十六話・賛美節(3)
壁やらなんやらを無視して、道なき道を全速で走った。
それで、ようやく六分程度で戻って来ることができた。
あの、がらくたは……クローゼットに収めて、そのままにしていたアッシュの荷物に封印しておいた。
どうするつもりなのかは自分でも分からなかったが、所持品が極端に少ないので、少しくらい意味のないものを持ち歩いてもいいのかもしれなかった。
「大ですか? あ、いや、特大?」
にやにやと、そんなことを言うアリスにうんざりしつつもついていく。
「どこに行くんだ?」
「とりあえず祭壇の方に行きましょう」
「分かった」
いくつもの出店を横目に、広場の中心へと二人で向かう。
街灯に加えてどこもかしこも松明が焚かれていて、夜の街も今日はいつもよりずっと明るい。
そして祭壇では祭りの始まりを告げる儀式が行われているようで、沢山の人々が集まっていた。
パン屋のギルド長が子供ほどの大きさの人型を模したパンを祭壇の司祭に捧げ渡し、司祭が手ずからそれを祭壇に横たえて祈り始める。
「我々の主食はパンでしょう? ですからパンとはすなわち肉であり、今日ばかりは神の御許の勇者の霊がそこに宿ると信じているのです」
「なるほど」
「まぁ後で燃やすんですけどね」
何を血迷ったかアリスが神官らしく解釈してくれる。
が、お生憎様アッシュは祭りを見るのは初めてではなかったのでそれくらいは分かっていた。
わざわざ言うつもりもなかったが。
やがて長い祈りも終わると、司祭が今度は説教を始めた。
「面白いか?」
真顔でアッシュが聞くと、彼女は苦笑いする。
「神様はお嫌いですか?」
「好きではない」
「私も嫌いです、気が合いますね」
そう言うとアリスは踵を返して、人混みの中を歩き始めた。
「今度はどこに?」
「何か食べましょうよ、せっかくですから」
なにか食べる、か。
そういえば。
「君はもちもちを食べたか? あれはよかったよ」
「もちもち? その顔で? 非常識ですよ?」
アリスはそう言っていかにも楽しげに笑う。
もしかするとアッシュはもちもちという言葉を使うべきではないのかもしれなかった。
「串焼きでも食べたいなぁ」
そう言ってきょろきょろするアリスは、やがて目標を定めたようだ。
賑わっている屋台を見つけて歩み寄る。
「すみません」
「ゴラァ! 割り込みすんな!」
「あ、はい」
出鼻を挫かれたアリスは微妙な顔で列の最後尾を探す。
そしてなぜかこちらを見つめながら不満を口にした。
「私は祭り初心者なんですが?」
「俺に言われても困る」
並んで少しすると順番が回ってくる。
「はい、お待たせ。どうするんだ?」
先程怒鳴った時とは打って変わって快活な様子で、捻りはちまきの男性が声をかけてくる。
そしてその彼の奥では網に肉を乗せて忙しく調理する人たちの姿があった。
「あれ? メニューは……」
アリスはそう呟くが、それについて考える意味は全くなかった。
なにしろメニューはないのだから。
「ニ本ください」
「はいよー、三十ヴェルトね」
アッシュの所持金はもう心もとないので、アリスに支払いを促すことにする。
「金を払え」
「え、あ、はい」
アリスは戸惑いながらも会計を済ませるが、その後でアッシュを睨みつけてくる。
「私選んでないんですが」
「メニューがないんだ、選ぶもクソもないだろう」
「え……」
また、メニューがないのだから当然買った肉がなんの肉なのかは分からない。
「はいお待ち!」
肉はあろうことか手渡しだった。
アッシュとアリスに一本ずつ渡して男は次の客と会話を始める。
そして謎の肉を片手にアリスは遠い目をしていた。
―――
「結構美味いじゃないですか」
「良かったな」
アリスは、こしょうが利いた謎の肉をあの手この手でこちらに押し付けようとしていた。
だが口に入れれば琴線に響くものがあったらしく、美味しそうに頬張っている。
「しかし祭りとは思っていたほどいいことばかりではありませんね」
「まだ始まってすぐだろう。次はどこに行くんだ?」
「遊ぶのはどうでしょう。ほら、投擲」
アリスが指差す方を見ると、台に文字を書いた木彫り人形を並べたスタンダードな投擲屋台があった。
どうやら人形に書いてある文字に対応した景品がもらえるらしい。
