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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
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二十四話・憎悪の行く果て(2)

 


 イサベルには家族がいた。

 清く正しい心を持った、大切な家族が。


 母は信心深く、身も心も美しい女性だった。

 父は特別な一族に名を連ねながら、持って生まれた富を分け与えることに腐心する人物だった。

 弟は正義感が強く、寡黙だが温かい心を持っていた。


 けれど、そんな家族は無残にも壊されてしまった。

 飢えた地域に物資を届けた帰りの道で、父の羽振りの良さに目をつけた盗賊の仕業である。

 その地域では、魔獣の襲撃に見せかけて人狩りを行うようなことがまかり通っていたのだ。


 盗賊に捕らわれた時、父は生家の名を出して家族を守ろうとした。

 しかし身分を知った盗賊たちは、両親を殺すという決断を下した。

 絶大な権力を持つ家に狼藉を知られぬよう、魔獣による殺害に偽装することを選んだのだ。


 そして残されたイサベルとウォルターは彼らの奴隷にされた。

 こうして始まった日々はおぞましい地獄だった。

 二人で身を寄せ合って、じっと耐え続けるような毎日が続いた。


 しかしある時、酷く乱暴されていたイサベルを守ろうとして、ウォルターが盗賊たちに逆らってしまった。

 隙をついたとはいえ、彼は盗賊の一人を殺しかけたのだ。

 当然、凄惨な罰が与えられることになる。

 弟は何時間も嬲られ続けた。

 寝床に叩き込まれた頃には、震えて泣くことしかできなくなっていたほどだ。

 拙い治癒魔術で必死に癒やしたが、体よりも心に深い傷を負った。


 イサベルはその時、どうにかしてウォルターだけは逃そうと決めた。

 姉として、せめて弟を守りたいと思ったからだ。

 必死に盗賊たちに取り入って、なんとか隙を作った。

 助けを呼んで来てほしいと伝えて、無理やり納得させて弟を送り出した。

 盗賊たちの気を引くため、見送ることもできなかったが……脱走には成功した。


 けれど、これは同時にイサベル自身の首を絞める行為でもあった。


 当然だが、ウォルターを逃したことはすぐに知られてしまう。

 盗賊たちの怒りはすさまじく深かった。

 イサベルは色街に売られる予定だったので、殺されはしなかったものの、死んだ方がマシだと何度も思った。


 そして、彼女がついに自死を決意した夜。

 失敗して倒れ込んだ夢の中で、月の瞳が救いの手を差し伸べ給うた。


 イサベルは『治癒士』の加護を与えられ、明くる日の晩には盗賊たちを全て撲殺した。

 極限状況下でのことだったが、彼女は血みどろになって十数人を殺した。


「……ああ、神よ。分かりました。これもまた、お導きなのですね」


 全てが終わった時、自由を得たイサベルは空の月へと語りかけた。

 善良だった彼女の精神は、殺人の罪に耐えられなかったから。

 故にそう考えることで自らを守ろうとした。

 倫理が決定的に歪んでしまった瞬間だった。


「私は、神の光を……ただ世に広めることにいたしましょう……」


 恍惚とした表情で呟き、キメラは盗賊たちの住処をあとにした。

 布教の旅へと出たのだ。

 自らを地獄から救った神の威光を知らしめるために。

 そして、同じ救いを世界にあまねく広げるために。



 だから。



 ―――



「……私は、間違っていない」


 キメラは、やがて絞り出すような声で言った。

 アッシュは退屈そうにそれを見ている。


「なら俺を殺す理由はなくなる。その理由は正しい理由なんだろう」


 もし自分を正しいと言うのなら、同じ理由で弟を殺したアッシュを許さなければならない。

 そしてそれは、彼女にとっては受け入れがたいことだ。


「ええ、そうです。私は正しい。しかし、あなたは私とは違う。神に仕えてはいない。弟を殺した理由は……別にあるはずです…………!」


 キメラは取り乱しながらも、残された反論の余地に気がついた。

 鋭い息で抗弁してみせる。

 確かに、アッシュが神のために人を殺すような人間でないことは明白であった。


「……そう思うなら、いいだろう。お前に判断してもらう」


 思案するような間をおいて、彼はそんなことを告げた。

 困惑したようにキメラが眉をひそめる。


「私に?」

「そうだ。あの日、ウォルターは王都に火を放った。六年前の大火、と言えば分かるか?」


 それから、淡々と状況を説明していく。

 あの夜の消えない火は、奪った右腕の力に起因するということ。

 聖堂を囲むような範囲で被害があったこと。


 それらを語った上で、アッシュは改めてキメラに問いかける。


「俺の動機は……ひとまず置いておく。だが、お前はどう思う? ウォルターは神に背いてはいないか?」


 キメラは、答えられなかった。

 先ほどのように嘘であると否定することさえもできなかった。

 歯を食いしばって黙りこくっている。


「…………」


 もしかしたら、と思うには十分な証拠が突きつけられてしまっている。

 右腕の持ち主がキメラの弟で、その腕が強力な炎を操る力を持っているのだから。

 どうしても大火と結びついてしまうのだ。


「……あの大火を引き起こしたのは、魔獣です。誰に聞いてもそう言います。あなたの讒言ざんげんなど信じません」


 やがて、やっとのことで返したのはそんな言葉だった。

