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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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十二話・封印官(2)

 


 酔っ払ったグレンデルをゴルドに預けた。

 それから、アリスの部屋の前に立っていた。


「すまない。今いいか?」


 ノックしつつ言うとすぐに答えが返ってきた。


「構いませんよ」


 椅子を引くような音がして、アリスがこちらへと歩いてくるのが分かった。


「汚いので入ら――――」

「部屋で待ってる」


 先んじてアッシュがそう言うと、不満げに眉をひそめる。

 まさか入らないでほしいというのが楽しかったわけでもあるまいが。


 踵を返すと、アリスは部屋に戻らずついてきた。

 今回は杖を持ってきていたようだ。


「今日は酒臭いですね。この堕落勇者」

「生臭神官が」

「血狂い」

「トカゲ女」

「とっ……?」


 トカゲ女と言われると、アリスは珍しく唖然として立ち止まる。


「トカゲ女? 私が?」


 アッシュに言わせれば彼女のそのどこか冷たい悪意を潜ませたような瞳といい、意地悪く歪められた口元といい、影を這うトカゲにそっくりだった。

 しかしアリス自身は納得いかなかったらしく恨み言をぶつぶつと呟く。

 そんな様子を尻目にアッシュはさっさと服を脱いだ。


「よろしく頼む」

「……ええ、やりましょうか」


 アッシュが地べたに腰掛けると、不満顔ながらもアリスはベッドに腰を下ろした。


「今日は魔人化した」


 アッシュがそう言うと、アリスは重いため息を吐き出す。


「それはまた、面倒な」

「すまない」


 アリスは、虚空から拳ほどの大きさの原石を取り出す。

 深紅の結晶はどこか禍々しい雰囲気を放っていた。

 これは【魔石】と呼ばれるものだ。


 そして魔石とは、大昔の巨大な魔物の血が固まり鉱脈になったものだった。

 なのでそれ自体が莫大な魔力を含んでいる。

 魔術の触媒としても優秀で杖に加工されたりもする。

 しかし膨大な魔力を必要とする術においては、魔術師がこの石の魔力を借りることも多い。


「使うのか?」

「そりゃあ、ねぇ。私の魔力だけじゃ負担が過ぎますよ。封印ってあれですから。重石みたいなものですから」


 専門外で、そのあたりの話はよく分からない。

 しかし封印の術というのはアッシュが思っているよりずっと単純な魔術であるそうだ。

 確か、対象を魔力で押さえつけるようなものなのだという。


 ただ、技術が求められる要素も当然だがある。

 たとえばヒモを結ぶ時、結び方やその巧拙で強度が変わるのと同じだ。

 術者の技量と使用する魔術によっても効果が変わるらしいが、基本は押さえつけるために費やされた魔力が効果を決めるのだという。


 そんなことを考えながら。いつもの詠唱を聞き流していた。

 しかしそれもやがては途切れる。

 話すこともないので黙っていると、アリスが話しかけてくる。


「しかし、今日はどうして本気を出したんですか? この石の値段、知らないわけじゃないですよね?」

「四十万ヴェルト」

「そうですよ、一回四十万の変身ですよこの金食い虫。税金粉砕機。国民泣かせ。採算の合わない殺し屋。……で、なんで使ったんですか?」

「恐らくだが、門衛がいた」


 そう答えると、アリスが押し付けている杖が揺れた。

 動揺したらしい。


「ええ……。早くないですか?」

「そうだな、運が良かった」


 確かに想定より早かったのでアッシュは同意する。

 すると、アリスは無念そうに言った。


「お祭り参加したいですよぉ……」

「…………」

「生まれ故郷から遠く連れ去られ、妙な首輪つけられて、こんなしょーもないやりがいのない仕事させられて、毎日毎日自由を夢見てるんですけど」

「…………」

「……聞いてますぅ?」


 アッシュは右手で頭をかこうとして、すでに身体が動かないことに気がつく。