「やってみますか」
「好きにするといい」
今度はきちんと最後尾を見つけてアリスは屋台の列に並ぶ。
そしてなにやらわくわくした様子で腕を回していた。
「これですよこれ。今時買い食いなんて時代遅れですよ」
「そうか」
順番が回ってくると、アリスは十ヴェルトの挑戦料を支払って革のボールを手に取る。
与えられる機会は三球で、それでできる限りの的を倒さねばならない。
「えいっ」
しかし結果は惨敗だった。
投げては外れ、投げては外れ。
外すために投げているようだ。
全くもってかすりもしなかった。
最後の一球の時など恥知らずにも身を乗り出して投げたというのに外れていた。
名残惜しそうにするも、次の客の邪魔だと追い払われてアリスは肩を落とす。
「はぁ……」
「まぁ、まっすぐ飛ばないように細工されてる場合もある」
特に根拠もなく、思いつきの慰めでそう口にした。
しかし彼女はそれに酷く憤慨した。
「許せませんね。番犬いらずは売らなければ良かったです。店の前に置いてやりたいんですが」
「そうだな」
「次は……」
なんだか熱が入ってきた様子でアリスが口にする。
そしてあたりを見回す表情を見て、アッシュはどこそこ連れ回されることになりそうだと覚悟を決めた。
―――
アッシュたちはあの後も様々な露店を回った。
そして、それが起こったのはちょうど二人で広場の隅の長椅子に腰掛けてミートパイを食べていた時だった。
「魔獣ってほんと、空気読めないんですかね」
鐘の音が鳴り響く。
それは魔獣の襲撃を意味していた。
アッシュは残りをさっさと口に放り込んで、包み紙をアリスに渡す。
そしてついでに帽子も外して渡した。
アリスはそれらを虚空に消して、ついでに食べかけのパイも名残惜しそうに消す。
「あっちだな」
「ええ、東門ですね」
「行くか」
「行きましょうか」
そう言うとアリスは杖を持ち、低く抑えた声で詠唱を始める。
「ひえ・ぐらに・てくら・する・める・えるにせと」
聖典でもなく偽典ですらない特異な、元は狂人の言葉だという文言だった。
するとアリスの目の前に大きな穴のような、暗い円が現れる。
そこから滲み出すように這い出たのは、やはり黒く塗りつぶされた巨大な竜だ。
これはアリスの使役する召喚獣の一体だった。
突然の異形の出現に逃げ出す人々を横目に、アッシュはその竜を改めて観察してみる。
姿は大まかにはおとぎ話の竜に合致するが……それでも明らかに異質だ。
目のない捻じくれた頭部と縦に裂けた口、左右非対称の翼。
そして一対の力強い脚の先には、おびただしい数の指がうねり、長大な尾を含む全身を生々しい血管のシルエットが蝕んでいる。
「いつ見ても気持ち悪いですよね。召喚獣って」
自分で呼び出しておきながら、アリスは召喚獣を見てそんなことを言う。
だが、アッシュの方も召喚獣にはなにか得体の知れない気持ちの悪さを感じていた。
何しろ召喚獣の正体を知る者は、この世界には誰もいないのだ。
かつて神官たちが異界からの英雄召喚……なんて眉唾なものを研究していた時期がある。
その際に誤って呼び出してしまったものが召喚獣だ。
影のごとき彼らは、存在と自我が希薄でどこにでも呼び出すことができる。
そして自我の薄さ故に、精神を感応する魔術を使えれば彼らに意思を刷り込んで操ることもできるのだという。
とはいえ誰にでも使役出来るわけではなく、精神感応の魔術は今のところアリスにしか使えない。
さらにその上とても高価な、専用の杖を使う必要があるのだと言う発展途上の代物だ。
「乗りますか?」
「遠慮しておく」
「そうですか。じゃ、先に行きますね」
アリスはさっさと竜に飛び乗って空の彼方に姿を消す。
アッシュもそれを追って走り出した。
移動していると、すでに応戦し始めていることが分かる。
響く轟音を聞きながら門に駆けつけた。
するとそこには、幾人かの兵士と松明を持ったグレンデルがいた。
「アッシュ。来てくれたんだな」
彼はそう言って近寄ってくる。
アッシュはその嬉しそうな顔を一瞥して、短く答えを返した。
「ああ」
「なぁ、アッシュ。頼みがあるんだがいいか?」
「頼み?」
聞き返したアッシュに、グレンデルはそっと顔を寄せて耳打ちする。
