十二話・封印官(2)
酔っ払ったグレンデルをゴルドに預けた。
それから、アッシュはアリスの部屋を訪れていた。
「すまない。今いいか?」
ノックしつつ呼びかける。
すぐに答えが返ってきた。
「構いませんよ」
椅子を引くような音がした。
アリスがこちらへと歩いてくるのが分かる。
ドアが開いた瞬間、アリスが笑顔で口を開いた。
「汚いので入ら――――」
「部屋で待ってる」
先んじて告げると、彼女は不満げに眉をひそめる。
まさか入らないでほしいと言うのが楽しかったわけでもあるまいが。
ともかく、踵を返すとアリスはそのままついてきた。
今回は杖を持ってきていたようだ。
鼻を手で隠して、疎ましそうな目で見てくる。
「今日は酒臭いですね。この堕落勇者」
「生臭神官が」
「血狂い」
「トカゲ女」
「とっ……?」
なんとなく言い返していると、アリスは珍しく唖然として立ち止まる。
トカゲ女と言われたのが効いたらしい。
意外に思っていると、彼女は信じられないという顔で聞き返してくる。
「トカゲ女? 私が?」
アッシュには似ていると感じられた。
冷たい悪意を潜ませた瞳といい、意地悪く歪められた口元といい。
影を這うトカゲにそっくりな陰険さだ。
しかしアリス自身は納得いかなかったらしい。
恨み言をぶつぶつと呟く。
そんな様子を尻目にさっさと服を脱いだ。
「よろしく頼む」
「……ええ、やりましょうか?」
アッシュが地べたに腰掛けると、不満顔で彼女はベッドに腰を下ろした。
言い合いを続ける気もなかったので、必要な報告を済ませてしまう。
「今日は魔人化した」
アッシュが言うと、アリスは重いため息を吐き出す。
「それはまた、面倒な」
「すまない」
アリスは、虚空から拳ほどの大きさの原石を取り出す。
深紅の結晶はどこか禍々しい雰囲気を放っていた。
これは【魔石】と呼ばれるものだ。
そして魔石とは、大昔の巨大な魔物の血が固まり鉱脈になったものだった。
なのでそれ自体が莫大な魔力を含んでいる。
魔術の触媒としても優秀で、杖に加工されたりもする。
しかし封印官の業務においては、この石の魔力を借りて封印魔術の補助にすることが多い。
「使うのか?」
「はい。私の魔力だけじゃ負担が過ぎますよ。封印は重石みたいなものですから」
専門外で、そのあたりの話はよく分からない。
しかし封印の術は思っているよりずっと単純な魔術であるそうだ。
確か、対象を魔力で押さえつけるようなものなのだという。
ただ、技術が求められる要素も当然だがある。
たとえばヒモを結ぶ時、結び方やその巧拙で強度が変わるのと同じだ。
術者の技量と使用する魔術によっても効果が変わるらしいが、基本は押さえつけるために費やされた魔力が効果を決めるのだという。
そんなことを考えながら、いつもの詠唱を聞き流していた。
しかしそれもやがては途切れる。
話すこともないので黙っていると、アリスが話しかけてくる。
「しかし、今日はどうして本気を出したんですか? この石の値段、知らないわけじゃないですよね?」
「四十万ヴェルト」
「そうですよ、一回四十万の変身ですよこの金食い虫。税金粉砕機。国民泣かせ。採算の合わない殺し屋。……で、なんで使ったんですか?」
「恐らくだが、門衛がいた」
そう答えると、アリスが押し付けている杖が揺れた。
動揺したらしい。
なにか残念なことでもあったのか。
「ええ……。早くないですか?」
「そうだな、運が良かった」
確かに想定より早かった。
何を思ってか、アリスは無念そうに口を曲げる。
「お祭り参加したいですよぉ……」
「…………」
「生まれ故郷から遠く連れ去られ、妙な首輪つけられて、こんなやりがいのない仕事させられて、毎日毎日自由を夢見てるんですけど」
「…………」
「……聞いてますぅ?」
アッシュは右手で頭をかこうとした。
しかしすでに身体が動かないことに気がつく。
行き場を失った手を弱々しく握り、アリスの言葉に答えた。