 確かに世間ではそういうことになっている。

 しかし大火に立ち会った本人を前にしては、彼女の反論はあまりにも脆かった。


「アリスの力で真偽は確認できる。それも信用できないなら、直接記憶を見せてやる」


 急に呼ばれて、アリスは少なからずたじろいだ。

 キメラをやり込めすぎていると思ったからだ。

 自分のことだけならまだしも、弟の罪まで持ち出すのはやりすきだ。

 復讐から逃れるための方便にも見えないし、なにか意図はあるのだろうが。


「…………」


 状況が読めずに黙り込んでいると、キメラが口を開いた。

 彼女は泣きそうな顔で拳を握りしめている。


「……もう、やめてください」


 俯いて震え始めた。

 涙がこぼれる。

 それからすぐに杖を取り落として、息が苦しげに乱れていく。


「やめて……お願いだから……やめて、もうやめて……やめて…………神様のために、私はしたの……全部正しいのよ……」


 強く胸を押さえ、立っているだけなのにふらふらと足元が揺れる。

 もう足元もおぼついていないのだ。

 上手く呼吸ができないのか、キメラの喉が締まるような音を立てる。


「やめない。どんな理由があっても同情はできないし、今のお前には復讐もさせない。それか……俺のことも適当に理由をつけて殺してみるか?」


 この人殺しが、とアッシュは吐き捨てた。

 その一言で、キメラの顔からさっと血の気が引く。


「うっ……うぅ……」


 その一言が、決定的にキメラの心を壊した。

 彼女は崩れ落ちて、うずくまり、震えながら頭を抱えて唸り始める。

 そしてぶつぶつと何事かを呟いていた。


「わ、私は悪くない……私は、私はっ……悪くない……ウォルターだって、大火なんて……きっと、なにか、理由が……だってあの子は…………」


 狂ったように虚空の一点を凝視して独白を続ける。

 アッシュはそれを冷たい目で見下ろしていた。


「…………」


 アリスはやはりなにもできず、立ち尽くしている他なかった。

 でもひとまず話が中断したので、なんとかとりなしてみようかと考える。


 けれど、ちょうど声をかけようとしたところでサティアたちがやってきた。


「……どうしたのよ、あなたたち?」


 書庫の廊下を歩きながら彼女は言った。

 みんな近くにいたはずだし、揉めているのを聞きつけて来たのかもしれない。

 サティアとゴースト、それにノインもいた。


「取り込み中です」


 アリスが慌てて答えると、サティアは眉を動かした。

 そして血まみれの顔のアッシュを見る。


「へぇ、そうなの」


 その時だった。

 泣いていたキメラが顔を上げ、ゴーストを見つける。

 するとひどく怯えたような表情を浮かべ、涙に濡れた金切り声の叫びを上げた。


「来ないでっ!!」


 しんと静まり返った書庫で、その声はきりのように鋭く耳を刺した。

 キメラは激しく目を泳がせながら、また頭を抱えてわめき散らす。


「わ、私は……! 仕方なかったの! だって、だって、だって! 仕方なかった! ……仕方なかったのっ!!」


 奇しくも、最初にアッシュが口にしたセリフと同じだ。

 彼女は仕方がなかったと、何度も何度も繰り返し言った。


「あ、ああ……本当に……し、仕方なかったのよ…………」


 キメラはまるで身を庇うように抱いて、幼子のように声を上げて泣き始めた。


「……アレはどうしたのだ?」


 ゴーストが言った。

 アッシュが答える。

 キメラをじっと見つめながら。


「こいつは……人殺しのくせに、俺に復讐をしようとした。だから、そんな資格はないと教えてやった」

「復讐?」


 さらにゴーストは問いを重ねた。


「前に俺がこいつの弟を殺した。それで、復讐だ」

「なるほど」


 あっさりとゴーストは納得する。

 しかし、アリスは少し慌てる。

 この言い方では彼がキメラの弟を自分の意思で手にかけたように聞こえるからだ。

 別にいいのかもしれないが、アリスはなんとなく引っかかる。

 あとは、ノインだって顔を強張らせていた。


「あの。一応言うと、アッシュさんは好きで殺してはいないですからね。…………多分」


 そう言うと、キメラ以外の全員の視線が集まる。

 アッシュもだ。

 無感情な目でじっと瞳をのぞき込んできていた。


「…………」


 やがて、興味を失ったように彼は視線を外す。

 アリスはよく分からない気分になって、ノインのそばに移動した。

 彼女は優しい目でアリスを見ている。

 なんだか心が落ち着いたので、そのまま一緒にいることにした。


 すると各々の注意はキメラの方へと戻っていく。


「どうしようもなかったの……だって、だって…………」


 ずっと、彼女は言い訳を重ねていた。

 アリスはその気持ちが少しだけ分かると思う。

 どう償っていいのか分からないことには、言い訳をしたくなるものだから。


 そうしているとやがて、ゴーストがゆっくりと彼女に歩み寄る。


「お前はなぜ、俺たちの国に来たのだ」


 その声に怒りはなく、かといって同情もない。

 ただ凪いだ湖のように静かな声だった。

 キメラは顔を上げ、嗚咽しながら答える。


「わ、私は……ただ、みんなを、救いたかった……幸せにしたかった……!」

「そのために布教を?」


 キメラは頷いた。

 何度も何度も頷いて、詰まる息で言葉を重ねる。


「そう、です。だって、神様は……私を救ってくれた。だから、もっと教えを! そ、そうすれば!! ……みんなを、救えると思って。そんな世界なら、あの子も…………どこかで……幸せに……なれると、思って…………」