「アッシュはその、妙な姿に変わって戦うんだよな?」
「そうだけど」
アリスに任せているのでまだ安心できるとはいえだ。
さっさと会話を切り上げて戦いたかったから、内心で少し苛立ちつつ答える。
「それが何だ?」
アッシュの気持ちを分かっているのか、それとも単純に言いにくいのか。
真実は分からないが、グレンデルは少し口ごもった後に小さな声で言った。
「良ければ今日は、そのままの姿で戦ってほしいんだ。頼めるか?」
意図が読めなかった。
アリスがいるので負けはしないだろうし、いなくても雑魚の群れ程度に手こずるつもりもなかった。
しかしここでわざわざ戦力を減らす意味がない。
「頼む……!」
手を合わせるグレンデルに、アッシュはどこか真摯なものを感じ取った。
だから意味のないことではないのだというのは分かった。
相変わらず意図は読めないが、相応の理由があるなら協力はできる。
「……分かった。善処する」
「ありがとう、助かるよ」
そう言うとグレンデルは微笑んだ。
それから門の脇、個人用の小さな扉を開け放つ。
「じゃあ、頼んだ」
「ああ」
扉から飛び出したアッシュは走りながら敵の位置を確認する。
魔獣たちはまだ街からは離れたところにいるが、それでもアリスは応戦しているのがわかる。
時折竜が放つ、痛いほどの白さの閃光が夜空に走るのが見えた。
空から撃ち下ろすために魔術たちは抵抗できない。
応戦するハーピィも羽虫のごとく落とされていく。
これは雑魚ではどうしようもないだろう。
上空から薙ぎ払って、それで一方的に終わらせてしまうのだから。
せいぜい巻き添えを食らわないように気をつけようと思いつつ、アッシュは敵の群れに飛び込む。
しかし魔獣どもは例外なく容赦のない空からの掃射に浮足立っていた。
なので接近するアッシュには気が付かなかった。
闇夜では奇襲が厄介なハーピィも、今は全てアリスが相手にしているようで、やりやすいことこの上なかった。
「手早く済みそうだ」
つぶやいて、剣を抜いて走る。
夜で、陽動がいる今ならむしろ剣に炎は纏わせない方が効果的だと判断する。
だからアッシュは魔術を使わず、足音を殺して闇を走った。
そして背後からオークの胸を一突きにする。
死体を横に転がして、それから上ばかり見ている別の一体の首もはねた。
と、そこでアリスの掃射が来たのでアッシュは身をかわす。
こちらが見えていないのか、あるいは当てる気だったのか。
「…………」
しかし今ので三、四、五……いや、もっとだろう。
一気に敵が殲滅されたのを見て、アッシュはなんとも言えない気持ちになる。
これでは地道に殲滅するのが浮かばれない。
「重く鋭い杭よ。穿て」
魔物化による補正がなくなり、詠唱は常よりも長くなる。
しかしそれでも正しく発動した『炎杭』により、のたうっていたヒュドラを仕留める。
そうしてアッシュが闇に紛れて魔獣を屠っていると、やがて平野は死体で埋め尽くされる。
二人で共に戦ったのは初めてだったが、正直アッシュはアリスを羨ましく思った。
彼女が、もっと熱心に魔獣を殺してくれるといいのだが。
やがて、戦闘は終わる。
「お疲れ様です」
「君は凄いな」
降りてきたアリスにアッシュが称賛を送ると、彼女は得意げに笑う。
「まぁ、造作もありません」
竜は杖の一振りで夜に溶けて、アリスは街に向けて歩きだす。
「行きましょう、祭りはまだ終わってはいません」
「ああ」
そうして二人連れ立って歩いていると、突然歓声が聞こえた。
音の発生源を探ってみると、城壁の上に行き当たる。
そこには、どうやら街の人々がいたらしい。
いくらか松明を持っている人がいたので分かったが、かなりの人数だ。
「アリス様ーー!」
「アリスちゃんありがとう!!」
歓声の内容は主にそんなものだった。
だがまぁ仕方がないだろう。
明かりが焚かれている街の中ならともかく、この闇夜では派手な攻撃をしていたアリスしか見えなかったはずだ。
実際アッシュは大した仕事をしていないし、当然人気もないはずだ。
「聞きました? すごい人気ですね」
こちらを振り向いてアリスが満足げにそう言う。
「ああ」
アッシュは素直に認めながらも少し呆れる。
グレンデルにだ。
きっと街の人々が戦いを見に来ることを予期して、アッシュにあんなことを頼んだのだろう。