「……このあたりは魔獣が多い。明日にでも支門が見つかるということがなければ、少しは滞在しても構わない」
「え、嘘。やった」
決して泣き落としに負けた訳ではない。
しかし根に持たれると面倒だし、この辺りの魔獣は本当に多いのだ。
のさばらせたまま出て行くのは胸糞が悪い。
できるなら根こそぎに殺し尽くして、清々しい気持ちで旅立ちたい。
そんな思いをよそに、アリスは鼻歌を歌い始める。
実に楽しそうに口を開いた。
こんなに機嫌のいい彼女を見るのは初めてだった。
「となれば私も準備しなければなりませんね」
「準備?」
一体何の準備をするというのだろうか。
怪訝に思ったアッシュは聞き返す。
「お祭りを楽しむ準備」
「勝手にしてくれ」
返ってきたのは嬉しそうな声だった。
うんざりしたアッシュは目を閉じる。
やがて、アリスが封印が終わったことを告げる。
「さぁ、済みましたよ」
「いつもすまない、助かった」
そう言って、アッシュは身体が動くようになるのを待つ。
眼を閉じたまま待っていたのだが、不意に何かの布が左手に触れた。
「…………」
目を開けるとアリスがいた。
ご丁寧に、ハンカチ越しにアッシュの手を取っているようだった。
「手が汚いか?」
「人に触るのが苦手なだけですよ」
けろっとした顔で言う。
続いてアリスは虚空から刃物を、実に鋭そうなナイフを取り出した。
アッシュは拳を握る。
「……!」
「ひっ…………」
咄嗟の判断だった。
腹に拳を叩きこもうとする。
相手は空間魔術士で、武器を奪っても意味がない。
封印直後で万全にはほど遠いが、人間なら足が立たない程度の力は込められた。
しかし、アリスは腰を抜かしながらもそれをかわした。
反応したというよりは、臆病さが功を奏したか。
「わーーーっ! いきなり殴らないでくださいよ!」
部屋の隅まで逃げて、アリスが顔を青くして叫ぶ。
投げるつもりなのか花瓶を持っている。
気にせずアッシュは睨みつけた。
「近寄ってみろ、殺してやる」
「いやいや、落ち着いてくださいね……!」
「俺はお前を、全く信用してないからな」
そう言うと、アリスはうんざりしたように額に手を当てる。
口を尖らせて不満げな口を利いた。
「なんですか、ちょっとお瀉血しようとしただけなのに……」
「瀉血?」
血管を切り裂いて悪い血を吐き出させるという民間療法だ。
完全に無意味な療法だと認識している。
しかし、それがどうしたというのだろうか。
「血、を、よ、こ、せ」
「なるほど」
意図を読み取ったアッシュは左腕を差し出す。
少しだけ、過剰に反応した自分を恥じた。
後ろめたいことがあるクズのような悪人だから、こんなことになるのだ。
「妙なことをするな。それと、先に言え」
「……たたかないでくださいよ」
「叩かない」
恐る恐る近寄ってきたアリスが、ハンカチ越しに手に触れる。
刃を左手首の上でそっと引いた。
じわりと血液があふれ出す。
「…………」
垂れ始めた鮮血を、アリスは口の広いビンに入れる。
アッシュの血は魔物の血だ。
人の血液に比べてどこか暗く、重くてとろみが強い質感だった。
魔力を秘め、奇妙な粘性によりアッシュの傷は素早く塞がれる。
「いや、助かります」
すっかり元気を取り戻して、アリスが調子よく礼を言う。
無視してその挙動を見張っていた。
殺される理由の心当たりは、多い。
アリスがまたナイフを動かした。
「あ、いけない。血が止まってきましたね。開け、このっ……」
ふざけた口調で言って、断りなく傷口に刃を這わせる。
呆れるほどに図々しかった。
「君、こんなもの何に使うんだ?」
「私の勝手です」
「勝手ではない。絶対に」
アッシュがそう言うと、アリスはふっと息を漏らして答えた。
「……ま、冗談ですよ。いや、なにか魔道具でも作ろうと思ってですね」
「魔道具?」
「出店です」
祭りでなにか売ろうと言うのか。
一応、自分の血の使い道なので掘り下げることにする。