 行き場を失った手を弱々しく握り、アリスの問いに答えた。


「……このあたりは魔獣が多い。明日にでも支門が見つかるということがなければ、少しは滞在しても構わない」

「やった」


 決して泣き落としに負けた訳ではない。

 しかし根に持たれると面倒だし、この辺りの魔獣は本当に多いのでのさばらせたまま出て行くのは気持ちが悪いのだ。

 他の場所の仕事もあるので難しいが、できるなら根こそぎに殺し尽くして清々しい気持ちで旅立ちたい。


 鼻歌を歌い始めたアリスは、実に楽しそうに口を開く。

 こんなに機嫌のいい彼女を見るのは初めてだった。


「となれば私も準備しなければなりませんね」

「準備?」


 一体何の準備をするというのだろうか。

 怪訝に思ったアッシュは聞き返す。


「お祭りを楽しむ準備」

「勝手にしてくれ」


 返ってきたのは嬉しそうな声で、うんざりしたアッシュは目を閉じる。


「さぁ、済みましたよ」

「ああ。いつもすまない、助かった」


 そう言って、アッシュは目を閉じたまま身体が動くようになるのを待つ。

 待っていたのだが、不意に何かの布が左手に触れる。


 目を開けるとアリスがいた。

 ご丁寧にハンカチ越しにアッシュの手を取っているようだった。


「手が汚いか?」

「人に触るの苦手なだけです」


 そう言ってアリスは虚空から刃物を、実に鋭そうなナイフを取り出した。


「……!」

「ひっ…………」


 咄嗟の判断だった。

 相手は空間魔術士、ならば武器を奪っても意味はない。

 封印直後であまり動かない右手で、それでもなんとか無力化しようと腹に拳を叩き込むため腕を振るう。

 万全の威力にはほど遠いが、それでもただの人間なら足が立たない程度の力は込められたはずだった。


 しかし、アリスは腰を抜かしながらもそれをかわした。


「わーーーっ! いきなり殴らないでくださいよ!」


 部屋の隅まで逃げて顔を青くして叫ぶアリスを、アッシュは睨みつける。

 投げるつもりなのか花瓶を持っている。


「近寄ってみろ、殺してやる」

「いやいや、落ち着いてくださいね……」

「俺はお前を、全く信用してないからな」


 そう言うと、アリスは額に手を当てる。


「なんですか、ちょっとお瀉血しゃけつしようとしただけなのに……」

「瀉血?」


 血管を切り裂いて悪い血を吐き出させるという、クソ以下の民間療法だ。

 病に全く効果がないのは当然ながら悪い血を適当な場所に捨てれば毒が広がるし、不衛生な環境でやればさらなる病の呼び水になる。


 近年駆逐されつつあるものの、魔術が発達していない未開の地では少し前までは幅を利かせていたという。

 しかし、それがどうしたというのだろうか。


「血、を、よ、こ、せ」

「なるほど」


 意図を読み取ったアッシュは左腕を差し出す。

 少しだけ過剰に反応した自分を恥じた。

 後ろめたいことがあるクズのような悪人だから、こんなことになるのだ。


「妙なことをするな。それと、先に言え」

「……たたかないでくださいよ」

「叩かない」


 恐る恐る、という言葉が相応しい様子で近寄ってきたアリスがハンカチ越しに手に触れる。

 そして刃を左手首の上でそっと引いた。


「…………」


 刹那溢れ出す鮮血をアリスは口の広いビンに入れる。

 人の血液に比べてどこか暗く、重くてとろみ(・・・)が強いそれは魔物の血だ。

 魔力を秘め、またどろりとした性質によりアッシュの傷は素早く塞がれる。


「いや、助かります」


 すっかり元気を取り戻したアリスが調子よくそう言う。

 だがアッシュは無視してその挙動を見張っていた。

 殺される理由の心当たりは、多い。


「あ、いけない。血が止まってきましたね。開け、このっ……」


 ふざけた口調でそう言うと、無断で傷口に刃を這わせる。

 呆れるほどに図々しかった。


「君、こんなもの何に使うんだ?」

「私の勝手です」

「勝手ではない。絶対に」


 アッシュがそう言うと、アリスはふっと息を漏らして答えた。


「……ま、冗談ですよ。いや、なにか魔道具でも作ろうと思ってですね」

「魔道具?」

出店でみせです」