しかし全く余計なお世話だった。
望んでもいないし、そもそもアッシュが人々に好かれることなどありえない。
そんなことを考えながら進む。
アリスが晴れがましい様子で扉をくぐり、わっと歓声に囲まれる。
だからアッシュも邪魔にならないよう後をついていく。
沢山の笑顔に囲まれながら、彼女はやがて広場にまで戻る。
どうやらパレードも始まるようで、仮装した人々の行列が目の前にあった。
列の先頭には、綺麗に飾り付けられた衣装の大きな犬が立っている。
「…………」
そんな様子をぼんやりと見ていると、アッシュのすぐそばで小さな声がする。
「ありがとう」
七、八歳ほどの小さな子供だった。
名前も知らない、男の子。
きれいな瞳でこちらを見つめていた。
「お父さんはあなたを捕まえたけど、許してくれますか?」
たどたどしい口調のその言葉の意味をアッシュは理解しかねた。
捕まりそうになったことなら、何度もあったが。
だがやがて父親と思しき男が、顔面蒼白で人混みから飛び出してきた。
その男性の顔を見てようやく思い出す。
「君は……アルスか」
息子の話をしていた。
確か、父親はダンと言ったか。
以前アッシュを捕まえようとした憲兵だ。
「あ、あ、あ、あの、あの日のことは……」
だくだくと汗を流しながら顔を伏せるダンに、別に気にしてないと告げる。
「いつものことだ。……気にしなくていい」
「ほんと? ありがとう!」
男の子がにっこりと微笑む。
すると、いつの間にか隣に来ていたアリスがアッシュの頭に犬の帽子を被せる。
「…………?」
どこかアッシュのことを警戒していたような人々も、そんな姿を見て大いに笑った。
戸惑ったアッシュが視線を泳がせると、人混みの向こうでこちらを見つめるグレンデルと目が合った。
実に嬉しそうに微笑んでいた。
―――
祭りのあと、城門の前にアッシュはいた。
周囲には誰もいない。
今は人々が寝静まった深夜だからだ。
そして歩きながら、少しだけ祭りのことを思い返す。
あの後も人々から何度か話しかけられたりした。
だから、アッシュにとって珍しい日だった。
「行くんですか?」
呼びかけてきた、声の主はアリスだった。
仮装はやめて、またいつものように喪服にヴェールをつけていた。
松明なども片付けられ、この時間だと街灯もその全てが明かりを保っている訳ではない。
暗がりの中で、顔をヴェールで覆っているから、夜目が利くとはいえ表情を読めない。
「まだ夜明けまでは時間があるからな。……夜襲が来たら」
「分かってますよ」
人々は寝たが、それでも不寝番をする兵士たちは城壁に松明を灯して見張っている。
もし襲撃があればアリスが出向くことになるだろう。
「助かる。それじゃあ、また」
そう言って背を向けようとしたアッシュの左手をアリスが握って引き止めた。
「……人に触るのは苦手じゃなかったのか?」
「今は別です」
そんなことを口にするアリスの声はどこか底冷えするような、隠しようのない覚悟のようなものを匂わせていた。
いや、わざと隠していないのか。
「私、あなたのこと嫌いじゃありませんよ」
「そうか」
「ええ、だからお願いがあります」
「お願い?」
それからアリスは数拍、心の準備をするような間をおいて言葉を紡ぐ。
「私を見逃してください。どうかお願いします。私は、できるならあなたとは争いたくはない」
私を見逃がせと言うのは、つまりアリスが封印官としての諸々を捨てていなくなるのを認めろと……そういう話なのだろう。
「俺にはお前が必要だ。魔獣を殺し尽くすにはお前の力が要る。だからお前を逃がす気はない」
しかし、アッシュはアリスを逃がす気はなかった。
封印官としても優秀だが、それ以上にアリスは強い。
その力は必要で、貴重な戦力を失うわけにはいかなかった。
「どうしても?」
アリスのその言葉に、アッシュは頷く。
「どうしてもだ」
絶対に。
そんなことを思った瞬間にアリスの手はアッシュから離される。
温もりが残る手に一瞥をやって、それからアッシュはアリスに視線を戻した。
「ま、ならいいんですよ。また明日」
薄く微笑む気配がして、それからすぐにアリスは踵を返す。
そして街の方へ、闇の中へと姿を消した。