 あの子、とは誰だろう。

 アリスには分からない。

 他の面々もそうだ。


 しかしアッシュだけは、なにかに気づいたかのように目を伏せた。


「…………」


 もしかすると、弟のことかもしれないとアリスは思う。

 さっきウォルターについて、生き別れた姉を探していると言っていたから。

 同じようにキメラは、もう会えないとしても……弟のために世界中を光で満たそうとしていたのか。


「なるほどな」


 ゴーストが頷いた。

 理解できなかったことも多いだろうが、彼の中で整理がついたのだろう。

 そして、そのままキメラの前にしゃがみ込む。


「そうか。お前は、そのような志を持った……旅人であったのだな」


 泣いていたキメラが顔を上げる。

 ゴーストは言葉を重ねた。


「もてなせば福となったであろうに、我らはお前を石で打った。許されることではない。謝ろう」


 謝罪を聞いて、キメラは泣き笑いのような顔をした。

 いつも肉の箱を取り出したりするように、腹の中にゆっくりと指を突き入れる。

 それからナイフを取り出し、彼女は黙って自らの喉に切っ先を当てた。


「わ、私……ずっと昔……死のうとしました。でも、失敗して……こんなことに…………」


 アリスは凍りつく。

 どうすればいいか分からずサティアの方を見ると、彼女はゆっくりと頷いた。

 いざとなったら止める算段があるのだろう。


 キメラはそれには気づかず、涙でぐちゃぐちゃの顔で懺悔を重ねる。


「ごめんなさい。私は……私は、弱く、愚かで……正しく生きることも、死ぬことも、できませんでした……」


 そう言って、キメラは切っ先を喉に突き立てようとした。

 しかし次の瞬間、ナイフの刃だけが跡形もなく消し飛んでしまった。


「…………」


 アッシュだ。

 彼は右手の人差し指をキメラの方に向けていた。

 黒炎の精密射撃により、彼女の自死を防いだと理解する。


「……どうして?」


 キメラが言った。

 アッシュは答えずに歩き始める。

 そしてキメラの胸ぐらを掴み上げる。

 引き上げて無理矢理に立たせる。


 強い瞳で睨みつけて、怒りが滲む声を叩きつけた。


()()()は、殺人は正当化できないと言った。自分のしたことは、どんな理由でも……許されないと言った」


 彼は誰とは言わなかった。

 それでもキメラには分かったのだろう。

 またぼろぼろと涙をこぼして、泣き始める。


「だから、お前は! ……お前だけは、開き直ったまま、死なせるわけにはいかない……!」


 感情を露わにして、アッシュはキメラを揺さぶった。

 されるがままで、彼女は弱々しい答えを返す。


「では私は、どうすれば……」

「知るか。自分で考えろ」


 すげなく突き放して手を離す。

 くずおれ、座り込んだキメラは、おずおずと顔を上げてゴーストを見た。


「私はきっと、許されませんね」


 彼女はそう言った。

 全てを諦めたような表情だった。

 ゴーストは深くため息を吐く。


「……そうだな」

「ここを出たら、処刑してください。私は、罰を受ける必要がある」


 でもそれは受け入れられなかった。

 ゴーストはまた、静かにキメラへと語りかける。


「お前は多くを殺した。しかし殺された者もまた、お前を殺そうとしていたはずだ」


 だからキメラは許される、というわけではない。