 なるほど、祭りでなにか売ろうと言うのか。

 一応、自分の血の使い道なので掘り下げることにする。


「何を作るつもりなんだ?」

「んー、踏むと燃える石畳とか」

「やめろ」

「名付けて番犬いらずです。家族の団らんを守る正義の魔道具ですよ」


 しかし、それが冗談でないならばアリスはかなりその道に通じていると言えるだろう。

 人の足の圧力を検知して燃える石畳など、少しかじったアッシュからしても全く仕組みが分からない。

 いや、圧力を検知するのではなく、踏むと回路がはまってルーンまで魔力が流れるようになるような……そういうからくりだろうか?

 それなら、作れないこともないかもしれない。


「君は、そういうのが得意なのか?」

「まぁ、そうですね。これがありますからね」


 そう言って指差したのは隷属の首輪だ。

 それをどうにかして無力化しようと試みていたという訳だろう。


「…………」


 と、そこでビンが二本目に突入していたことに気がつく。

 同時に一切の躊躇なく傷口が開かれた。

 開いた口が塞がらないとはこのことで、もはやアッシュとしては言葉もなかった。


 もう身体は動くようになっていたが、アッシュはアリスの用が済むのを待つ。

 最初に来て以来ずっと開けたまま放置している窓から、月を眺めて時間を潰す。


「あなたは……」


 不意に、そんな声が聞こえた。


「なんだ」


 アッシュが先を促すと、アリスは少しだけ躊躇って続きを口にする。


「あなたは何故、私に命令しないんですか? あらかじめ言っておけば、私はあなたに刃を向けることもできないのに」


 アリスの顔はらしくもなく不安げなものだった。


 聞かなくていいのに、むしろそんなこと聞かない方がいいのに。

 それを分かっていても、不安だから聞かずにはいられないのだろう。


 首輪による支配権を握った者、分け与えられた者はまず、奴隷に対して禁則事項を設ける。


 殺そうとするな、言葉に耳を塞ぐな、許可なく触れるな、許可なく近寄るな、と、そんな具合だ。

 そしてそれはアッシュもよく知っていた。


 だが、今のところアッシュはアリスに対してなんの命令もしたことがない。

 元の主も、教会の敵であるアッシュを殺すなとは言わなかっただろう。


「絶対に殺されないからな。俺は」

「そう、ですか……」


 それからほどなくしてビンの中身は満たされる。


「三本目はあるのか?」

「いえ、ありませんよ」


 そう答えて、アリスはアッシュの傷口にハンカチを被せる。


「それあげます。返さないでくださいね」

「ああ、貰っておく」


 わずかに滲む血を、ハンカチに吸わせながら答える。

 アリスはビンを虚空に消して、それから立ち上がってお辞儀をした。


「どうも、助かりました」

「気にしなくていい」


 相槌を打つとアリスは踵を返して部屋を出る。

 そして最後にドアの隙間から顔だけ出して別れを告げた。


「それではまた」


 アリスが出て行った後で、アッシュはポーチから『光』のメダルを取り出す。

 それからそれをそっと傷痕に当てて、淡々と詠唱を読み上げる。


「痛みを背負いし子らに救いを。静かなる光をここに。月よ、祈りを聞き入れたまえ」


 その治癒の……『慈愛』のルーンの詠唱には、偽典詠唱としては例外的に祭祀色が残っている。

 この『光』と『慈愛』の組み合わせは、治癒魔法の中でも最も初歩的なものである。


 が、適正の薄いアッシュは『慈愛』一つでも長々と時間をかけて詠唱せねばならず、効果もかなり低い。

 しかし、魔物として強い生命力を持つアッシュにかければ小さな傷くらいは塞がる。

 ささやかな光と共に、腕の傷痕が薄くなるのを見届けた。


 それからアッシュはメダルをしまう。

 そして向いていないのだろうなと思った。

 救うことには向いていない。

 アッシュにできるのはずっと殺すことだけだった。


 分かっているはずなのに、未練がましくこんなものを持ち歩いている。

 それはアッシュのどうしようもない愚劣だった。


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