「何を作るつもりなんだ?」
「んー、踏むと燃える石畳とか」
「やめろ」
「名付けて番犬いらずです。家族の団らんを守る正義の魔道具ですよ」
しかし、本当にそれができるなら、アリスは魔道具に通じていると言える。
中々凝ったものを作る腕前がある。
「君は、魔道具は得意なのか?」
「ええ。そうですね。これがありますからね」
言いつつ指差したのは隷属の首輪だ。
それをどうにかして無力化しようと試みていたという訳だろう。
「…………」
やがてビンが二本目に突入していたことに気がつく。
同時に一切の躊躇なく傷口が開かれた。
もはや軽口も叩かない。
開いた口が塞がらないとはこのことで、アッシュとしては言葉もなかった。
「あ、この血をそのまま売るのもいいかもしれませんね」
アリスの言葉は聞き流した。
もう身体は動くようになっていたが、彼女の用が済むのを待つ。
窓から月を眺めて時間を潰す。
「あなたは……」
不意に、そんな声が聞こえた。
億劫に思いながら目を向ける。
「なんだ」
アッシュが先を促すと、彼女はらしくもなく躊躇った。
けれど話すことにしたのか、続きを口にする。
「どうして、私に命令しないんですか? あらかじめ言っておけば、私はあなたに刃を向けることもできませんよ」
アリスの顔はらしくもなく不安げなものだった。
聞かなくていいのに、むしろそんなこと聞かない方がいいのに。
それを分かっていても、不安だから聞かずにはいられないのだろう。
首輪による支配権を握った者、分け与えられた者はまず、奴隷に対して禁則事項を設ける。
殺そうとするな、言葉に耳を塞ぐな、許可なく触れるな、許可なく近寄るな、と、そんな具合だ。
そしてそれはアッシュもよく知っていた。
だが今のところ、アッシュはアリスに対してなんの命令もしたことがない。
元の主も、教会の敵であるアッシュを殺すなとは言わなかっただろうから、どうとでもできてしまう状況だ。
「絶対に殺されないからな。俺は」
「そうですか……」
それで会話は終わりだ。
月を見て時間を潰す。
ほどなくしてビンの中身は満たされたようだ。
「三本目はあるのか?」
溜まった血を見ながら問いかける。
アリスは肩をすくめて答えた。
「いえ、ありませんよ」
それから、アッシュの傷口にハンカチを被せる。
血を拭くように、という配慮だろう。
「それあげます。返さないでくださいね」
「ああ、貰っておく」
滲む血をハンカチに吸わせながら答える。
アリスはビンを虚空に消して、すぐに立ち上がってお辞儀をした。
「どうも、助かりました」
「気にするな」
相槌を打つとアリスは踵を返して部屋を出る。
しかしなぜか戻って、最後にドアの隙間から顔だけ出す。
冷めた目でアッシュを見て別れを告げた。
「それではまた」
それきり、アリスは戻ってこない。
十秒ほど布で血を拭った後、アッシュはポーチから『光』のメダルを取り出す。
メダルをそっと傷痕に添えて、淡々と詠唱の言葉をなぞっていく。
「痛みを背負いし子らに救いを。静かなる光をここに。月よ、祈りを聞き入れたまえ」
治癒のルーン、すなわち『慈愛』の形の詠唱には、偽典としては例外的に祭祀色が残っている。
そしてこの『慈愛』により発動する魔術は、治癒魔法の中でも最も初歩的なものである。
けれど、適正の薄いアッシュは長々と時間をかけて準備せねばならない。
効果さえもかなり低い。
しかしアッシュ自身は魔物で、強い生命力を持っている。
だから気休めの魔術でも小さな傷くらいは塞がる。
ささやかな光と共に、腕の傷痕が薄くなるのを見届けた。
そうして、処理を終えたアッシュはメダルをしまう。
向いていないのだろうなと考えながら。
アッシュは、救うことには向いていない。
できるのはずっと殺すことだけだった。
分かっているはずなのに、未練がましくこんなものを持ち歩いている。
それはアッシュのどうしようもない愚劣だった。




