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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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十一話・祝杯(2)

 


 カウンターの上に並べられた料理は三つだった。


 なにやら、混ぜ物のされた黒い丸パン。

 それからベーコンとキャベツに玉ねぎを入れて、香草をふりかけた澄んだ色のスープ。

 そして、いつかの兵士が口にした練った芋をどうこうしたのだという『もちもち』だ。

 もちもちは見ると油で素揚げにしてあるようで、とてもいい匂いがする。


 名前を呼んでみた。


「もちもちか」

「…………っ」


 もちもち、と口にするとグレンデルが小さく噴き出した。

 意図を図りかねて首を傾げる。


「なんだ?」

「アッシュがもちもちって言っちゃ駄目だろ」

「…………」


 よく分からないような分かるような、そんな理屈だった。

 でも特に気にもならないので頷いておく。

 それから、アッシュは手を合わせて食前の感謝の言葉を口にした。


「いただきます」


 すると、グレンデルも同じく手を合わせる。


「いただきます」


 熱心な信徒ならこの後か前にでも神への感謝を口にするはずだった。

 しかし残念ながら二人ともそう大して神を敬ってはいない。

 なのでアッシュはさっさとスープの椀を手に取ってすすり始めた。

 グレンデルの方ももちもちにフォークを伸ばしているようだった。


「うまっ……」


 グレンデルは実に美味しそうにもちもちを頬張る。

 過剰なまでの反応に少しだけ興味を惹かれるが、それに従うのは気が進まなかった。

 だから気にせずスープの具をかきこむ。

 美味かった。


「好きなものは後で食べるタイプか?」

「そんなつもりはないけど、同じことを言われたことがある」


 グレンデルの問いに正直に答えると、彼は口元を緩ませた。


「冷めたらもったいないぞ」

「スープだって冷める」


 言いつつ椀を置いてパンを手に取る。

 黒いパンはライ麦かなにかで作られているのだろうが、その中になにかくるみのような木の実が混ぜられていていい香りがした。

 パンには豆やらなにやらを混ぜるのが食料事情が切迫した場所での日常だが、こうして良い味にする工夫にもなりうるのだというのは知らなかった。


「なぁ、そろそろもちもち食えよ」


 そう言って、グレンデルは何故か苛立ったように机を小刻みに指で叩く。

 だから少し釈然としない思いを抱きつつも頷いた。


「……分かった」


 素揚げにしたもちもちは、優しい狐色に染まっている。

 その表面はランプの明かりを反射してわずかに輝いているようだった。

 できたての湯気は香ばしい匂いを周囲に振りまいて、フォークを突き立てた感触は確かな弾力を感じる。


「…………」


 何故か固唾を飲んで見守るグレンデルに白けつつも、アッシュはゆっくりともちもちを口に運ぶ。


「美味い……?」


 真剣な表情でそう聞いてくるグレンデルを無視した。

 美味かった。


 さくりとした食感はしかし一瞬で、もちもちの名に恥じない弾力がしっかりと歯を押し返す。

 そして芋と油の甘さが口の中に広がる裏で、とろけて溢れるチーズの塩気がアクセントとなって甘みを引き立てる。

 香りもまたとても良かった。

 先程まで鼻先を漂っていたいい匂いが肺の奥まで染み渡るように満たされていた。


「美味いな。とても」


 一つ咀嚼し終えてやっと言うと、グレンデルは実に嬉しそうに笑う。


「だろ? 俺もこれを食べた時はこの街に飛ばされて良かったって思ったくらいだからな」


 何気なく口にされた言葉を聞く。

 二つ目に手を伸ばしながらわずかに眉を動かす。


「他の街には、もちもちはないのか?」


 アッシュはこうして食事処になどわざわざ行ったことはない。

 兵舎の食堂で済ませるか、あるいは前線の野営地で兵糧を飲み下すかのどちらかが大半だった。

 だから旅をする割に、地域ごとの献立の事情には疎い。

 そのため、他の街にもこれが広まっているものだと勝手に思い込んでいた。


 けれどどうやらそうでもないらしい。


「んー、王都にはなかった、かな?」

「そうか……」


 なら仕方がない。

 元より遊んでいていい身分ではないし、そもそもあったとしてわざわざ食べに行くつもりもなかった。

 だから、特に何も言わずまた次のもちもちにフォークを伸ばす。


 するとなにを感じたのか、グレンデルは眉を下げる。

 さらに、まるで慰めるかのような声で語りかけてくる。


「まぁでも俺が王都にいたのなんてそうだな……。十八のガキの頃だし、そうなると王都大火よりも前だ。今ならあるかもしれないぜ。あの後、大分他の地域から移民が来たらしいからな……」


