引き込んで戦うことになっている。
そしてアリスは、その部屋の外から召喚獣を送り出す。
もちろんこれは本番を意識した仕様である。
「サティア、作戦通りにやりますよ」
通路の手前で念押した。
移動中に話していた作戦についてだ。
すると、槍を弄んでいたサティアが答える。
「分かったわ。準備が……できたら、教えなさい」
アリスは頷いて動き始める。
その場でたくさんの影を召喚した。
続いて、その影たちを大蛇の召喚獣に丸呑みにさせる。
こいつは弱くて、丸呑みしか能がないが、移動能力がない影を運ぶことができる。
「もういいですよ」
と、告げるとサティアは歩き始める。
蛇も一緒だ。
先に決めていた部屋に蛇が入るのを見届けて、サティアは戦闘を開始した。
「……おお」
声を漏らす。
凄まじい勢いで破壊音が聞こえたからだ。
所構わず雷が撒き散らされているらしい。
しかしそれでも、サティアは首尾よく部屋へと駆け込めたようだ。
音を操ったか、アリスの耳に簡潔な言葉が届く。
「作戦開始」
アリスは急いで扉の前に移動して、影の兵隊を送って援護する。
同時に、丸呑みにしていた召喚獣も吐き出させて展開した。
「上手く使ってくださいね、サティア」
アリスは呟く。
蛇から出した召喚獣は、設置型のものが大半だ。
宙に浮いて影の弓矢を引き続ける手や、近づいた物に食いついて引き寄せる影の球に、盾を構えたまま固まった石の巨兵など。
これらはサティアが活用する想定で送ったものである。
でも、一つだけさらに特殊な影を送っていた。
それは、特定の音に反応して動く吸血蝿の群れである。
この蝿は幼児くらいの大きさがあり、また一度に二十体も出すことができる。
しかし普段は羽一つ動かさない。
アリスは死体だと思っていたくらいだ。
けれど特定の音を鳴らすと、目にも留まらぬ速さで飛んで音の付近を貪り尽くす。
初めて動いたのは、サティアが感知で使う不可聴音を偶然拾った時だったか。
ともかくこの性質を利用し、サティアは蝿の群れを動かすことができる。
これを敵の魔法にぶつけて盾にする。
雷はかなり速いようだが、蝿の飛行速度も負けてはいない。
かなり巧みに防御できている。
「アリス……そろそろ蝿を、補充して」
そんな声が聞こえたので、すでに用意していた丸呑みの蛇を送り出す。
「ええ。すぐに」
音を拾っているので、その返答はサティアに届く。
ちなみに、召喚獣を通じて見るに、彼女は傷一つなく余裕な様子だ。
仮にアリスが蝿を動かしていたとしたらこうは守れなかっただろう。
なにせ普通の人間なので、戦いが速すぎて見えない。
視野だってそこまで広くはない。
だが音の感知と未来視で戦場を俯瞰しているサティアなら、みんなを完璧に守り抜けるはずだ。
「うん、あなたも合格ね。もう、影たちは……下げていいわ」
と、しばらくして言われる。
必死にサポートしていたところだったので、流石にアリスは耳を疑った。
「えっ? 何の話ですか?」
「ここからは、一人でやる。……まぁ見物してなさい」
作った音なので平坦なのは変わらない。
でも、なんだか楽しそうに聞こえたのは気のせいだろうか?
次の瞬間、サティアは周囲にいた召喚獣を勝手に始末してしまう。
何が起こったのかは全く分からなかった。
呆れ果てて、アリスはついぼやきを漏らす。
「えっ? 全く……なんて人ですか……」
言いつつ、残っている人影に意識を集中する。
その視界を通じてサティアの戦いを見る。
彼女は槍を回し、風を切る音の揺らぎで多数の声を作り出す。
それらはすぐさま詠唱に変換され、次々に魔術が繰り出されていく。
サティアはこの修行の期間を、魔術の向上に費やしていたのだ。
「……シド=テンペストも形無しですね」
アリスはそうひとりごちる。
実際、『魔術師』を引き合いに出せるほど、彼女の魔術は多様だった。
氷の杭をはじめ、見上げるほどに巨大な冷気の塊を叩きつけたりする。
また、他にも数秒間自分を透明にしたり、敵を引き寄せたり弾いたりもした。
とにかく見たことがない魔術が多い。
加えて、極め付きがこれである。
「さて……次はこっちね。『擬竜変生』」
引き金のような言葉の直後。
変化はすぐに現れる。
鎧の下の肌が、ちょうど首元あたりまでだ。
金色の鱗に覆われてしまった。
さらに臀部あたり、鎧の鎖帷子の下から尾まで出てきた。
細く長い、鱗に覆われた竜の尻尾である。
「ドラゴンになった……」
アリスは呆然としつつ言った。
いつ、なにがあって可能になったかは分からない。
噂に聞く『戦士』を連想する姿だ。
いくら彼女がその眷属だからといって、能力まで模倣できるとは思えなかったが。
「う〜ん……」
アリスは呻いた。
みんなが強くなりすぎていて、自分の頑張りが霞んでしまう気がしてきた。
竜化したことでより圧倒的に、捻り潰す勢いで戦いが再開する。
「…………」
無言で、サティアは狂喜のままに槍を振るっていた。
新しいおもちゃが楽しくて仕方がないのだろう。
そして、もちろんその力は本物である。
踏み込みがかすかに地を震わせ、操る槍は苛烈な暴風を纏う。
何気ない一撃でさえ、禍々しいまでの力強さを秘めているのが伝わる。
しかもどうも、今度は魔術を縛っているようなのだ。
「あれは、心配するだけ損ですね……」
ぼそりと感想を口にする。
雷の衛兵はすでに死に体である。
もう意味が分からないくらい強いのは分かったので、影の兵士を消すことにした。
多分、いくらか気が落ち着いたら勝手に戻ってくるだろうと思いながら。