 ヤクラナのことを本当に幸せにしようとしていたのなら、自分の布教が争いを招くことは理解できた。

 本当に正しい人間であれば、すぐに布教の歩みを止めたはずだ。


 けれど。


「俺は疑問なのだ。果たしてお前ばかりが悪であったか? 俺たちに恥ずべきことはなかったか? ……これまで、あらゆる場所で……旅人たちを殺めてきた。何百年もだ。そんな国に、本当に非がなかったか?」


 近海で、国境で、国に近づく者は全て殺した。

 相手の話など聞いたことはない。

 一方的に矢を突き立て、死体を腐るままに打ち捨てた。

 海難に遭い、助けを求めて上陸した人々さえも。


 そんなことを続けていたのだから、これはいつか必ず起こることであった。


「キメラ、俺たちはお前を許せぬ。だがお前が自らを責めるのならば、同じだけ己を恥じよう。心がお前を憎む度に、自らの罪を思い出そう」


 故に、キメラは必要なのだと彼は言う。

 自分たちの罪を忘れないために。

 未来で同じ過ちを繰り返さないために。


「もし、お前さえ良ければ……力を貸してくれ。俺たちは変わりたい。そのために、お前が必要だ。今度こそお前を受け入れ、理解することが……俺たちにとっての償いなのだ」


 キメラに対しての。

 なにより、これまで言葉もなく殺めてきた旅人たちへの。


「…………」


 キメラは、俯いて泣いていた。

 泣きながらじっと、折れたナイフを見つめていた。


 そうして長い長い沈黙の果てに、一度だけ頷いた。


「……分かりました。私も、あなたがたに償います。そのための道を、ずっと探し続けます」


 聞き届けて、ゴーストがキメラを助け起こす。

 それから、彼女はもう命を絶とうとはしなかった。

 アッシュへの報復を遂げようとすることもなかった。


 憑き物が取れたような、普通の女性の表情になってゴーストと話をしていた。



 ―――



 その日の夜、眠り込んでいたアリスは目を覚ました。

 テントの外から、小さな話し声が聞こえたせいだ。


「…………?」


 眠い目をこすりながら、周囲を見回す。

 書庫は時間が夜でも明るいのですぐに様子は把握できる。

 ノインとサティアは寝ているが、キメラが寝床から抜け出しているようだ。


「……まさかね」


 そう呟く。

 まさか、まだ復讐をするとは思わない。

 でも一応……と思って、アリスはテントからこっそり顔を出す。


「…………」


 すると、見張りをしているアッシュを見つける。

 彼は書庫の地べたに座っている。

 隣には正座をしたキメラがいて、なにか話しているようだった。


「――――」


 少し遠いので、表情や会話の内容は聞こえない。

 しかしアッシュは低くうなだれていて、キメラは優しく微笑んでいることが分かる。

 彼の話を、穏やかな表情でずっと聞いている。

 まるで、小さな弟を見守る姉のように。


 耳を澄ましていると、ウォルター……という名前が聞こえた気がした。


「大丈夫そう」


 アリスはそう言ってテントに顔を引っ込める。

 見るからに自分の出る幕ではないので、また眠ることにした。


 どうかキメラがアッシュを……許されない罪ばかりを抱えた人を、わずかばかりでも許してやれるように願いながら。




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