 王都大火、それはかつてシウテクトリと呼ばれる上位魔獣が引き起こしたと伝わっている災厄だ。

 そして嫌な話になるような気がした。

 すると予想通り、グレンデルがこちらに問いを投げかけてくる。


「ああ。そういえば、王都大火を鎮めたのはアッシュだっけ? やっぱりシウテクトリは強かったか?」


 アッシュは彼の言葉に頷く。


「ああ、強かった」

「門衛とどっちが強かったんだ?」

「あっちの方が、ずっと強かったかな」


 また質問モードになった彼からそれとなく目を逸らした。

 そしてアッシュは給仕の少女を呼ぶ。


「はいはーい、今行きます」

「すみません、もちもちを三人前」

「はーい! あ、今日はもちもち最後になります!」


 ふと気づいたように少女が付け足した。

 何も言わず頷くと、その様子を見てグレンデルが盛大に笑う。


「アッシュが二人前か? 随分気に入ったんだな」

「全部俺のだよ」

「えっ」


 こういった機会、つまりまとまって食料を得られる時には多く摂取するように心がけている。

 だから全て食べるつもりでそう答えた。

 これは人間の食事を摂ることで、魔物の栄養としての魔力への依存度を下げるため、ひいては魔物の侵食を抑えるためだ。


「…………」


 しかし何故かやけっぱちのような顔になって、グレンデルはエールを二つ注文する。

 二つというと当然こちらの分だろうから、酒を飲まないアッシュは眉をひそめる。


「俺は酒は飲まない」


 眉をひそめて言うと、グレンデルは不思議そうな顔をする。


「なんだよ。アッシュは今年で何歳だ?」

「十七。次で十八」

「じゃあ飲めるだろ」


 実際は飲めない。

 大陸では一般に十八歳未満の飲酒は……かなり緩いが、それでも禁じられている。


 が、彼にそんな理屈は通用しなさそうなので、それを口にはしなかった。

 それにどうせあってないような規則であるので、アッシュは代わりの言葉を用意する。


「別に歳は関係ない」

「え?」


 ますます理解不能、といった顔をするグレンデルをじっと見つめる。

 率直に事実を伝えた。


「酔えないんだ。毒が効かない体だから」

「別に、それでも味は分かるだろ。悪いもんじゃないぜ」


 何を言ってもだめな手合いだと観念した。

 だから酒を待つ。

 どうせ酔わないのだから、水と思えば同じことだ。

 栄養も摂取できるので悪いことではない。


「グレンデル、近い内にここは祭りをするのか?」

「ああ、五日後にロウエンの賛美節をやるよ」


 スープをすすりながらそう答えた彼に、アッシュは何も言わずに頷いた。

 すると不思議そうに問いを返してくる。


「でも、どうして?」

「いや、少し気になっただけだ」

「そうか。でもどうせならアッシュも一緒に祝っていかないか?」


 しかしその申し出は断る。


「いや、遠慮しておく。アリスが喜ぶだろうから、あいつに言ってやってくれ」


 するとまだなんとか説得しようとしているような、そんな気配をグレンデルから感じた。

 だから彼がなにか言う前に話を変える。


「そう言えばあいつは街でどうしている? なにか面倒ごとは起こってないか?」


 あいつ、は当然アリスのことだ。

 この問いが意外だったのか、グレンデルは少しだけ目を見開いた。

 それから、わずかに考えたあとに答えてくれた。


「あの子、俺のこと嫌いなのかあんまり近寄ってくれないけど。……でも、元気でやってるようではあるよ。街を守ってるからちょっとずつ人気も出てる。かわいいし」

「そうか。ならいい」

「アリスちゃんのこと気になるのか?」


 グレンデルは茶化すように聞いてきた。

 アッシュは咀嚼そしゃくしていた追加のもちもちを飲み下して、答える。


「まぁ……一応。アリスは神官で、俺は神官から嫌われている。この街の連中に、妙なことを吹き込まれてないか気になった」


 その時、あの給仕の少女が酒を持ってくる。


「はい、エールですよ! このお酒は……! この! お酒は!!」

「嘘はもういいからな」


 先んじてグレンデルが言うと、小さく舌を出して少女は走り去る。


「さて、アッシュ。やるか」

「やるって、何を?」


 思わず聞いたアッシュに、グレンデルは自信満々に口を開く。


「飲み比べだよ。俺は強いぞ」

「なるほど」


 気は進まなかったが、潰れてくれれば早く帰れると思った。

 だからアッシュは杯を手に取って一息にあおる。



 ―――



 常人にしては随分粘った方なのかもしれない。

 飲み合いは夜まで続いた。

 グレンデルは三十数杯を飲み干し、そしてついに目を回して倒れた。


 お代はアッシュが立て替えて、今は宿舎へと帰路をたどる最中である。

 家は知らないが、宿舎の適当な部屋に寝せておこうと考えたのだ。


「あが……ぐご……」


 背に負った、いびきが非常にやかましいグレンデルを運ぶ。

 酒を飲みすぎて戻して、溺れているのではないかと少し思う。


「んがが……!」


 腹に据え兼ねたアッシュがグレンデルを揺らすと、わずかに意識を取り戻した。


「んぅ……アッシュ……俺は負けたのか……?」

「ああ、そうだな」

「俺は、代々、酒には強いはずなんだ……。母親も……酒豪で……なんなら、母乳にも、酒が混ざってたはずなんだ……」

「そうか」


 んーとかあーとか声を漏らすグレンデルを適当にあしらいながら歩いていると、不意に明瞭な声が耳に届く。


「なぁアッシュ。お前、いいやつだよな」

「……?」


 その言葉を訝しむアッシュに、グレンデルはまどろむ声で続けた。


「昔からお前の噂を、よく聞いてたんだ。あんまりいい噂じゃなかったけど、でも実際に会ったら俺にはお前がそんな風には見えなかったんだ。だから…………」


 そう言ったのを最後に、グレンデルは再び眠りに落ちる。

 すぅすぅと安らかな寝息を立てたから、アッシュは今度は起こさずに運ぼうと思った。



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